書評 「暴力と紛争の“集団心理”」

 
本書は社会心理学者縄田健悟によるヒトの暴力についての社会心理学的知見,特に集団モードで生じる暴力についての知見を丁寧にまとめた本になる.私としてはヒトの暴力についての進化心理学的な取り組み(そのような行動傾向はどのように進化したのか,どのような適応的機能があるのか,あるいはないのか)についてはいろいろ読んできたものの,社会心理学的な取り組み(そのような行動はどのような状況で生じるのか)についてはその時々に断片的な知識を読んできただけであり,一度きちんとまとめて読もうと思って手に取った一冊になる.
 

序章 暴力と紛争の“集団心理”

 
本書ではヒトの本性としての「集団心理」を取り扱う旨が最初に宣言される.ここでは進化心理的な側面も含めて「集団心理」について整理されている.また社会心理学は基本的に「ヒトの行動は状況次第だ」と考える学問であり,本書を読む上で,読者がこれまで暴力を振るわずにすんだのは単に運が良かったからだけかもしれない(だれしも状況によっては暴力を振るうかもしれない)と感じながら読んでほしいと書かれている.

  • ヒトを理解するには「集団」が大きな鍵を握っている.それはヒトは狩猟採集時代を通じて「群れ」を作って生活してきたのであり,そこでは集団として協力することが,その当人が生き延びる上で有効な戦略であった.しかしそこには戦争,虐殺,差別,いじめ,集団飛行,テロ,暴動などの影の側面もある.
  • 議論の出発点は「実はヒトは暴力を基本的に嫌う」ということだ(クッシュマンの実験,トロッコ実験の突き落としバージョン,グロスマンによる「戦争における人殺しの心理学」,ハイトの道徳基盤のケア/危険回避原理などの解説がある).
  • にもかかわらずヒトの社会に争いごとや暴力がある理由の1つが集団の存在になる.暴力を産み出す集団の心理学はしばしば「集団心理(群集心理)」と呼ばれる.曖昧な概念なので学術研究場面ではあまり使われないが,その理解は重要だ.
  • ヒトは集団の中で個人が抱く日常の心理状態と異なる心理状態に陥ることがある.本書ではこれを「集団モード」と呼ぶ.
  • 集団モードにはコミット型と生存戦略型がある(ただしこれらは完全に排他的なものではない).コミット型は自らを集団の一員として捉え,集団中心に集団のために行動するモードであり,生存戦略型は集団の中での自分の見られ方や立ち位置を調整(排除されない,より名声を得るなど)するモードになる.本書ではどのような状況でどのようなモードが生じ,暴力につながっていくのかを考察する.

 

第1部 内集団過程と集団モード

 

第1章 集団への愛は暴力を生み出すか?

 
第1章では個人の所属集団への愛(内集団びいき)が対外的な暴力(外集団への暴力)を生むかが論じられる.現代社会と戦争に引き直せば,愛国心が外国や外国人への攻撃性や差別心に結びつくかという問題になる.

  • 「国を愛する人ほど外国への攻撃心が高まるか」という問いに対する社会心理学的な答えは「単純にはNO.しかし条件付きでYESとなる」というものになる.
  • 社会心理学では集団に所属する心理を「集団アイデンティティ」あるいは「社会的アイデンティティ」と呼ぶ.これが顕在化したものがコミット型集団モードになる.「社会的アイデンティティ理論」では,アイデンティティは個人的アイデンティティから集団アイデンティティまで連続的なグラデーションがあり,状況次第で状態が変わると考える.
  • 状態が集団モードに変わる状況要因としては外集団からの危害や脅威が典型的なものになる.単なる集団間比較状況でも集団アイデンティティが強まりやすい.
  • 実証研究からは,集団アイデンティティが強いほど外集団に否定的になるとは限らないことが示されている.しかし特定の2つの条件の元ではそれが観察される.

