書評 「人間性の進化的起源」

 
本書はヒトの知性や認知能力や心のあり方の進化的な起源を「文化進化」を深く考察することにより探索する本だ.そしてその中では累積的文化進化,ニッチ構築,遺伝子と文化の共進化にからむ正のフィードバック過程がキーコンセプトになる.著者はケヴィン・レイランド.原題は「Darwin’s Unfinished Symphony: How Culture Made the Human Mind」


本書全体は第1部「文化の基礎」で模倣や文化にかかる行動や能力がどのように進化しうるのかをまず整理し,第2部「人間らしさの進化」でヒトを特別にしているものは何か,それはどうして(ヒトだけに)進化したのかを扱うという構成になっている.
 

第1部 文化の基礎

 

第1章 ダーウィンの未完成交響曲

 
冒頭で,ダーウィンは土手を覆い尽くす生物たちの多様性を自然淘汰から説明できるようにしたが,しかしそれだけではヒトの圧倒的な文化的な達成を説明できていないと指摘する.特になぜヒトだけが科学,技術,文化を入手できたのかが説明できていない.そしてその鍵は文化と心的能力の正のフィードバックのかかるランナウェイ型共進化なのだと主張する.この共進化過程により大規模な協力,他者への積極的教示,貨幣や金融などの制度を含む累積的文化が可能になったことを説明できるというのが本書のテーマになる.そしてその説明には,模倣の適応的意義,累積的文化が生じる条件とそれに必要な認知能力,さらにイノベーション,教示,協力,同調行動能力の進化条件,言語の獲得,これらの要素がどのように相互作用するのか,そして他者視点の獲得,コミュニケーションにおいてヒトはどう特別なのかが解明される必要があるとされる.これらは次章以降で詳しく解説されていくことになる.
 

第2章 ありふれた模倣

 
第2章では動物界における模倣がテーマになる.レイランドは自身のラット(ドブネズミ)の研究を紹介しながら動物界に模倣がありふれていることを説明する.

  • ラットの研究からわかることは,若いラットの餌に対する好みは他の大人個体からさまざまな経路を通じて影響を受けていることだ.匂い,糞便,マーキングなどを通じて特定の食べ物への好みが群れ固有の習慣になる.同じようなことはイヌ,コウモリ,魚などでも確かめられている.かつては社会的学習は脳が大きく発達した動物に限られる*1と考えられていたが,そうではないのだ*2
  • 社会的学習がよく見られるのは配偶者選択の文脈だ.グッピーやモーリー*3の例は良く調べられているし,鳴鳥類やザトウクジラの歌もそうだ.
  • 回避などの対捕食者行動においても模倣が生じやすい.固定してしまうと捕食者に利用されやすく,また試行錯誤による学習が難しいからだ.

 

第3章 なぜ他者をまねるのか

 
模倣には悪い方略を学ぶリスクもあるはずだし,数理的な解析によると適応度的にロジャーズのパラドクスがある.それにもかかわらずなぜ動物界に模倣がありふれているのかが第3章のテーマになる

  • 発達心理学者はヒトの幼児の模倣を調べてきた.子どもには過剰模倣を行う時期がある.しかし子どもは何でもまねるわけではなく,一定のルールに沿って戦略的にまねをするということがわかってきた.
  • 数理モデルにより調べると変化する環境の中でうまくやっていくためには,社会的学習と非社会的学習を混ぜて使うことが多くの場合有利である(つまり頻度依存的な利得になっている)ことがわかる.これは平衡状態で社会的学習も非社会的学習も同じ利得がある(つまり社会的学習をしても適応度は上がらない)ことを意味し,社会的学習こそが人類の成功を支えたのだという見立てと対立するように見える(ロジャーズのパラドクス).
  • このモデルは無差別な模倣が前提になっている.だから戦略的な模倣があれば結論は変わりうる.つまり(適応度を高める)社会的学習戦略は進化しうることになる.
  • ではどのような社会的学習戦略が最適なのか.仮説としてありうる戦略の数は膨大で数理モデルではうまく解けそうもない.ある日この課題の側面がかつての協力の進化の問題と似ていることに気づき,1970年代になされたアクセルロッドの囚人ジレンマゲームトーナメントにインスパイアされて,「最適学習方法トーナメント」を企画し,「多腕バンディッド」ゲーム大会の開催を広く研究者グループに告知した.16カ国,15学問分野から104のエントリーがあり企画は成功した.
  • その結果を解析し,効率的な模倣(学び過ぎない),学習タイミングを環境変化のタイミングにあわせるなどの特徴が重要であることがわかった.優勝したのはディスカウントマシーンという戦略で,過去の情報を割り引いて使用し,学習量を抑制していた.また模倣(社会的学習)なしでは勝てないというのも重要な結果だ.模倣が有利なのは他の個体が行動の選択肢をあらかじめ「篩い分け」してくれて,それにただ乗りできるからだ.
  • これにより洗練された賢く柔軟性のある社会的学習は生物学的な適応度を向上させることが明らかになった.また柔軟な模倣の有利性は個体だけでなく集団レベルでも(知識が忘却されることを防ぐことで)成り立つことも明らかになった.だから自然淘汰は最適な模倣戦略を作りだすだろう.そして最適な模倣行動は知識を長期間保ち,同調行動や行動の急速な変化と戦略の多様性を生むだろう(変化や多様性がどのように生まれるのかについて説明がある).

