書評 「チョウの翅は、なぜ美しいか」

 
本書はチョウの研究者今福道夫によるチョウのメスの選り好み型性淘汰に関する探求物語だ.チョウのオス間競争型性淘汰に関しては先日「武器を持たないチョウの戦い方」を読んでいろいろと面白かったので,次はメスの選り好み型もと思って手に取った一冊になる.
 
メスの選り好み型性淘汰は,クジャクやゴクラクチョウで有名で,オスが鮮やかな色や模様を持ち,メスがそれを選り好み形で進むものだ.そしてこのような鳥類においては有名ないくつもの研究がある.一方チョウにもオスとメスに性的二型があり,オスの方が鮮やかな種が多数存在する.しかし本書によるとチョウの選り好み型性淘汰の研究はあまり進んでいないのだそうだ.ということで著者はその謎に迫っていくことになる.
 

第1章 梢上の花

 
冒頭は著者の子供のころのウラナミアカシジミやアカシジミとの出会い,そしてチョウの採集に明け暮れた思い出から始まる.長じて著者は東京農工大に入り生物学を学び,そして京大の大学院に進む.そこでゾウリムシやヤドカリの研究をしていたが,農工大時代の恩師日高敏隆が京大の教授になり動物行動学の研究室を開いたことにより著者はその元でチョウの性淘汰の研究をすることになる.
 

第2章 クジャクの雄

 
第2章では性淘汰が簡単に解説される.ダーウィンの議論(「人間の由来」第11章の鱗翅目の記述が詳しく紹介されている)とウォレスの反論,そして二人の間の議論をかいつまんで紹介している.私もここで「人間の由来」当該部分を再読してみたが,やはりダーウィンの思索は深い.ダーウィンはチョウの翅模様について(大筋では)静止時に見える裏は保護色で,派手な表はメスの選り好みにかかる性淘汰形質だと考えていた.これに対してウォレスは表の派手な模様は交雑回避のための認識色だと主張した.二人の間の議論の論点は多岐にわたっており,メスが何を選んでいるのか(派手な模様を選んでいるのか,そのようなオスが持つ健康さを選んでいるのか),色自体の好みを示せるのか,交尾行動の際に模様が見えるのか,そもそもメスが選んでいる証拠はあるのかなどが議論された*1.この詳細やそれに対する著者のコメントはなかなか楽しいところだ.著者は最後に同性内性淘汰(オス間競争)と異性間性淘汰(メスの選り好み)の区別を解説している.
 

第3章 ミドリシジミの仲間

 
第3章では本書の主人公ミドリシジミが簡単に解説されている.なかなか詳しいし,学名の蘊蓄もたっぷり語られていて楽しい

  • ミドリシジミの現在の基本的分類を確立したのは白水隆だ.かつてこの仲間はZephyrus属にまとめられていたのでゼフィルスとも呼ばれる.
  • かつてのゼフィルス属のチョウは現在では(かつてのムラサキシジミ属のチョウと合わせて)シジミチョウ科,シジミチョウ亜科,ミドリシジミ族(tribe Theclini)とされ,その中は14属に分けられている.
  • 我が国ではミドリシジミ族を合計25種産する.このうちオオミドリシジミ属やメスアカミドリシジミ属の種のほとんどはオスが緑や青に輝く美しい翅を持ちメスは地味な羽根を持つ性的二型の種になる.ミドリシジミ族全体では約半数の種が性的二型で残りの半数が性的一型になっている.またこのグループは「ナワバリ型」と「メス探索型」の行動的な多様性も持つ.

 

第4章 三つの方針

 
著者はこの形態的,行動的な多様性を持つミドリシジミを使ってチョウの性淘汰の研究を進めることにするが,実はこのミドリシジミは樹上性で観察が難しく,年一化性で観察や実験の時期が限られるという扱いにくい対象になる.さらに1年かけて飼育してもなかなかケージ実験ではうまく配偶行動をしてくれない.ここではこのあたりの難しさがかなり詳しく語られている.著者はこの問題に対しては最終的にメスに糸をつけて飛ばしてオスの行動を観察するという手法を確立していくことになるが,それと並行して(いわば前提を固めるための)3つのリサーチを行うこととする.それはチョウの翅の色の調査,チョウの色覚の調査,チョウの色に対する反応の調査になる.
 

第5章 紫外線

 
第5章はチョウの翅の色の分析がテーマ.分光光度計により反射波長を測定する.何種かのミドリシジミのオス,メスの翅を分光光度計により反射波長測定する.その結果しばしばし紫外域に強いピークがあること(特に緑に輝く翅の多くは紫外域にピークがある),一山型と二山形のパターンに大別できそうなこと,近縁種で大きく異なっている場合がある(著者は交雑回避のための形質置換と推定している)ことなどがわかったとして簡単に説明されている.
 

