Enlightenment Now その67

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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第22章 科学 その2

 
ここからはピンカーの科学擁護の議論になる.
 

  • 科学的思考の推奨は「科学ギルド」メンバーだけが賢くて高潔だということを意味するわけではない.科学の文化は真逆の信念に基づいている.それは,オープンな議論,ピアレビュー,ダブルブラインドテストなどの態度に良く現れている.
  • そしてそれはすべての決定権を科学者にという意味でもない.多くの科学者は政治や法には疎く,しばしば極めてナイーブな政策アイデアを持っていたりする.問題はどのように集合的決定を行うかなのだ.
  • そしてそれは現在の(受け入れられている)科学的仮説がすべて正しいということも意味しない.科学は仮説と検証を積み重ねて進んでいく営みだ.多くの科学批判者はいくつかの通説が否定されたことをもって科学は絶対ではないといいたがるが,彼等は科学がどのようなものかを理解していないのだ.
  • 別の科学批判には「科学は物理世界に関する事実を扱うのであって,価値や社会や文化にコミットするのは論理的誤謬だ」というものがある.これは命題と規律を混同する議論だ.確かに科学は実証的命題を扱い,それは論理的命題や規範的命題とは異なる.しかしだからといって科学者が論理的命題や規範的命題を扱ってはならないということにはならない.それは哲学者が物理世界について口出しできないということにならないのと同じだ.

 
このあたりはドーキンスたち新無神論者が行う,グールドなどの宗教擁護側からの「科学は価値の問題に口出しすべきではない」という主張への反論と同じになっている.科学は実証的命題を扱うが,もちろん科学者は何を言ってもいいのだ.しかしピンカーはさらに深くこう主張している.これは科学者の1人としての自負でもあるだろう.

  • 科学者は実証的事実を扱いながら,数学の正しさ,理論の論理性,科学という営みの価値に日々熱中している.それは多くの哲学者が純粋のアイデアの世界に閉じこもらずに自然世界に目を向けているのと同じだ.現代的な「科学」のコンセプトは哲学や論理と一緒にあるのだ.

 
次にピンカーは何が科学を特別にしているのかに進む.通常の科学擁護だと仮説構築とその検証という体系による知識の集積とアップグレードが取り上げられるところだが,ピンカーはそこに進む前にまずさらに深い部分を問題にしている,ここはなかなか面白い.そして仮説と検証についても,それはベイジアン的なプロセスだと解説している.
 

  • では科学を他の論理的営みから分かつものは何か.それは学校で教えている「科学的手法」ではない.科学者は世界を理解するためにはどんな方法を使ってもいいが,それらは大きく2つの理想(ideals)に乗っかっている.
  • 1つ目の理想は「世界は理解可能だ」というものだ.いま表面にある現象はより深い原則によって説明可能だと考える.そしてそれらの原則もまたさらに深い原則で説明可能かもしれない.これは単なる信仰ではない.それは世界の多様な現象が科学的にどんどん説明できてきたことによって正当化され続けている.
  • 科学への批判者は,しばしばこの「理解可能性」を,彼等が「還元主義」と呼ぶ罪(複雑さを単純な要素のみに分解しようとすること)と混同する.現象を深いレベルの原則で理解することは,複雑さの豊かさを捨てることとは異なる.第一次世界大戦の原因を探るのに物理的な要素への還元は意味をなさないが,何故ヒトの心は目的を持ち,部族主義,自信過剰,相互恐怖,名誉の文化に侵されやすいのかを問うのは意味があるだろう.

 

  • 2つ目の理想は「我々は自分のアイデアが正しいかどうかを世界に問うべきだ」というものだ.伝統的な信念の要因,つまり信仰,啓示,ドグマ,権威などは(この検証過程がなく)誤りを生みだすものであり,知識の基礎にはすべきではない.科学の営みは仮説と検証の繰り返しだが,ポパーが示唆するような仮説を次々に打ち出して検証で片端から打ちこわしていくというクレー射撃のようなものではなく,むしろ検証を元に仮説を改善していくベイジアンモデルに似ている.

Enlightenment Now その66

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第22章 科学 その1

ピンカーの啓蒙運動の擁護.理性の次は科学の擁護になる
ピンカーはここで,人類の最も誇るべき達成物は何かと問いかけることから始めている.そして科学こそそうだというのだ.
 