 

第4章 二種類のトゲウオ


第4章では著者による社会的学習にかかる動物実験の様子が語られる.なかなか面白い.

  • 1990年代に魚が「公共情報の利用」という社会的学習をするのかをクーレンと一緒に調べた.その際にイトヨを使おうと野外から採集したら(判別できなかったために)トミヨも混入してしまった.両種を使った実験をしてみると,この近縁の2種の行動に大きな違いがあることがわかった.
  • トミヨは豊かな餌場である状況を見せられるとすぐにそちらに向かって泳ぐが,イトヨはそのような傾向を示さなかった.デモンストレーターの質,知覚能力,嗅覚,採集地域などを統制したが結果は同じだった.どうやらトミヨという種には固有の社会的学習の適応的な特殊化が見られるようだ.さらにいろいろ調べ,イトヨは隠れ家の岩場の価値なら社会的学習を行うこともわかった.
  • この2種の行動の差はボイドとリチャーソンの「コストリーインフォーメーション仮説(非社会的学習のコストが高い場合には模倣をより行う)」で説明できる.イトヨは背鰭に大きな棘条を持つがトミヨには小さい棘条しかない.トミヨにとっては餌場の探索は捕食リスクが高いのだ.(これを確認した実験が解説されている)
  • さらにトミヨは確実で信頼性のある情報があるかどうか,事前情報がどれほど新しいか,現在の資源必要度(繁殖期かどうかなど)により社会的学習への依存度を変えていることもわかった.トミヨは柔軟な文脈依存的社会的学習戦略をとっているのだ
  • さらに近縁種を調べたところ,トミヨの戦略的社会的学習能力はトミヨとカワトゲウオの祖先がイトヨやアペルテスやウミトゲウオの祖先から分岐後1000万年前以降に進化したこともわかった.このような機能特化型の文脈依存的社会的学習戦略を行う能力はさまざまな動物群で何度も独立に収斂進化するような形質だと考えられる.そしてヒトの社会的学習は汎用型である点が特殊だということになる.

 

第5章 創造性の始まり

 
第5章では模倣される何らかの有益な行動がどう生まれるのか,つまりイノベーションが扱われる.動物にもイノベーションは見られるが(有名な英国のアオガラの牛乳瓶のふた開けなどが紹介されている)目を見張るようなイノベーションはヒトにしか見られない.これがなぜかが本章のテーマになる.

  • 動物のイノベーションの本格的なリサーチはクマーとグドールによるヒヒの研究に始まる.彼等は飼育下と野生下の動物集団に統制のとれた条件の元で新しい課題に取り組ませ,新しい課題解決方法が生まれる状況を調べた.
  • 霊長類ではどのような個体がイノベーションを起こしやすいのか.霊長類の行動学では若い個体の方が起こしやすいと考えられていたが,レイチェル・ケンダルがマーモセットで調べると年齢が高い個体の方が(経験と身体能力により)イノベーションを起こしやすいことがわかった.また種間で比較すると採餌方法により起こしやすさに差がある(地中や硬い殻のある実の中の餌を探し当てて処理して食べるような種でイノベーションが起こりやすい)ことがわかった.
  • 私たちは魚で実験した.グッピーの迷路実験では,メスの方が,食料摂取が不足していた個体の方が,小さな魚の方がイノベーションを起こしやすいことが分かった.これは動機付け(つまり期待効用)が大きく影響することを示している.
  • ルイ・ルフェーブルは鳥類で種間比較を行い,イノベーション傾向と脳容量に正の相関を見いだした.また彼はイノベーションを起こしやすい種の方が新しい場所に導入した時に生き残りやすいこと,渡りをしない種は冬にイノベーションを起こしやすいことも見つけた.
  • 私とサイモン・リーダーはこの手法を霊長類に応用した.その結果,大人の方が,低順位の個体の方が,オスの方がイノベーション発生率が高いことを見いだした.オスの方がイノベーション傾向が高いのは交配相手を見つける競争がオスで強いからだとして(期待効用の影響として)説明できる.
  • そして脳容量はイノベーション発生率と正の相関を示した.これは脳の大きさと行動の柔軟さの関連性をはじめて直接示したという意味で非常に重要な発見だった.

