「Host Manipulation by Parasites」

Host Manipulation by Parasites (English Edition)

Host Manipulation by Parasites (English Edition)


本書は題名通りパラサイトによるホスト操作についてのアンソロジーで,2012年の出版.11のトピックについてそれぞれの著者が寄稿し,さらにそのトピックについての大御所がそれぞれAfterword(後書き)を付け加えているという構成だ.この後書きはなかなか面白い取り組みで,所々に渋いコメントがあり,場合によってはよりフレームを拡張する視点を提示してくれていたりする.


冒頭の序言はリチャード・ドーキンスが書いている.これは操作されたホストの行動がまさに「延長された表現型」の最も印象的な例ということで依頼されたもののようだ.ここは最初から面白い.

もし無情かつ栄光あるダーウィニアン適応の究極の到達点をひとつだけ挙げてくれと頼まれたら何を挙げるだろうか.アフリカの草原で埃を舞い上げながらトムソンガゼルを追いつめるチータの走り,イルカの流線型,ほとんど見つけられないほど完成されたナナフシの擬態,ひっそりとハエを落としていくウツボカズラ・・・.でも最終的には「パラサイトによるホスト行動の操作」を挙げるだろう.その精妙さへの憧憬,無慈悲さへの恐怖.本書ではすべてのページにそのスリルとダークな巧妙さとともに様々なホスト操作の事例が紹介されているので,あえて特定の例を挙げる必要すらない.・・・
このテーマは「延長された表現型」そのものだ.そしてこの視点から見ると生物個体でさえ,性や多細胞性と同じく,なぜ存在するかについて特別の説明が必要になる.進化的にみた本質的な存在は複製子だけで,生物が何らかの区画されたパッケージに収まっている必要はないのだ.そしてパラサイトによるホスト操作という概念は個体というものの意味を理解するに役に立つ.生物個体はそれに絡むすべての遺伝子が,遠い将来についての同じ確率的な期待を持っているものだと定義できる.同じ出口を持っているところに本質があるのだ.そして内部にパラサイトの遺伝子があるなら,それも個体の表現型に影響を与え得るし,どこまで協力的かはどこまで運命共同体になっているかで決まるのだ.運命共同体になっていればいるほどその遺伝子がホストのものかパラサイトのものかの境界はぼやけてくる.・・・・

ドーキンスの延長された表現型の解説は続き,そして本書を読んでこれらの考えが30年ぶりによみがえってきたと述懐する.自分の序言はすでに十分self-indulgentになっているが,でもこの本は魅力的であり,寄生生物学者,エソロジスト,生態学者,進化生物学者だけでなく,詩人,医者,獣医たちに読まれるべき本だと力説する.そして最後にこう締めくくっている.

詩人?そう詩人,そして哲学者,さらに神学者も読むべきだ.かつてサミュエル・テイラー・コーラリッジは「メタファーの在庫の質を向上させるために」ロイヤルインスティテューションのサイエンスレクチャーを聴講した.哲学者ダニエル・デネットは宗教についての本の冒頭に寄生体に操作されるアリの話を書いた.それは「ヒトの脳に強力な寄生的アイデアが取り憑き,普通の生活の喜びや利益をすべて投げ捨ててしまうこと」についてのすばらしいメタファーだ.「えーと,足を持つねばねばしたものがねばねばの海のなかをのたくっている」としか書けない作家が,本書に収められた豊富なマテリアルを使えばどんなことが書けるようになるだろうか.