  • 人類の最も誇るべき成果は何か問われればどう答えるべきだろうか.
  • 人権という人もいるだろう.しかしこれはある意味自分自身で作ってしまった障害を取り除いたようなものだ.芸術という人もいるだろう.しかしこれらは異星人には理解できないかもしれない.
  • しかしどこまでも誇れるものが1つある.それは科学だ.まだまだ我々の無知は深いが,知識は驚くべきほど積み上がり,なお日々積み重なり続けている.(物理法則やDNAについての知識の例が引かれている)
  • そして科学はヒトについても新しい光を当て続けている.それまで知られていなかった美も見つけ続けている.そして人々の寿命,健康,富,知識,自由を増やし続けている.20世紀だけで3億人を殺した天然痘の撲滅はその一例だ.
  • これらの達成成果に照らせば,「我々は衰亡(あるいは,幻滅,無意味などなど)の時代に生きている」という嘆き節言説は皆嘘だということがわかる.にもかかわらず,科学の発展は単に低評価を受けているだけではなく,時に強く憤慨される.しかもそれらは原理主義的宗教家や知識不足の政治家からだけ垂れ流されているのではなく,我々の中のインテリ,最高学府の中からも聞こえてくるのだ.

 
ここが科学こそが人類をより進歩に導けると信じる(ピンカーも含む)リベラル派のインテリ論客としては最も歯がゆい現実と言うことなのだろう.そしてもちろん同じように科学の役割を信じる保守派の論客にとっても歯がゆい現実に違いない.ピンカーはまず保守派からの嘆きを取り上げている.
 

  • アメリカの政治家による科学への不敬はクリス・ムーニーの「The Republican War on Science」で詳しく紹介されている.政治家の科学否定振りには熱心な共和党の支持者にすら自らの組織を「お馬鹿党」だと嘆かせているのだ.(ここでジョージ・W. ブッシュ政権が学校でI. D. (創造論)を教えることを奨励したことをはじめとする共和党のお馬鹿政策が次々に紹介されている)そして科学への不敬は左派からもある.左派は原子力,遺伝子組換えに対してパニックになり,知性やセクシャリティや暴力についてのリサーチを様々な方法でねじ曲げた.

The Republican War on Science (English Edition)

The Republican War on Science (English Edition)

 

  • 本章では科学への深い敵意を考察する.多くのインテリは科学が政治,歴史.芸術などの人文分野へ干渉することに対して怒り狂う.多くの論説誌では常に科学が決定論,還元主義,本質主義,実証主義,(これが最悪の罵倒だが)科学主義の名のもとに糾弾されている.この攻撃は超党派的だ.左派は「還元主義は社会ダーウィニズムとなり,それは優生学につながって,20世紀の破局をもたらした」という言い回しを,右派は「科学は宗教と道徳を破壊し,我々の魂と人間性を否定する」という言い回しを好む.
  • これらの糾弾はでたらめだ.科学はジェノサイドや戦争の責任を問われるべきものではないし,道徳や精神的な健康を脅かすものでもない.それとは真逆だ.科学こそ人が重要だと考えることにとって必要不可欠なものなのだ.それには政治や芸術,そして意味や目的の探索や道徳についても当てはまる.

 
日本でも政治家たちやインテリたちによる科学軽視言説は多い.イデオロギー的な歪曲もアメリカほどではないが確かに見られるところだ.

このような「科学への敵意」については既に多くのところで指摘されている.ピンカーはその歴史を概説している.
 

  • 科学にかかるインテリの争いは1959年のC. P. スノーの「2つの文化」によって燃え上がった.そこでスノーはなぜ教養ある知的エリートが科学を目の敵にするのかを説明した.スノーは,それは真の芸術家や歴史や思想を探求する人文学者たちのゼロサムマインドや不安感でから来ているのではなく,文学インテリや文化批評家や博識のエッセイストたちの第2文化のせいなのだとした.