 

  • 条件の1つ目は「集団間紛争・競争状態であること」だ.これを説明するのが「集団間感情理論」になる.集団間感情理論は,内集団アイデンティティを持つと内集団,内集団メンバーに起きた出来事を自分自身に起きたことの様に認識し,その出来事の評価により感情的反応が生じると説明する.出来事をどのようにフレームするか(どのような集団とどのような集団の間の出来事と捉えるか)により反応は大きく変わる.
  • 出来事が危害であれば特に強い怒り感情が引き起こされる.怒りと侮蔑と嫌悪は暴力と関係しやすいことが示されている(暴力のANCODI説).
  • このような状況で生じる究極の攻撃行動は命を捨てても攻撃しようとするもので,アイデンティティ融合(自集団と自分自身が重なってしまう状態)から説明される(実証研究も紹介されている).共有経験,そして特に暴力的戦闘的集団での共有経験がアイデンティティ融合を促進することが示されている(テロリズムについての研究が紹介されている).
  • アイデンティティ融合があれば必ず暴力的になるわけではない.紛争・競争状態であるという条件が加わることが暴力に結びつく.平和的な状況ではアイデンティティ融合は博愛的な利他心に結びつきうる.

 

  • 条件の2つ目は「集団アイデンティティの下位側面(集団愛着と支配・優越)のうち支配・優越が前面に出ること」だ.支配・優越の側面とは自集団が他集団より優越したいと考えるアイデンティティの側面だ(実証研究が紹介されている).
  • これは「社会的アイデンティティ理論」から説明される.自分と自集団を同一視しているときには,自分が良い人だと思われたい心情が自集団に拡大され,自集団を優越させる手っ取り早い方法として外集団をおとしめる手法を採用することになる.
  • また支配・優越側面が前面に出ているときには「集合的ナルシシズム」に陥りやすい.これは自集団についての特権意識を生み,それに伴い外集団への否定的態度が生じる.そして相手のささいな行為にも過敏に反応し,妄想めいた陰謀論に陥りがちになる.自尊心の低い個人がこの集団ナルシシズムに陥りやすいことがわかっている.

 

第2章 集団への埋没と暴力

 
第2章では「群集による暴力」が取り扱われる.

  • 「群れて暴れる」現象はしばしば観察され,現代日本においても社会的課題の1つである.この現象は心理学では集団への埋没と匿名性による没個性化で説明されている.
  • フランスの社会学者ル・ボンは「群集心理」を著し,群集はひとかたまりの集団となることで,個人と異なる集合的な心理的性質(衝動的,興奮しやすい,暗示を受けやすい,感情が単純で誇張的,偏狭で横暴,道徳水準の低下)を持つようになると主張した.この主張は後の社会心理学者たちにより「没個性化理論」として体系化された.ジンバルドは集合的な心理性質の根源を匿名性による没個性化という心理現象だと理論的に整理した(没個性化が暴力性を上げることについての実験が紹介されている).
  • 没個性化が暴力性を上げるメカニズムが2つ提唱されている.
  • 1つ目は「客体的自己意識」が低くなること(自己意識の低下)により道徳水準が下がるというものだ.これは匿名性が反社会的行動を促進することを説明するが,そうでない状況もあり,単純には当てはまらない.(KKKの服を着て匿名性を高めると暴力性が上がるが,ナース服だと下がる.また攻撃を支持している観衆に見られていると暴力性が高まる(観衆効果)という匿名性による説明とは逆の現象もある.メタ分析では匿名性が必ずしも社会的行動を促進するわけではないとされている)
  • 2つ目の提唱されたメカニズムは(コミット型)集団モードヘの切り替えによる集団規範への同調だ.上記の複雑な状況は状況的規範が暴力を肯定しているかどうかで結果が分かれていると説明できる.これは没個性化の社会的アイデンティティモデル(SIDEモデル)と呼ばれ,広範な状況を説明することができる.(実際の群集暴力のケースがこのモデルに沿って解釈されている)
  • インターネット上での炎上やバッシングの問題も匿名性と没個性化,状況的規範への同調という視点から理解できる部分が多い.

 

第3章 「空気」が生み出す集団暴力

 
第3章では第2章で群集の暴力性を説明するメカニズムとして登場した(コミット型)集団モードヘの切り替えによる「状況的規範への同調」というメカニズムを深堀する.ここではこの状況的規範を「空気」と呼んで説明がなされている.