第1章は導入ということで,ジャニス・ムーアによるパラサイトによるホスト操作についての研究史から始まっている.
かつてこのトピックについては,医学と生態学の間に大きな断絶があったそうだ.「生態学者は寄生虫学について,それはラボで白衣を着た研究者が扱うもので,学界にL. L. Beanを着て行くような生態学者がやるものではないと考えていた.白衣を着た側は,生態学は鳥と哺乳類と昆虫なんかについてのもので,蠕虫や線虫,ましてや顕微鏡で見るものは対象外だとみていた.これが変わり始めたのは70年代になってからだ.」.本章の研究史のテーマは「パラサイト研究はどのようにしてクールになったか」だ.
ホスト操作についての最初のスターは,カタツムリの眼の中でシマシマ模様を動かすレウココロリディウムと,アリを葉の先端に誘導するディクロコエリウム,そしてネズミを操作するトキソプラズマだ.レウココロリディウムは1930年代から科学的な記載があるし,現象自体は200年以上前から知られていた.それが最終ホストによる捕食に役立ちそうなことも早くから気づかれていた.またそのほか多くのホスト操作を示唆する事例が1930年代以降いろいろ報告されている.しかし60年代までの報告は散発的で,多くは無視されていた.
これがムーア自身が学究生活に入る直前の状況だ.ムーアは昆虫の行動に関して博士号をとり,70年代にいくつかのパラサイトの論文を読みパラサイトの操作の研究を志すが,どこにもその職はなく,最初はテクニシャンとして働かざるをえなかったそうだ.しかし彼女が最初の論文を仕上げた80年代の初頭に,生態学者たちはパラサイトによるホストの去勢に興味を持ち始めた.彼らはそれまで「長期的には寄生体はホストに無害になるように進化する」としか考えていなかったが,それが間違いであることに気づき始めた.メイとアンダーソンは数理モデルを組み上げ,毒性の進化がトピックになった.ピーター・プライスは総説書を書き,ハミルトンとズックは性淘汰と寄生の関係を議論した.行動生態学者はハミルトン=ズック仮説の検証に夢中になった.その過程でそれまで寄生虫学者のみに知られていたホルモン,免疫,ストレスに関する至近的なメカニズムが再発見された.またホスト側の対抗進化も議論されるようになった.ムーアはこの70年代から90年代にかけての興味の増加を論文数のデータにして示している.


後書きはジョン・オルコック.パラサイトが行動生態学で突然注目を浴びるようになったのは確かに80年代だった.そしてこれはムーアのいうとおり,プライスの総説書とハミルトン=ズック仮説の影響だろうと認めた上で,なぜそれまで注目を浴びなかったかについて,それはその現象を扱う理論的なフレームがなかったためだと指摘し,そしてそれこそが,ウィリアムズ,ハミルトン,トリヴァースたちによる行動生態学のフレームだったのだとコメントし,最後にこう結んでいる.

小さなパラサイトの複雑な生活史を知ることは素晴らしい,しかしさらにメスのフウキンチョウの配偶者選択の基準がオスのマイクロパラサイトへの耐性に基づくようにするためにどう進化したのかを考察するのは同じく価値あることだ.そしてそれはなんとクールな考えだろうか.


第2章はフレドリック・トーマスたちによるホスト操作の進化ルートについて
なぜ,どのようにしてホスト操作が進化したかは難しい問題だ.トーマスたちは進化ルートが複数である可能性,ホスト操作の変容と多様性,多次元的ホスト操作の進化を扱っている.
まず進化ルートについては「狭義のホスト操作」「マフィア戦略」「補償メカニズムの利用」に基づいて解説している.*1 *2 *3トーマスたちはこれらのカテゴリーは排他的ではなく連続的な現象だとコメントしている.確かにマフィアと補償メカニズム利用の差は微妙で,そもそも区別する理由がよくわからないところだ.
次にホスト操作がいったん生じた後の進化が扱われる.ホスト操作が変化していくことや多様化することはあり得る.ここでは中間ホストが鳥に捕食されるか,魚に捕食されるかにより操作内容が変わることが扱われている.またコストやメリット条件の変化により操作の強度も変わる.トーマスたちは条件についてホスト側の要因,パラサイト側の要因,環境要因に分けて詳細に解説している.ホストやパラサイトの性,多重感染,パラサイトの感染増殖ステージなどのところはなかなか面白い.パラサイト側の増殖と感染のトレードオフは毒性の進化でよく取り上げられるところだ.一般的にいえば操作が条件依存的に進化していくのは,進化適応現象一般から考えて当然だろう.
最後に多次元的ホスト操作が解説される.感染し操作されたホストは,ある意味で感染していないホストと比べて多面的に異なった生物になる.本書ではこれを多次元性と呼んでいる.トーマスたちは定義を含めて延々と議論解説しているが,共進化していれば様々な形質が累積するのは当然であり,あまり意味のある議論には思えなかった.
本章の解説は全般的に観念的で,進化適応としては当たり前のことを難しく扱っている印象が強い.


