War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その15

 
ターチンは「ヒトは共通の利益のために自己犠牲的行動をすることがある」ということの例に第一次世界大戦勃発時の志願兵殺到を持ち出した.いかにもスロッピーな言及だと思うが,これは協力の科学の学説史の前振りということになる.学説史はアリストテレスを持ち出すところから始まっている.
 

第5章 自己利益の神話:協力の科学 その2

 

  • 共通の利益のために自己利益を犠牲にする能力は協力のための必要条件だ(The capacity to sacrifice self-interest for the sake of common good is the necessary condition for cooperation)

 
学説史はいきなりこの乱暴な断言から始まる.この一行でターチンが「協力の科学」を全く理解していないことがわかる.協力は相利的な状況があれば容易に生じる.互いにメリットがあれば誰でも喜んで協力しようとする(ただしそう見せかけた裏切りに注意しながらだが)だろう.ようするに利他行動と協力が区別できていないのだ.そして利他行動に限っても「共通の利益のための自己犠牲」は必要条件ではない.このあたりは脱力するしかないが,ともあれ読み進めてみよう.
 

  • アリストテレス,トマス・アキナス,イブン・ハルドゥーンにとって協力が社会生活の基礎となっていることは自明だった.しかし近世に入り私たちはこの考えを徐々に捨てるようになる.20世紀の終わりには合理的選択理論が社会科学のドミナントなパラダイムになった.歴史が協力によって駆動されるという理論はどんなものでも嘲られた.もし人々が自己利益によってのみ動機付けられるなら報酬と罰だけが問題になる.

 
ターチンは歴史学者なので,(私はこのあたりに全く詳しくないが)歴史学界隈では協力と言いだすと嘲られたということがあったのかもしれない.いずれにせよ,(相利的状況であれば)自己利益に沿う協力は容易に生じるので.合理的選択理論の元でも協力が何らかの社会的歴史的現象を駆動することは全く問題なく可能だっただろう.
 

  • その考えの先駆けとなったのはマキアベリだ.彼の「君主論」はすべての人は常に自己利益を追求するという前提の元に書かれている.例えば彼は「君主は恐れられるべきか,愛されるべきか」と問いかけている.(もちろん両方が望ましいが,これは難しいので)マキアベリはどちらか選ぶなら恐れられるべきだと答えている.彼の理屈はそれはその方が安全だからだというものだ.なぜなら一般的に男性は恩知らずで移り気で嘘つきで貪欲であり,裏切りが彼の利益になる時に,それを思いとどまらせるには恐怖の方が有効だからだ.
  • 彼の考えは当時のイデオロギーには反しており,同時代的には批判された.例えばルイ9世が病床で発した「息子たちよ,私はおまえたちが国民に愛されるよう祈ろう.私はおまえたちが国を治めるのに失敗するぐらいならスコットランド人がこの国をうまく治める方がましだと,本当に思っているのだよ」という言葉は同時代人には評判が良く,彼は1297年に聖人として叙されている.聖ルイの言葉はマキアベリ的な視点から見るとナイーブに見えるかもしれない.しかし聖ルイは(政治思想家としてはともかく)政治家としては非常に成功した.彼の治世は中世フランスの黄金時代だったのだ.
  • これに対してマキアベリは政治家としては究極の失敗者だ.彼はフィレンツェの執政官ピエロ・ソデリーニの書記官だった.その14年の任期中に何回か外交使節の代表となった.そしてピサの攻略戦に重要な役割を果たしたが,その後にスペインの侵攻を受け,マキアベリがリクルートした軍隊は敗退し,ソデリーニ政権は倒れ,マキアベリは職を解かれる.彼は郊外の小さな家に引っ込み,君主論を始めとする何冊かの本を書いた.本はフィレンツェの後継政権であるメディチ政権に向けた雇ってほしいというアピールでもあったが,それは無視され,彼が表舞台に戻ることはなかった.

 
このあたりは,ルイ9世が政治家として成功し,マキアベリが政治家として失敗したのは,その信念に原因があるかのような当てこすりっぽい記述だ.もちろんターチンは(表面的には)政治家としての失敗と論理の正しさは別の問題だと断っている.
それでもこの比較はややアンフェアだ.ルイ9世は生まれながらの王であり,政治家として環境と運に恵まれた.マキアベリは政治思想家兼官僚に過ぎず,政治家と呼ぶのには無理があるだろう.そして彼の官僚としての失敗は(軍隊のリクルート方法に問題があったならば話は少し別になるかもしれないが*1)基本的には仕えたソデリーニ政権に連座したということに過ぎないだろう.
 

  • マキアベリの政治家としての失敗は彼の論理の正しさとは別の問題だ.問題は彼の理論の前提だ.君主論は「全ての人は常に利己的に行動する.その動機付けは報酬ヘの欲望と罰の恐怖のみだ」ということを前提としていた.
  • そしてマキアベリの考えは徐々に西洋の哲学,経済学,社会科学に受け入れられていった.

 
ここでターチンはホッブス,ヒューム,アダム・スミスなどの考えを簡単に解説している.ホッブスについては「万人の万人に対する戦い」が引かれ,ヒュームについては「政府のシステムを構築するなら『人はみなゲスであって個人的利益以外には目的を持たない』ということを想定しなくてならない」というコメントが引かれている.アダム・スミスについてはもちろん『見えざる手』が解説されている.

*1:ちょっと調べたところではこのスペイン軍と交戦した軍隊がマキアベリがリクルートしたものかどうか(そしてその手法に問題があったか)に言及しているものはなかった.有名なのはむしろピサ攻略戦でマキアベリがフランス王と交渉して派遣を受けた軍隊(スイス兵4千とガスコーニュ兵2千)であり,いざ進軍となっても全くフィレンツェ側の言うことを聞かず,略奪に明け暮れ,揚げ句の果てに勝手に兵を引き,ピサ攻略の最終的失敗につながる,この経験によりマキアベリは国の防衛の根源は傭兵に頼らず,自国兵でなければならないと主張することになる