  • ヒトは集団の空気と権威に服従する生きもので,それらに逆らうのを苦手としている.特に日本は「雰囲気」や「空気」が重視される社会だということが評論家の山本七平により指摘されている.この山本の「空気」は社会心理学で「集団規範」とされるものとおおむね同義である.
  • この集団の状況的規範については社会心理学でよく調べられており,ミルグラムの服従実験とスタンフォード監獄実験が有名である.(この2つの実験について詳細に説明がある)

 

  • ミルグラムの服従実験の追試は多くの国でなされていて,どこの国でもおおむね類似した服従率が報告されている.2000年以降もややマイルドな形で追試されて同様の結果が報告されている*1
  • 服従率を左右する重要な変数が知られている.被害者との物理的近接性,加害の直接性,(加害を命じる)権威の正統性,そして仲間集団がどう振る舞うか(同じように参加しているように振る舞うサクラが「僕はおりる」といって拒否するかどうか,それが1人か複数いるかなど)だ.(権威の影響力の大きさについて,フランスのテレビ番組を装った実験の結果が印象的に解説されている)
  • このような服従が生じるのはなぜか.ミルグラムは代理人状態で説明しようとしたが,現在では(コミット型)「集団モード」の影響だとされている.実験を行う人々を自分もふくめて内集団と捉え,その内集団の規範に従う形で服従が生じると考えるのだ.実際に彼等は内心では苦しみながら,科学研究のためだというような正当化,自己弁護を行い,集団規範に従う形でボタンを押していることが多い.

 

  • スタンフォード監獄実験は「心理学の実験という前提が示されていても,監獄という状況を与えると,被験者はその状況の影響力により看守役は看守らしく,囚人役は囚人らしく考え,感じ,振る舞うようになる」ことを示したものとして有名だが,近年では再解釈の必要性が主張されている.
  • この実験はオリジナルが1970年代になされ,その後しばらく誰も追試を行わなかったが,2001年に英国で追試された(BBC監獄実験).しかしこの追試ではオリジナルの現象が再現されなかったばかりか,心理学の実験であることを盾に終始反抗的に振る舞う囚人役とそれに振り回される看守役という権威の逆転現象まで観察された.
  • 両実験の違いはその社会的状況(集団認識状況と集団規範)にあった.BBC監獄実験では実験者側が看守役に対しての指示的役割を担っておらず,暴力への促しもなかった.だから看守役は実験者側へ取り込まれず,暴力的規範へ従う形での集団モードにスイッチが入らなかった(そして囚人役には囚人集団としての認識が発生した)のだと思われる.これらの監獄実験も(コミット型)集団モードと状況的規範への服従で理解できる.(ここでアブグレイブ刑務所での虐待事件の解釈がなされている)

 

  • 現代日本の「いじめ」問題も状況的規範による暴力という枠組みで解釈可能だ.学校(や一部の職場)はいわば特殊空間になっており,治外法権的な集団規範が成立し,それに従わないものは排除される.いじめはそこで集団モードのスイッチが入り,集団規範への服従が生じた結果生じるものと解釈できる.
  • 実験結果が教えてくれるのは,このような集団モードと状況的規範による暴力を抑制するには,2人以上の抵抗するサブグループの存在が重要だということだ.

 

第4章 賞賛を獲得するための暴力

 
第2章,第3章は集団の暴力のうちコミット型集団モードから説明できるものを扱ってきたが,第4章と第5章では生存戦略型集団モードから説明できる暴力を取り扱う.このうち第4章では「仲間からよい評判を得るため」に攻撃が生じる現象を取り扱う.

  • ヒトの攻撃行動には衝動的攻撃と戦略的攻撃がある.集団の暴力にも何らかの目的のための戦略的攻撃がある.本章ではよい評判を得るための戦略的攻撃を考察する.
  • 集団モードにはコミット型と生存戦略型がある.生存戦略型集団モードは集団の中で生き抜くために自分の集団での立ち位置を気にかけてスイッチが入るモードになる.この集団内の生存戦略はさらに賞賛獲得(集団メンバーから高く評価されたい)と拒否回避(嫌われたくない,排除されたくない)に分けて考えることができる.これらが引き起こす暴力は前者が英雄型集団暴力,後者は村八分回避型集団暴力と呼ぶことができる.(この二側面がともに現れたケースとして熊谷市のホームレス殺人事件の顛末が解釈されている)

 

