War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その4

  

第1部 帝国の興隆(Imperiogenesis) その3

 
ターチンはロシアの東方拡大の要因は団結だとし,その団結は16世紀に(キプチャク・ハン国分裂後の)タタール諸国から強烈に略奪され,そこからの防衛のために団結が必要になり,そのような精神文化や規範が生じたのだと論じた.この傍証としてアメリカ合衆国の事例が取り上げられる.
 

第2章 危険と隣り合わせ:ロシア(そしてアメリカ)の変身 その2

 

  • アメリカ人にとって辺境(frontier)という言葉は西部,インディアン,カウボーイと結びついている.ヨーロッパからの移民が始まった頃,辺境はまさに断層線だった.移民とインディアンの文化は全く異なり,ジェノサイドが頻発した.争いにおいてインディアンたちは残虐な振る舞いを行い,移民たちも同じように対抗し,独自の文化が発達した.そこはヨーロッパ民族のるつぼとなって混ざり合い,互いに仲間と認識するようになり(ただしアフリカ系やアジア系はそこから排除された),様々な自発的な親睦団体が生まれるようになったのだ.

 

  • 13世紀モンゴル,16世紀ロシア,17世紀アメリカは大帝国の元となった.その共通点は多い.彼等の社会は団結的で,それは激しい争いをもたらす長い断層線で生まれている.断層線に沿った辺境の人々は協力と団結的特徴を得て大帝国の基礎を作ることができるのだ.
  • もちろん違いもある.団結をもたらすメカニズムはアメリカにおいては自発的な市民の活動であり,ロシアでは専制皇帝の治世と宗教だった.「我々対あいつら」ロジックはロシアでは宗教の違いに働き,アメリカでは人種の違いに働いた.

 

  • メインテーマに戻ると,私たちはここでマクロ歴史的な一般仮説に行き当たった.それは「断層線フロンティアに起源を持つ人々は協力に特徴づけられるようになり,集合的な行動能力が高まる.そしてそれが大きくて強い領域国家を作る」というものだ.しかしそれは単なる偶然かもしれない.次章からはそれが広く説明力を持つかを検討していこう.まず訪れるのは紀元後最初の数世紀におけるライン川とドナウ川流域だ.

 
このアメリカの説明はかなり強引ではないだろうか.確かにアメリカ入植民は開拓を西に広げる中で原住民と激しく争い,そこで団結心は育まれただろう.そしてそれはアメリカの(欧州での出自民族は問わない)白人(我々)vs原住民,黒人(あいつら)というアイデンティのメンタリティを作り,今に至るアメリカ文化の人種へのこだわりを説明できるかもしれない.
しかしアメリカは19世紀には南北戦争という内戦を経験しているし,大帝国になったのには何よりもその経済力が重要で,経済力の源はフロンティアから生まれる団結心というより資本市場や世俗主義や三権分立などの制度要因の方がはるかに大きいのではないか.そしてそもそもターチンの議論によるなら19世紀にフロンティアが消滅した後はアメリカは衰退に向かうはずだが,事実はそうなっていない.
 
ともあれ,第1章と第2章はいわば導入部になる.第3章からさまざまな帝国や強国の興隆において,この団結仮説が説明力を持つのかが検討されることになる.