書評 「広がる! 進化心理学」

 
進化心理学は基本的にヒトの行動や心理を進化的な視点から理解しようとする試みであり,極めて学際的な営みになる.本書はそのような進化心理学の周辺分野の専門家たち(その多くは同時に進化心理学者でもある)による進化心理学が周辺分野に与えてきた影響,あるいはその親和性を解説する一冊になる.編者は小田亮と大坪庸介.
 
冒頭の「まえがき」は「なぜ書店の『心理学』の棚には『進化心理学』というコーナーがないのか」という面白い掴みから始まっている.基本的に新しい分野でまだ認知度がなく,そういう書名の本が少ないからだと思われるが,ここでは,進化心理学は他の○○心理学と異なり,○○にあたる内容を研究するのではなく,進化はその視座を表しているからだと説明されている.つまり進化心理学は認知科学,社会心理学,発達心理学のような内容による区分に横串を通すような分野であり,そのような分類体系には収まらないということを指摘しているのだ.そして横串を通された各分野から見た進化心理学のインパクトが本書で解説されていくことになる.
 

chapter 1 進化心理学とは何(ではないの)か? 小田亮

 
とは言いながら,第1章は進化心理学の概説になる.ここではそれをさまざまな誤解から読み解く形で解説されている.「進化に目的はない」「適応論はなぜなに物語ではない」というような,よくある進化学への誤解も取り上げられているが,特に進化心理学に関しては以下のような説明になっている

  • 進化心理学はある種の機能主義心理学(心の機能を考察するもの)であるが,伝統的なそれとは時間軸が異なり進化時間においてどのような適応課題に対応するものかを考察する.このため現代だけでなく狩猟採集社会における機能が鍵になる.
  • 進化心理学は遺伝的決定論をもとにしているわけではない.またヒトが常に適応的に最適な行動をとると考えるわけでもない.遺伝子が自己の複製効率を高めるためにとる方策は特定目的に対する自動的反応(個別モジュール)と,一般目的に対する分析システム(理性的熟慮)という二重過程になっていると考える.
  • 進化と文化は(必ずしも)対立しない.現在の進化心理学は,文化進化,遺伝子文化共進化,ニッチ構築を認めた上にある.

 

chapter 2 進化心理学と神経・生理 鮫島和行

 
第2章では計算論的神経科学と進化心理学の関連性が解説される*1

  • 神経科学者はヒトと近縁の動物を用いて神経の至近メカニズムを調べる(近年ではfMRIなどで直接ヒトも扱う).これは神経メカニズムの相同性を前提としていることになる.
  • 計算論的神経科学は1980年にマーにより提唱された学問の枠組みであり,脳を情報処理機械に見立て,機能目的(計算論),機能遂行方法であるアルゴリズム,ハードウェアとしての生理現象という3つのレベルでの解明を目指すものだ.
  • その成功例はドーパミン神経系と強化学習理論との一致になる(詳しく解説がある).この強化学習については,哺乳類と昆虫では計算論は同じだがハードウェア的実装が異なっていることもわかっている.(このほか他者の行為認知や社会性とミラーニューロンの関連性,他者の報酬認知の神経メカニズムと共感性,時間軸の異なる意思決定についての異なる神経メカニズムに関連する知見も説明されている)
  • 進化心理学は一種の機能主義心理学であり,脳の機能を計算論として捉える神経科学のアプローチと極めて親和性が高い(ある意味その考え方は同一である).

 

chapter 3 進化心理学と感情 大平英樹

 
第3章では感情の研究をめぐる状況が,ヒトのユニバーサルを強調する基本情動理論と,文化の影響を強調する構築主義の論争史として解説される.

  • ポール・エクマンは表情のユニバーサルの発見に基づく基本情動理論を提唱した.これは進化的な視座を持っており進化心理学と親和性の高いものであった.
  • これに対して社会構築主義からの批判があり,その批判の一部は過激すぎたが,表情の認識に文化差を示す実証研究も示された.これをうけてラッセルとバレットは核心感情とそのカテゴリー化による情動の経験を区別する心理構築主義を提唱した
  • 基本情動理論側からは心理構築主義は抽象的すぎるという批判がなされた.その上で情動の表出やその理解に文化や文脈の影響を認めるが,文脈により柔軟に動作するメカニズムとしての情動はユニバーサルだとする新基本情動理論が提唱された.
  • 心理構築主義側は抽象的だという批判を認知神経科学の理論と接続して克服しようとしている(その内受容感覚の予測符号化の理論が解説されている)
  • 感情に関する理論的考察は上記のように基本情動理論と構築主義の論争という形で進展してきた.そして新基本情動理論が文化の関与を認めたこと,心理構築主義が核心感情の生起において進化過程で形成されたメカニズムを想定していることから両者の主張は近づいているとみることができる.
  • 心理学における感情の研究はこれまで至近メカニズム的な研究が中心であった.今後は進化心理学的視点に基づいて個別の感情の機能やその文脈依存性の研究が進展することが望まれる.

 

 

chapter 4 進化心理学と認知 竹澤正哲

 
第4章では認知科学に進化心理学が与えた影響が扱われる.ここではその冒頭で心のモジュール性という概念がどう取り扱われてきたかの変遷が振り返られていて,貴重な背景説明的な解説となっている.

  • 進化心理学勃興期には心のモジュール性はその中心的な主張の1つだった.特にコスミデスが4枚カード問題を使って見事に示した「裏切り者感知モジュール」は一世を風靡した.
  • 当時この「モジュール性」という概念は哲学者フォダーの議論に大きく依拠していた.フォダーは,生得的で,他のプロセスから切り離され(遮蔽性),独立に自動的に働くプロセス(自動性)としてモジュール概念を提唱していた(典型的な例は錯視現象になる).このため進化心理学が主張する心のモジュールも遮蔽性と自動性を持っていると主張していると捉えられ,30年近くも続く大論争のもとになった.
  • この大論争を経て,バレットを始めとする主流の進化心理学者たちは(フォダーの提唱概念に従って,遮蔽性や自動性を主張しているという誤解*2を受けることを回避するため)モジュールという用語を避け,機能的特化という用語を用いるようになった.
  • 機能的特化(functional specialization)は,特定の適応課題を解決するように特化したシステムがあるという意味であり,そこから領域固有性(domain specificity)の概念が必然的に生じる.これらは当初のモジュールの主張から(あると主張していると誤解された)遮蔽性と自動性の要素をそぎ落としたものになる.