後書きはスティーヴン・スターンズ.行動生態学の中で,生活史戦略の理論が,包括適応度や階層型淘汰などの理論を組み入れてすっきり整理されていないことを取り上げて,ホスト操作についても生活史理論への延長された表現型理論の組み入れとしてみると状況は似ているとまずコメントしている.そして未解決の問題の一つとして「どのように複雑な生活史は進化するのか」「個体境界を越えた表現型進化の一般法則」を取り上げ,様々なアイデアを語っている.特に衛生仮説との類推から,高い確率で存在する共生微生物がホストの発生に深くかかわったり,複雑な生活史を導く可能性を示唆していて面白い.


第3章はシェリー・アダモによるホスト操作の至近的メカニズムについて.
冒頭で,ホストの行動操作は「ホストの自由意思の有無」という哲学的な議論にかかわってくるから皆の注目を浴びやすいのだろうと書かれていて面白い.そこからは様々なパラサイトの操作メカニズムの知見がまとめられている.
トキソプラズマは中間ホストのネズミ類をネコに捕食されやすくなるような行動を促すことが知られている.彼らは脳内にシストを作るが,辺縁系に多く,ドーパミンなどのニューロトランスミッターを分泌しているらしい.またほかのメカニズムがあることも示唆されている.
そのほか狂犬病などの神経ウィルスがやはり辺縁系に影響を与え,ホストの免疫系の反応を利用しているらしいこと,節足動物に寄生する鉤頭虫や吸虫がセロトニンなどのニューロトランスミッターを分泌するらしいこと,このほかエネルギー収支を悪化させる,ホストのホルモンを分解するなどの方策もありそうだということなどが解説されている.なおわからないことは多いが少しづつ明らかになっているということだろう.


後書きはジーン・ロビンソン.アダモのニューロトランスミッターを重視する考え方を興味深い仮説だと位置づけて,さらなる知見の集積を期待している.


第4章はバーナード・ロイトバーグによる「パラサイトの行動生態学」で,ホスト操作に関する数理モデルが詳細に紹介される.
本稿におけるロイトバーグの問題意識は,様々な条件の確率的な分布がホストパラサイトの共生系にどう影響するかということだ.最初の問題は「最終ホストが,(パラサイトに操作されて)より捕食しやすくなっているが片方で寄生されるリスクのある中間ホストを捕食すべきかどうかは進化的にどう決まるだろうか」という形になる.ロイトバーグはこれに対して確率的分布を組み込んだ数理モデル(動的状態変化モデルDSVと呼んでいる)を提示している.詳細は複雑だが,この解は後ろ向き帰納法より求まり,確率条件に依存した意思決定になる.次に中間ホストの行動,特に「成長と繁殖のバランスの意思決定」を問題にする.この場合には操作がどこまで完全かにより数理モデルは異なる.それぞれリソース等の環境条件依存的な意思決定解になるが,特に操作と対抗が軍拡競争中であるときには動的なゲームになり,ESSを求めるモデルは複雑になる*4(またこれはGAのサーチアルゴリズムを使っても解けると解説されている).ロイトバーグは,環境条件が確率的で,パラサイトと中間ホスト最終ホストの相互作用があると,適応の平衡は非常に条件に依存した複雑で精妙なものになるとコメントしている.


後書きはフレデリーク・デュボア.このような共生系のモデルは複雑で,動的な数理モデルが重要で,免疫反応,要因の相対的重要性,操作の完全性あたりが肝になるとコメントしている.


