War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その30

 
ターチンによるローマ帝国の起源.当然ながら起源地がメタエスニック辺境であったことの説明から始まる.
 

第6章 オオカミに生まれつく:ローマの起源 その2

 

  • ローマの特徴は2つの辺境を続けて経験したことだ.
  • ローマの形成はイタリアの地理とそこにどんな人々が住んでいたかで説明できる.イタリアの農業に適した平地はポー川流域(ポー平原),ティレニア海とアペニン山脈に挟まれた中央イタリア低地(ティレニア),南の半島先端の3つだ.
  • 紀元前8世紀頃,ティレニアの北部にはエトルリアがあり,南はラテンを含む様々なイタリア諸部族が住んでいた.エトルリアは,非インドヨーロッパ語族の言語を持ち,文化的にラテンやその他のイタリアの部族と全く異なっている.
  • また紀元前8世紀にはギリシアが南部イタリアに植民を始めていた.ギリシア人とフェニキア人の商人たちはその都市的で文字を持つ文化を中央地中海地域に広げており,エトルリアはそれを熱心に取り入れた.我々が知る限りエトルリアが政治的に統一されたことはなく,言語と宗教的文化を共有する12都市の緩い連合体だった.
  • 紀元前7世紀にはエトルリアは中央イタリアを支配し,ポー川流域にまで拡大していった.彼等はサルディニアやカンパニアに植民し,ギリシア人と争ってもいた.

 
メタエスニック辺境を形成する文明側には謎めいたエトルリアが登場する.このあたりはローマ史を読んだことがあればおなじみのところだ.
エトルリアはなお謎に包まれているだけあって日本語の本は少ないが,いくつか刊行されている.
 


 

  • エトルリア文明の繁栄は近隣の野蛮なイタリア部族たち,特にティベル川を挟んで相対していたラテン部族に大きな影響を与えた.ラテン部族も政治的に統一されていなかったが,共通の言語と名前で文化的に結びついていた.
  • ティベル川に沿ってより進んだ文明であるエトルリアとラテンの文化的辺境が形成された.しかしその辺境だけみればかなり地域的なもので,私の理論からいけば偉大な帝国が興るようなものではなかった.しかし理論はそこでまとまりのある地域国家が興ることを予想する.そしてそれは実際に興った.

 
ここがターチンによるローマの興隆の説明部分になる.まずエトルリアとの辺境で団結心のあるラテン系国家が成立したということになる.ここからターチンは「辺境における団結」を説明する前にローマの外部取り込み能力を語る.
 

  • ローマは,ティベル川沿いの着岸しやすい地域のエトルリアとラテンの辺境都市として始まった.この立地はティレニアの水運の要地であり,後のローマの発展に大きく役立ったが,辺境にあったということはさらに重要だった.
  • ローマの起源神話にはラテン部族,サビーネ部族,そしてエトルリアの文化が混合している様子が表れている.ローマ人は自分たちのメタエスニックな出自を自覚しそれを誇っていたようだ.紀元前504年にサビーネのリーダー,アッピウス・クラウディウスはその配下の軍勢500人とともにローマに移住し,パトリキ貴族とされ,土地を与えられた.このクラウディウス一族は後のローマ政治に大きな影響を与え,幾多の皇帝も輩出している.また古典期のローマの支配者にはサビーネ出自のもの(ティトゥス・タティウス,ヌマ・ポンペイウス)やエトルリア出自のもの(タルクィウス諸王)がいる.この外部出自のグループや個人を取り込む能力はローマがラティウムの境界を越えて拡大した時に大いに役立った.

 
このローマの外部出自のものを寛容に取り込む姿勢は有名で.アテナイとの比較がよくなされるところだ.エトルリア系のタルクィウス諸王については寛容に取り込んだというより,むしろ(おそらくその前の軍事的敗北により)エトルリアに支配されていたのを,紀元前509年に追放して支配権をラテン系に取り戻したという風に描かれることの方が多いだろう.