War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その25

 
ターチンの協力の科学の学説史.ターチンは利他罰はヒトの超向社会性の現れで,ヒトの超向社会は血縁淘汰や互恵性では説明できず,そしてマルチレベル淘汰でも弱過ぎて説明できないが,文化的グループ淘汰を持ち出せば説明できるとし,戦争を淘汰圧とした具体的な進化シナリオを説明する.しかしシナリオは遺伝子の話か文化の話かを区分けせずにルーズに進み,その中には血縁淘汰で家族内の利他罰が説明可能とかの誤謬が含まれ,文化グループ淘汰として読んでも全くスロッピーな説明に終始する.説明はさらに続く.
 

第5章 自己利益の神話:協力の科学 その11

 

  • 以上述べたようなグループ淘汰シナリオでは,駆逐された集団メンバーがすべて殺される必要はない.ありそうなのは,負けた集団は崩壊,あるいは解体し,生き残ったメンバーは勝ち残った集団への参入を望むというシナリオだろう.
  • さらに,文化的グループ淘汰は遺伝的グループ淘汰より速く進む.個別のモラリストメンバーが非常に成功したハンターやカリスマ的人物であればグループの若いメンバーから模倣されるだろう.そうなればモラリスト的行動はグループ内で迅速に増えるだろう.

 
ターチンは自分のシナリオはグループ淘汰プロセスだとしている.しかしこの後段部分の議論について言えば,そのミームの広がりは単純にグループ内の伝播で広がっており,グループ淘汰とする必要はなく,単に文化進化とすればいいだけだ.問題はモラリストで成功したハンターとモラリストではなく(そのコストを負わない)成功したハンターの両方がグループにいた場合どちらが模倣されるのかというところだろう.この議論では後者に分がありそうだ.この前者のミームが広がるためにはまさにモラリストであることが模倣されやすさにつながっている必要があるだろう.そしてそれは何らかの評判や社会淘汰(いずれも間接互恵性的な個体淘汰)なら説明できそうだが,それ以外では難しいように感じられる.
ただし,ターチンは次に真に文化グループ淘汰と呼べるシナリオを提示する.
 

  • しかしながら他のグループは常に成功したグループが何をしているのかを観察しているし,そこで行われている様々な慣習を真似ることができる.ムハンマドからの宗教的戒律という形のモラリズムは他の集団にも迅速に広がった.もちろんグループレベルの模倣も,利益になる習慣だけでなく害になる習慣についても生じる.モラリストが優越していた集団に,高度にカリスマ的なならず者が含まれてしまうことも起こる.しかしならず者行動が模倣により広がるなら,その集団は団結を失い,近隣のモラリスト集団に敗北するだろう.つまり,グループ間の競争が向社会行動を広げ繁栄させるのだ.文化伝達は進化速度を上げる.

 
このプロセスは確かに文化的グループ淘汰と呼ぶに相応しい.軍隊を弱くするような慣習を真似たグループは(仮にそのような模倣の方がグループ内で広がりやすかったとしても)確かにグループレベルの淘汰を受けるだろう.問題はどのような慣習の真似をしたグループが戦争に勝ちやすくなるかだ.ターチンはローマ辺境を例にとってそこを説明しようとする.
 

  • 北西ヨーロッパのローマ帝国辺境を思い出そう.ローマが彼等ゲルマン部族と最初に接触した時には,ローマの方が軍事能力において明らかに勝っていた.ローマとゲルマンの文化は様々な要素で異なっていた.ゲルマンはどれを真似ただろう.ゲルマンはズボンをはき,ローマ人はそうではない.ズボンを手放したアホなゲルマン人は次の冬の寒さに困惑しただろう.これに対して規律をもって密集して一列で闘うというやり方を真似たゲルマン人は,それが役に立つとすぐにわかっただろう.ポイントは事前に何が役立つかわかっている必要はないということだ.いろいろ真似ていれば,そのうち当たり籤を引ける.それに加えてヒトは賢いので,どれが役に立ちそうかを洞察することもできる.

 
何を真似たグループが戦争で規律をもって密集して一列で闘う軍隊を持てるのか.
ターチンはそれは「団結心」あるいは「アサビーヤ」に違いないという議論をここで行っていることになる.確かに団結心が文化的模倣だけで生じるならそれは1つの候補になるだろう.しかし真の自己犠牲的な団結心が文化的模倣だけで生じるだろうか.少なくとも何らかの遺伝子的に生じるヒトの本性がベースにあって,その上に文化的要素が乗らないと難しいのではないだろうか.まずこのあたりの吟味が必要だろう.
次に,そのような吟味の末,団結心が文化的模倣で生じることが認められるとしよう.しかしその場合にも鉄の規律をもつ軍隊を作るには「軍隊規律を守った個人が利益を得られるような制度的工夫」や「(その他の資質に問題あっても有事の際には)有能な将軍をリーダーに任命できるような制度的工夫」の方が有効かもしれない.また向社会性の高い文化を持つグループは人質をとられた場合に脆弱かもしれない.このような議論に説得力を持たせるにはこの部分の具体的な吟味が必要であるように思われる.しかしターチンがその部分の考察を行っているようには見えない.
ターチンの議論に特に欠けている重要な論点は,うまい制度的な工夫があれば,利他罰でなくとも,制度的な罰の仕組みを作ることは可能であり,規律をもった軍隊を創設可能ではないのかというところだろう.