第5章は昆虫,昆虫媒介微生物による植物の表現型への影響が取り扱われる.著者はマーク・メッシャー.
これまでも植物の表現型が別の生物に操作,影響されることはよく観察されていて,生態エンジニアリングの例として理解されており,本稿ではその具体的でクリアーな例を紹介するとしている.
まず昆虫の食植者による操作.植物はアルカロイドで防衛し,昆虫はそれを解毒し,さらに表現型に干渉する.特に有名なのはゴール形成だ.これは昆虫の6つの目で知られており,すべて独立起源だと考えられている.昆虫はゴールを定住場所兼食物として利用する.かつては植物の防衛反応という説もあったが,現在では昆虫側のコントロール下にあることがわかっており,ホスト操作の例とされている.異なるグループの昆虫によるゴールは(同じ植物上にあっても)異なる形状を示し,しばしば組織的にも分化し,栄養に富む組織や防衛用の構造を持ったり化学物質を生産する組織が観察される.メッシャーは組織分化は二次的な適応だろうとコメントしている.
このほかには葉を巻き上げさせる操作(シェルターだけではく,葉に光を当てないことにより消化しやすくなる効果もある),葉脈の切断,グリーンアイランド(紅葉の中でガの幼虫が潜り込んでいるところだけ緑を保つ現象,これにより光合成が継続される.共生ウォルバキアの関与が指摘されている),植物の防衛シグナルの阻害などが紹介されている.
昆虫媒介微生物による操作としては,植物へ寄生する菌が,送粉者たる昆虫を胞子分散に利用するケースが取り上げられている.菌は植物に偽の花(形態だけでなく臭いや花蜜まで擬態している場合がある)を作らせて雄しべの部分に胞子を仕込み送粉者をおびき寄せる.同じような例としてアブラムシにより媒介されるウィルスが葉の色を変えてアブラムシを誘引するケースも紹介されている.
本章はなかなか楽しい博物誌的な章になっている.


後書きはペドロ・ジョルダーノ.このような共生系は相互に影響を与えあうので複雑になると指摘した上で,大きく分けて二つのタイプ(ゴール形成のように相互作用により植物体への操作が生じるもの,菌による送粉者の利用のように第3者により相互作用が利用されるもの)があると整理している.


第6章はラングモアたちによる托卵に関する章.托卵鳥は内部寄生体ではないが,パラサイトの一種(托卵は英語ではbrood parasitismと呼ばれる)なのでここで扱われているということだ.
カッコウ類はまずホストの捕食者に擬態している(カッコウは小型のタカに似た外見や模様を持つ.飛翔スタイルも似ているとされる).さらに卵はホストのそれに似ている.これらはホストによるモビングや卵排除*5への対抗進化(かつ視覚的な刺激を使った操作)だと考えられている.なおここではホスト側の卵擬態への対抗が扱われていて,巣内の卵をすべて異なる模様にして個別識別可能にする戦略が進化可能がどうかが議論されている.実際に中国のあるホスト(イスカの一種)はそうしているという報告があるそうで,なかなか興味深いところだ.また自分だけ卵の模様を変えて見破ろうとするホスト側の戦略は模様についての負の頻度依存淘汰を引き起こす.数理モデルによるとこの共進化の結果は初期条件に依存して1種類あるいは多種類に安定したり,振動したりするそうだ.さらに托卵側では(暗い巣の中に暗色の卵を産みつけるなどにより)ホストから見えない卵にする戦略,超刺激的にしてより自分の卵だと感じさせる戦略などが議論されている*6.ヒナ排除とヒナ擬態については,あまり見られないことについてロテムのコスト仮説が紹介され,ヒナ擬態の実例として最近のテリカッコウ類にかかる佐藤たちのリサーチが紹介されている.またカッコウ類のヒナによるホスト親の操作として超刺激を用いているとするジュウイチの例*7が紹介されている.また最後にホストの様々な識別排除戦略に対してジェネラリスト托卵鳥はどう対抗するかについて,カッコウ類に見られるジェンツ,平均的な擬態にする戦略などが扱われている.
托卵は内部共生ではないのでほかの章と内容やテイストがちょっと異なっているが,托卵の総説として読めば充実していて面白い章になっている.


後書きはスコット・エドワーズ.行動生態学における鳥類のリサーチの重みについてコメントし,今後は遺伝子も含めて残された謎に迫っていくことを期待している.