 
ここから認知科学において進化の視点を取り入れたことにより,考察が,メカニズムだけではなく,その機能に,そして機能がどのように実装されているかに進んでいった様子が,合理性の議論を使って解説される.

  • 複数の適応課題に対してなぜ機能的特化が生じるのか(なぜ全てを扱える単一システムが進化しないのか)を理解するには,機能がどのように実装されるようになるのかを考える必要がある.
  • 認知科学者ギゲレンツァは進化心理学の影響を受けて進化的視点を取り入れた研究プログラムを導入し,生態的合理性の概念を提唱した.彼はそれまで哲学において主張されていたような「合理性」は全ての状況と選択肢についての情報が得られているという前提のある「制限のない合理性」であって,現実の世界ではそれらの制限を前提とした「限定合理性」が意味を持つのであり,ヒトは自然淘汰や学習によりそのような合理性に基づいた高速倹約ヒューリスティックスを持つのだと主張し,これを「生態的合理性」と呼んだ(この議論に基づいた機能とメカニズムの区分,基準確率の錯誤現象の解釈*3,トヴェルスキーとカーネマンのプロスペクト理論ヘの批判*4などが解説されている)
  • このギゲレンツァの議論は.これまでの合理性についての記述が計算論レベルであったものを,アルゴリズムのレベルで記述すべきだと主張したとみることができる.(これに基づいて生態合理的なアルゴリズムとしてフレーミング効果を解釈できる*5ことが示されている)
  • バレットたちはさらに脳というハードウェアにおける領域固有性の実装を論じ始めている.近年神経科学の分野では自由エネルギー原理と呼ばれる理論体系により,脳の振る舞いを自由エネルギーの最小化として記述しようとしているが,これは脳の推論がベイズ過程によるものであることを示唆している.片方で認知科学においては進化や適応による推論システムはベイズ的になるのではないかという議論があり,あわせて興味深い.
  • これらは進化心理学が持ち込んだ進化の視点が機能のレベルから,アルゴリズムのレベルへ,そしてハードウェアのレベルにまでおりていくことができることを示しているのだろう.

 

 

chapter 5 進化心理学と性 坂口菊恵

 
第5章では性差研究がテーマとなる.この章はさまざまな問題に直面している研究者自身の逡巡する状況がよく現れていて,(すっきりとした解説とは言い難いが)なかなか読ませる部分になっている.

  • ヒトの行動パターンを進化生物学の延長線上で説明しようとする試みは社会的学問的に抵抗されてきた.性を通じた繁殖成功に関する行動の性差の説明は,(それが非常にうまくフィットしたことで)性にまつわる心理や行動を理解する上で大きなインスピレーションを与えてきたとともに,近年再び分野内外からの激しい批判の標的となっている.(ここでゴールトンの「遺伝決定論」に危機感を抱いたボアズ,ミードの人間行動の規定因として文化のみを取り扱おうとする(文化人類学的)態度,そこにふくまれる過大解釈,殺人のパターンにユニバーサルを見いだしたデイリーとウィルソンの研究,配偶者選択の魅力についてのリサーチからグローバルなパターンが見いだされたこと,行動生態学の親子やペア間のコンフリクトの理論がうまくヒトの行動を説明できたことなどの学説史が概説されている)

 

  • 行動生態学の理論は,身体装飾から行動までのさまざまな性差の存在(その現れ方や方向)を子育て投資をめぐる雌雄の状況からうまく説明することができた.しかしそれを繁殖成功度・身体行動の特徴・生理メカニズムの3者間の関係として検証するのはなかなか困難だった.ある一つの特徴にかかわるメカニズムは通常非常に複雑で多様だったからだ.
  • (行動生態学の理論を用いて)人類普遍的な性差を示すことに成功したあと,研究者の興味はホルモンや免疫の指標を用いて得意とする認知領域や魅力や配偶選択基準の個人差を説明しようという方向に向かったが,そこには単純な関係性がなかなか見いだせなかった.特に性ホルモンが与える影響は複数の物質や臓器間の相互フィードバックの影響を受けるものであり,またこれらの特徴の発現には数多くの遺伝子が関わっており,さらに神経系の発達には広範囲な可塑性がみられる.これらの関係に進化適応に関する理論を構築するのなら,神経形成や認知処理のどのレベルにおける適応に言及しているのかを明確にし,環境要因や個人差に注意を払う必要があるのだ.

 

  • 片方で配偶選択や配偶行動を説明するのに,適応的な作業仮説抜きでは体系だった理論化が難しいのも事実になる.ここで,現在のところ,適応論的に説明が難しいテーマとしては同性愛と少子化がある.
  • 行動生態学的には繁殖に結びつかない資源は節約されると考えることになる(よい説明の具体例がいくつか示されている).またヒトを始めとする有性生殖種では雌雄2つの性のみがあることを前提に理論が組み立てられてきた.動物の同性愛的行動はよく知られていたが,例外的あるいは副産物と扱われてきた.
  • あるいは,ヒトにおいても「性別が2つで,性行動は異性と行われるのが普遍的」とする前提がそもそも妥当であるのかを問い直すべき時期にあるのかもしれない.幅広い動物種で同性愛行動がみられることから「有性生殖種が同性愛を避ける適応を持っている」のかどうかは疑問視されるようになった.あるいは同性愛行動に特に高いコストがある動物種のみにそういう適応が生じるのかもしれない.近年では「ハンドウイルカやボノボでは同性間の性行動に個体間の結びつきというメリットがある」という主張や「原猿類では同性愛行動が抑制されているが,旧世界ザル・類人猿の系統では同性愛行動が日常化するようになったことが系統解析から示唆されている」という主張がなされている.
  • そもそもなぜ,近代以降の社会で「性行動は異性間であることが標準」とされるようになり,各社会に数%存在する同性愛者を謎として解明しようとする研究が成立したのだろうか.歴史的には男性同性愛にさまざまな重要な社会的意味が生じていることが知られており,同時に同性愛に対する迫害も何度も出現してきている.同性愛者という行動特性カテゴリーが論じられるようになったのは迫害があったからかもしれない.また近年のジェンダーアイデンティティ,性的指向,性別違和,性別役割などの議論をみると,これらの概念が極めて文化的なコンテキストに依存していることがわかる.
  • ではこれらの知見は性淘汰理論の根底を揺るがすのだろうか.自身トランスジェンダーである進化生物学者ラフガーデンは性の二元論を根底とする性淘汰理論とその派生理論をもとにした研究の妥当性を批判している.私(坂口)は理論全て棄却しようとする態度は極端であると考えるが,「性行動の直接的な目標が遺伝子拡散だけである」という見方は一面的で文化的なバイアスを反映しているという意見に同意する*6
  • これらの問題は「進化の直接的な目的を超えた自由意思は存在しうるか」という問題に関連する.実証研究はその時点で測定方法が確立していない要因の検証に関して無力だ.現在の科学では「なぜパートナーとして選択する相手は特定の個人でなければならず,同等の資質を持つ別の人ではダメなのか」という主観的価値判断に基づく事象の説明は難しい.しかし21世紀の科学が個別のケースを説明しようとするなら,これらの要因を扱う方法論の確立が鍵になるのだろう.