 

第2部 人間らしさの進化

 

第6章 知能の進化

 
第2部はヒトを特別にしているものは何かの探索物語.最初のテーマは知能,脳容量の増大だ.著者は霊長類の脳容量増大は文化との共進化によると考えている.これは主流の社会脳仮説と対立する見方になる.この探索物語はなかなか面白い.

  • アラン・ウィルソンは哺乳類の進化系統において脳の増大傾向を見つけ,それがイノベーションや社会的学習の有利性により駆動されているのではないかと考え,文化駆動仮説(文化の伝達により行動の革新が広まるようになると,動物は新しい方法で環境を利用するようになり,革新性や社会的学習能力への自然淘汰が生じ,脳容量を増大させるだろう)を提唱した.
  • ウィルソンはさらに大きな脳を持つ動物はイノベーションによる文化的ニッチ構築を行うことにより脳以外の解剖学的形質の進化速度も速くなると考えた.
  • この仮説はいかにも成り立ちそうだが,まず社会的学習が脳の進化を駆動するメカニズムはどういうものかという疑問が生じる.また霊長類ではイノベーションや社会的学習だけでなく,社会的複雑さ,生息域の緯度などさまざまな変数が脳容量と相関しているので,数多くの対立仮説の中からどうやって文化駆動が中心だということを示すかという課題もある.

 

  • 最初の疑問に対しては,模倣が有利になるためには戦略的効率的でなければならないことから説明できる(知覚能力,心の理論,認知的異時点比較能力,イノベーション能力,より長い生活史,多様な採餌,道具使用などを組み込んだ詳しい進化駆動モデルが提示されている).そしてこの進化過程は,イノベーションや社会的学習に効いた自然淘汰は脳容量の増大をもたらし,その脳容量の増大が模倣の効率をさらに高めるという正のフィードバック過程になっていると考えられる.
  • この仮説が正しいとすると霊長類の種間比較を行うと,社会的学習の割合は脳容量だけでなく,さまざまな認知能力と相関することになるだろう.私たちはこれまで発表された科学文献のデータ(霊長類62種が含まれていた)を集め,さまざまな認知能力についていろいろな定量化の工夫をした上で統計分析を行った.主成分分析の結果は8つの認知能力指標の65%以上が単一因子で説明可能だった.霊長類の認知能力はヒトの一般知能・g因子と似たような側面があるのだ.そしてこの霊長類g因子は脳容量と相関した.これは自然淘汰は特定課題についての能力ではなく一般知能に対して働いたらしいということを示唆している.
  • そして脳容量が大きくg因子の高い霊長類は同時に複雑な認知能力と豊かな文化的行動を見せる種だった.

 

  • では「何が霊長類の脳容量増大進化の鍵を握ったか」についてはどうか.これは長らく論争が続いているテーマだ.
  • 論争が収束しない要因は,データの質の低さ,定量的指標の不在,多くのリサーチが単一変数だけに注目するものだったことなどが上げられる.
  • アナ・ナヴァテラとサリー・ストリートはより多くのデータを収集し,霊長類g因子を用い,多変数を考慮した進化的系統分析を行った.その結果,脳サイズの全ての測定値と認知能力を予測する因子として支配的だったのはゆっくりした生活史を持つことと集団サイズが大きいことだった.この2要因の中では生活史の長さの方がより効いていた.これは文化に頼り始めると生活史が長くなるだろうという文化駆動仮説と整合的だ.また脳のエネルギーコストの問題も文化により食事から得られるエネルギーが増えることから説明できる.
  • 現在の主流の考え方は脳の増大は複雑な社会生活への適応だというものだ.確かに集団サイズは脳容量と相関するが,これは唯一の予測因子でもなければ,もっとも重要な予測因子でもない.
  • これまでの知見をもっともうまく説明するのは,霊長類の脳の大きさに作用した自然淘汰には複数の波があり,それぞれが異なる規模で働いたというものになるだろう.まず複雑な社会生活のための社会的知性を向上させるための淘汰が働き,その後文化的知性を促す限定的だがとても重要な自然淘汰が大型類人猿などの一部のグループに働いたのだろう.