  • 英雄型集団暴力はどのように働くのか.まず様々な場面で攻撃者が賞賛されることがあるという事実がある.ヒトは暴力を嫌うが,集団間紛争の場合には外敵への攻撃者が賞賛される.(ウサマ・ビンラディン,日本の特攻隊員,狩猟採集民の戦士の例が紹介されている)これは賞賛されたいメンバーは戦士として闘うことにメリットを得ることができることを意味する.(賞賛獲得心理と集団間暴力が関連することを示すリサーチが紹介されている)
  • 片方で集団間紛争に参加することにはリスクも伴う.これは進化心理学的には重要な問題になり,賞賛メリットが怪我や死のリスクより大きかったかどうかについて論争がある.狩猟採集民のデータ(および第二次世界大戦後のアメリカ軍人のデータ,現代の都会のギャングのデータ)によると少なくとも賞賛が性的資源や経済的資源というメリットと直接結びついていることは確かにあるようであり,そのような攻撃が適応的になる可能性が示唆されている.
  • さらに暴力が賞賛されるような集団文化があれば,暴力の賞賛が生じるのは集団間紛争時の暴力だけに限られない.(非行少年のリサーチが紹介されている)
  • 暴力に肯定的な文化としては名誉の文化が知られている(名誉の文化について詳しく解説がある).名誉の文化は個人の暴力傾向だけでなく社会・文化レベルの攻撃性を高めるというリサーチもある.
  • これらの知見からわかることは,暴力が賞賛されない社会では暴力はあまり生じないということだ.これは文明化と共に人々の暴力への拒否感が強まり,暴力が減少していることを説明する.ただし「賞賛獲得を求めて攻撃する」心理基盤自体は残っているので,現代日本人でも暴力肯定的な状況的規範に放り込まれると集団暴力を振るうことがありうることに注意が必要だ.

 

第5章 拒否を回避するための暴力

 
第5章では「村八分を回避するため」の集団暴力が取り扱われる.

  • 集団暴力状況で,それに参加しないメンバーは非協力者として罰を受ける可能性がある(戦時中に戦争に否定的な市民が「非国民」とされて迫害を受けた「はだしのゲン」の場面が紹介されている).そしてヒトにはそのような集団からの拒否を避けるための生存戦略型集団モードのスイッチがはいることがある.
  • 生存戦略型集団モードによる暴力についても様々な実証研究がある.
  • 本心ではない差別行動が生存戦略型集団モードにより引き起こされることがある(実証研究が紹介されている).集団の「空気」を読んで自分の行動を調整することを皆が行っていると「空気の読み違い(社会心理学用語では多元的無知)」が集団全体で誰も望まない行動を引き起こす可能性がある.そして暴力的・差別的な空気は自己成就的に維持されてしまう.
  • 生存戦略型集団モードは自集団の他メンバーから拒否されないために身内をひいきする(内集団ひいき)という形をとることがあるこれにはポジティブな面もあるが集団暴力にもつながる危険がある.(実証リサーチが紹介されている)
  • ただし内集団ひいきが外集団への攻撃に必然的に結びつくわけではないことに注意する必要がある.内集団ひいきと外集団攻撃は別物だが,内集団協力と外集団攻撃がセットになっているとこの2つが結びついてしまう(実証リサーチが紹介されている)
  • 生存戦略型集団モードは集団暴行殺人,ジェノサイドにまで及ぶこともある.(少年グループによる集団殺人事件,フツ族によるツチ族のジェノサイドの事例が解説されている)また女性差別イデオロギーそのもののような名誉殺人,テロリストグループへの参加についてもこの生存戦略型の側面がある.(いくつかの事例が説明されている)
  • この村八分回避型心理は日本文化に強く見られることが指摘されている.日本で生存戦略型集団暴力が多いかどうかについての直接的な実証研究はないが,その傾向が他国より高い可能性がある.
  • 戦略にも関わらず実際に拒否されてしまったら何が生じるのか.多くの研究は排斥されると利他行動が減り,暴力的傾向が高まることを示している(アメリカの学校での銃乱射事件,日本の通り魔事件が解説されている).これは排斥されたことへの報復の側面があると考えられる.

 

  • ここまで2章かけて生存戦略型集団モードを,賞賛獲得と拒否回避に分けて説明してきたが,現実の場面ではその両者が混在していることも多いことには注意が必要である.

 

第2部外集団の認知と集団間相互作用過程

 

第6章 人間はヨソ者をどう見ているのか?

 
第1部(第1章〜第5章)までは「内集団過程と集団モード」から暴力を考察してきた.第2部では「外集団の認知」と暴力の関係を考察していくことになる.冒頭の第6章では自分たちとは異なると感じられる人々を「外集団」と認識し,外集団の認知が差別や攻撃につながりやすくなる状況を扱う.