 

chapter 6 進化心理学と発達 斎藤慈子

 
第6章では発達心理学への進化視点の取り入れ,またそうしてできた進化発達心理学が解説されている.

  • 発達心理学は古くから生物学的な視点を取り入れてきており,進化心理学との親和性は高い
  • 進化的な視点を取り入れた発達の理解としては行動遺伝学的な知見,普遍的な側面への注目(例:ピアジェの認知発達段階論),親子の対立理論からみた母親と子どもの関係性などがある.
  • とはいえ一般的にはしばしば環境的な影響が優位であると信じられているし*7,発達心理学界隈でも行動遺伝学の知見(特に家庭環境の影響の小ささ)はあまり知られているとはいえない.また母性本能神話は否定されているとはいえ「普通の母親は愛情をもって子を育てるものであり,そうできない母親は異常だ」という誤った信念もなお根深い.
  • 進化的な視点を取り入れる場合には(進化環境を近いと考えられる)狩猟採集社会の環境や子どもの様子が参考になることが多い.そこでは母親は唯一の養育者ではなく,子どもは異年齢集団の中で遊びながら育つのが一般的だ.
  • 進化的視点を取り入れる際の注意点として,発達の特徴のどこまではが普遍的なものかの判断する際に近代の学校教育の影響を留意しておくことがある.これはWEIRD問題としても現れる.
  • ビュークランドは「進化発達心理学」を提唱した.進化発達心理学とは,ヒトと動物の連続性を前提とし他種との比較を経てヒトの特徴や発達の独自性を明確化する比較発達心理学,比較発達認知科学の知見を取り入れ,全てのヒトに共通する社会的・認知的能力の発達を司る遺伝的生態学的メカニズムとこれらを局所的環境に適応させるエピジェネティックなプロセスを研究する分野だ.またこの分野では発達システム論を取り入れており,遺伝,神経,行動,環境という階層構造と階層間の相互作用により発達が進むと考える.(これによる本能,ボールドウィン効果,ネオテニー,自己家畜化などの概念の考え方が解説されている)
  • またヒトにおいては文化や時代が発達に与える影響も大きいことに注意する必要がある.
  • 発達観は単なる学問的知見にとどまらず,政策的に大きな影響を持つ.しかし健全な発達とは何か,ヒトにとっての典型的な環境とは何かを決めるのはそれほど容易ではない.これからの発達の理解には生物学的なメカニズムと文化進化的メカニズムを包括的に取り入れた視点と方法論が必要になるだろう.

 

chapter 7 進化心理学とパーソナリティ 中西大輔

 
第7章では進化心理学がパーソナリティ研究に与えた影響が解説される.

  • 心理学にはパーソナリティ心理学(人格心理学/性格心理学)という分野が存在する.パーソナリティは個人間で一貫した行動パターンをとらせると考えられている構成概念だが,その定義や内容は多岐にわたる.基本的には環境への心理的適応があり,それに個人差があり,ある程度一貫しているということが重要だとされている(ここで性格,パーソナリティ,人格,気質についての概念整理と解説がある)
  • パーソナリティは構成概念であり,測定してはじめて可視化されるものだ.だから何か個人の「内部」にあるものと考えられがちだが,単に個人差があることを示しているに過ぎず,内部の要因は捨象されている.
  • パーソナリティにどこまで通状況的な一貫性があるかについて議論されてきた.ミッシェルはパーソナリティとその他の行動の間の状況を越えた相関関係は0.3に過ぎないとしているが,0.3もあれば(行動予測としては意味がないとしても)研究するには十分だと考えることもできる.
  • パーソナリティのモデル因子としてはビッグファイブが有名で,その遺伝率は0.38〜0.52とされている.
  • またパーソナリティがどの程度社会的に構築されるものかという問題もある.ゴシップを通じて形成されるパーソナリティ情報には根拠のあるものもあるだろうし,根拠なく社会的に構築されたものもあるだろう.そしてそのようなパーソナリティ情報には同盟や配偶関係の形成に影響を与えるという適応的な意義があり,進化的な起源を考えることができる.
  • ではそのように利用されるパーソナリティ情報が,実際に行動予測にはあまり役立たないことはどう考えられるべきだろうか.社会心理学においては(実際にどのようなパーソナリティかではなく)他者からどのようなパーソナリティだと捉えられているかが研究されてきた.パーソナリティは対人認知の仕組みとしてその進化的起源を考察できるのかもしれない.

 

  • ここで話を戻して,実際に行動の一貫性を与えるパーソナリティを考察しよう.パーソナリティを機能主義的に考えると,どのようにして個人差が存在しうるのかが問題になる.
  • なぜもっとも有利なパーソナリティ以外が淘汰されて個人差がなくならないのかを説明する仮説には,中立説(適応的機能はなく浮動により多様性が生じているという考え),代替的戦略(条件付き戦略)説(もっとも有利な反応がその個人の身体的特徴や心理的特徴により異なるという考え),平衡淘汰説(複数のパーソナリティが環境多様性や負の頻度依存により平衡的に保たれるという考え)がある.

 

column 1 心理統計 玉井颯一・村山航

 
ここで心理統計に関するコラムが置かれている.
対象となる集団の全データは取れないのでサンプルをとって代表値,散布度,相関係数などを計算する記述統計,何らかの仮説が支持できるかどうかを考察するための統計的検定の概念をまず説明し,統計的検定のうち帰無仮説検定にかかる帰無仮説,有意差,p値などの概念,帰無仮説検定を行う際の注意点,p値だけでなく効果量を見る重要性,出版バイアス,標本抽出法(ランダムなサンプルになっているか)の問題点とWEIRD問題,心理統計独自の測定の難しさなどが解説されている.
 

chapter 8 進化心理学と社会 三船恒裕

 
第8章では社会心理学が取り上げられている.進化心理学が影響を与えた社会心理学のトピックは多いが,ここでは特に集団間バイアス(内集団ひいきおよび外集団攻撃)の問題が扱われている.

