War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その18

 
ターチンの協力の科学の学説史は進化生物学の理論に進む.冒頭で血縁淘汰と(直接)互恵性について言及し,EOウィルソンとドーキンスの名前を出した.ここからヒトの向社会性の説明の話になる.
 

第5章 自己利益の神話:協力の科学 その4

 

  • 確かに血縁淘汰と互恵性はヒトの進化の早い時期に重要な役割を演じただろう.
  • しかし狩猟採集民のバンドのような「原始的」な社会であっても血縁者だけで構成されているわけではない.血縁淘汰で彼等の行動を説明するには非血縁者が多く存在し過ぎるのだ.狩猟で得られた大きな獲物の肉は非血縁者も含めたバンドメンバーに注意深く平等に分けられる.そしてその対極のような現代の複雑な社会,例えば1914年のフランスでも40万人以上がほとんど非血縁者で構成される「国家」のために志願した.
  • ハミルトンの洞察(血縁淘汰)はヒトの「超向社会性」を理解する助けにはならないのだ.ヒトは動物界で非血縁者と協力する度合いにおいてユニークなのだ.
  • では(直接)互恵性では説明できるか.残念ながらできない.(ここで2人の間の取り決めなら避けられそうな共有地の悲劇は共有者が多くなると不可能になるだろうというヒュームの考察があげられている)グループサイズが大きくなると合理的エージェント同士の協力を保つにはフリーライドの機会が大きくなり過ぎる.集団行動問題が復活するのだ.

 
確かに狩猟採集民の肉の平等な分配や第一次大戦時のフランスでの大量の志願は「血縁淘汰」や「直接互恵性」では説明できない.しかしターチンははそもそも合理的選択で(すべてではないが)かなりの部分説明可能かもしれないという可能性を完全に無視している.肉の分配については,腕がよく気前のいいハンターは女性にモテること,さらに独り占めしたり自慢したりする人は嫌われ,配偶相手としても同盟相手としても好まれないことからかなりの部分説明可能だ.そして分配がヒトの超向社会性によるものだとするなら女性の採集してきた食料がなぜメンバーに分配されないかについて説明が必要になる.ここは肉が特殊であることから説明する方がはるかに説得的になる.志願については前述した通りだ.
 

  • 社会生物学者たちはヒトの超向社会性を説明することに失敗した.ドーキンスは「利己的な遺伝子」の最終章でこう認めている.「血縁淘汰と互恵性利他はヒトの遺伝子にさまざまな行動傾向や心理の基礎を形づけているだろう.これらのアイデアはうまくいきそうに見える.しかしそれらは文化,文化進化,世界中の文化の多様性を説明するという難問に立ち向かうまでには至っていない」

 
この部分は特に酷い印象操作だ.そもそもこの文章は最終第13章「The Long Reach of the Gene」ではなく,第11章「Memes: The new replicators」に現れているものだ.そしてここでドーキンスが難問としているのは「超向社会性」ではなく「文化」であり,さらにこの問題についてあきらめているのではなく,このあとのミーム概念を用いて説明できるとする主張の前振りというべき部分だ.この酷い引用にはただただあきれ果てる他ない.
 

 

  • ここまでが1990年代の半ば頃の状況だ.社会科学における合理的選択,生物学における自然淘汰という主流の理論はヒトの非血縁者にたいする大規模な協力を説明できなかった.そして第一次世界大戦の志願のような問題は(説明不可能なため)だいたい無視されていた.
  • 一部の科学者は言い逃れをしようとした.それは「ヒトが血縁者でバンドを作っていた時の血縁淘汰的な衝動が愛国的な宣伝により喚起されたのだ」というようなものだった.つまりそれは非合理的な流行,あるいはマキアベリ的エリートに操作されたものだという説明になる.
  • 別の科学者たちは問題を無視したり言い逃れをせずに真に学際的に問題に取り組んだ.これらの生物学者,人類学者,社会学者,経済学者はついにヒトの超向社会性のパズルを解くことに成功した.その理論はすべてに渡って組み上がってはいないが,問題の解答の一般的なアウトラインは明瞭になってきた.

 
この「言い逃れ(explain away)」という言い方も酷い印象操作だ.(私はこの血縁淘汰による志願の説明を支持しないが)祖先環境で適応として生じた心理傾向,行動傾向が現代環境で誤射するといういわゆる「ミスマッチ」の説明は言い逃れでも何でもなく,十分ありうる科学的仮説として扱われるべきだろう.また他者による操作というのも十分ありうる説明だろう.これを「言い逃れ」として否定するならターチンはその根拠を誠実に示すべきだと思う.
 
ともあれ,ここからターチンの主張が始まることになる.