  • ヒトは自分たちと異なると感じられる人々を外集団(ヨソ者,やつら)として認識する本性を持っている*2(きのこの山派とたけのこの里派による論争が例として取り上げられている).このような認識に至る心理過程は「社会的カテゴリー化」と呼ばれる.
  • いったん外集団認識が生じると,内集団と外集団の間に線引きがなされ,両集団に異なった評価がなされるようになる.基本的には内集団=good,外集団=badという認識になることが多い.線引きの過程では同化効果(同じ集団カテゴリー内でメンバーの類似性が強調される)と対比効果(集団間の違いが強調される)が生じる.
  • ここで注意すべきなのは誰を内集団にして,誰を外集団とするのかは主観や状況に依存するという点だ(線引きの状況依存性についての実証実験が紹介されている).
  • 同化効果は,特に外集団メンバーに強く働き(外集団均質化効果;奴らについては十把一絡げで認識する),ステレオタイプが生じる.ステレオタイプは他者の考えや行動の予測に役立つ面もあるが,基本的に否定的評価感情と結びついているのでしばしば偏見や差別の温床となる.(恣意的なカテゴリー分けによる線引きでも外集団に否定的ステレオタイプが付与されることについての実証実験が紹介されている)
  • いったん偏見が生じると確証バイアスとサブタイプ化(彼は特別な例外だ)により是正は困難になる.(ここでしぶとく残る偏見の例として「すでに時代は変化して差別はなくなったのに,奴らは過剰な優遇を求め不当な恩恵を受けている」という現代的差別主義の概念が紹介されている)
  • 現代においては偏見の表明は社会的に望ましくないとされているが,一部の人々はしばしば(現代的差別主義のような)偏見を表明する.クランドールとエシェルマンはこれを「偏見の正当化―抑制モデル」として理論的に整理した.(詳しい説明がある)
  • では外集団ヘの否定的評価はどのようにして生じるのか.それは内集団へのコミット型集団モードが「自集団中心的な判断」を推進することによって生じると考えられる.
  • 自集団中心主義は基本的帰属のエラー(あいつがそうするのは状況によるものではなく,内的な性格のためだ),究極的帰属エラー(帰属エラーが外集団に適用される)を通じて,内集団奉仕的かつ外集団蔑視的な原因帰属を生む.(北アイルランドのカトリックとプロテスタントの対立を背景にした実証実験が紹介される)
  • また自集団中心主義は反発的低評価バイアス(紛争相手の意見や提案を低く評価する),敵味方分断思考(内集団メンバーは自分の味方で外集団メンバーは自分の敵だとみなす)も生む.(それぞれ実証リサーチが紹介されている)

 

第7章 「敵」だと認定されるヨソ者

 
第7章では外集団への基本的心理過程(低評価,偏見)がどのように暴力につながっていくかが扱われる.

  • 外集団の認知が暴力につながっていく大きな要素になるのが「脅威」と「非人間化」だ.

 

  • 外集団への低評価は外集団を自分たちに危害を加える脅威としてみなすことにつながる.これはヒトの基礎的認知に根付いていることがわかっている(同じような恐怖条件付けで生じる恐怖は外集団からのものの方が長期間保たれることを示した実験,外集団=脅威認知に関する神経科学研究が紹介されている).
  • 国家・民族間関係の脅威研究では,脅威には現実的脅威(実際的な被害の脅威)と象徴的脅威(価値観,信念,道徳に関する脅威)という2つの側面があることが示されている.これらの2側面はどちらも外集団に対する否定的な態度を引き起こす(脅威の2側面と集団暴力の関連性のパス解析が紹介されている).
  • 社会心理学,政治心理学の研究では保守主義と脅威過敏性に相関があることが示されている.ヒトは脅威が高まると防衛反応として保守主義的心理傾向を高めるようだ.そして防衛反応は時に先制攻撃の形をとる.(相手が外集団だからといって必ず先制攻撃が生じるわけではないが,集団間脅威が高い場合に先制攻撃が見られやすくなることを示すリサーチが紹介されている)
  • また外集団の脅威認識は狙撃手バイアス(悪人を見分けて銃を撃つゲームにおいて,対象が外集団メンバーらしいとより素早く,より誤って悪人認定するするバイアス)を引き起こすことが知られている.