  • 社会心理学が進化的な視点を取り入れることにより解明が進んだものととして集団間バイアスの問題がある.集団間バイアスの研究は非血縁個体間の利他行動の進化の説明として間接互恵性を取り入れることで大きく進展した.(ここで利他行動と直接互恵性,間接互恵性理論,マルチレベル淘汰理論についての概説がある)
  • 集団内への利他行動は社会心理学では最小条件集団実験により内集団ひいきの集団間バイアスとして調べられてきた.社会心理学ではそれを社会的アイデンティティ理論(ヒトは自尊感情を保つために内集団を外集団よりポジティブな状態にしようと試みる)として説明し,この説明は一見(集団間競争が強い場合に集団内の利己利益追求より集団の利益が優先されると考える)マルチレベル淘汰理論を支持するもののようにも見える.
  • これに対して山岸たちは間接互恵理論を集団内利他行動に適用した「閉ざされた一般互恵性理論」を提唱した.これは「ヒトは(単純な内集団アイデンティティではなく)間接互恵性が働く範囲を内集団だと認識する」ことを仮定する.これは自分も助けてもらえる期待がある時に利他行動をするという意味で,社会的アイデンティティ理論やマルチレベル淘汰理論とは異なる予測をすることになる.そして囚人ジレンマゲーム実験でこの期待を操作したところ閉ざされた一般互恵性理論の予測が支持された.
  • また閉ざされた一般互恵性理論は内集団メンバーに利他行動をする場合においても,(社会的アイデンティティ理論と異なり)より間接互恵性が効きやすそうな状況(自分の行動がより評判に直結しそうな状況)でより利他行動をすることを予測する.そしてこの予測も受け手が分配者の所属を知っているかどうかの知識共有を操作した独裁者ゲームの実験で支持された.
  • これらは従来の社会心理学研究に対して間接互恵性という進化理論の観点を導入することで見えてきた新しい知見といえる.

 

  • 一方外集団への攻撃性が生じる条件は社会心理学においても進化心理学においてもなお完全に解明されていない.
  • 最小条件集団実験により,単純な条件下では攻撃的な集団間バイアスが生じないことは繰り返し示されてきた.これに対し「偏狭な利他主義仮説」はヒトは進化環境で外集団攻撃性も獲得したと主張する.
  • これを調べるために集団間囚人ジレンマ・差の最大化ゲームを用いた実験が数多くなされたが,多くの場合は外集団攻撃が生じないことが示されている.そして外集団攻撃が生じる社会的条件がどんなものであるかは社会心理学と進化心理学が共同で解明すべき謎として残っている.

 

chapter 9 進化心理学と言語 小林春美

 
第9章のテーマは言語.チョムスキー以降の言語学とそこに進化的視点を取り入れた語用論的アプローチがどのような影響を与えたかが概説される.

  • ノーム・チョムスキーはそれまでの個別の言語の文法の記述,構造主義言語学,行動主義言語学などのアプローチと全く異なる新しい言語研究の目標を打ち立てた.それは言語の構造を明らかにしヒトの知性を明らかにするという目標だった.チョムスキーは普遍文法があると主張し生成文法理論を提唱した.彼の理論の詳細は時とともに移り変わり現在は併合(merge)を重視するものとなっているが基本は変わっていない.彼の興味はあくまで文法の構造にあり,その意味は運用の問題に過ぎないと扱っていた.彼は言語は思考のためにあると考えており,コミュニケーションの機能を軽視していたということでもある.
  • 一方心理学者や進化生物学者には言語の役割をコミュニケーションの道具であると考えるものが多い.ダンバーは霊長類は群れ個体との相互作用(コミュニケーション)の複雑さの増大に対して大脳新皮質を増大させたと考え社会脳の考えを提唱した.
  • ヒトはこの相互作用を言語を使って行っている.対話研究は,ヒトの会話には膨大な共通基盤が必要であることを示している.そして共通基盤を用いるには極めて膨大な認知的資源が必要になる.(「雨が降っているよ」という発話の意味を解釈するためにどこまで背景事情,発話者や受話者の状況を知っている必要があるか,そしてどこまでが共有知識であるかが認識されている必要があるかが具体的に解説されている)
  • このような会話が可能になるのは言語使用者が単なる字義的な意味の解釈を超えて,直接発話者の心の読み取りを行っているからだ.伝統的な言語学における語用論は言語の社会的使用を扱う周辺的領域と扱われてきた.しかし近時の研究においては,ヒトの語用論能力は単なる社会的調整を超えて,はるかに広い言語・コミュニケーション能力,特にコミュニケーション上の推論能力を指すようになっている.
  • 語用論研究を大きく発展させたグライスは会話の4つの公準を示した.そして実際の会話の多くはこの公準に従っており,従っていない時はさらに特殊な意味が加わっていることがわかってきている.
  • このグライスの公準のうち特に「関連性の公準」を拡張し,他の公準もそれで説明できるとしたのがスペルベルとウィルソンの「関係性理論」になる.彼等はさらにヒトは「意図明示的推論コミュニケーション」を行っていると主張した.さらにスコット=フィリップスはコミュニケーションにはコードモデルによるものと意図明示的推論コミュニケーションによるものに分類でき,後者はヒトだけに見られると主張した.言語には基本的な不決定性(ある信号がある情報を示すことが保証されていない)があるが意図明示的推論コミュニケーションを用いることにより極めて多様な意味を伝えることができるようになる.適応的にはコードをシンプルに保ち推論能力を高めることにより意図明示的推論コミュニケーションを行った方が有利であったと考えることができる.
  • グライスの理論はヒトが他者と協力的にコミュニケーションを行うことが前提になっている.するとヒトがどのように協力的にコミュニケーションを行うように進化できたのかが問題となる.1つの考え方は採食のためのグループに仲間として加わるために有利であった(相利的状況だった)というものだろう.この場合利己的に嘘をつくような人は長期的に信用されなくなり不利になるという状況であったと想定することになる.またこの文脈では自己家畜化が重要だったと主張されることもある.
  • 協力的な状況において,意図明示的推論コミュニケーションは(ほかの方法と比べて)どのように有利だったのか.トマセロはこの点に関して,推論能力が使えるようになるとそれにより自己の能力をアピールすることが可能になった可能性に注目している.