第7章はウォルフガング・ミラーたちによるウォルバキアなどの内部共生微生物による節足動物ホストへの操作.
ウォルバキアについて簡単に解説した後で,そのホスト操作がきわめて多面的であることを指摘する.最も有名なのが細胞質不和合で,感染オスと未感染メスが交尾しても卵が発生しない現象を指す*8.これには異なる系統のウォルバキア感染個体間で交尾しても卵が発生しないケースも知られている.細胞質不和合は,ホスト種の種分化,より多くの配偶相手と交尾しようとする性質を推進する働きがある.このほか性表現への影響としてはオス殺しや単為発生を誘発すること,さらにオスをメスに転換すること*9も知られており,いずれもウォルバキアの包括適応度を高める戦略として理解できる.
性表現型以外の操作には,ホストの防衛,免疫,臭覚刺激に対する行動(より餌がとれるようにする)などへの操作が知られている.これらはホストの栄養的な利益を(繁殖利益に比べて)優先するパラサイトによる操作として説明できる.
ウォルバキア以外には,水平伝播も行うウィルスが,ホストのガのメスをオスに対して魅力的になるように操作する例などが紹介されている.
この章はウォルバキアが引き起こす様々な現象が適応的説明とともに博物誌的に描かれていて読んでいて楽しい.性淘汰に与える影響はとりわけ興味深い.


後書きはリー・アーマン.アーマンは若き日にショウジョウバエの細胞質不和合現象を眼にし,指導教官であったかのドブジャンスキーに「細胞質不和合にそして種分化に何らかの感染体が関わっているのではないか」と伝えると,彼は「リー.それは行き過ぎだよ,そこまで逸脱した現象を追い求めて何になるのかね」と反応したそうだ.彼が今生きていれば何と言っただろうと述懐し,ここ数十年のこの分野の知見の累積を評価し,そして近い将来にウォルバキアによる種分化の証拠を私たちは見ることになるだろうと予想して締めくくっている.


第8章はデイヴィッド・ヒューズによる社会性昆虫におけるホスト操作.最初に操作される行動は通常の生物個体だけでなく超個体を含むのだという言い方をしている.次にホスト操作と延長された表現型についても解説があり,その中で延長された表現型は淘汰単位が遺伝子であるという見方から来るものであるとし,最近のE. O. ウィルソンの包括適応度否定の議論にもやや否定的に触れている.また超個体性についても丁寧に解説がある.コロニー内のコンフリクトにも目を配りつつ,分業制から機能的に見た「コロニーレベルの表現型」として扱うという中庸的な説明だ.このあたりの『超個体性』に関するこだわりはいかにもアリ学者らしいところだ.
ヒューズは,パラサイトによる超個体操作の特徴として,分業のあるワーカーへの寄生は直接的に繁殖に影響を及ぼさないが,しかし通常のワーカーと異なる利害を持つことからある意味でコロニー内のチーターのようになることだと指摘している.また個体の表現型を操作するものと超個体の表現型を操作するものがあり,前者についてはワーカー個体を操作するもの(葉の先端にアリを登らせる菌類や吸虫が有名),ワーカーを集団的に操作するもの(化学物質を放出してアリのワーカー集団に混乱をもたらすなど),ワーカーの防衛行動に干渉するもの(行動模倣や化学物質によりコロニー防衛網を突破して巣に潜りこむなど)があるとしている.そして本章の目玉としての超個体操作(コロニー内部に入り込み,コロニー全体の機能を操作するもの)については3つの例をあげている.
最初はハキリアリ.ヒューズは,ハキリアリは単一の菌種と共生することで知られているが,アリにとっては複数種を栽培した方が有利だと考えられ,これは菌類による操作である可能性があると示唆している.次は複雑な相互作用の例で,アリに寄生するシジミチョウの幼虫に寄生する寄生バチが,シジミチョウが操作して防衛させているアリのワーカーをさらに化学物質で操作してアリのワーカー同士に戦争を惹起させ防衛を緩めさせるというものだ.3番目はアリの採餌行動を操作するもので,寄生菌の胞子が環境中にあるときには採餌行動を避ける例があげられている.最初の仮説は大変興味深いものだし,2番目の例も複雑で面白い.ただ3番目の例は操作というよりアリの寄生への対抗適応であるというだけで,確かにコロニーの表現型に大きな影響を与えているが,操作というカテゴリーで取り上げるべきものであるようには思えないところだ.
ヒューズは最後に社会性昆虫への操作は単独性ホストへの操作と異なる面があることを強調し,また今後は比較ゲノミクス,トランスクリプトーム,メタボロミクスの利用でこの分野の知見が深まっていくことへの期待を表明している.