 

  • ナヴァテラとストリートの分析によると脳容量増大に強く効いた脳部位は大脳新皮質と小脳になる.これは手先の器用さや言語能力が重要であったことを示唆している.また霊長類では一般的な哺乳類のように脳の大きさと寿命に単純な関係があるのではなく,社会的学習が大きな要因になっていることもわかった.これは霊長類だけで文化を生む知性に自然淘汰にかかったことを示唆している.
  • 複雑な社会を作り大きな脳を持つ霊長類の中に,社会的学習への依存度をある閾値以上に高めてしまった種が現れ,そこから正のフィードバックに乗って脳容量と認知能力と文化と生活史が共進化したのだと考えられる.
  • ではなぜ霊長類だけでこの進化が生じたのか.私はそれは両手で道具を使えるという要因が大きかったのではないか(鳥類やクジラにはそれは難しかった)と考えている.

 

第7章 忠実な伝達

 
第7章ではではなぜヒトだけに強い文化駆動フィードバックがかかったのだろうかがテーマとなる.著者はそれは伝達の忠実性が重要だったのだと主張する.そしてここでは忠実性を生む要素のうち教示性を扱う.

  • なぜヒトだけが累積的文化進化を起こしたのか.これまで偶然説や人口規模説が提唱されているが,いずれも満足できるものではない*4
  • マグナス・エンクイストの数理モデル解析は,伝達の忠実度が上がると文化の寿命が指数関数的に延びることを示している.つまり忠実度がある閾値を超えるとその文化要素は永続的になる.これはトマセロのヒトは言語,教育,効果的模倣により知識伝達の忠実性を高め,それにより累積的文化を持つのだという説を支持するものだ.ヒトは教示行動,言語,文字,模倣を使って極めて忠実度の高い伝達を行える.
  • ハンナ・ルイスは文化的形質の新規発明,結合,改変,消失が累積的文化の構築に与える影響を数理モデルで解析した.その結果は形質の消失率がある閾値以下にならないと文化は累積的にならないというものだった.つまり伝達の忠実度がある閾値を超えると文化は累積的になるのだ.これもトマセロ説を支持するものだ.

 

  • ではヒトの祖先はどのようにして忠実な伝達を実現したのか.言語は次章で扱うとして,ここでは教示を取り上げる.
  • 教示行動の進化は深い謎だ.ヒトにとっては非常に重要だが,ほぼ全ての動物には存在しない.
  • 教示行動の進化のリサーチはカロとハウザーの教示の機能主義的定義「積極的教示行為の3条件:Aが経験の少ないBのいる時にのみその行動を修正する,Aはコストを負う,Aの行動の結果Bは知識や技能をより早くあるいは効率的に獲得する」により始まった.そしていくつかの動物で教示行動が見つかった(ミーアキャットやアリの例が示されている)が,類人猿やゾウやイルカには見つからなかった.なぜ極く少数の動物でしか見つからないのか,それらの動物群の系統的な分布は何を意味しているのか,なぜヒトのような汎用的な教示ではなく特定文脈(採餌方法など)の教示しか見つからないのかは謎として残された.
  • 教示行動は協力的な行動であり,その進化を説明するには独自の理論が必要だと思われた.
  • ローレル・フォガッティとポンタス・ストリムリングは数理モデルを立てて解析した.その結果,血縁関係で教示行動が生じやすいこと(これはある意味当然)のほか,(教示によらない)スキルの習得が中程度の場合に教示行動が生じやすいことがわかった.興味深い結果であり,これは独自習得が容易な場合はコストをかけてまで教えるメリットがなくなることから,難しい場合は教示可能な(教師役の)個体がほとんどいなくなることから説明できるだろう.そしてこれは教示行動を見せる動物の分類群の謎を説明する.賢い動物は(独自に容易に習得可能になるため)教示の必要がなくなるのだ.
  • ではヒトはどう説明できるのか.上記モデルを累積的知識獲得を扱えるように拡張すると,教示行動ははるかに有益になり,進化条件が広がることがわかった.ヒトは累積した知識により本来は習得の難しい知識を教えられるようになったのだ.つまり教示行動と累積的文化は正のフィードバックがかかって共進化したのだ.
  • ヒト以外の大型類人猿やオマキザルはなぜ累積的文化を持てなかったのか.ヒトの幼児との比較認知実験を行ってわかったのは教示行動,模倣,言語の要因が大きいということだった.

 

第8章 なぜ私たちだけが言語を操るのか

 
第8章は言語がテーマだ.冒頭にはシェイクスピアのソネットが載せられていてちょっとおしゃれだ.著者は言語は教示方法の効率化,教示の正確性のために進化したという説を提唱している.本章の最後では石器製作の社会的学習能力を言語ありなしなどの条件で比較した実験結果が紹介されていて面白い.