 

  • 生成文法理論が提唱されたころは統語構造こそが言語能力であるとされ,語用論は運用にかかる瑣末な問題とされてきた.これに対して進化心理学のアプローチは,語用論的解釈の重要性を明確に示したといえる.協力的コミュニケーションの進化についての議論は意図明示的推論コミュニケーションの進化的妥当性をさらに高めているといえよう.

 

 

chapter 10 進化心理学と文化 豊川航

 
第10章は文化がテーマ,文化と人類進化の関係,文化的ニッチ構築,遺伝子と文化の共進化,制度論的アプローチが概説されている.

  • 進化心理学はヒトの行動パターンを進化環境への自然淘汰や学習を通じた適応で説明しようとする.この場合の環境には文化や社会制度が含まれ,重要な環境要因となっている.
  • 地域間で観察される行動の差異を文化環境への適応という観点から説明するアプローチは文化心理学の重要な仕事になる.そしてそもそも文化が人類進化の過程でどう生まれたのか,文化的特徴はヒトの行動からどのような影響を受けるのかが問題となる.
  • 文化は社会的学習により伝達され,そのメカニズムには自然淘汰の理屈と似ている部分があり,同時に異なる部分もある.一般的に戦略的な社会的学習は文化の伝わり方を偏らせ,文化進化動態に影響を与える.文化心理学ではあまり重視されていないが,このような模倣や同調の社会的学習のあり方は文化進化の成り行きに重要な影響を与える.
  • 動物にも多くの社会的学習により伝達される文化があることがわかっている.そのような文化は文化的慣性を持つことがある.
  • 社会的学習は適応的なのか.数理モデルで独自に探索する戦略と社会的学習(他者の探索にただ乗り)する戦略を分析すると頻度依存的で均衡においては両戦略の適応度は等しくなる(つまり社会的学習が適応度を高めることはない).しかしこれは無差別な社会的学習が前提になっており,戦略的に社会的学習を行えば適応度は上がりうる.これはレンデルとレイランドの社会的学習トーナメント実験で示された.
  • ヒトの文化は累積的文化進化を起こしていることが特徴的だ.文化が累積的になったのは情報伝達の忠実度がある閾値を超えたからだと考えられる(また人口が増大したことも大きいだろう).そしてこの閾値を超えるには教示行動,特にそこで言語が使われたことが重要だったと考えられる.(言語の問題は第9章で,教示行動の問題は第13章で扱われる)
  • 文化はヒトにとって重要な環境であり,文化を持つことは一種のニッチ構築だと考えられる.そして文化的形質自体進化するものであり,遺伝子と文化が共進化する理論的可能性が研究され,実証データにより支持されている.
  • 文化進化による進化的ニッチの改変メカニズムは人口動態を明示的に組み込んだ社会制度の文化進化モデルにも応用されている.パワーズとレーマンはこの枠組みを使って,どのようにして平等主義的な政治制度を持つ小さな社会から専制主義的社会制度を持つ大きな社会へ文化進化しうるかを調べた*8.このような制度を構築し,その中でゲームを行い均衡点が定まる状況は社会的ニッチ構築と呼ぶことができる.この中では特定の心理的傾向を持つことが経済的あるいは進化生態学的な有利不利に結びつくことになる.このような心理行動傾向を社会的環境やゲーム構造から分析するフレームは社会生態学的アプローチ,あるいは制度論的アプローチと呼ばれる.ある意味これらはヒトの行動の進化環境をEEAとしてきた進化心理学的アプローチとは好対照なものだと考えることもできる.

 

 

chapter 11 進化心理学と道徳 内藤淳

 
第11章では利他行動や道徳心理の進化についての考察が,倫理学や道徳の研究に与えた影響が概説される.

  • 進化生物学の進展により.利他行動やそれを喚起する心理的性質(共感,愛情などの感情)の進化を説明できるようになった.この延長線上に道徳についても進化的に説明しようとする試みがある.ここで注意すべきなのは単なる利他行動(「する」「「したい」)と道徳(「すべきだ」)の違いだ.道徳的な行動とは,行為を規範的に評価し,その評価に基づいて行動することだ.またこの規範的な評価が本人の欲求や嗜好に優越する意味を持つのも道徳の特徴になる.
  • 道徳についての進化心理的な研究の嚆矢になるのがマイケル・ルースによる考察だ.ルースは道徳とそれを扱う能力(単に欲求するのではなく規範的に評価して義務を感じる能力)はヒトにとって適応的な利益(これにより利他行動が強固に動機付けられ,それが利他行動が適応的な状況で有利になる)があったから進化したと考えた.そして「とるべき行動」は状況により多様であるので,その能力は個別の行動指令ではなく,抽象的一般的なルールとして実装されたとした.これは道徳の基礎は進化によってヒトに生得的に備わった道徳感覚であるという主張になる.
  • この考え方を発展させたのがハイトによる道徳基盤理論になる.ハイトはヒトは生得的な(ルースのいう道徳感覚に相当する)道徳受容器を備えており,進化の過程で重要だった6つの基盤要素を持つと主張した.この基盤要素に関連する局面で情動を伴う直感が生じ,情動→判断(結論)→思考(理由づけ)の順序で道徳判断がなされる.また各基盤要素は各人の属する環境,文化,教育により異なる度合いで活性化されるとした.
  • ルースとハイトによる考察は,従来の道徳の考え方に2つの重要な点で見直しを迫るものだった.1つは直感主義,もう1つは構成要素の多様性だ.
  • 従来の道徳心理学は道徳を理性的で合理的なものと考えていた.ルースやハイトによるとそうではなく道徳の基礎は情動を含む直感だということになる.またハイトによると道徳は普遍的なものではなく,社会環境や文化により相違があることになる.合理主義や理性主義の立場からは,情動は道徳判断の初動に過ぎず,道徳判断にはその直感をさらに一般原理に照らして論理的に吟味する「批判的熟慮」のプロセスが伴うのだと反論している.