後書きはバート・ヘルドブラー.ここでも最初は「超個体」という用語の定義の議論が扱われていて,やはりアリ学者のこだわりが見えて面白い.ヘルドブラーはサイズの多型性,繁殖についての極端かつ可塑性のない分業を要件にしている.ヘルドブラーはその後自分自身の社会性昆虫へのパラサイトの操作をリサーチした経験に触れ,このような超個体性を持つコロニーへのパラサイトだけが持つ特異的な操作があることを強調して結んでいる.


第9章はケビン・ラファーティたちによるパラサイトの操作の生態系への影響について.これまで各章で扱われてきたホスト操作が生態系全体にどのような影響を与えうるかが解説されている.
当然ながら寄生密度と操作強度が十分強ければ生態系にある程度の影響がある.ホストが捕食されやすくなったり,繁殖率が落ちるとホストの密度が下がる.また操作を避けようと分布や採餌行動が変わることによる影響もある.ここで(北海道の)河川において,最終的にイワナにわたるエネルギーの60%が,寄生虫であるハリガネムシの操作によるカマドウマの河川落下によるものであるというリサーチ,また北米のオオカミとヘラジカの相互作用においてサナダムシがヘラジカの補食リスクを大きく上げていることを実証したリサーチ,吸虫が二枚貝に寄生して泥へ潜り込む程度を浅く操作するために水鳥に捕食されやすくなるほかイソギンチャクなどの付着生物のニッチが増えて生態系が大きく変わることを示したリサーチなどが紹介されている.当然予想される効果だが,それを定量的に示すリサーチはなかなか迫力がある.


後書きはミシェル・ロロー.パラサイトによるホスト操作は,生物学者の間でもカクテルパーティに恰好のちょっと面白い話題だったが,それにとどまらず,普遍的で生態系にも大きな影響を与えるポテンシャルがあることがわかりつつあることを強調している.ダヴィデとゴリアテに言及しているのがちょっと面白い.


第10章はロバート・ポーリンたちによるホスト操作現象の応用について.ホスト操作は一般の印象と異なってきわめて広いベースを持つ現象なので,保全,農業水産経済,医療にとって大きな意味を持ちうる.
最初は保全生態学への応用.ホスト操作を行うパラサイトはホストの個体群動態に大きな影響を与えうる.特に外来種の侵入の際には,それまでと異なるホストへの操作が生じるし,ホスト操作自体が侵入定着プロセスに影響を与える.ポーリンたちは外来種の侵入定着プロセスを(ネイティブのパラサイトが外来種を強く操作して)遅らせる例,(外来種がネイティブのパラサイト操作をあまり受けずに)速める例をそれぞれ説明している.また感染症の場合,パラサイト操作があるとホストの社会的行動が変化して単純な感染モデルが当てはまらなくなることがある.これは絶滅危惧種の保全にとって大きな問題になる.
パラサイトの家畜への操作は農業生産に影響しうる*10.これは養殖される魚類についても同様だ*11.この分野はあまりリサーチされていないそうだ.
最後は医療面への応用.感染症の病原体がヒトを操作しているなら,様々な医療的な問題が生じうるだろう.特に中間ホストが媒介するような病原体は感染リスクを上げるための様々な操作を行っている可能性がある.ポーリンたちはいくつかの病原体について特に詳しく解説する.

