Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later その6

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次の批判は本書の最終部分でのニーチェの扱いについてのものになる.ピンカーはこれが多大な反発を受けるとは予想していなかったと書いている.

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

<批判 その9>
  • なぜニーチェをそんなに悪く言うのか

 

<応答>
  • 私は自分の本のどこが読者に注目されるかについていつも驚くことになる.「Enlightenment Now」では,それは私のニーチェの扱いについてだった.ニーチェは哲学者であり,その著書の中身は「ヒューマニズムの真逆は何か?」という質問への解答だ.

 

  • ニーチェは「多くの人の苦痛を減らして,幸福度を上げる」という理想はユダヤ-キリスト教的「奴隷のモラル」の感傷的な残存物であり,究極のゴールに至る唯一の道は英雄と天才が偉大な功績を挙げて人類種を持ち上げることだと論じた.私はそれに関するニーチェの言葉を多数引用し(具体例:「高貴な男性による大衆への宣戦布告」「劣った人種の殲滅」・・・),そしてそれ以外の関連する言葉(具体例:「しくじった何百万人を絶滅させる」・・・)をリスト化した.そしてニーチェがファシストやナチスやボルシェビキに崇拝されていたこと,現在もオルトライトや白人至上主義者や自分がイケてると勘違いしている芸術家やインテリを鼓舞し続けていることは偶然ではないかもしれないとほのめかした.
  • 私のニーチェ主義への否定は余談などではない.これまで多くの著者たちが「ニーチェ思想は啓蒙主義が神を否定したことの不可避の帰結であり,もしあなたが啓蒙運動的ヒューマニストならあなたは同時にニーチェ主義者に違いない」と論じてきた.この「ニーチェは無神論者であり『神は死んだ』と宣言した.多くのヒューマニストも無神論者であり『神は最初からいない』と信じている.だからヒューマニストとニーチェは同じだ」という議論は論理的誤謬だ.
  • このように考える人の一部は単に無知からそうなっている.彼等はあまりにも有神論的モラルにとらわれていて,神以外から倫理を導く方法について見当もつかないのだ.(啓蒙運動思想家はどのようにそれが可能かについてプラトンを引用して示している) その他の人はもう少し物事がわかっているが,しかし現代(modernity)の理想,例えば科学,進歩,リベラル民主主義を受け入れられず,それを連想によって覆そうとするのだ,(そのもっとも良い例はジョン・グレイだろう.彼への批判についてはアンソニー・グライリングとジェリー・コインのエッセイを参照のこと)

www.newstatesman.com

https://newhumanist.org.uk/articles/1423/through-the-looking-glassnewhumanist.org.uk

Philosopher John Gray denigrates reason and promotes religion on the BBCwhyevolutionistrue.wordpress.com

 

  • いずれにしても「啓蒙運動=ニーチェ主義」という等式の誤りを示すのは容易だ.ニーチェのその文才のすべてを使って「ほとんどの人の人生は無価値だ」と論じており,それはヒューマニズムの考えの真逆だ.ヒューマニズムはニーチェではなく啓蒙運動によって鼓舞されており,ニーチェは啓蒙運動を蔑んでいた.そしてヒューマニズムUKの最高責任者でインターナショナルヒューマニストと倫理ユニオンの会長であるアンドリュー・コップソンはこう言っている.「ヒューマニズムとは有神論とニーチェをともに否定するものだ」

 

  • 何人かの批評家は私のニーチェの扱いについて憤慨して「ピンカーはジョークを解しないのだ」と攻撃してきた.(彼等によると)ニーチェはジェノサイドや女性蔑視的な言葉をそのままの意味で使っているわけではなく,皮肉,フィクション,あるいは時代も場所も違う人々の精神を再構築する試みと解すべきなのであり,ニーチェの文章は警句,パーソナルなもの,非倫理的なもの,矛盾とパズルに満ちた非論理的なものであり,誰も真に理解できないもので,私にはそれを批判する権利はないのだそうだ.

 

  • いやはや,あるいはそうなのかもしれない.しかし,「ニーチェはナチスやオルトライトに誤解されたのだ」と主張するニーチェの擁護のなかにも,彼がファシストに利用されたことの責任の一部はニーチェにもあると認めているものがいる.
  • いかにも.もしあなたのヒーローが「堕落する人種の殲滅と優秀な単一人類の興隆」を次々と流麗な文章で喧伝したのなら,洗練された解釈能力を持たない一部の読者が「堕落する人種の殲滅と優秀な単一人類の興隆」を信じ込んでも驚くべきはないのだ.