 

  • またルースの論考にはメタ倫理学的な含意もある.従来のメタ倫理学では道徳は私たちの心の外側に客観的真理として実在すると考える道徳的実在論が強い影響力を持っていた.
  • これに対しルースとストリートは進化的暴露論証(道徳は適応的利益を反映して形成されたヒトの心の性質にあるのであり,そのような利益や心と独立に客観的真理としての道徳があるわけではない,道徳はいわば「共同幻想」に過ぎない)を行って道徳的非実在論を主張した.
  • 実在論をとる倫理学者たちはここでも「批判的熟慮」を持ち出して反論している.この論争はなお進行中だ.
  • 進化的暴露論証を受け入れるなら,私たちは道徳をどう扱えばいいのだろうか.ジョイスは道徳的虚構主義を打ち出し,道徳が真実を結びつかない虚構であったとしても道徳の機能自体は有効で,私たちは引き続きそれを利用できると主張している.
  • 進化的暴露論証には規範倫理学的な含意もある.グリーンは進化的暴露論証は義務論の基礎を崩すが,帰結主義は影響を受けないと主張している.
  • 進化心理学的な道徳の考察は以上のように道徳心理学から倫理学の各領域に幅広い影響を与えているのだ.

 

 

chapter 12 進化心理学と宗教 石井辰典

 
第12章では進化的な視点をとる宗教研究の歴史が概説される.

  • 進化的な視点をとる宗教研究は2000年ごろから盛んになった.これらは心理学というより宗教認知科学と呼ばれる分野で発展してきた.
  • 20世紀初めから心理学者は宗教心,宗教的態度などの構成概念に注目し,その構造や機能を探ってきた.これに対して宗教学者,人類学者,歴史学者,哲学者は実際の宗教の儀礼や儀式の記述,信念の内容,歴史的な変遷を扱ってきた.そして20世紀の終わり頃から人文学者は集まった情報を認知科学の枠組みで統一的に説明することを試みるようになった.これが宗教認知科学の始まりだ.例えばガスリーは「経験する現象を擬人化して理解解釈する傾向」を宗教に共通な特徴として抽出した.またローソンとマコリーは宗教儀式を構造的にモデル化した.
  • 宗教認知科学は宗教を自然のものとして捉える視点を持ち,それをヒトの一般的認知機能から説明しようとする.また取り上げる対象は宗教そのものではなく宗教に関わる特定の思考や行動のパターンになる.そして共通して見られる宗教現象に統一的な説明を与えようとする.これらの試みは早くも1990年代には進化心理学的な視点を持つに至っている.
  • 例えばバレットは人々には過剰に意図を見いだすバイアスがあることから超自然行為者の存在を想像するようになるのであり(HADD仮説),このバイアスは進化環境で有利であったのだろうと主張した.また心の理論が擬人化を促進するという議論もなされている.これらの仮説に対しては実証研究もなされている.
  • 初期の宗教認知科学においてはヒトの心的傾向やバイアスに適応論を当てはめたが,宗教自体については副産物であるとしておくのが一般的だった.しかし近年は宗教自体に適応的役割を見いだす議論も展開されるようになっている.
  • 例えばノレンザヤンは世界宗教がいずれも人々を監視してその行為に基づいて報酬や罰を与える超自然的存在を重視していることに注目し,これらの宗教が(低い懲罰コストで,人々の非道徳的反社会的行動を抑制し,道徳的向社会的行為を促進することにより)文化的に淘汰を受けてきたと議論している.この主張は実証的にも調べられており,宗教プライミングを用いた実験などが知られている.なおこの宗教プライミングによる研究には昨今の再現性問題の対象にもなっていることには注意が必要だ.
  • またノレンザヤンは宗教儀式の役割についても,参加者に大きなコストを要求することを通じて参加者の信念が正直なものであることを示す機能がある(ハンディキャップシグナル),またシンクロすることにより集団結束を強める機能があるという議論も行っている.
  • もちろんこのような宗教の向社会的機能を強調する議論自体は精緻に検証される必要があるだろう,しかしこうした議論を軸に心理学,認知科学,人類学,考古学などのさまざまな分野の知見が統合的に整理される状況を見ると,進化という考え方が諸分野の統合に有用であることが示されていると考えることができる.

 

column 2 心理学の再現性危機と進化心理学 平石界

 
ここで心理学の再現性危機に関するコラムが置かれている.危機を克服しようとした10年以上の格闘の結果が示されており,その含意はなかなか深い.少し詳しく紹介しよう.

  • 心理学の再現性危機とは既報の心理学研究を追試した際の結果の再現性が低いという問題だ.
  • では,再現性危機とは心理学の知見の半分程が本当で半分程が嘘だという意味になるのだろうか.もしそうなら問題解決は,嘘の報告が紛れ込んだ理由を特定し,その解決法を示し,嘘が紛れ込まないようにして既存の知見を再検討すればよいことになる.
  • 実際に心理学コミュニティは2010年代に「信頼性革命」としてこれに取り組んだ.
  • 嘘が紛れ込んだ最大の理由と目されたのは,研究者が研究仕様を恣意的に決められる研究者自由度の問題だった.さまざまな研究仕様を試し,うまく仮説が支持されたものを報告するということを繰り返せば,まぐれ当たりを「本当のもの」として報告してしまう確率が極めて高くなってしまう.
  • 心理学コミュニティはこれに気づき,これを防ぐために(研究仕様を事前にタイムスタンプ付きで登録する)事前登録が提案された.また研究が統計的有意性と新奇性に偏ることを防ぐために計画段階で雑誌掲載の可否を判断する事前審査も提案された.
  • その上でこれらの改善策を組み込んだ大規模な追試により既存の知見の真偽に決着をつけることが目指された.
  • しかし厳密な追試研究は既存知見の真偽判定に決着をもたらさなかった.追試が否定的な結果になると追試の研究仕様の妥当性に疑問が投げかけられるケースが相次いだのだ.批判を反映させた追試も行われたが,問題は解決しなかった.心理学研究では研究仕様に関するコンセンサスの確立が困難であり,それゆえにある知見が追試で再現されなかったからといってそれが「偽」であるとはいえないことが明らかになったのだ.そしてそのことは元研究が成り立つとしてもその一般化可能性は極めて小さい可能性が高いということを意味する.また逆に追試に成功したからといってその研究仕様が妥当であることは保証されないことになる.
  • つまり再現性危機を経て,心理学はその知見の真偽を判断することが困難であり,また頑健に思える知見もその研究仕様の妥当性と一般化可能性を容易に主張できるわけではないことが明らかになった.これは進化心理学を含む心理学はそのまま日々の生活や政策に応用できる高い信頼性と一般化可能性を持つ知見をほとんど獲得できていないことを意味する.
  • しかしこの現状を心理学者の能力や努力の不足に帰するのは公平を欠くだろう.心理学が対象とする個々人の均質性は圧倒的に低く,かつ極く短期間で変容する.そのような多様な個々人が相互作用するのが社会であり,そこで現れるのが瞬間瞬間の個々人の行動になる.
  • 心理学はそのような複雑なメカニズムを科学的に説明しようと挑戦してきた.目星を付けた説明変数の効果をとりだすためには多様な調整要因を統制しなければならないが,見落としていた調整要因があとから判明するような事態を避けることは極めて困難だ.対象の複雑さと課題の困難さを認めれば,心理学に実社会での「実用的価値」を期待するのは時期尚早なのだ.そして心理学の「実用的価値」を安易に主張する言説に対しては,その妥当性を厳しく見定める必要がある.そして何より学問の価値は実用的価値にだけにあるわけではないはずだ.本書で示されているように進化心理学は人々の「常識」を転覆させる結果を示すことで,人間もまた進化の産物であるというダーウィン以来の人間観の拡張に寄与してきた.進化心理学が人文学や社会科学において重要な役割を果たしてきたことは疑いようのない事実だろう.