第6章 ウラニア型

 
第6章はチョウの翅がどのように色を作っているかのメカニズムが解説される.おなじみの色素型と構造色型を簡単に説明したあと,構造色についてさらに深掘りされる.チョウの構造色には,鱗粉上面から隆起した縦筋に基づく「モルフォ型」,鱗粉自体の多層構造に基づく「ウラニア型」,鱗粉本体のクチクラの中の微粒子の三次元構造に基づく「フォトニック結晶型」の3つの型がある.著者はミドリシジミのオスの緑に輝く翅を走査型電子顕微鏡で観察,さらにその切片を透過型電子顕微鏡で観察し,鱗粉の仲の複雑な多層構造を見いだした.つまりミドリシジミのオスの緑はウラニア型構造色ということになる.
 

第7章 前照灯

 
第7章ではこのようなミドリシジミのオスの構造色の翅が観る角度によりどのように異なって見えるか(どの角度から見たらもっとも鮮やかなのか)が探索される.著者は装置を手作りして解析する.その結果メスアカミドリシジミのオスの前翅は上方からの光を大きく前方に(かつ水平面で60度ほど内側に),後翅はわずかに前方に(水平面ではわずかに内側に)偏って反射することがわかった.これは鱗粉を傾けることにより可能になっている.また前翅は光をある程度ばらまき,後翅は特定方向に反射する.これは鱗粉の向きのばらつきで説明できる(鱗粉の向きとそのばらつきは走査顕微鏡で観察して確認している).
著者はこの結果について光をばらまく前翅はメスへのアピールとして,強く一方向へ反射する後翅はナワバリオスの侵入オスへのディスプレイとして説明できるのではという仮説を提示している*2
 

第8章 紫外線知覚の発見

 
第8章は昆虫の色覚について.ここはそもそもヒト以外の動物に色の知覚があるかの探求物語からはじめられている.ヘスによる誤った主張*3,フリッシュによる厳密な実験(詳細が解説されている)によるミツバチの色覚の実証,ラボックによるアリの紫外線知覚の実証,ヴァイスによるさまざまな昆虫の走光性を利用した色の好みを調べた実験などが語られ,一般的に昆虫は紫外線領域に敏感であることが解説されている.
 

第9章 雌は雄の色を見るか

 
第9章はチョウの色覚について.導入部分でチョウの色覚について多くの研究があることにふれたあと,(第8章では行動学的手法による色覚実験が語られたが)電気生理学的手法でチョウの色覚を調べていく話になる.この分野ではスワイハートが草分けで翅の赤いアカスジドクチョウでは長波長域で,青いレイデスモルフォは短波長域で感度が高いことを示した.これに対して江口は日本産のチョウ35種を調べ,波長感度にはそのチョウの翅の色よりも系統的な影響の方が強いことを示した.
著者は測定装置を組み上げ,ムラサキシジミとミドリシジミの波長感度を調べる.ムラサキシジミは紫外と紫の境いに大きな第一ピーク,青色域に第2ピークがあるもので,明瞭な雌雄差(メスの方が第2ピークと長波長域の感度が高い)があった.ミドリシジミは性的一型9種と性的二型4種を調べ,すべての種で紫から青色域に第1ピークがあり,他の部分はばらついた.ばらつきの中では性的一型の種に翅の色と色覚の関係,および雌雄差(オレンジの種では長波長域で,青い種では紫外域でオスの方が感度が高い)が見つかった.オスの翅が青く輝く性的二型のミドリシジミでは翅と対応した感度ピークも雌雄差もなかった.
メスがオスの輝く翅を選り好んでいるなら性的二型のミドリシジミのメスに翅の色のところに感度ピークが現れてしかるべきところであるので,やや意外な結果というべきだろう.著者は淡々とこの結果からはダーウィンの選り好みは支持されないこと,この測定では色覚を網膜レベルでみているだけなのでこれだけでは結論は出せないことをコメントしている.
 

第10章 岩木山

 
第10章からはフィールドでの行動リサーチが語られる.最初の2章は導入ということで(メスの選り好み型性淘汰とは異なる視点からの)オスの行動が探られる.ミドリシジミ類の配偶行動の観察は彼等が高い梢付近にいるために非常に難しいが,著者は「ジョウザンミドリシジミが手の届くような低い所にたくさんいる」青森県の岩木山麓の場所を聞きつけ,そこでこの性的二型でナワバリ型であるジョウザンミドリシジミのオスのナワバリ保持行動や卍巴飛翔を観察する.そこではナワバリ保持者はほとんど常に侵入者との卍巴飛翔に勝ち,度重なる闘争を行いながら数日間連続して保持していることを見いだす.
続いて「より派手な翅のオスは侵入オスを抑制できるか」を調べることにする*4.ボール紙の台にオスを固定し,一部のオスの鱗粉を落として侵入オスの行動を比較する.結果は明瞭で,ジョウザンミドリシジミの侵入オスは派手なモデルに対しては侵入,着地するのを避ける傾向があった.侵入した場合侵入オスはモデルの上でくるくる回るように翔ぶ(著者は卍巴飛翔を試みているのかもしれないと解釈している)が,派手なモデルに対しては有意に方向転換を多く行った.
著者は特に強調していないが,これはオスの派手な翅がオス間闘争において有益な形質であることを示唆していると考えることができるだろう.
 