 

The Two Cultures (Canto Classics)

The Two Cultures (Canto Classics)

二つの文化と科学革命 (始まりの本)

二つの文化と科学革命 (始まりの本)

 

  • デイモン・リンカーは第2文化を「一般化についてのスペシャリスト,個人的経験からのみ世界を記述するもの,読んで判断するだけの人たちからなり,その共通通貨は奇矯さの中にある主観性だ」と表現している.これは科学と最もかけ離れた態度であり「科学主義」を毛嫌いする.
  • スノーはもちろん科学が(第2文化に対抗するために)似たような狂気の立場に立つべきだとはしなかった.彼は科学と文化と歴史を合わせた第3文化を提唱した.これはE. O. ウィルソンのコンシリエンスにつながる概念だ.

 

Consilience: The Unity of Knowledge (English Edition)

Consilience: The Unity of Knowledge (English Edition)

知の挑戦―科学的知性と文化的知性の統合

知の挑戦―科学的知性と文化的知性の統合

  • 作者: エドワード・オズボーンウィルソン,Edward O. Wilson,山下篤子
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2002/12
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まずは政治家やインテリによる科学否定の実態を歴史を概観したということになる,ここからピンカーは科学擁護の議論を始める.
 

進化生態こまば教室 「宿主操作の群集進化生態学的意義」

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東大駒場キャンパスで開かれる「進化生態こまば教室」の5月24日の講演で数理生物学者の入谷亮介さん(@lambtani____)が登場し,パラサイトによるホスト操作の講演を行うというので参加してきた.パラサイトによるホスト操作は,操られるホスト側に感情移入するといかにもおぞましく,理論的には延長された表現型にあたり,その提唱者のドーキンスも「自然淘汰の最も傑出した一例を挙げるならこれを選ぶ」と言っているほど興味深いものだ.これまでいろいろなケーススタディや関連する書物を読んできたが,数理モデル的な話はあまり頭に入っていなかった.是非聞いてみたいと思って駒場を訪れた次第だ.

当日は5月にしてはかなり暑い日で会場は駒場キャンパスの北西の端にある15号館.聴衆は少人数で,中身の濃い講演となった.
 

宿主操作の群集進化生態学的意義 入谷亮介

  

<プロフィール紹介>
  • 2007年 生物学をやりたくて京都大学に入る.そこで数学が好きになって数理生物学に進む事にする.
  • 2011年から九州大学の院に進み巌佐庸の指導を受け,博士号を取得.
  • 2016年から2019年3月までUCバークレーでポスドク.
  • この春から理研に加わり,数理創造プログラム(iTHEMS)に参加している.この数理創造プログラムは現象の数理解析を通じて新しい数学構造の解明を目指すというもので,理論科学・数学・計算科学など様々な分野の人達が集まっている.(参考:https://ithems.riken.jp/ja/about
  • 現在のリサーチは,異常な血縁度,繁殖干渉,重複感染,植物の血縁淘汰などのテーマで行っている.

 
 

<宿主操作が生態系に及ぼす効果>

 

  • 本日の話は寄生者による宿主操作が生態系に及ぼす効果が中心になる.これまで宿主操作はいろいろな面白い現象のケーススタディが中心だった.様々な宿主操作の様子は確かに面白い.しかしそれが群集生態にどう影響しているのかはあまり調べられていなかった.その影響についての数理モデルの話をしたい.
  • まず寄生者はどこにでもいる.宿主は寄生を受けると,生存度が低下したり,性転換をさせられたり,行動を操作されたりする.今日はこの最後の行動操作がテーマになる.
  • なぜ寄生者は宿主の行動操作をするようになるのか.それは寄生者に複雑な生活史があるからだと考えられる.寄生者には中間宿主から終宿主に乗り換えるものがいる.この乗り換えには中間宿主の行動を操作した方が有利になる.よく知られている例にはカタツムリから鳥に移るためのロイコクロリディウムの宿主操作,ネズミからネコに移るためのトキソプラズマの宿主操作がある.
  • この中間宿主の行動操作も多様だ.バッタやアリを草食動物に食べられやすいように草の先端で固まらせるもの,カエルが鳥に食べられやすいように後ろ足を何本も発生させるもの,カマキリやカマドウマを水辺に引き寄せるものなどが有名だ.

 

  • このような個別のケーススタディはよくなされていて,総説本も出ている.