 

  • 外集団の低評価がもたらす最も深刻な結果が非人間化(相手を他の動物や物体のような人間以下のものとして見てしまう心理現象)だ.そして非人間化は残虐行為の心理的ハードルを下げ,ジェノサイドのような過激な暴力の原因となる.(戦争時のプロバガンダの実例が示され,非人間化が攻撃を促進させることを示す実験結果が解説されている)
  • 非人間化は,道徳的抑制を解放し(彼等は道徳の対象外である),攻撃を正当化する(彼等の存在自体が悪である)ことにより危害を促進すると考えられる.いったん道徳的抑制が外れて暴力が振るわれると,抑制はさらに低下して暴力の慢性化が生じる.
  • 非人間化には,人間性希薄化(やつらは複雑で高次の感情をあまり持っていない),直接的な形の非人間化(やつらは進化が十分ではない)などの様々なパターンがある.
  • 相手集団から非人間化されると,逆方向の非人間化が起こりやすく,非人間化の応酬という形になることがある.

 

第8章 報復が引き起こす紛争の激化

 
第8章では集団間の暴力について,特に「報復」が果たす役割を考察する.

  • 1:1の個人間関係では被害者が加害者に報復を行うことがあるが,それはその2者間で閉じている.しかし両者が異なる集団に属していると他の集団メンバーから,他の集団メンバーへの代理報復(集団間代理報復)が生じやすく,連鎖的に拡大する集団間紛争に発展することがある.2者間では報復は必ず加害者に向けられ一種の抑止力になるが,集団間だと必ずしも加害者に報復がなされるわけではないので報復リスクによる抑止が働きにくい.
  • このような集団間代理報復は初対面同士で集まった一時的な集団でも生じる(実験結果が紹介されている).
  • 代理報復が生じるメカニズムにはコミット型集団モードに関係するものと,生存戦略型集団モードに関係するものがある.

 

  • コミット型集団モードのスイッチが入ると,内集団同一視と外集団実体性知覚が生じる.これにより自集団メンバーへの被害を自分への被害と感じることにより怒りが生じ,また加害者が属する集団メンバーを加害者と(そのネガティブイメージと共に)同一視し報復対象だと感じ,さらに外集団全体を責任帰属対象と知覚するようになる.(実証研究が紹介されている)
  • 集団間紛争状況においては報復者は賞賛の対象になる.このような賞賛を求めて生存戦略型集団モードのスイッチが入って集団間攻撃を行うことがある.(実証研究が紹介されている)

 

  • 集団間報復においては,実際の被害出来事自体よりも,主観的心理としての被害者意識の方が重要な役割を果たすと考えることができる.集合的被害感は集団間紛争を持続させる効果がある.
  • 被害者集団と加害者集団では集合的暴力に対する捉え方(誰が被害者で誰が加害者か,暴力の責任はどこにあるか,なぜ加害行為が生じたのか,危害の大きさはどの程度か,いつ出来事が生じたのか)が基本的に異なる.被害者は危害を大きく見積もり,加害者は小さく見積もる.このような認識ギャップは被害者側の怒りをさらに強め,集団間報復が「倍返し」になりやすくなる.

 

第3部 暴力と紛争の解消を目指して

 

第9章 どうやって関わり合えばよいのか?

 
第9章では集団間暴力をいかに解消していくかが扱われる.ここで集団間アプローチと集団内アプローチに分けて整理される.

  • 集団間暴力に対してどうすればよいのか.本書では原因を悪人に帰属させる考え方は採用しない(基本的に社会・集団の状況要因の方が重要だという考え方に沿う).

 

  • 集団間アプローチ:外集団嫌いをいかに解消するか
  • (1)集団間接触を増やす:2つの集団間のメンバーが物理的に繰り返し会い,交流することは偏見や紛争を低減させることが知られている.ただしそこにはより効果的になるための条件がある.オルポートは,両集団の地位が対等であること,共通の目標があること,目標へ至るために協力が役に立つこと,公的的な集団接触が公的に推奨されていることの4つを提示した(だから単純な旅行には効果があまりない).これらに加えて接触が個人的友情を持つ形であることの重要性もよく指摘される.
  • なぜ接触に効果があるのか.1つは「脅威と不安の低減」であり,もう1つが「相手の視点取得と共感」だ.
  • (2)視点取得と共感:集団間紛争を解消するためには「相手の立場に立って考えてみること」が重要要因になる.(実験結果が紹介されている)
  • なぜ視点取得に効果があるのか:それは並行的共感(自分も相手と同じ痛みを感じる),反応的共感(相手が痛みを感じることに関心を持ち配慮しようとする)が生じるからだ.(ここで歴史的に生じた共感の輪の拡大とフリン効果が論じられている)
  • (3)共通目標と共通上位集団アイデンティティ:2つの集団が同じ目標を持ち,その結果包括的な上位集団のとしてアイデンティティを持つことが紛争解消に重要であることが指摘されている.(シェリフのサマーキャンプ実験が紹介されている)そもそも内集団/外集団の線引きは恣意的であり,再カテゴリー化により偏見が低減される.(上位集団アイデンティティによるバイアス低減効果を示す実験が紹介されている)
  • 集団間に力の不均衡がある場合は共通上位集団アイデンティティが形成されにくい.劣勢集団メンバーは共通上位集団を好まない.また安易な上位集団化は集団間の不平等を覆い隠す効果を持つことにも注意が必要だ.この問題を避けるために二重アイデンティティ方略(2つの元の集団を残しながら,上位集団アイデンティティと元の集団アイデンティティを同時に持つようにする)が提唱されている.