 

  • ニーチェが当時のユダヤ排斥主義者やドイツナショナリストに対して敵対していた(それも「Enlightenment Now」には書いておいたが)としても,それは効果的な擁護にはならない.哲学者のケリー・ロスは「ニーチェの人種差別主義は明白だ」と書いている.ロスは私のニーチェの扱いはむしろやさしい方だとも書いてくれている.

www.friesian.com

 

  • 私はニーチェについての専門家だと主張するつもりはない.私の「ニーチェは反啓蒙運動,反ニューマニズムだ」という主張は何人かの哲学者や歴史家(バートランド・ラッセル,リチャード・ウォリン,アーサー・ハーマン,ジェイムズ・フリン,R. ラニエル・アンダーソン,ジョナサン・グローバーたち)の仕事によっている.「Enlightenment Now」出版後,私の考えは法哲学者でニーチェ学の学者であるブライアン・レイターの「フリードリヒ・ニーチェ:真実は醜悪だ」というエッセイによって裏付けられた.そこにはこう書かれている.
  • ニーチェは反リベラルと共に実存する「実存主義者」だ.彼は有神論の崩壊を目撃し,ポストキリスト教現代のモラル世界観が基本的に耐えがたいものであるという考えに結びつけた.
  • もし,不滅の魂を持つそれぞれの人間を同じ価値あるものとして扱う神がいないのであれば,なぜ我々はみな同じモラル的考慮に値するものだと考えられるのだろうか? そしてもし,ニーチェが議論したように,平等のモラル,利他主義,苦しむものへの憐れみが人類の栄光への障害物であるなら? もしモラルを持つ人間がベートーベンになれないのだとしたら?
  • ニーチェの結論は明確だった:もし平等のモラルが人類の栄光への障害物であるなら,平等のモラルは悪しきものである,これはあまり知られていないが,ニーチェのショッキングな反平等主義なのだ.

www.the-tls.co.uk


私はニーチェについては著書を読んだこともないし,真剣にその思想を理解しようとしたこともないが,まあそういうことなのかなあという感想だ.現代の日本では,そして哲学業界ではニーチェの扱い,あるいは人気というのはどうなっているのだろうか. 

Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later その5

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次の批判は「AIとSNSが啓蒙運動を殺す」というそれだけでは何のことだかよくわからない批判だ.結局よくわかっていない人達による上っ面の批判だということになるのだろう.
認知科学のリサーチャーでもあるピンカーは本書内で既にこのAIについての懸念を一蹴しているが,ここでさらに深く反駁している.
 

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

<批判 その8>
  • 啓蒙運動はその落とし子つまり人工知能(AI)とソーシャルメディアに殺されるだろう.

 

<応答>
  • これはメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」の200周年において,たまらなく魅力的なストーリーラインだった.しかし電気ショックによる死体の生き返りと同じく,人類を置き換える汎用AIというのはSFファンタジーに過ぎない.私は「Enlightenment Now」において,AIが人類を征服したり人類抹殺事故を起こしたりするはずがないと論じた.
  • このテーマはツイートやロボカリプス記事に現れ続けた.しかし最近では多くの記事がこれを洗い流そうとしている.(例が示されている)

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www.theguardian.com

www.technologyreview.com

 

  • (3番目の記事の著者である)ブルックスはMITのAIの専門家だが,「起こりそうにもないこと(広範囲な失業,シンギュラリティ,人類と異なる価値観を持つAIが人類絶滅を企むこと)への恐怖」について手厳しく批判している.
  • 彼は多くの誤解について洞察に富んだ診断をしてくれている.それはアーサー・クラークの「十分に発達した技術は魔法と見分けがつかない」のアプデート版ともいえるものだ.
  • 彼はニュートンが現代にタイムトラベルしてiPhoneを手に入れたらどうなるか想像するように読者を促している.ニュートンはiPhoneの様々な機能に驚き,それはちょうどプリズムのように(充電なしで)永遠に機能すると考えるかもしれない.これが未来の技術の想像に際しての問題なのだ.その機能が我々の理解を超えると,その制限や限界を想像することもできなくなるのだ.そうなるとそれは魔法と同じになる.どのような機能の主張も反駁不可能になる.

 

  • 2018年の風変わりで,技術をまるで魔法のように扱う予言の1つはヘンリー・キッシンジャーによるものだ.「どのように啓蒙運動は終わるのか」と題されたその記事の副題は「人類社会は哲学的にも知的にも,そしてどんな風にもAIの興隆に対して準備できていない」というものだ.

www.theatlantic.com

  • 彼自身インターネットの興隆に対して準備できているようには見えないことから見て,この95歳の政治家がテクノロジーの将来についてのベストなガイドだということはありそうもない.(キッシンジャーのピンぼけコメントが皮肉っぽく紹介されている)
  • AIがどのようにインターネットに統合されて啓蒙運動を殺すというのだろうか? キッシンジャーはAIのアルゴリズムは人から見て不透明で,意思決定をAIに委ねることは,政策を理性的に決定し説明するという理想を忘れさせてしまうと言う.しかしほかのピンぼけ預言者と同じくキッシンジャーは最近のAIのトレンド(マルチレイヤーのニューラルネットワークを誤差逆伝播法で訓練する手法;しばしば誤って「深層学習」と呼ばれる)を理解していない.