 

chapter 13 進化心理学と教育 安藤寿康

 
第13章では教育を進化的な視点から考察する試みが紹介されている.

  • 伝統的な教育学や教育心理学は教育が人為的に作られたことを暗黙の前提にして「より良い教育」を求める傾向が強い.しかし教育は歴史的な人為的現象である以前にヒトにとって特徴的な適応方略であると考えられる.私(安藤)はこれをHomo educans仮説と呼び,伝統的な教育学とは異なる新しい科学的アプローチを提唱している.
  • 教育は「他個体に知識獲得を促す行動」であり,知識獲得の「道具」として(人類が文化的進化を積み重ねたあとになって発明されたものではなく)ヒトの認知と行動それ自体に埋め込まれた生得的な能力と考えられる(幼児の教示的行動,旧石器時代の石器製作過程の痕跡,チブラとゲルゲリーによるナチュラルペダゴジー仮説などのいくつかの論拠が提示されている).
  • これまで狩猟採集社会には教育がないとされてきた.確かに狩猟技術や部族の伝説や教訓を組織的に教示するような習慣は青年期までは観察されない.しかし日常生活の中でナチュラルペダゴジーのような他者の学習を促し知識を伝達する行動(ただし西洋知識産業社会のように熱心に教え込もうとする行動ではなく,何気ないコミュニケーションの中に埋め込まれている)は頻繁に観察される.そこには文化や歴史を超えた普遍的な生物学的現象がある(教育の三項関係のモデルを使った具体的な説明がある).
  • 人文科学における教育の定義は学者の数だけあり多種多様で,それぞれ定義者による「○○教育学」が構築されている.ここで進化的な視点でヒト以外の動物にまで適用可能な操作的定義としてはカロとハウザーによる「積極的教示行為の3条件:Aが経験の少ないBのいる時にのみその行動を修正する,Aはコストを負う,Aの行動の結果Bは知識や技能をより早くあるいは効率的に獲得する」というものがある.これは教示行動を利他行動と定義していることになる.
  • ヒト以外の動物でこの教示行動が確認されているのはミーアキャット,ムネボソアリ,シロクロヤブチメドリ,ルリオーストラリアムシクイなど極くわずかで,いずれも採餌行動にかかるものだ.これは教示行動が進化条件が狭い利他行動であることを反映しているが,逆に高度な認知機能は必ずしも必要ではないことも示している.ヒトの教示行動は採餌行動に限らず広く「知識」の共有を行っているという点で独特だということになる.ヒトは文化によりニッチ構築を行っており,知識こそが生物学的な資源になっているのであり,さらに文化的な積み重ねによりその知識は個体学習や観察学習だけで習得することが難しくなっている.
  • そのようなニッチ構築において,教示行動は教師エージェント自身のニッチの維持と発展に寄与するものとなっていると考えることができる.その意味で教育は互恵的利他主義により進化したものだと考えることができる*9
  • また教育にかかる至近的なメカニズムとしては言語,過剰模倣,共同注意,心の理論,メンタライゼーション,共感などがある.これは高度な文化的内容を教示する必要性を反映しているのだろう.また児童期が長い生活史も影響を与えている.
  • さらに至近メカニズムの1つに他者にものを教えたいという教示欲求がある.私はこの心理学的構造を探ってきた.そしてこれには知識を持たない者に共感し無償で教えて助けたいという支援欲求と,自分の持つ専門的な知識を伝えたいという啓蒙欲求の2因子があることを見いだした.支援欲求は直接互恵性と,啓蒙欲求は間接互恵性との相関が高い.
  • また学習能力に個人差があること自体が,発揮される能力の個人差につながり,有能な人から学んで同じように発揮したいという動機付けが生じることにより教育の至近メカニズムの1つになっているだろう.

 

  • これまでの教育学は,現状の教育がよくないことを前提に「より良き教育」が臆面もなく追求されてきた.ここで述べたように教育を自然現象としてその成立基盤に科学的にアプローチするなら,心理学,動物行動学,人類学,考古学,脳科学,行動遺伝学,哲学的な問いが生まれ,それらが進化理論で統合できる可能性がある.そしてそこから現代教育の問題点やその解決方法に関しての洞察が得られることが期待できるだろう.

 

chapter 14 進化心理学と犯罪 喜入暁

 
第14章では犯罪に対する進化心理学的アプローチが紹介される.

