War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その24

 
ターチンの協力の科学の学説史.ターチンは利他罰はヒトの超向社会性の現れで,ヒトの超向社会は血縁淘汰や互恵性では説明できず,そしてマルチレベル淘汰でも弱過ぎて説明できないが,文化的グループ淘汰を持ち出せば説明できるとし,ヒトにはモラリストとして振る舞うことが可能な認知能力があり,それは協力して狩猟することから進化したと説明する.ここまでの流れはそれぞれの主張のつながりの議論が省略されていて,かなりルーズなものに感じられるところだ.そしてターチンはさらに戦争が大きな淘汰圧となったと議論を進める.
 

第5章 自己利益の神話:協力の科学 その10

 

  • 初期人類において向社会性行動が進化することがどれほどグループにとっての利益になったかを想像することはたやすい.
  • 利他罰進化の思考実験してみよう
  • (1)我々の類人猿的祖先を考えてみよう.彼等がすでに血縁者間で協力し,かつフリーライダーに罰を与えるモラリスト(家族的モラリスト)傾向を進化させていたとしよう.罰の部分は重要だ.なぜなら血縁者が常に協力するわけではないからだ.どんな家族にも厄介者や放蕩息子,同盟関係のための嫁入りを頑強に拒否する娘が含まれうる.家族メンバーを結束するには体罰や遺産分与の拒否などの罰が必要なのだ.このような傾向の進化は血縁淘汰で説明できる.

 
この部分は文化進化ではなく遺伝子進化を議論しているように読める.ここで読者としては頭を抱えざるを得ない.ターチンはヒトの(利他罰を含む)超向社会性を説明するには血縁淘汰では無理で,マルチレベル淘汰でも難しく,文化的グループ淘汰が必要だといっているのではなかったのか?
そして遺伝子進化の議論として読むなら,内容が精査に堪えない.ここでは利他罰が血縁淘汰で説明可能だといっているように読める.しかしこれは間違いだ.あるいはターチンは家族間の利他罰に限って血縁淘汰で説明可能だといっているのかもしれない.しかしそれも全くの誤謬だ.血縁淘汰理論によれば家族間には(クローンでない限り)コンフリクトがあり,その利他性や協力が完全なものや無限大なものになることはない.血縁淘汰で(そしてそれと数理的に等価なマルチレベル淘汰で)利他罰を説明することはできないのだ.
 

  • 家族的モラリストを含む血縁グループは,罰のない血縁グループより高い協力を可能にし,より高い適応度を得るだろう.この結果家族的モラリズムは個体群に広がるだろう.

 
ここでターチンは全くのナイーブグループ淘汰の誤謬に陥っている.前段の学説史解説ではこのナイーブグループ淘汰の誤謬を指摘していたにもかかわらず,ここで自らその罠にはまっているところを見ると,ターチンは理論編で(おそらくDSウィルソンの)受け売りをしているだけで,実際にはきちんと理解できていないのだろう.
 

  • (2)ここで,その血縁淘汰的モラリスト集団に,非血縁者である友人に対しても「誤って」(利他罰を含む)利他的に振る舞う認知的突然変異体(真のモラリスト)が生じたとしよう.私はここで仮想的シナリオのように記述しているが,ヒトの社会がまさにこのような突然変異体により進化したということは十分ありうるだろう.私たちが協力を求める時に血縁的な用語(強い絆で結ばれた兄弟たち; a band of brothers,国父,母国)が極く自然に使われていることを考えてみよう.

 
この部分の「認知的突然変異体」が遺伝子的な意味なのか,文化的な意味なのかがはっきりしない.これまでのターチンの記述から考えると前段までは遺伝子的な進化で,ここからが文化的進化ということになるのだろう.ここからはそういう前提で読んでみよう.
 

  • いったん(家族的ではなく)真のモラリスト行動が生じると,このモラリストたちを含むグループはより大きな戦闘集団を作る能力を獲得する.なぜならそれは血縁者に限られないからだ.大きくなった戦闘集団内の協力はモラリストによるフリーライダーへの罰で保たれる.それにより彼等は家族的モラリストで構成される小さな集団と同じような結束を得られるのだ.このようにしてグループレベルの淘汰は真のモラリスト的行動を広げる.

 
文化的な意味での真のモラリスト的行動が流行したとするなら,そのグループがより大きな戦闘集団を作れるというのはありそうな話だ.しかしここで問題なのは大規模で有能な軍隊をつくる方法はそれだけかということだ.そこに吟味がなければこの議論全体の信憑性は保てないだろう.そしておそらく有能な軍隊をつくる方法は別にある.例えばグループや家族が同盟した方が防衛上得だと理性的に説得する方が何らかの文化的突然変異を待つよりはるかに速く大きなグループを作れるだろう.裏切りを防ぐ罰は制度をうまく構築すれば利他的でなくとも良い.そのような意味の文化進化の方がはるかに説得的ではないだろうか.
 

  • この時モラリストへのグループ内淘汰圧は非常に小さい.なぜならいったんモラリストがグループを協力的平衡に導いたあとは,罰の行使頻度が非常に小さくなるからだ.ゆっくりとしかし確実にモラリストに支配された大きなバンドが,血縁協力的な小さな集団を置き換えていく.

 
この部分もターチンの説明は粗雑でスロッピーだ.まずこれが文化進化の説明なら,文化要素は水平伝達や斜行伝達が可能なので,利他的行為がグループ内で(文化伝達的に)不利かどうかをまず議論しなければならない.そして文化的グループ淘汰の議論は,水平伝達や斜行伝達が大きいので,グループ内でも不利ではないという形で進めるのが普通だろう.まずここの吟味がない.
そしてもしモラリスト的行動傾向は(文化伝達の意味でも)グループ内で不利だとするなら(ターチンはそういう前提に立って議論している),議論はモラリストがグループ全体を支配したあとだけではなく,まずそのような突然変異体が増えていけるかどうかを議論しなければならないはずで,一気に「いったん協力的平衡に達したあと」に限定するのは,全く議論として不十分だ.
さらにこの議論はコストを利他罰のコストだけに限定しているが,ターチンによる議論では(戦争志願などの)利他的協力行為全体のコストを議論しなければならないはずだ.ここでも重大な議論のすり抜けがある.