  • 言語がなぜ進化したのかについての謎が多い.問題は,言語が特異的でヒトにのみ生じたところにあり,またその進化仮説が多すぎることにもある.動物の使うシグナルは「今ここ」の情報に限定されている.サイン言語を訓練された類人猿の研究は多いが,結局単純な連合学習のルールと少しの模倣から説明できるものに止まっているし,彼等が伝える内容は自己中心的要求だけだ.
  • 私は言語進化の理論が満たすべき(サマード.サトマリ,ビッカートンの6基準の提案に1つ加えた)7つの基準を提唱した.それは以下の通りだ:(1)初期言語の正直さを説明できること(2)言語の持つ協力的性質を説明できること(3)初期言語の適応性を説明できること(4)単語が指し示す概念にリアリティがあることを提示できること(記号接地問題)(5)言語の持つ一般性を説明できること(6)なぜヒトが特異的に言語を持つのかを説明できること(7)なぜコミュニケーションの方法は学習によって獲得される必要があるのか(言語の全てが生得的でユニバーサルでないこと)を説明できること.
  • 私のここまでの探求で,累積的文化進化には伝達の忠実性の条件が厳しく,それをクリアできた1つの要素が教示行動であることが示されている.そしていったん教示を行うようになれば,情報伝達をより忠実にする手法,あるいは教示のコストをより削減できる手法は自然淘汰によって好まれたはずだ.そして言語はまさにそういう特徴を持っている.言語は教示の効率と正確性を向上させる為に進化し(言語の教示仮説),その適用範囲が広がっていったのだろう.
  • そして言語が教示のために進化したのなら,その文脈では教師と生徒の利害はある程度一致しており,協力的関係であることと内容が正直であることは容易に説明できる.同じく教示の文脈から言語が現実に根ざしていること,極く初期から適応的であったことも説明できる.そしていったん言語による教示が始まれば次々に難しい内容が教示の対象となり,一般性を持つような言語が適応的になっただろう.そして累積的文化進化を起こしたのがヒトだけということから特異性も説明できる.最後の基準である学習による習得の必要性は,人類進化のある時点で文化の多様性が生み出される速度が閾値を超えて,記号や意味を常に更新して精緻化しないと追いつけなくなったとして説明可能だ.
  • いったん教示により言語が進化すると,それはその用途を広げていっただろう.言語の使用は相利的交換,間接互恵関係(評判)などの他の協力的用途に拡張された.(ここでフィッチ,ペイジェル,ディーコンたちの言語進化の考え方を教示仮説の立場から解説している.また本章の最後ではビッカートンとトマセロの考え方についても解説がある)
  • また言語が複雑化する中で言語学習や情報伝達を容易にする認知能力に強い自然淘汰がかかっただろう.私はメタ認知や心の理論もこれにより説明できると考えている.言語はある種の文化的ニッチ構築となったのだ.さらにそれは遺伝子と文化の共進化を駆動し,言語特性の進化(学習可能性への文化進化)も生じただろう.
  • なお言語進化には数多くの謎*5が残されている.それでも教示仮説は言語の起源をめぐる謎の一部を解明した意義があると考えている.

 

第9章 遺伝子 - 文化共進化

 
第9章のテーマは遺伝子と文化の共進化.これまでの著者の議論はニッチ構築と遺伝子と文化の共進化に多くを負っている.そこでここで遺伝子と文化の共進化が生じうるものかどうかが吟味されることになる.

  • 遺伝子と文化の共進化は今から30年以上前に数理的モデルとして提示された.そのモデルは従来の進化モデルに文化伝達が組み込まれたものだ.
  • 私はその分野の大御所の1人であるフェルドマンと遺伝子と文化の共進化の実証的証拠を探す研究を行った.
  • 最初に取り上げたのは利き手の問題だ.利き手は遺伝的な影響を受けるが,遺伝性は弱い(一卵性双生児でも二卵性双生児でも右利き率はほぼ同じ).そして左利きに悪いイメージのある文化のある社会では左利きの頻度が低くなる.
  • そこで利き手を決める遺伝子座と文化的影響(親の利き手)の両方を組み込んだ数理モデルを組み上げ,実際のデータを解析した(詳しいモデルの挙動の説明がある).その結果.ヒトには生まれながらにやや右利きになりやすい遺伝的要因を(ユニバーサルに)持ち,両親の利き手にある程度の影響を受けるというモデルがもっとも説明力が高かった.これは利き手のパターンを作っているのは遺伝子と文化の相互作用だということを示している.
  • 化石データからは右利き率は最初期の石器製作時期(250~180万年前)で57%,中期更新世(80~10万年前)で61%,ネアンデルタール人で80~90%だったことがわかっている.これは道具製作に必要な強さや正確さにより利き手の有利性が高まっていく状況での遺伝子と文化の共進化の結果なのだろう.遺伝子と文化の共進化モデルは従来の遺伝学モデルよりも速く進む自然淘汰を予測する.