第11章 龍ケ崎

 
第11章では茨城県龍ケ崎での(性的二型でメス探索型の)ミドリシジミ(種名)のリサーチが語られる.ここでのテーマは「オスは焦げ茶で目立たないメスと緑で派手なオスのどちらに強く惹かれるか」で,オス,メスのモデルを作り(翔んでいるようにみせるために)回転させてオスの反応を見る.その結果は野外のオスはメスモデルの近くにより滞在するというものだった.これはオスは翅の色で雌雄識別ができ,かつ地味なメスの色を好んでいることを示唆している.(同じような結果はメスアカミドリシジミでも確認されている)
ここでミドリシジミのメスの翅模様には多型がある.焦げ茶一色のO型.前翅中央に大きなブルーの紋があるB型,前翅中央やや上側にオレンジの紋があるA型,両方の紋があるAB型になる*5.オスはこのどれをより好むのだろうか.頻度の高いO型とB型のモデルを使って調べてみるとB型がより好まれていた.ではB型メスの方が交尾回数が多いかどうかを調べるとそこには差がなかった(理由は不明とされている).
 
第10章,第11章の結果については淡々と書かれているが,この第11章の記述は私的には結構驚きだった.オスがメスを好むということに驚きはないが,この結果によるとミドリシジミのオスは自種の雌雄を判別できることになる(そしてこの結果は2015年の論文で公表されている).そうであれば(著者は本書において一切触れていないが)竹内剛の「武器を持たないチョウの戦い方」で提唱された汎求愛説の前提が(少なくともミドリシジミとメスアカミドリシジミについては)掘り崩されていることになる.竹内の見解が知りたいところだ.
 

第12章 翅を誇示しないオス

 
第12章からメスの選り好み型性淘汰についての探索となる.まずオスがメスに向けて輝く翅をディスプレイするのかがテーマとなる.糸を付けたメスをオスに提示し,オスの行動を観察する.ここでは,実験の詳細やオスがなかなか接近や配偶行動まで至らないことから来る苦労話が語られている.
結果は,性的二型のミドリシジミ,メスアカミドリシジミ,ジョウザンミドリシジミ,ウラクロシジミのオスはほとんど完全に翅を閉じたまま(輝くような美しい羽をみせない)で,むしろ性的一型のアカシジミやウラゴマダラシジミはメスのそばに着地後翅をバタバタさせたというものだった.(メスの生理的色覚と同じく)これもメスの選り好みがあるなら期待される行動とは異なったものだということになる.
ただしミドリシジミ以外のシジミチョウ(ヤマトシジミ,ウラナミシジミ),モンシロチョウ,キチョウ,ミドリヒョウモンなどでは求愛時に明瞭な羽ばたきがみられる.著者は,ミドリシジミは特に翅が派手なので捕食圧が高く,そのため翅を開かない求愛になっているという可能性を指摘している*6
 

第13章 雄に向かう雌

 
第13章ではメスの行動の観察が記述されている.性的二型でナワバリ型であるジョウザンミドリシジミとメスアカミドリシジミについてオスの縄張りの中にメスが侵入していく行動を観察する.とはいえ,ナワバリを見張っていてもめったにメスはやって来ないのでこれは大変な作業になる.ここではどのような観察ができたかが淡々と記述されている.
基本的にナワバリ内にメスが入るとオスがすぐに追い,近くの樹上で交尾することになる.そしてたった1件だが,メスアカミドリシジミのメスがオスに惹かれて進んだと解釈できそうな観察例を得たことが書かれている.
 