Host Manipulation by Parasites (English Edition)

Host Manipulation by Parasites (English Edition)

(なお本書についての私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20140914/1410689835
 


 

  • ここからが宿主操作と生態系の話になる.話の始まりは佐藤拓哉さんと神戸の居酒屋で飲んでいたときだった.佐藤さんは魚の研究者.河川にいるサケマス類が何を食べているか調べてみると,大量のカマドウマを食べていることに気づいたそうだ.なぜ陸上生物のカマドウマをこんなに食べているのだろうと思って調べてみるとその中からハリガネムシが出てきた.で,これは宿主操作かということになった.ハリガネムシは水中で交尾し,卵が孵化するとすぐにカゲロウなどの水生昆虫に寄生する(中間宿主).このカゲロウが羽化して陸上で死ぬとカマドウマやカマキリに食べられる(終宿主).カマドウマは水中に戻るために宿主操作を受けて水辺に誘導され,そこでサケマスに食べられることになる.
  • で,これは生態系にとってどのぐらい重要なのか.調べてみると河川のサケマスの餌の60%がカマドウマだった(水生昆虫は18%).生態系にとっても非常に重要なインパクトだ.
  • 佐藤さんは実験も行っている.ネットでカマドウマの水中への落下を阻止すると,そうしないコントロール系に比べてサケマスはより水生昆虫を多く食べ,このために水生昆虫が行っている川底の物質分解が減少した.物質循環においても宿主操作は重要なインパクトを与えているのだ.

 

  • では数理モデルはどう組み立てたのか.実は寄生者の宿主操作の数理モデルには先行研究(A Fenton, SA Rands 2006)があって,彼等のモデルによると中間宿主が操作により目立って捕食されやすくなると(捕食者の捕食効率との関係にもよるが)個体群動態が不安定になり,中間宿主が(そして寄生者も)絶滅しやすくなるとされていた.これは宿主操作のパラドクスと呼ばれる.
  • このパラドクスをどうすれば乗り越えられるのか,そこで目を付けたのが,寄生者が中間宿主に寄生するのは,そこでしばらく時間をかけてリソースを得るためであり,寄生した直後に終宿主に移ってはかえって不利になるのではないかというアイデアだ.実際にヨコエビに付く寄生者は当初ヨコエビを川底の木の葉の中に隠れさせて捕食率を下げ,のちに浮かび上がらせて捕食率を上げていることが観察されている.
  • モデル上は,寄生者は感染してからしばらくはサプレションステージ(抑制期)として捕食率を下げ,ある時点でエンハンスメントステージ(活性期)に入って捕食率を上げるという宿主操作を行うことにし,生態系への影響を見ることにした.
  • モデルは6本の微分方程式で表される.中間宿主と終宿主の繁殖にかかる内的ダイナミクス,捕食にかかるダイナミクス,そして感染にかかるダイナミクスだ.
  • このモデルの結果を,抑制期の中間宿主の目立ちやすさ,活性期の中間宿主の目立ちやすさを縦軸横軸にしてグラフ化する.すると寄生者の存続確率は抑制期に捕食率を下げ,活性期に捕食率を上げると大きくなり,絶滅領域は(抑制期に捕食率が上がり,活性期に捕食率が下がるという)ごく限られた領域のみになった.(このほか中間宿主の個体数,群集構成がどうなるかも示された)
  • これにより抑制期を入れ込むことにより宿主操作のパラドクスを解消できることがわかった.

 

  • このモデルの予測に基づいて実験による検証が試みられ始めている.
  • 操作の至近的メカニズムはほとんどわかっていないが,生態アミンが関与しているらしいので,その測定,室内実験,ノイズ捕食(終宿主以外の捕食者による捕食)の測定,精査や共食い(カマキリの場合)への影響などを調べようとしている.

 

<未解析のモデル>
  • 宿主操作の意義の1つは2つの生態系を資源が行き来すること.この資源流動をモデルに取り込みたい.
  • さらに外側の影響を取り込みたい.1つは別の捕食者による捕食(ノイズ捕食),もう1つは別の被食者への捕食.トキソプラズマとネズミとネコの系だと,宿主操作によってフクロウもネズミをより補食するかもしれない,またネコのトカゲへの捕食圧が減るかもしれない.
  • これらを取り込んで,宿主操作が進化する条件を調べたい.これは群集進化動態モデルになる.
  • ノイズ捕食を取り込むイメージを提示すると,ネズミの操作によりネコの補食率の増加がフクロウの補食率の増加より大きければトキソプラズマの宿主操作は進化するだろう.操作コストがあるならコスト込みで有利になればいいことになる.増加が非線形だと双安定で多くの平衡があるかもしれない.