  • 犯罪は法に定められたルールに違反することにより成立する.その中には適応的に機能してきたような多様な行動が含まれるだろう.
  • 犯罪については時間的・空間的に普遍的なパターンが観察される.それは犯罪の加害者被害者ともに女性に比べて圧倒的に男性が多い,犯罪率は青年期後期から成人期前期に急激に高まってピークに達し,その後減衰していく(年齢犯罪曲線の存在)というものだ.
  • これらのパターンについては従来の社会学・犯罪学でも説明が試みられてきたが,それがなぜ時間的空間的に普遍的なパターンを示すのかの説明は不十分だった.
  • 進化論的アプローチをとるなら,同性間競争の激しさとリスクリターンから適応的なリスクテイキングとして上記のパターンの普遍性を説明できる.デイリーとウィルソンは殺人について研究し,殺人率の年齢犯罪曲線をリスクとリターンから説明したが,殺人自体は身体的暴力の副産物だという立場をとった.片方でダントレイとバスはそれでは計画的殺人も同じ曲線を描くことを説明できないとし,殺人そのものも適応であるという殺人適応理論を提唱した.これには証拠が不十分であるという批判もある.
  • また男性の女性殺し(異性間暴力・殺人)は配偶者防衛の過剰形態だという説明もなされている.
  • このリスクリターンは社会の状況に応じて変化するので殺人率も影響を受けるはずだ.それをよく示しているのが戦後日本の殺人の年齢犯罪曲線の変化だ*10*11
  • 年齢犯罪曲線は暴力を伴わない犯罪(脅迫など)や財産犯(窃盗など)でも観察される.前者は身体的な競争のメカニズムに通じるものとして,後者は資源獲得の手段として動機付けられていると解釈できる.
  • 窃盗等の収奪的な戦略的な犯罪の存在(社会の一部成員がその戦略をとること)は負の頻度依存戦略として理解できるかもしれない*12
  • 年齢犯罪曲線は若年層が失うものが少ないことから説明できるが,コーエンとマチャレクはこれは「資源保有力」という概念を使って理論化した.
  • 戦略の個人差は生活史理論からも(条件付き戦略として)説明ができる.これは不安定な環境下ではより早い生活史戦略が有利になり,将来の割引率が高くなり,現在のリスクをとりやすくなると説明するものだ.
  • 早い生活史戦略は,対人暴力,薬物乱用,敵対的認知,性的支配傾向などと関連が示されている.これらはパーソナリティ心理学の領域で研究されてきたものだ.そしてパーソナリティ心理学が進化心理学的視点を取り入れることにより,この早い生活史戦略といわゆるダークトライアド(マキャベリアニズム,ナルシシズム,サイコパシー)の関連が研究されるようになった.
  • 女性の方が男性に比べて圧倒的に犯罪性が低いことは先述した競争の観点から説明できる.しかし女性にも同性間競争や暴力,殺人がないわけではないし,年齢犯罪曲線もわずかではあるが示されている.進化的視点からは同性間競争は性的アクセスではなく男性が持つ資源へのアクセスをめぐるものになることが予想され.検証の結果そうらしいことが示されている.とはいえ女性の同性間競争に関する研究は少なく,今後の研究の積み重ねが期待される.

 
 
以上が本書の内容になる.進化心理学勃興からほぼ30年,その影響がさまざまな分野に広がっている様子が解説されており,極く初期からこの学問を追いかけてきた私から見るととても感慨深い.なかにはあまり詳しくない分野からの投稿もあって大変勉強になる.それぞれの分野で進化的視点をとることにより何を説明すべきかが変革され,さまざまな現象の解釈に統一原理が生まれ,学問がブラッシュアップされていく様子はある意味胸熱な展開だ.本書では心理学・認知科学の各分野を中心に,言語学,倫理学,教育学,犯罪学についての影響が描かれているが,さらに医学,経済学,経営学.政治学,法学,社会科学,文学,歴史学への影響(あるいはいまだにあまり影響を与えていないならそれはなぜか)を語る一冊を期待したいところだ.
 

*1:なおここでいかにも関連しそうな学問の呼び方と中身についての解説がある.「神経心理学」とは神経系に異常が生じた際の心理検査を中心にした医学分野,「生理心理学」とは主観報告や行動と発汗や心拍などの生理現象との関連を扱う心理学分野になる.本章の対象である「神経科学」は行動の原因を神経メカニズムに還元することで理解しようとするものになるそうだ.門外漢なのでよくわからないが,神経科学側から見ると,先に「神経心理学」という呼称を使われてしまって残念ということなのかもしれない

*2:例えば領域を越えた情報をやり取りするような柔軟な情報処理システムはモジュール性の主張と矛盾することになってしまう

*3:進化環境では確率表示がされることは稀で,頻度表示である方が多く,確率表示の問題に直感的に答えられないことが非合理性の証拠にはならない

*4:プロスペクト理論は期待効用曲線の記述として提示されているが,アルゴリズムのレベルでの説明になっていないため状況により異なる方向にバイアスがかかることを説明できない.

*5:コミュニケーションの文脈ではどのように問題がフレーミングされるかが話者の意図の推測にとって重要であり,フレーミング効果がある方がより生態合理的に相手の意図を推測することができる

*6:ここではどのような現象を説明すべき謎と捉えるかについて文化的価値の影響を受けがちであることについての指摘がある.

*7:授業アンケートでは「経験や文化により人格形成がなされる」という項目に「とてもそう思う」「そう思う」と答える学生は8割を超えるそうだ

*8:リーダーが持つ資源生産の調整能力が高ければ,効率の悪い社会は生態的に排除されていき,人々は(強制がなくとも)実質的に専制主義的社会制度の社会に縛られるようになる,ただしこののちは人々の寛容性とリーダーの搾取性をめぐるゲームになり,移住コストが低いならリーダーの資源占有率は低く保たれることが示されている

*9:ここではカロのハウザーの定義から教育を利他行動と想定しているのでこういう説明になっている.ただAにコストが発生するとしてもより大きな状況の中で利益がある( 教えることに短期的なコストがかかってもそれによる名声により大きな利益がある,あるいは子どもにいろいろ教えておくと最終的に子育てコストが節約できるなど)なら,それは相利的な行動として進化しうるだろう (7/17コメントによる指摘を受けて訂正)

*10:なおここでリスクとリターンが状況依存する説明として,資源やこれまでの投資量が重要な要因となるだろうとしているが,これまでの投資量を問題にするのは典型的なコンコルド誤謬であり,適切ではない(少なくともなぜこの意思決定にコンコルド誤謬バイアスが生じるのかの説明が必要)と思われる

*11:日本の殺人の年齢犯罪曲線がフラットになっていることについて,単一コホートではなお年齢犯罪曲線が生じているが,ある時点での通年齢的なカーブを描くとフラットになっていることについては説明されていない

*12:なおここで説明の1つとして「社会的・経済的に不利な人々にとっては適応度がゼロに近いという状態からうまくいけば適応度の上昇が期待できる」との記述があるが,これは頻度依存戦略ではなく,条件付き戦略で説明すべきものだと思われる