ここからは遺伝子と文化の共進化事例として酪農文化と乳糖耐性,焼き畑農業とマラリア耐性*6,食生活文化と分解酵素の変化(澱粉食とアミラーゼ分解酵素など),文化的移動分散とさまざまな局所適応(皮膚色素形成遺伝子,ヒートショック遺伝子,免疫応答ヘの淘汰など)が解説されている.また性淘汰を組み込んだモデル,(これまで本書で取り上げられてきた)認知能力の遺伝的基盤へのリサーチ,言語と文化の違いがもたらす集団間の遺伝子流入パターンへの影響(父系社会と母系社会),現代における遺伝子と文化の共進化の可能性(大いにある)などの話題も取り上げられている.
 

第10章 文明の夜明け

 
第10章では遺伝子と文化の共進化,そして累積的文化進化により何が生じたのかが扱われる.

  • 文化が適応進化に与えた影響は次第に大きくなっていっただろう.文化は環境をよりうまく利用できるようにし,栄養条件を改善し,脳のコストを賄うことにより知能は正の自然淘汰を直接受けるようになった.人口は増加し,生物学的進化だけでなく文化進化もより促進された.社会的学習への依存度が上がり,文化的形質は多様化し,流行も生じるようになった.教示や言語,さらに文字により情報伝達はより高精度になり,文化の多様化と蓄積はさらに促進された.これらは正のフィードバックの上にある.
  • このようなフィードバックが働くなら,なぜヒト社会は1万年前まで狩猟採集から産業化社会に移行しなかったのか(そしてなぜ今でも一部で狩猟採集民が残っているのか).それは狩猟採集というライフスタイルが文化的知識の累積に厳しい制約を課しているからだ.それは(近隣の資源をすぐに使い果たしてしまうため)移動的であり,社会構造は単純で仕事の分業もほとんどない.道具や装置は持ち運べるものに制限され,イノベーションを行う人数も限られる.
  • 逆に環境利用効率がある限界点(閾値)を越えると一気に状況が変わる.定住可能になり,資源を蓄積でき,道具が充実し,人口が増加し,イノベーションも増える.正のフィードバックループに入るのだ.文化進化が農業革命と同時に進行したように見えるのはこのためだ.
  • 農業のはじまりの古典的議論は環境変化とそれによる資源枯渇が引き金になったとする.しかし私は人類と家畜化動植物との共進化,文化的ニッチ構築をもっと重視すべきだと考える.
  • 農業の始まりとともに(その初期には食料増産ペースより人口増加ペースの方が大きく)栄養状態は下がった.それでも農業は大規模な分業を要する構造化社会を引き起こし,またイノベーションの動機になった.ヒトは農耕ニッチを造り,農耕社会は狩猟採集社会を(人口増により)駆逐し,農耕ニッチは文化進化を速めることにより劇的に社会を変化させる多数のイノベーション*7を誘発し,分業化は効率と生産性を飛躍的に増加させた.さらに農耕は人口増によって文化進化速度を速め,情報量は爆発的に増加した.
  • イノベーションは新しいニッチ構築につながり,「解決策」は新しい「問題*8」となる可能性もある.私たちの祖先が農業を考案した時,彼等はパンドラの箱を開けたのだ.

 

第11章 協力行動の基盤

 
第11章では協力が扱われる.著者はヒトでのみ見られる大規模でかつ複雑な協力行動を遺伝子と文化の共進化から説明する.