 

  • 宿主操作のスイッチがどう生じるのかは謎だらけだ.さらに寄生者の生活史戦略の変化の解析,重複感染,季節性などやりたいことは数多くある.


以上で講演は終了,質疑応答となった.

<Q&A>

  • Q:なぜ宿主操作はスペシャリストで生じるのか.近縁種も操作できれば有利ではないか.捕食者もジェネラリストの方が有利なこともあるのではないか.
  • A:そこは重要な論点.実はハリガネムシの系にも,別のハリガネムシに寄生された昆虫がサケに補食されていることがわかっている.なぜスペシャリストに多く見られるのかはわかっていない.

 

  • Q:ノイズ捕食だが,トキソプラズマに感染されたネズミの方がフクロウに食われやすいというデータはあるのか
  • A:まずモデル上はフクロウは単に良い餌であることを学習するだけとして作っている.実際にどうなのかのデータはないだろう.このようなリサーチは非常に限られている.実験系にはできるだけ余計な動物は入れたくないのであまり調べられていないようだ.ただヨコエビの系で,魚だけではなくヤゴにも食べられやすいというデータはある.

 

  • Q:トキソプラズマは鳥ではうまく生活環を回せないのか
  • A:無理だ.うまく回すにはいろいろな段階をこなさなければならない.鳥ではできない.

 

  • Q:抑制期があるなら中間宿主は感染した方が有利になることもあるのか
  • A:個体としてはリソース収奪されるので基本的には不利になる.ただし種の増加率としては(抑制期に繁殖の大半が可能であるなどの場合)上昇することはあり得るだろう

 

  • Q:トキソやロイコでは中間宿主でリソースを収奪するのか
  • A:その通り.両方とも終宿主にはあまり影響がないといわれている.

 

  • Q:重複感染はあるのか
  • A:ハリガネムシの重複感染はごく普通に見られる.いろいろな大きさのハリガネムシが寄生しているのが普通.この問題については理論も実験も追いついていない.

 

  • Q:中間宿主の対抗進化はモデル化しているか
  • A:していない.やるとしたら感染と免疫のようなモデルになるだろう.

 
確かに宿主操作は中間宿主に対するものが多く,そこでリソース収奪が生じるのなら,感染してすぐに終宿主に移動してはパラサイトとしては都合が悪いだろう.だから終宿主移動のための行動操作は,感染後すぐではなく,準備が整ってから行うように進化するはずだし,さらにそれまでは抑制できた方が有利になるのでそれも進化するだろう.すると中間宿主も感染が広がって一気に食い尽くされるわけではなく,(抑制期にも繁殖可能であれば)系は安定しやすいだろう.そういう意味でこの数理モデルの結論は説得的だ.ステージの異なるパラサイトが重複感染すると,パラサイト間で利益のコンフリクトが生じるので,いろいろ複雑なことが生じそうで,その部分も興味深い.質疑応答も深い内容が多く,いろいろと楽しい講演だった.


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Enlightenment Now その65

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第21章 理性 その7

 
ピンカーは政治的部族主義の非合理さを減らすには議論のルールを見直すことが有効だという見解を示した.しかしこれを行き渡らせるのは簡単ではなさそうだ.結局物事を政治化しないのが一番いいのだ.ピンカーはそのあたりについて(メディアへの苦言も呈しながら)コメントし,本章の最後のまとめとしておいている.

 

  • 「議論のルールが人々を賢くしたりお馬鹿にしたりするかを決める」という知見は,「なぜかつてないほど知識が豊穣な現代で世界はより非理性的になっているように見えるのか」というパラドクスを解く鍵だ.
  • 世界の大半はより理性的になっている.それはこれまでの章で見た通りの進歩を引き起こしてきた.しかし政治の世界だけが例外になっているのだ.政治の世界だけはルールが人々をお馬鹿に振る舞うように強制している.投票者はその意見を正当化する義務を負わず,その結果を引き受けることなく好きなことをいうことができる.貿易やエネルギーなどの実践的な政策はモラルイッシューとバンドルされてしまう.そしてバンドルされた政策の束は地理的,人種的,民族的同盟と結びつく.メディアは選挙を競馬のように報道し,イデオロジカルな問題を取り上げて激しい議論を煽動する.これらは全て人々を理性的な態度から遠ざけるように働く.この結果民主政の仕組みがガバナンスをよりアイデンティティドリブンで,非理性的なものにしてしまうのだ.
  • これには簡単な解決策はない.まず最悪の問題を特定し,それを和らげるゴール設定を行うのが出発点になるだろう.

