War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その33

 
ターチンによるローマ帝国の起源.まずエトルリアとローマの間に文化的辺境があり,そこでローマは領域における軍事的強国になったが,紀元前5世紀にはいったん循環的な内部抗争期に入った.紀元前4世紀に入り循環が一周回るとともにローマはガリアとの真のメタエスニック断層線に直面する.
 

第6章 オオカミに生まれつく:ローマの起源 その5

 

  • ローマはそれから4世紀の間,つまりカエサルによるトランサルピーナ(アルプスの向こうの)ガリアの征服(紀元前51年)までガリアと戦い続けることになる.
  • 紀元前4〜3世紀の間は,ローマとその他イタリア半島の住民は,ガリアに時に大規模に侵入され,そうでない時も常に小規模の襲撃に悩まされ続けた.それが終わったのは紀元前3世紀の終わりにローマがポー平原を征服するにたる軍事力を得たときだった.軍事行動は成功したが,効果(平和)は長続きしなかった.
  • 紀元前218年,ハンニバルがアルプスを越えてイタリアに侵入し,その軍隊はイタリア半島に17年間も居座ることになる.しばしば見過ごされているのは,ハンニバルの軍隊においてアルプスを越えて連れてきたアフリカとスペインのカルタゴ部隊の規模は小さく,その過半はポー平原でリクルートされたガリア人部隊だったということだ.そして軍事行動が長引くにつれてガリア人部隊の占める比重はさらに大きくなっていった.つまりハンニバル戦争はもう1つのローマとガリアの戦争だったのだ.
  • ハンニバルによってローマは屈服寸前にまで追いつめられ,ローマ人の心にガリアへの恐れは深く刻まれたが,それにもかかわらずローマはハンニバルを追い払った後すぐにチザルピーナ(アルプスの手前の)ガリアの再征服に着手している.ローマは毎年のように軍事行動を続け紀元前190年に再征服を完了する.
  • 戦争に伴う残酷行為が当たり前だった時代とは言え,ローマによる降伏したガリアへの処断は厳しいものだった.それまでの征服した部族への,時に同盟相手だったり市民同士だったりというローマ的共同体の一員という扱いはガリアには拡大されなかった.ローマはポー平原を征服したあとそこで「民族浄化」を行った.これはローマ的慣行の例外だ.激しく憎んだカルタゴに対してさえ,その都市こそ徹底的に破壊して塩をまいたが,その領域の農民たちにはそのまま残ることを許したのだ.

 
ハンニバル戦争(第2次ポエニ戦争)が実はローマ対ガリアの戦いだったというのは面白い視点だ.軍事的に見ると,ハンニバルの戦略,戦術はまさに地中海文明の洗練を経たものであり,見事な作戦でローマ軍を翻弄した.これを野蛮なガリアと見るのはなかなか斬新な視点だ.普通は地中海文明軍に傭兵としてガリア人部隊が含まれていたと見るものだろう.これが実質ガリアだというなら軍としての行動に野蛮さがあったことをきちんと示すべきではないかという気もするところだ.
 

 

  • ガリアのイタリアへの侵入とアルプス沿いのメタエスニック辺境の成立はローマの興隆の決定的な要因だ.その接触は最初ローマの劫掠として始まり,貴族と平民たちに衝撃を与え,この危機に際して協力することの必要性を納得させた.恐るべき野蛮人に直面して,内部的抗争をしている余裕はなくなった.長く続いたパトリキとプレブスの抗争はわずか1世代で収束し,法的な差別は撤廃され,パトリキと有力プレブス層は融合し,新たな支配階層ノビレスとなった.経済的な問題も債務の一部免除,人口減少と移民の受け入れ,領土の拡張によって改善した.これらは軍事力の強化につながった.
  • ガリアとの辺境はローマ内部だけでなくイタリア統一,そしてさらに地中海地方の統一も容易にした.イタリア半島のローマ以外の文明市民も同じくガリアに恐怖し,自ら進んで興隆するローマ帝国に加わるようになった.紀元前390年までローマとエトルリアは常に戦争状態だった.しかし彼等がともにガリアとの脅威に直面したことを認識したあと戦争はなくなった.実際に(エトルリア都市)クルシウムはガリアに攻囲され,同盟も相互援助条約もなかったローマに救援を求めたし,ガリアの脅威に最も晒されたヴェネティ族はローマの最も忠実な同盟相手となった.
  • 同じようなロジックは強度は劣るが南イタリアにも当てはまった.彼等は独立を望んだが,選択を迫られればガリアではなくローマに服属することを選んだ.これはハンニバル戦争のローマが最も苦しい時でも多くの都市国家がローマを見捨てなかったことを説明する.
  • ポリュビオスはガリアの脅威の効果をこう描いている:「ガリアの脅威が迫っていることを知り,ローマの支配層は軍隊を編制し,イタリアの同盟市の軍を招集した.同盟市たちは,ガリアの侵入を同盟相手の危機だとか,ローマの覇権を覆すものだというふうには考えもしなかった.彼等は自らもガリアの脅威に直面していると考えた.故に彼等はすぐにこのローマの求めに応じたのだ.」

 
このあたりはいかにものターチン節で楽しい.私としては前回も指摘したが,ガリアとの戦いの影響とその他のイタリア諸勢力との戦いの影響の比較考察がほしいところだ.