War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その43

 
ターチンのフランク帝国とその後継国家群興隆物語.カロリング朝フランク帝国の対イスラム辺境編.ここまでレコンキスタの歴史が描写された.最後にその後に与えた影響が語られる.
 

第7章 中世のブラックホール:カロリング辺境におけるヨーロッパ強国の勃興 その4

 

カロリング朝の対イスラム辺境 その3

 

  • レコンキスタが終了し,辺境が消滅した時に,軍組織の有用性も終わった.皮肉なことに彼等の最後の活躍はカルロス5世に対するコムネロの反乱においてだった.しかしこの軍隊の伝統は後のスペインの歩兵部隊のテルシオにむけての軍事的進化に影響を与えた.テルシオは槍兵(パイク兵)と火縄銃兵の混合部隊で,パイクは騎兵の攻撃からの防衛に用い,火縄銃で攻撃した.このテルシオは16世紀欧州でのスペインの支配的な軍事力の元になった(この槍兵と銃兵の協働は17世紀に銃剣が発明されて消滅した).

 
近代ヨーロッパの軍隊や戦術の歴史を語る本は,大体スイスのパイク槍兵(およびそれを継承したオーストリアのランツクネヒト)とスペインのテルシオから始めている(そこからフランスの重騎兵,オランダのマウリッツの軍事改革と続くことが多い).この軍編成と戦術は当時の先進的なイノベーションだったのだ.
 

 

  • 英米の歴史家はスペインの栄光と力を軽視しがちだ.しかし16世紀から18世紀まではスペインは欧州のスーパーパワーだった.スペインは16世紀の初めにはインド,アフリカ,アメリカに勢力圏を広げ,フランスを打ち負かしてナポリ,ミラノ,フランダースを獲得し,神聖ローマ帝国にも勝利した.
  • スペイン帝国の中核はカスティリアだった.カスティリアは1人当たりでより税を負担し,兵を出し,海外征服事業を牽引した.彼等はスペイン帝国内での協力のコツを知っていた.歴史家のカーメンはその著書「帝国」の中でこう議論している:スペイン帝国はカスティリア人によるアラゴン人,イタリア人,フランドル人,ドイツ人,そして中国人とアステカ人との協力事業体だ.イタリア人の財政,ドイツ人の技術,フランドル人の交易はカスティリア人の軍事能力とともに帝国の成功に欠かせないものだった.
  • カスティリアはイベリアの辺境国家として成立した.コルテスやピサロに率いられて新世界を征服したような荒くれ者の冒険者たちや,他のヨーロッパ軍隊を打ち負かしたテルシオは,レコンキスタでムーア人と闘ったキリスト教軍隊の直系の子孫なのだ.辺境はカスティリアを「戦争のために組織された社会」に変えた.しかしそれは単なる効率的な戦闘マシンに変えただけではない,それは人々の国民性を,深い信心,粘り強さ,ユーモアのセンス,協力する能力を持つようにして,帝国を可能にしたのだ.

 
このイベリア辺境説明の最後でターチンは十八番の「アサビーヤ」の議論を展開している.これまでのターチンの議論では辺境で団結心が生まれることについては主に防衛の局面が強調されていたのに対し,ここではレコンキスタで戦ったことがそれを導いたとする.しかしこれまでのターチンの描写では領土回復(つまり新たな征服)欲に導かれて各自ばらばらに戦ってきた印象だ.もちろん侵略にするにも団結して協力した方がいいという趣旨だろうが,規律や制度の重要性がより高かったのではという感想だ.
次は北フランスの辺境がテーマになる.