War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その23

 
ターチンの協力の科学の学説史.ターチンはここまでドーキンスのような主流の立場では現にある複雑な状況を説明できないと批判し,しかしマルチレベル淘汰ではできると主張した.これは包括適応度理論(血縁淘汰)とマルチレベル淘汰理論の数理的等価性を無視したお粗末な主張だ.しかしその後驚いたことにヒトの超向社会性は(遺伝子頻度の増減を説明する)マルチレベル淘汰だけでも弱過ぎて説明できず,しかし文化的グループ淘汰で説明できると主張する.つまりここまで壮大に遺伝子頻度の増減をどう説明するかの話を振っておきながら,突然文化要素(ミーム)の増減の話にすり替えたのだ.遺伝子と文化の共進化や文化的ニッチ構築を主張するならまだ話はわかるのだが,そのように主張している様子は(少なくとも明確な形では)ない.ともあれその主張を見ていこう.
 

第5章 自己利益の神話:協力の科学 その9

  

  • ヒトは大きな脳を持ち,高度に発達した認知能力を持つ.明らかに,人々は100人以上のグループメンバーとの相互作用の歴史(誰が正直で誰が嘘つきかなど)にかかる情報を取り扱っている.さらに進化心理学者であるコスミデスとトゥービイは,人々の心には(潜在的協力者がフリーライダーを探知できる)チーター探知回路が実装されていると主張している.
  • つまり人々は社会相互作用に関してとても賢いのだ.このユニークな能力は人々を非常に効率的なモラリストにすることを可能にする.モラリストは単に協力するだけでなくフリーライダーに罰を与えることを思い出そう.二次のモラリストは罰を与えない協力者を探知して罰を与えるだろう.

 
ここで進化心理学の古典的な知見を紹介しているのは,ターチンが(しばしば社会学者に見られる)進化心理学嫌いでないことを示していてほっとさせられる.とはいえこれまでのターチンの主張との関連が示されておらず,どう考えているのか明らかではない.
ターチンは利他罰はヒトの超向社会性の現れで,ヒトの超向社会は血縁淘汰や互恵性では説明できず,そしてマルチレベル淘汰でも弱過ぎて説明できないが,文化的グループ淘汰を持ち出せば説明できるという立場に立っているはずだ.ここで紹介されているコスミデスとトゥービイの議論は基本的に互恵性の議論の上にある.あるいはチーター探知回路は超向社会性の中にははいらないという趣旨かもしれないが,チーター探知は利他的罰を与える対象を見極めることを可能にしているのであり,無関係ではありえない.このあたりは良く詰めて考えられていない印象を受ける.
 
そしてターチンの議論は利他的罰が文化的グループ淘汰により進化することになるはずだが,ここには議論の省略がある.ヒトは確かに賢いし,モラリスト的に振る舞う能力があるが,なぜ二次のモラリスト(利他的行動者)として振る舞うかが問題になる.それが賢さ(つまり熟慮的判断)から来るならそれが結局自分の利益(広い意味の効用)を増やしているという判断があるはずだし,情動(進化的産物としての本性)からきているならなぜそれが遺伝子頻度の増減として進化したのかが問われなければならない.コスミデスとトゥービイの議論は互恵性によりそれは結局行為者の利益になると主張していることになる.
ターチンはこれに対して互恵性では説明できないとし,文化淘汰で説明したいということになるはずだ.互恵性でないということはそれは長期的にも利他的だということで,文化淘汰として説明するにしても,もし本当に利他的な行動なら,熟慮や情動はそれを受け入れない方向に働くはずだ(これはミームと遺伝子のコンフリクトの問題でもある).文化だけで説明するならここを論じなければならない(その1つの方向は遺伝子と文化の共進化やニッチ構築になるはずだが,前述の通りターチンにそう主張している様子はない).
 
またこの部分の説明は超向社会性の中身として利他罰が強調されている.しかし本書の中でターチンが強調していたのは辺境におけるアサビーヤではなかったか.どうやら利他罰により戦争で有利になるようなアサビーヤが生まれるとターチンは考えているようだ.ここはかなり微妙なのではないだろうか.この部分は後にもっと具体的に説明されるので,詳しくはそこで見ていこう.
 

  • 今私たちが知っている限りで言うと,私たちの進化的祖先たちの社会組織はチンパンジーのそれと対して違いはなかった.しかしながら,肉を楽しむが極く小さな獲物しか捕らえないチンパンジーと異なり,私たちの祖先はアフリカのサバンナで大きな獲物をとることを学んだ.ヒトはいつしかゾウやマンモスなどの巨大な哺乳類を殺す方法を会得した.彼等がアフリカを出て他の大陸に広がった時,先史時代のヒトはその地の大きな動物をほとんど絶滅させた.だからシベリアのマンモスも南アフリカのオオナマケモノも現存していないのだ.アフリカの哺乳類と違って彼等はヒトとの共進化の歴史がなく,狩猟に対して防衛できなかったのだ.何がヒトをそんなにも恐ろしい殺戮者にしたのだろうか.それは歯やつ目ではなく,協力して狩猟する能力だ.
  • 大きな獲物の狩猟は初期のヒトをグループレベルの強い淘汰圧の元においた.協調した動きだけでなく,大きな獲物が発見された場所への移動がヒトを恐ろしい捕食者にした.サーベルタイガーやホラアナグマから身を守るには集団としての警戒と協力的な防衛が必要だった.そしてここでもヒトはうまくやり,これらの大型捕食者も絶滅させた.

 
これはヒトの知能の狩猟(のための協力)起源説ということになる.大きな獲物の協力によるし狩猟や捕食者からの防衛は,(そのなかでの裏切り要素は常にあるが)基本的に相利的な状況にある.だからこのような基本的な協力行動の(遺伝子頻度にかかる)進化の説明には個体淘汰で充分であり,血縁淘汰やマルチレベル淘汰の説明は必要ない.
ただし協力の中での裏切りに対処する必要はある.もしそれに対処するコスミデスとトゥービイの議論を受け入れるのであれば,それは(かなりの部分)互恵性で説明できることになる.前述したようにターチンの考えははっきりしないが,互恵性では利他罰は説明できず,説明するには文化的グループ淘汰が必要という立場をとるのだろう.
 

  • さらに重要なことは,ヒトが大型獣をうまく狩猟できるようになると,他のヒトを殺すことも容易にできるようになったことだ.どこかの時点で戦争(組織化された闘争)がグループ淘汰の最も重要な淘汰圧になった.
  • 初期のヒトが大きな戦争をしていたことを示す証拠がいくつかある.ヒトに最も近縁であるチンパンジーはしばしば戦争を行う.狩猟採集社会や農業社会でも戦争は普遍的にあった.キーリーはこれらの社会の男性の20〜60%は戦争で死んだだろうと推測している.補完法的に考えるとヒトの祖先も戦争をしていただろうということになる.直接的な証拠もある.洞窟絵画には互いに攻撃しあっているものがあるし,中石器時代の遺跡には防衛用の壁があるものがある.そして埋められた死体の頭蓋に矢じりが刺さっているものが発見されており,頭蓋への打撲によって殺された大人の男性の大量埋葬サイトも見つかっている.

 
そしてここでターチンは戦争が文化的グループ淘汰の最大の要因だと主張する.ここからターチンの戦争を淘汰圧とする文化的グループ淘汰による超向社会性の具体的な説明が始まる.