  • ヒトにおいては狩猟採集時代から非血縁者間での協力が行われた.そして農耕とともに協力は大規模で複雑なものになった.権力による収奪的労働ももちろんあっただろうが,それがすべてであったわけではない.
  • 大規模な協力のための重要なステップになったのが教示行動の広まりだ.契約,法律,社会規範,制度などはヒトに見られる協力のための独特なメカニズムだが,これらのメカニズムが機能するには他者への教示が必要だ.教示は(その利他的性質から)最初は血縁者間で生じ,その後言語の出現によりコストが下がり,累積的文化の中でその範囲が拡大していったのだろう.
  • 歴史のある時期に教え手は相手の行動を体型的に修正するようになり,社会は慣習に従うものから規範による統治がなされるものにシフトしたのだろう.規範は集団内の調整を容易にし,協力的プロジェクトを遂行する社会の能力を向上させた.さらに規範の多くは社会制度に発展しただろう.また規範や制度に対応するための認知能力(意図と目標の共有や相手の視点にたつ能力など)も進化しただろう.
  • 大規模で複雑な協力行動は社会的学習,言語,教示がなければとても難しい.言語と教示により可能になる役割分担や徒弟制度による訓練により分業と職業の専門家が生じる.専門家は教師となっただろう.さらに言語は相利的取引,間接互恵,文化的グループ淘汰などの協力プロセスにも役に立つ.
  • ヒトの協力には相利的共生関係として理解できるものがある.集団間で文化が多様化したために双方が望む交換(相利的取引)が生じ,言語により取引条件の交渉が可能になった.貨幣も言語なしには生まれなかっただろう.間接互恵性も言語による評判がなければ成り立ちにくい.警察や法制度などの制度的罰の創出にも言語が必要だ.
  • また文化の多様性は,自集団と他集団の区別を有益にし,エスニックマーカーが発展し,自集団ひいきの傾向を促進しただろう.これにより文化的グループ淘汰が働き,人類の歴史を形成してきたと考えられる.
  • 文化的グループ淘汰とは,より効果的で効率的な伝統,規範,制度を持つ集団が他の集団との競争をよりうまく生き延びるだろうとするボイドとリチャーソンによる仮説だ.組織化された軍隊,より進んだ分業,潅漑システムなどの技術,協力推進的な宗教教義は集団間競争で有利に働くだろう.そして文化的グループ淘汰は遺伝と文化の共進化プロセスによりそのような状況で役に立つ認知能力(規範心理)を進化させただろう.この中には従順さや意図の共有心理が含まれる.さらに協力的傾向,模倣能力の向上があったかもしれない.これは模倣と協力の間にある双方向的因果関係*9を説明するものだ.

 
ここではボイドとリチャーソンの文化的グループ淘汰の議論を協力行動の基盤として扱っている.しかしそれは協力行動というよりむしろ軍事的技術,潅漑システム技術など効率的な文化産物をよく説明するだろう.協力のうち利他的なものを説明するなら集団間淘汰圧が集団内淘汰圧より大きいことの吟味が必要だが,そこに触れていないのはやや残念という印象だ.
 

第12章 芸術

 
最終章は芸術を文化進化的に説明するものだ.第11章まででヒトの特異的な累積的文化がなぜ可能だったのかの探索物語がいったん完結し,最後に興味深い現象を説明しておこうという趣旨だろう.

  • 芸術も進化する.芸術は時代とともに変化してきたが,そこには模倣行動が大きな影響を与えている.
  • 文化進化は単純から複雑に絶えず進歩するわけではなく,生物系統樹のようなツリー型の分岐パターンを示すものでもない.それは融合することもある.ダンス,音楽,ファッション,絵画などの芸術は影響を与えあい,それぞれの歴史が密接に絡み合い共進化してきた.
  • 映画や演劇は「イミテーションゲーム」だ.それらは俳優の演技能力,そして観客の想像力に依存している.演技能力は直接の淘汰産物ではなく,模倣能力の副産物なのだろう.そして演劇鑑賞における想像力は社会的場面における感情の共有能力が基盤になっているのだろう.
  • 彫刻,絵画,演劇,ダンスなど多くの芸術は新皮質と小脳の増大により可能になった模倣や革新の能力と大きなつながりがある.またこれらの芸術は言語で可能になった象徴性であふれている*10
  • この象徴との対応問題がもっとも明確に現れる芸術がダンスの分野だ.私たちはダンスにおける対応問題の解決が,模倣に使われる神経回路の利用でなされていると考えている.そして音楽やリズムにあわせて身体を動かすことのできる動物はみな音声と運動の両方の領域で模倣を見せる.また音楽のビートにあわせてリズミカルに動くには複雑な発声学習のための神経回路が必要であるようだ.(動画サイトで有名なキバタンのスノーボールのダンスが紹介されている)ヒトのダンスは物語を伝えることがある.ここには新たな対応問題がある.
  • ダンスが文化進化したかを考えてみよう.ダンスには確かに変異があり,継承(遺伝)があり,インパクトのあるダンスは流行するという意味で適応度に差がある.(18世紀末のワルツの流行の例が紹介されている)だから原理的には文化進化するはずであり,現在の複雑なダンスがどのように進化してきたのかの系譜をたどれるだろう.(ここからのダンスの初期の歴史(宗教的儀式としてのダンスからはじまる)が語られ,さらに15世紀イタリアからのバレエの歴史が音楽や衣装との相互作用を含めて詳しく解説される)
  • ダンスの歴史からわかることは(1)多様性はイノベーションを促した多方面からの影響やダンスが踊られた社会的文脈を認識しつつ歴史をひも解くことで理解できること(2)異なるアイデア同士が時間をかけて補完的に組み合わされ,複雑で洗練されたダンスが生まれたこと,だ.