 

  • 問題が政治化していないなら人々は理性的に物事を判断できる.カハンは「科学についての大衆の激しい議論はむしろ例外だ」と指摘する.誰も抗生物質が効くかどうかや飲酒運転が良い考えかどうかについて真剣に議論などしない.
  • 政治化したかどうかの格好のコントロールグループがある.HPVとB型肝炎はいずれも性交渉で感染し,ワクチンで予防できる.しかしHPVワクチンは(製薬会社が対象者を未成年者の女子としてワクチン接種義務化のロビー活動したために)このワクチン接種義務化が未成年者の性交渉を容易化させるとして政治問題化した.これに対しB型肝炎ワクチンは政治問題化せず,百日咳や黄熱病と同じようにワクチン投与がごく普通の公衆衛生事項として処理されている.

 
ワクチンについて,日本ではそれほど若者の性交渉の容易化の論点を巡っての議論がなく,これはアメリカとは異なっている.おそらくこのために日本では反ワクチン運動はアメリカほど政治的な党派色が強くないようだ.日本で両ワクチンで反対運動の激しさに差があるのかどうか,私には知識がないが,Googleの検索ヒット件数などを見るとあまり差が無いようにも思える.だとするとピンカーの議論の補強になるのかもしれない.
 

  • 議論をより理性的に進めるためには,問題をできるだけ非政治化するのが望ましい.多くの人は自分の支持政党の提案なのかどうかによって.その政策への態度を決める.だから提案者は慎重に選ばれるべきだ.一部の気候変動活動家は,民主党の大統領候補だったアル・ゴアが「不都合な真実」を出版したのは温暖化対策にとってはむしろ害があったのではないかと考えている.彼は温暖化に対して左派の政治化ラベルを貼ってしまったのだ,この問題についてはもはや科学者に何かをしゃべらせるより,左派と右派からそれぞれエビデンスベースでものを考えるコメンテイターを選んでもらい,両者に討論してもらった方が効果的だろう.
  • また事実の問題と対処策の問題は区別して議論すべきだ.対策は往々にして政治化のシンボルになってしまう.カハンは,温暖化について議論するときに,(政治色の強い)規制よりも(政治色の薄い)ジオエンジニアリングを対策としてプライミングしたときの方が議論は理性的になることを報告している.
  • メディアは自分たちの役割をよく吟味すべきだ.政治をスポーツのように扱って競争させるより,個別の問題解決をエビデンスベースで考えるようにできないのだろうか.それは簡単ではないだろう.理性には自己修復能力があるが,それには時間がかかる.フランシス・ベーコンが逸話的理由付けや因果と相関の取り違えに警鐘を鳴らしてから,それが一般的に受け入れられるようになるには何世紀もかかった.カーネマンとトヴェルスキーの認知バイアスの発見がコモンセンスになるにも50年はかかったのだ.そしてこの「政治的部族主義が最も重大な非合理性の形態だ」という知見はまだ新しい.
  • どんなに長くかかることになろうと,そして政治世界の非合理性の暴発があるからと言って,我々は「理性と真実を追究する」という啓蒙運動の理想をあきらめてしまうべきではない.
  • 我々がヒトの非合理性を理解できると言うことは,我々は理性がなんたるかを知っているに違いないのだ.我々が何か特別であるわけではないのだから,我々の同胞も皆理性について理解できるはずだ.そして理性の本質は,理性を用いるものは時に一歩下がり,自らの欠点を吟味し,それを乗り越える方法を理屈づけるというところにあるのだ.

 
このピンカーの指摘は重い.日本にもほぼそのまま当てはまるだろう.ツイッターなどでも,普段はまともなツイートをしている人が政治的なテーマになったとたんにお馬鹿丸出しになるのはよく見かける.実際の政治の場の議論も強い部族主義的な制約からなかなかまともな意見の交換にならないのもピンカーの指摘通りだ.是非部族主義の軛から逃れてエビデンスベースで物事が決まる方向に動いてほしいものだ.