  • リーシュマニア:サシチョウバエが中間ホストになって媒介する.このサシチョウバエへの操作がよく知られている.感染したサシチョウバエは一度に大量の血を吸引できなくなり,何度も異なるヒトへの吸血を繰り返すようになる.さらに感染したヒトをよりサシチョウハエに対して魅力的にするようだ.
  • アフリカ睡眠病:ツェツェバエが中間ホストになって媒介する.やはりツェツェバエを操作してより頻度高くより大量に吸血させる.
  • マラリア:ハマダラカによって媒介される.蚊はより長い時間,より頻繁に,結果的により大量に吸血するようになる.蚊の唾液に含まれる酵素を弱めて血液の凝固を促進し,一度に少ししか吸血できなくさせる.また一度吸血した後も別のホストから吸血するように操作する.またヒトへの操作を行い,高熱,排出二酸化炭素量の増加,さらにフェロモンによってヒトを蚊に対して魅力的にする.これは伝統的な感染数理モデルは補正されるべきであるという示唆を与えている.
  • トキソプラズマ:トキソプラズマはネコ科の動物を最終ホストとし,中間ホストであるネズミ類の行動を(恐怖を抑え,より好奇心強く,行動的になるように)操作してネコ類に補食されやすくする.ヒトは中間ホストではないが,トキソプラズマが感染すると脳内に大量のシストを作り(本来ネズミ類への操作が)ヒトの行動にも影響を与えている可能性がある(第3章にもあるようにドーパミン系のニューロトランスミッターに影響を与えるらしい).示唆されている影響には,合理的推論の阻害,反応の遅延などがある.片方で,トキソプラズマはヒトの中では進化的なデッドエンドなので,ヒトの対抗進化でより有益な反応になっている可能性もある.さらにそれが現代的環境とのミスマッチで不利になっている可能性もある.また心理的な影響には性差があるという主張もある.それによると感染した男性は警戒心が高まり,自己中心的で,規則を無視する傾向を強め,疑い深く嫉妬深くドグマティックになり,自己コントロール能力が下がり,服装のこぎれいさが失われるが,女性はより温かい心を持ち,率直で良心的で我慢強くモラリスティックになる.このように行動傾向に影響を与えることを通じて文化的な影響を与える可能性(感染が多い集団ではより外部に対して警戒的になるなど)もある.また行動障害や精神障害と関連する可能性も示唆されている.特によくリサーチされているのは統合失調症との関連で,統合失調症患者はより抗トキソプラズマ剤に反応し,統合失調症になって3年以内の患者には有意にトキソプラズマ抗体が多いとの報告もある(これにはそのような結果は再現されなかったという報告もある).これら以外にも初潮を速める,子孫のダウン症リスクが上がるなどの報告もあり,さらにトキソプラズマの操作で血液型のRh多型を説明しようとする主張もある*12

この最後のトキソプラズマの部分については力が入っている.特に性差の存在は大変興味深い謎だ.これによるとネコを飼うのは女性には勧められるが男性には勧められないということになるのだろうか.ポーリンたちもなぜこのような性差が現れるのかについての進化的な説明は行ってくれていない.


後書きはアンドリュー・リードとヴィクトリア・ブライスウェイト.「ヒトはパラサイト操作と数百万年もアームレースを繰り広げてきて,様々な対抗進化をしているだろう.そしてトキソプラズマのようなデッドエンドのパラサイトに対しては完勝している可能性が高い*13.であれば,衛生仮説が免疫について主張していることが心理的な対抗進化についても成り立つのではないか.そしてそれは応用生物学に衛生仮説がもたらすのと同じジレンマをパラサイト操作についてももたらすだろう」と過激な指摘をしている.要するに,ある現象が,どの主体のためのどのような適応なのかをよく考えて様々な介入を行う必要があるということなのだが,トキソプラズマの引き起こす広範囲な現象を前にするとなかなか迫力のある後書きになっている.


第11章は,フランク・セジリーとフレデリク・トーマスによる,ややフレームを広げた整理.ホスト操作は心理的に衝撃が大きいので特にセンセーショナルに取り上げられがちだが,よくあるほかの生物学的現象と連続しているという寄稿になっている.
セジリーたちは,(擬態やアンコウの疑似餌などの)相手の感覚を利用した欺し,(群れを乗っ取ったラングールの子殺しなど)相手の補償行動を利用した収奪,(オニカッコウのマフィア戦略などの)強制的収奪,(チドリ類の偽傷行動などの)情報を利用した欺し,(内部共生パラサイトによる行動操作などの)神経系を使った操作といったカテゴリーを用いて,現象が連続していると主張している.
確かに連続しているが,なぜこのようなカテゴリー分けが重要あるいは必要なのかはよくわからずに単なる定義づけに終わってしまっているような印象だ.