 

エピローグ

 
簡単に本書の内容が振り返られたあとにこうコメントされている.

  • ヒトの認知能力の起源はなぜこれほどの難問だったのか.それは(1)社会的学習,知能,限度,協調性,計算能力などの重要な要素は複雑な共進化のフィードバックの連鎖の中で互いに影響を与え合っているからであり(2)ヒトは自ら物理的社会的環境を構築し,ヒトの認知能力の進化にはニッチ構築の複雑なフィードバックがかかっているからであり,(3)このような複雑なプロセスを理解するためには,ゲノミクス,集団遺伝学,遺伝子と文化の共進化理論,解剖学,考古学,人類学,心理学のツールを駆使し,第規模な学際協力プロジェクトを組む必要があったからだ.
  • これをやってきて振り返った今,文化を作る能力がそれ単独で進化したわけではないことがよくわかる.さまざまな認知能力は互いに絡まりながら共進化してきたのだ.文化の起源を理解しようとしてきた結果,私たちはヒトの心の起源,言語の起源,知性の起源にまで洞察を得ることができたのだ.これは予想外のボーナスだった.

 
 
以上が本書の内容だ.なぜヒトだけが目も眩むような高度な文化的達成を得たのか.本書はその謎の解明物語であり,それはまず,そもそも戦略的な模倣は適応的であった,そこに複雑な社会を持つヒトの祖先系統が認知能力を向上させ,社会的学習の依存度を高め,ある時点で模倣の忠実度が閾値を超えたことにより文化累積が可能になり,それは一種のニッチ構築になって遺伝子と文化の共進化が生じ,その(累積的文化は教示能力,言語能力を含む認知能力を促進し,その結果伝達の忠実度が上がりイノベーションが生じやすくなり,より有益で高度な文化累積が起こりやすくなるという)正のフィードバック過程により発散可能になった,さらに環境利用効率が閾値を超えると農耕と定住が可能になり文化累積にさらに正のフィードバックがかかり,最終的に高度な技術と産業化社会が可能になったというストーリーで説明される.
このストーリーに沿って著者はさまざまなリサーチを行い,それを確かめていくところがメインテーマになり,その過程で,戦略的模倣トーナメント,霊長類g因子,認知能力向上の二段階進化説,教示の進化仮説,言語の教示仮説,利き手の進化モデルなどのスリリングな知見や仮説が取り扱われる.自身のリサーチや実験なども詳しく書き込まれ探索物語としてもよくできているし,最後のダンスの文化進化解説も楽しい.文化進化や遺伝子と文化の共進化に興味のある人には必読文献として強く推薦したい.
 
関連書籍
 
原書
 

 
文化進化関連
 
ジョセフ・ヘンリックによる文化進化解説本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/01/11/113010
 
アレックス・メスーディによる文化進化解説本,私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20160614/1465901048
 

 

*1:ニホンザルの芋洗い,チンパンジーの文化,フサオマキザルの挨拶の伝統などのリサーチが紹介されている

*2:シジュウカラとアオガラの里親実験,イルカ,シャチ,テッポウウオ,ミーアキャット,ミツバチ,ニワトリの例が挙げられている

*3:熱帯魚の一種,模倣されることを逆手にとってわざと魅力のないメスに言い寄るのを他のオスに見せる欺瞞行動も報告されているそうだ

*4:偶然と片づける前に何らかの特殊要因を考察すべきだし,多くの個体で群をつくる動物は多いと説明されている

*5:未解決の謎として生成的計算能力の進化,意味体系の発達,音韻体系の発達,これらの接続はいかに進化し,コミュニケーション体系として外在化したのかなどが挙げられている

*6:焼き畑はマラリア発生率を高めるが,ヤムイモには鎌型赤血球に貧血症の症状緩和する可能性があり,遺伝子と食事文化によりマラリア耐性が高い人々がより焼き畑農業を伴って拡大しただろうと考えられる

*7:鋤,潅漑システム,車輪,文字などが解説されている

*8:生活習慣病,大きな不平等が挙げられている

*9:模倣されるとその相手に協力的になるなどいくつかの知見がある

*10:ここでそのような象徴を操る能力を持たないヒト以外の動物には真の意味での芸術はないと主張している.ゾウが描く絵についても,調教師が耳を引っ張ってどう絵筆を動かすか指示しているものであり(その能力は興味深いが)芸術とはいえないとコメントされている