War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その26

 
ターチンの協力の科学の学説史.ターチンの文化的グループ淘汰の説明は,いくつかのルーズな議論を経たあと,ようやく文化的グループ淘汰と呼ぶに相応しいプロセスを挙げる.それはいろいろな真似をしているうちに強い軍隊を作れたグループが生き残り,そのような文化が広がるというものだ.ターチンのここまでの論旨からすれば,そのような強い軍隊は利他罰やアサビーヤの文化で生じるということになる.
このターチンの議論の問題点は,強い軍隊を持てる文化は利他罰的なものだけかということについての吟味がないことに思われる.
ともあれターチンは先に進む.
 

第5章 自己利益の神話:協力の科学 その12

 

  • 文化的進化の速度が速いことについてもローマ帝国辺境を思い出そう.文化的グループ淘汰は,アルミニウスやマルボドゥスなどのカリスマ的リーダーとその一行の栄枯盛衰として現れる.それぞれの新しい戦士グループは異なる組織構成をとり,メンバーは異なる規範を内部化する.辺境ではグループ淘汰圧力が非常に強いのでグループは素早く形成され,解消される.最も成功したグループ,つまり偶然あるいはデザインによって最も有利な文化的要素を得たグループのみが生き残る.
  • 問題になる文化要素は軍事的なものだけではない.女性を大切にしない軍事グループが機能する社会になったことはないし,永続したこともない.

 
この部分の前段は強い軍隊を持てる文化はそのグループの戦争を通じた栄枯盛衰とともに広がる(つまり文化的グループ淘汰を受ける)というもので,その速度は非常に速いという趣旨だ.ここは(その強い軍隊がどのような文化的要素によってもたらされているかを別にすれば)その通りだろう.
後段部分がなぜここに挿入されているのかはよくわからない.タリバンのような軍事グループが(文化進化として意味ある程度には長い)短期的あるいは中期的な成功を絶対に達成できないとはいえないだろう.文化的グループ淘汰を考えるなら,女性を抑圧することにより強い軍隊を作れることができるなら,それは広がるはずだ.そして前近代までの多くの成功した社会は多かれ少なかれ女性抑圧的だった*1.これは文化的グループ淘汰が酷い結果を招きうるという論理的な帰結を認めたくないリベラル的な心情が書かせたおまじないのようなものだろうか.もし本当にこの趣旨を主張するなら,もっと詳細に説明すべきだろう.
 

  • ヒトが非血縁個体と協力できる能力を進化させた時,彼等は友人・知人と敵や信頼できない人と区別するために,対面のインタラクションと記憶に頼った.そしてここにはマルコム・グラッドウェルがいう「社会経路能力(大規模社会で生きる複雑性に対処できる能力)」ヘの強い淘汰圧があっただろう.結局協力を確実にするには,ある人物があなたに何をしたかだけでなく,他の人たちに何をしたかを知っておく必要があるのだ.社会をうまく回すの複雑なビジネスだ.
  • しかしこの社会経路能力をある程度以上あげることはできない.私たちは(相互作用を別にしても)地球上のすべての人を記憶できるわけではない.そして相互作用の数はメンバー数が増えると爆発的に増加する.この扱えるリミットは大体150人でダンバー数として知られ,狩猟採集部族のメンバー数に近い.

 
ターチンはダンバー数を説明する.これはヒトの進化環境で生じる(つまり洪積世の狩猟採集社会における)内集団の規模だと考えられている.この規模までならヒトはそれぞれ個人的な記憶を持ち相互作用することが容易にできるが,これを超えると難しくなる.ここまでのターチンの説明に問題はない.しかしここからいきなり怪しくなる.
 

  • 私たちにはこの限界があるが,グループ淘汰はそれより(そしてライバルより)大きな軍隊(あるいはそれを可能にする経済規模)を持つグループを有利にする.そして進化は対面インタラクション以外の識別方法を進化させた.それがシンボルを扱う能力だ.これがヒトの超向社会性を可能にしている重要な側面なのだ.ヴィゴツキーはすべてのヒトの高次認知能力は社会性の起源を持つと主張している.(シンボルが社会グループを表すのに用いられることについて,トーテムポールやローマ軍の鷲のエンブレムを例に説明している)

 
ここまでのターチンの議論を前提にすると,ターチンはシンボルを扱う能力がより強く大きな軍隊をもつことを経由して文化的グループ淘汰で生じたと主張していることになる.しかしこのような認知能力的なものが,何らかの模倣の連鎖によって生じるはずがない.これは遺伝子的な進化で説明すべきものだ.
ただし,シンボルを扱う能力によりヒトが進化環境にあった内集団の規模より大きな集団に帰属意識を持てるようになっているのは確かであり,それがヒトの超向社会性の重要な側面であるという指摘も正しいだろう.しかしそれは文化的グループ淘汰で説明できるものではなく,例えば内集団ひいき傾向が個体淘汰的に有利だったこと,シンボルを扱う能力が複雑な社会関係,言語,道具を扱うことを容易にするために個体淘汰的に有利だったことから説明する方が説得力があるだろう(この仮説をとるならシンボルを扱う能力により軍隊が大きく強くなれたのはある意味副産物ということになる).

*1:ターチンはこの文章を過去形で書いている(Military bands that did not treat their women well never became functioning societies)ので,これまでのすべての成功した軍事グループが女性を大切に扱ってきたという歴史的認識なのかもしれない.最終的にはtreat their women wellという言葉の定義の問題かもしれないが,素直には肯定しがたいところだ.