War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その29

 
ターチンの戦争と平和と戦争.理論編だった第5章を終えて,またケーススタディに戻る.第3~4章ではローマ帝国崩壊後の世界が採り上げられたが,ここではそもそものローマ帝国の起源が扱われる.
 

第6章 オオカミに生まれつく:ローマの起源 その1

 

  • 帝国の興亡の理論があるなら,それはローマ帝国を取り扱えなければならないだろう.広大な地域に平和をもたらしたパクスロマーナは西ユーラシアの人々に理想的な状態とは何かについて消えることのない印を刻んだ.多くの人々がローマをモデルにした国を作ろうとし,そのローマという名を受け継ごうとした(東ローマ帝国,神聖ローマ帝国,モスクワ第3ローマ,ルームセルジュク朝,そして現代のルーマニア).キリスト教の神学者たちは彼等の神の帝国をローマ帝国のより美しい正義的なバージョンだと考えた.
  • 私はここで,私の理論つまり「帝国はメタエスニック辺境で興る」の検証をするためにローマを用いる.

 
この部分は導入ということになる.やはり欧米の歴史家としてはローマ帝国の説明は非常に重要なテーマということになるのだろう.だから理論編を説明した後のこの第6章で取り扱うということになっているのだと思われる.
 

  • 紀元前400年のヨーロッパは文明エリア(アケメネス朝ペルシア,エジプト,ギリシア,地中海沿岸のギリシアとフェニキアの植民都市,北イタリアのエトルリア)と非文明エリア(大半のヨーロッパと北アフリカ)に分かれていた.文明サイドは中央および西地中海で非文明エリアに(植民や文明の継受などを通じて)拡大していた.非文明サイドは国家や文字を持たない部族的な人々が住んでおり,非常に好戦的だった(ラ・テーヌケルト).
  • 両エリアの境界はイベリア半島の南東部,南フランス,中央イタリア,北ギリシアにあり,典型的なメタエスニックの辺境だった.そして私の仮説通りに,この辺境地帯からカルタゴ,マケドニア,ローマが興隆した.そしてローマがカルタゴとマケドニアを打ち破り大帝国を打ち立てたのだ.
  • ここからどのようにローマが興隆したのかをみていこう.

 
まず見取り図が示され,ここから詳細な解説ということになる.具体的な歴史に戻ってなかなか楽しい.