 

  • 魔法を解こう.深層学習ネットワークは,画像のピクセルや音の波形などの入力を,画像のキャプションや話された単語などのより有用な出力に変換するようにデザインされている.ネットワークは何百万もの情報のかけらをインプットから受取り,最初のレイヤーでそれを何千もの重み付けした組合せにして計算し,その結果を受け取った次のレイヤーはそれを別の重み付けの組合せにして計算し,それを次々に繰り返し,結果を答えの推定として出力する.ネットワークはそうやって計算した答えと(外側から与えられる)正解を比較し,その差異を巨大な数の信号変化として隠されているレイヤーに送り返し,答えが正解に近づくように重み付けを調整する.これを何百万回も繰り返す.これはきわめて速いプロセッサーと巨大データデットが可能にしたものだ.(私は「 How the Mind Works(邦題:心の仕組み)」でこれらのモデルの第1世代について詳細な解説を置いている)
  • 深層学習ネットワークはレイヤーの数が多いという意味で「深い」のに過ぎない.レイヤーの理解は玉ねぎの皮ほども「薄い」のだ.何日もトレーニングしたネットワークは驚くほど上手に入力を使える出力に変換するが,しかし彼等がその意味を理解しているわけではない.翻訳ネットワークは扱う文についての質問には答えられない.ヴィデオゲームをプレイするプログラムはその世界のオブジェクトや力について理解しているわけではなく,ルールのマイナーチェンジに対応できない.
  • 確かにプログラムの知性は何百万もの小さな数字によっていて,どのように決定されたかについては我々人間は再構成できない.それが「AIは我々にはわからない目的を持つのではないか,我々が感知できないバイアスを持つのではないか」という恐怖に結びつき,啓蒙運動の理性に対する脅威に思わせてしまうのだろう.

 

  • しかしこれこそが,AIエキスパートたちが,その最近の大成功にもかかわらず,AIネットワークの向上は障壁にぶち当たっていると考えている理由なのだ.そしてエキスパートたちはさらなる進歩のためには新しい種類のアルゴリズム,おそらく明示的な知識表出を含むものが必要だと考えている.エキスパートたちにはゲアリー・マーカス,ジュディア・パール,ジョフリー・ヒントン,アーネスト・デイヴィスたちが含まれる.(彼等の論文や記事が紹介されている)

medium.com

arxiv.org

www.axios.com

www.nytimes.com

  • そしてマーカスとデイヴィスが正しいなら(さらなる進歩のためには)AIはアイデアと目的をもっと明確に表出できるようにならなければならないだろう.AIはヒトを幸福にするためのツールに過ぎない.それがどう動くかが透明でない限り,つまりAIが人々の目的を理解し,常識と我々がセットした制限に従い,エラーを正すようにエンジニアリングできなければ,それは真に知性を持つとは言えないのだ.

 

  • もう1つの恐怖を生みだす魔法の道具がソーシャルメディアだ.そして民主制の破壊から特定世代の荒廃までこの惑星のすべての厄災の原因だと非難されている.しかし西洋文明をお払い箱にする前に,物事を歴史的に捉えるべきだ.これまで新しいコミュニケーションツールが現れると,いつもそれはまず偽伝,剽窃,陰謀論にあふれ,何らかの真実の保証方法が編み出されるまで続いたのだ.トンデモや陰謀論を好むものは常に存在するからだ.ソーシャルメディアはまだ始まったばかりであり,それがこの先もひどいマインドコントロールの道具であり続けて民主制や啓蒙運動的な組織を破壊すると信じる理由はない.政治学者のブリーデン・ナイファムが主張するようにフェイクニュースの影響力は誇張されているのだ.ナイファムは2016年の選挙のソーシャルメディアを調べ,選挙関連の書き込みがフェイクである比率は非常に低く,それを読んだ人は比較的少なく,フェイクなものも説得力を持たないものがほとんどであったことを見いだした.

www.nytimes.com

 

  • スマホの与える心理学的影響も歴史的視点から眺めてみるべきだ.