 

  • 集団内アプローチ:集団内の相互作用の中でいかに偏見・暴力を低減させるか
  • (1)反暴力的規範の醸成・風土の変革:集団メンバーの行動は集団規範に大きく左右される.そして集団規範は歴史的時間軸に添って変化可能であることが知られている(ここ20年の日本社会の飲酒運転に関する社会規範の変化が例にとられ,規範の変化が偏見の強さと相関することを示す実証実験,(ジェノサイドがあった)ルワンダにおけるフィールド介入実験が紹介されている).
  • (2)多様性と包摂性:社会の中で多様性が増すと(それ自体は望ましいとしても)様々な外集団との関わりが増え,集団間紛争が発生しやすい状況になる.これを防ぐには社会の中の多様性のマネジメントが重要になる.
  • 多様性の研究(ダイバーシティ研究)においては,集団暴力や紛争を低減させるためには包摂性(インクルージョン:集団が,個人に所属感を与え,個人が自分らしく振る舞うことをよしとすること)が重要であることが指摘されている.これはある意味共通上位集団を形成しようとする試みであるし,包摂性を高めるには社会規範が重要になる.

 

今から紛争と暴力がより減少した未来をいかにつくっていくか? ーあとがきにかえて

 
著者は「あとがきにかえて」と称して,本書の知見とピンカーが示した人間社会の暴力の低下傾向との関連,そして未来に向けて取り組むべき方向を提示し,本書を終えている.

  • ピンカーは「暴力の人類史」において人間社会の暴力性が一貫して低下していることを示した.ピンカーは様々な要因を挙げているが,本書の議論に沿っている点としては,社会の中で外集団への共感が重視されるようになり,多様性と包摂性を重視する社会規範に移り変わってきたということがある.
  • 暴力に対する社会の規範や価値観は実際に大きく変化してきた.それは現代日本の一世代程度の期間においても観察できる.社会規範は暴力を許容しないものに変化し,それが心理的に内在化され,実際に暴力は減少している.ここには社会の個人主義かも関わっているだろう.そして社会規範の変化は「きれいごと」を唱え続けてきた結果なのかもしれない.理念と正義に向き合った「きれいごと」を唱えることは実はとても大事なことなのだろう.
  • しかし本来集団は状況次第でよい方にも悪い方にも転がりうる.この潮流を維持するためには不断の努力が必要なのだ.そこでは社会・集団・組織レベルにどう働き掛けるかが重要であり,それには「集団心理」の特徴を知ることが必ず重要になると確信している.

 
以上が本書の概要になる.内容的には集団心理と暴力に関する社会心理学的知見が中心になっているが,特に集団モードで何が生じるかについて詳しい.どのような状況で暴力が生じやすいのか,それをどう心理的な至近メカニズムとして説明するか(各種理論),どのような実証がされてきたのかが簡潔でわかりやすくまとめられていて,大変勉強になった.暴力の心理学に興味がある人にはとても役立つ一冊だと思う.

*1:日本における追試では,標本数は少ないもののアメリカと比べてやや高い服従率が報告されているようだ.分水嶺とされる150V(サクラの被験者が「出してください,心臓がおかしい」と訴える水準)までの服従率で日本は90%超え,オリジナルのミルグラム実験では83%,アメリカの追試では70%.

*2:これが進化の過程で植え付けられた根源的な本性だと説明があるが,どのような適応なのかについては触れられていない