第14章 ヤマトシジミ

 
ミドリシジミは興味深い対象だが,とにかく観察が難しい.第13章の観察はたった1例なので,それを元に強い主張はできない.著者はいったん観察しやすいヤマトシジミでその配偶行動を調べることにする.(フィールド内の野生オスを除去した後*7)オスの翅モデルとメスの翅モデルを提示し,(飼育して育てた)未交尾メスがどちらに接近するかを調べる.結果,メスは有意にオスモデルに接近した.さらにその要因が明度か色彩かを調べ,メスは明度ではなく色で選んでいることを確かめる.これにより(ミドリシジミではないとはいえ,近縁で性的二型種であるヤマトシジミの)メスの選り好みを見事に示せたことになる.(この章は実験の詳細がなかなか楽しい)
 

第15章 モデルを花と間違える

 
第15章は前章のヤマトシジミのメスの実験を行ってみて気づいたことが書かれている.1つはメスはモデルより実際のオスに強く惹かれること(これは実物の翅の運動様式がモデルのような単純な動きではないことから説明できる),もう1つはメスによっては交尾ではなく吸蜜を欲している個体もあり,その場合には(花と間違えて)黄色で静止しているモデルに惹かれることになる.そしてここまでが著者自身によるチョウのメスの選り好み型性淘汰研究の本書執筆時点での到達点ということになる.
 

第16章 目を外に向ける

 
最終章ではチョウの雌の選り好みについて(著者以外の研究者の研究により)報告されていることがまとめられている.

  • シルバーグリードは(アメリカの普通種である)アメリカモンキチョウ(翅の色:黄色)とオオアメリカモンキチョウ(同:オレンジ)のメスがどのように交尾相手の種識別しているかを調べた.結果はアメリカモンキチョウは翅の色ではなく匂い(フェロモン)で識別しているが,オオアメリカモンキチョウは特有の紫外線反射も手がかりに使っているというものだった.
  • ルトウスキーはイチマツシロチョウのメスの交尾相手の好みを調べた.この種ではメスの翅は紫外反射がありオスにはない.メスは紫外反射のないモデルをより選んだ.
  • クレブスはトラフアゲハ(オスメスともに基本色は黄色だが,メスには黒いジャコウアゲハ擬態型もある)のメスに黄色への好みがあるか調べた.メスは(自然界には存在しない)黒い擬態型のオスモデルより黄色のオスモデルをより好んだ(この実験結果の詳細はかなり複雑なものになる).
  • この他の報告をあわせると現在のところメスによるオスの翅の色への好みはシロチョウ科4種,アゲハチョウ科2種,タテハチョウ科1種,シジミチョウ科1種(著者のヤマトシジミの報告)の計8種で報告されている.また好みが示されないネガティブな結果もアゲハチョウ科,タテハチョウ科,シロチョウ科で報告されている.

最後に著者は派手な色のオスは,よりナワバリを保持できてより配偶成功しやすいことがジョウザンミドリシジミ(第10章)とクロキアゲハで報告されており,同性間性淘汰を通じて美しいオスが進化したと考えられる種も存在することを指摘する.つまり,現時点ではチョウのオスの派手な色彩はメスの選り好み型淘汰産物であることを支持する種とオス間競争型性淘汰産物であることを支持する種がそれぞれいくつか存在するという状況だということになる.そして更なる研究がなされることを期待して本書を終えている.
 
以上が本書の内容になる.ミドリシジミのメスの選り好み型性淘汰を調べてきた経緯が(ネガティブな結果も含めて)淡々と書かれていて,その研究対象の難しさも含めたもどかしいほどのゆっくりとした進み具合がリアリティをもって感じられる.リサーチとしてはまだ道半ばということになるのだろうが,著者の苦労を追体験できるなかなか楽しい読み物だった.
 
関連書籍

チョウのオス間競争の研究物語.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2021/12/25/115323

 
 

*1:(本書では取り上げられていないが)今日的にみて最も興味深い論点は,メスが美しいオスを選り好むことにどんな適応的意義があるのかというウォレスの問いかけと,ダーウィンがこれに(珍しく)うまく答えられていない点だ.この論点は後にフィッシャー,ザハヴィ,グラフェンたちが詰めていくことになる

*2:ここで前肢の鱗粉が飛翔にとって重要ではないかというダッドリーの仮説が取り上げられていて,詳細が面白い

*3:ヘスは全色盲の人がスペクトルのうちどこをもっとも明るく感じるかという知見のみを基礎に実験を行って,高等脊椎動物には色覚があるが魚や無脊椎動物にはないという間違った結論にたどり着いたそうだ

*4:この調査が学生の時に著者の研究室に在籍しその後別の研究室に進んだ廣瀬君という大学院生の発案で始まった経緯が書かれている

*5:この模様がどこまで遺伝的に決まっているかについても説明がある.ブルーの紋は遺伝的に決定されている可能性があるが,オレンジの紋は環境依存決定であるようだ

*6:しかしこれは選り好み型性淘汰説にとってはかなり苦しい展開だろう.求愛前にメスがオスの派手な色彩をみる機会が十分にあるのか,メスが拒否するのはどのタイミングかなどがかなり重要になると思われるが,その点については特に触れられていない.

*7:これもなかなか大変な作業になる