War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その9

 
イブン・ハルドゥーンの生涯を描いたあとターチンはハルドゥーンの理論に移る.  
  

第4章 砂漠のアサビーヤ:イブン・ハルドゥーンによる歴史の鍵の発見 その2

 

  • ハルドゥーンは実践的政治家であると同時に理論社会学者であり集団の団結(彼はこれをアラビア語でアサビーヤと呼んだ)についての刮目すべき理論を提唱した.この理論は彼の代表的著作である「歴史序説」で提示された.

 

 

  • アサビーヤとは集団のメンバーが緊密に連携し,協力する能力のことだ.それは集団を敵から防衛すること,そして他者にその意思を押し付けることを可能にする.彼は王権や王朝はアサビーヤのある集団によってしか生まれないと主張している.
  • ではなぜある集団にはアサビーヤがあり,別の集団にはないのか.ハルドゥーンはマグリブの状況に注目し,それを一般化した.
  • マグリブでは(かつてのローマ帝国領であった)北側の地中海性気候地帯で農業が営まれている.北アフリカの都市や国家は全てこの北の領域に建てられた.ハルドゥーンはここを文明ゾーンと呼んでいる.そしてその南側は砂漠地帯であり,そこには部族に分かれたベドウィン*1が住んでいた.
  • 砂漠では部族間に絶え間ない争いがあった.ハルドゥーンはそのような状況ではアサビーヤのある部族しか生き残れないと強調している.さらに遊牧の暮らしは軍事的訓練にも向いていた.これに対して農業地帯ではいくつかの国家が成立し,都市は城壁に守られ平和でアサビーヤの生まれる余地はなかった.国家は通常なら人口も多く技術的にも進んでいたので遊牧民の襲撃に対し防衛可能だったが,団結心が失われ内乱が生じると遊牧民の略奪に晒された.

 

  • ハルドゥーンはマグリブの政治ダイナミズムが周期的であることに気づいた.豊かな都市が人口増加の結果内部で争いを起こすと砂漠民からの侵略に脆弱になる.すると戦いなれたベドウィンたちは連合を組んで侵略し,新しい国家を打ち立てる.新しい国家の建国者や次世代は砂漠の文化を維持するが,都市の豊かな暮らしはアサビーヤをむしばんでいく.第4世代にもなると征服者はかつての都市住民と同じになり,人口が増加するとともに内部で争いが生じ衰退していき,別のベドウィン連合の侵略を招く.

 

  • ハルドゥーンの理論の重要な要素は「豊かな暮らしがアサビーヤを腐食し,軍事的な弱体化を引き起こす」というところにある.しかしなぜそうなるのだろうか.豊かさは軍事力を増強する要因にもなるのではないか.ハルドゥーンは豊かさが当初は軍事力にプラスに効くことを認めている.しかし征服者が世代を下るに従い,それは王朝を弱体化させるのだとしている.彼の議論は王朝にも自然寿命があるというアナロジーに頼っている部分があり,少し弱い.ここについての議論は第2部で行うことにしよう.
  • ハルドゥーンはもう1つ重要な指摘を行っている.それは宗教がアサビーヤに影響するという指摘だ.宗教の存在は(それがないと生じる)内部での嫉妬やねたみを抑えられるというのだ.これはイスラムの興隆を考える際には重要なポイントになる.


ハルドゥーンの歴史序説に何が書かれているかについて少し調べてみた.
 
参考にしたのはこの本になる.

 
ハルドゥーンは,まえがき,歴史学についての方法論を記した序論,文明と人間社会を分析した第1部,アラブとヨーロッパを含む周辺王朝の歴史を描く第2部,ベルベルとマグリブ地方の歴史を扱う第3部をあわせた「歴史*2」を構想した.そしてそのまえがき,序論,第1部が独立して「歴史序説」と呼ばれるようになったということらしい.
 
ここでの議論に関しては第1部の内容が関連するようだ.
冒頭ではこれまでの歴史が皮相なものに止まっている理由としては文明の性質についての無知があると指摘し,文明の性質を明らかにすると宣言する.そして以下のような言明がなされている.

  • 人間が生きていくには協力が不可避であり,社会的結合が必要である.この阻害要因が内部での争いであり,(神の意思として)これを調停するために王権が正当化される.
  • 諸民族の相違はその環境(気候)により生まれる*3.砂漠の民と都会の民の違いもそれぞれの環境により生まれる.砂漠のアラブは本来全く未開な種族であり,勇猛で,アサビーヤなしには生き残れない環境に置かれていた.
  • アサビーヤはまず血縁集団に生じる.純粋な血統は砂漠のアラブのような野蛮人にのみ存在する(血統が乱れるとアサビーヤが弱り,生き残れない).そしてアサビーヤのある人々にのみ真の意味の貴族名門が生じる.名門を保てるのは(安寧と奢侈によりアサビーヤが弱体化していくので)せいぜい4世代だ.
  • アサビーヤは集団内の確執を抑制するための抑制力を持つために王権に向かう.王権が成立すると奢侈への誘惑に晒されアサビーヤは弱まっていく.野蛮な民族ほど王権を拡大できる.王権がある一派から消滅しても民族全体にアサビーヤが残っていれば,王権は同じ民族の他の一派に移る.
  • 砂漠のアラブは野蛮で勇猛で平原において強く,征服された土地は蹂躙される.彼らがその内部崩壊を避け王権を持つには宗教が不可欠だ.また一般的に広範で強力な王朝はその起源に宗教がある.
  • 王朝には拡大の限界がある.国境に差し向け可能なアサビーヤを保つ人々の数に限りがあるからだ.
  • 王朝は栄誉を独占し,奢侈と平穏を求めるようになり,砂漠の生活から都市の生活に変容し,老衰していく.その自然の寿命は4世代120年程度だ.過酷な支配は(その寿命以前に)王朝の崩壊,そして文明の崩壊を招く.都市も王朝なしには存在できない.(過酷な支配に関連してカリフとは何かについてかなり詳しく述べられている)
  • 奢侈は増大し続け,経済的に負担となり,増税からアサビーヤを蝕む.王朝支配者自身が商業を行うことも人民を害し租税収入を破壊する.

このあと経済的なこと(農業とは何か,商業とは何か,所得は何で決まるか,不動産収入をどう考えるべきかなど),学問や教育についてさまざまな言明がある.アラブ民族についての辛辣な表現に驚くが(ハルドゥーン家はもともと南イエメンのアラブであり,初期イスラムの拡大とともにイベリア半島の支配貴族として代を重ねている),これはイスラム教の偉大さを際立たせるためということもあるのだろう.また経済的な思考もなかなか面白い.
 
ターチンに戻ると,ここからいよいよイスラム帝国の興隆が扱われることになる.

*1:ターチンはこの北アフリカの砂漠の遊牧民をベドウィンと呼んでいる.ベドウィンは本来アラビア半島の遊牧民であり,ここはベルベルではないかとも思うが,砂漠の遊牧民全体を指す用法もあるのかもしれず,歴史家のターチンに敬意を表して原文のままにしておく

*2:正式な題名は「省察すべき実例の書,アラブ,ペルシア,ベルベル,および彼等と同時代の偉大な支配者たちの初期と後期の歴史に関する集成」というらしい

*3:各民族がそれぞれどんな性質を持っていて,それがどのように気候により説明できるかが述べられている,当時の一般的にある偏見がいろいろ書かれていて興味深い