後書きはアレックス・カセルニック.私と同感のようで,クレブスとドーキンス説を引き合いに出して,そもそも動物間の情報伝達はすべて操作目的であるはずだし,その中で内部共生系の操作は大変強力であるので区別する意味があるだろうとコメントしている.


というわけで本書は,生物進化や適応を考える上でまことに魅力的なコンセプトである『パラサイトによるホスト操作』についての様々なトピックについての充実したアンソロジーに仕上がっている.そしてこれが特殊な生物学的現象ではなく,潜在的に普遍的なもので,実は周り中に満ちている現象であることに気づかされる.個別のトピックではやはりトキソプラズマを巡る状況が印象的だ.私たちはネコを飼うことがどのような影響を与えるかについてもっとよく知っていた方がいいのかもしれない.テーマの面白さに加えて,序言や後書きが非常にいい味を出していて読んでいて面白いし,熟読した後で,世界の見方が少し変わるような体験を味わうことができるいい仕上がりの本だと思う.


関連書籍


ドーキンスの利己的な遺伝子に続く第二弾.本人も著書の中では一番のお気に入りらしい.論理的に詰めていくことを極めた名著だと思う.




 

*1:「狭義のホスト操作」とはパラサイト側の一方的な適応という趣旨だ.これにはたとえば「中間ホストの免疫を逃れるために神経系において包嚢化するようになったことがホストの行動操作そして最終ホストに捕食されやすくなることにつながる」というようなルートがあり得る.

*2:「マフィア戦略」とはホストとパラサイトのそれぞれの戦略の妥協点として進化するものの総称だ.これは「オニカッコウ類が,卵を排除するホストに対して,再度托卵してホスト卵をさらに取り去る行動を見せるために,ホストは次善の策としてカッコウのヒナを受け入れる現象」から名付けられている.トーマスたちは完全にマフィア戦略の存在を実証したリサーチはきわめてまれだとしている.

*3:「ホストの補償メカニズムの利用」とは,ホストの対パラサイト戦略を利用する形の操作をいう.たとえば「パラサイトに栄養をとられるためにより採餌行動をせざるを得ず,それにより捕食されやすくなる」ようなケースだ.

*4:なおこの動的ゲームモデルの詳細はここでは述べられていない.別途論文にしたいということだろう

*5:代替仮説として後からくる別のカッコウによる卵排除への対抗,卵捕食者への対抗が検討されている

*6:なおここで例外としてオオバンに托卵するズグロガモの卵が(オオバンは卵排除するにも関わらず)ホスト卵にまったく擬態していない例が取り上げられている.説明する仮説としては,オオバンが種内托卵への強い淘汰を受けていて,中途半端な擬態では全く効果がないという説と,カモの卵だからオオバンの種内托卵より無害であり排除コストをかける価値がないと信号を送っているという説があるそうだ

*7:ホストヒナの口内模様が,口内だけではなく翼にも二カ所ある

*8:ここでは未感染ホストの感染個体識別戦略(アソーティブメイティング)の進化も取り扱われている.

*9:性転換についてはメカニズムや,転換メスを避けようとするオス側の選り好み戦略の進化なども含めて詳細に説明がある

*10:ここでは野外に放牧される家畜が肉食獣に補食されやすくなることを例としてあげている.あまり大きなインパクトにはならないような気もする.なおこのほか採餌効率などにも影響があるだろう.

*11:生け簀の魚が操作されて海鳥に捕食されやすくなることが指摘されている.

*12:Rhが多型を維持しているのは,マイナスタイプの女性がプラスタイプの子を妊娠したときにリスクがあることを踏まえると進化的謎だといえる.この主張によるとRhのへテロ型はトキソプラズマ感染に対して有利性を持つ(男性が感染したときに反応時間の遅延に対して耐性を持つ)ために多型が維持されていることになる.

*13:ヒトの祖先はヒョウに食われていたのだからヒトは中間ホストとして操作されてた可能性も高いが,少なくともかなり以前から事実上デッドエンド化していただろうと主張されている