(ここで,1840年代の書籍,1880年代の新聞,1910年代の雑誌,1960年代のテレビ,1980年代のウォークマンがそれぞれ以下に憂われていたかを示し,今のスマホへの憂いも同じではないかと示唆するXKCDのコミックが紹介されている)

  • 「ここ数十年で最もメンタルヘルスに問題を抱える世代」? この警鐘を鳴らした心理学者ジーン・トゥインジはメンタルヘルスの推移傾向をリサーチした.

www.theatlantic.com

  • 彼女の記事は,ほとんどすべての世代が子どもたちにパニックになっていたことを示す戯画のようなものになっている.ミレニアル世代のナルシシスト傾向,iGenのスマホ依存など.この記事はすぐに激しく非難された.(批判記事がいくつか紹介されている)

medium.com

medium.com

https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/0956797616678438journals.sagepub.com

www.zacharykarabell.com

 

  • まず,批判者の言うように子どもたちはほぼOKだ.その前の世代に比べアルコール依存,喫煙,犯罪,交通事故,妊娠,避妊なしのセックスの比率は低い.ティーンエイジャーの幸福感はここ20年で変化していない.メンタルヘルスの低下はごくわずかで,アメリカ経済の景気後退後の他の世代のそれとほぼパラレルだ.
  • スマホの使用は(極端な過剰使用をしない限り)メンタルヘルスに良い影響を与えるのかもしれない.(そして過剰使用とメンタルヘルスの相関関係も因果を示すものではないかもしれない.鬱になったティーンエイジャーはエレクトロニックな暇つぶしに没頭しやすいということかもしれないからだ)


関連書籍

ゲアリー・マーカスのAIについての最新刊.

Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later その4

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次の批判は現代社会は人々の幸福感を蝕み,鬱や孤独や疎外,そして精神疾患や自殺が増加しているに違いないという思い込みからの批判になる.これは事実の誤認の上の批判だが,結構多く見られるということだろう,ピンカーは丁寧に対応している.

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 
 

<批判 その7>
  • リベラルな先進国における絶望,鬱,孤独,精神疾患,自殺の増加をどう説明するのか?

 

<応答>
  • 説明などしない.なぜならそんな増加など生じていないからだ.
  • とはいえいくつかのサブポピュレーションは悲劇的に苦しんでおり(特に中年で低教育で田舎に住む白人アメリカ人はそうだ),そのため人々はどんどん不幸になっているという信念は非常に強固な幻覚になっている.それは「楽観度ギャップ」「『個人的楽観度/全国的悲観度』コントラスト」「ソロー幻覚」とでも呼ぶべきものだ.これについての良い概説はマックス・ローザーとモハメッド・ナジーによるOur World in Dataの記事になる.そこでグラフで示されているのは,すべての国で人々は「周りの人は自分より不幸だ」と考えているということだ.例えばアメリカ人は,「アメリカ人の過半数は幸福ではない」と考えているが,実際には90%が幸福だと答えるのだ.

ourworldindata.org

 

  • いくつかの特定の主張を見て見よう.リベラルな先進社会は疎外と絶望の掃き溜めどころか,実際のところ世界で最も幸福な場所だ.「The World Happiness Report 2018」によると世界で最も幸福な10カ国は,最もリベラルで先進的な北欧5カ国,スイス,オランダ,カナダ,ニュージーランド,オーストラリアだ,そして都市伝説と異なりブータンはそれほど幸福ではない(156カ国中97位).

worldhappiness.report


(なおこのリポートの幸福度は基本的にはアンケート調査に基づいて算出される.本記事のあと2019年3月に2019年版が出されている.これによると上位国はほぼ同じだ.ただしオーストラリアが11位に後退し,代わりにオーストリアが10位に入っている.アメリカは19位,日本は58位だ.日本の低順位についてはアンケート調査への回答傾向の文化的バイアスが影響しているのかもしれない)
 

  • 「Enlightenment Now」でも書いたように,世界はより幸福になっている.マックス・ローザーとエシュタバン・オーティス=オスピーナのOur World in Dataの記事によるとデータセットが2つ以上ある69カ国のうち49カ国の最新のデータで幸福度はその直前より増加しているのだ.

ourworldindata.org


f:id:shorebird:20190903231422p:plain
 

  • 鬱,先進疾患,薬物中毒の蔓延はどうなのか.ハンナ・リッチはOur World in Dataの記事でこう言っている.「多くの人は精神疾患問題は最近悪化しているという印象を持っている.IMHE(http://www.healthdata.org/gbd)のデータはこの結論を支持しない.精神疾患と薬物中毒の問題の状況は26年前の基本的に変わっていないのだ」

 
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  • 自殺についていえば,2018年のエコノミストの記事でトレンドが整理されている.自殺はほとんどすべての場所で減少しているのだ.

www.economist.com

 
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  • グラフはでアメリカと世界全体のラインがクロスしている.これがなぜ多くの人が自殺トレンドを誤解しているかをよく示している.アメリカ人ジャーナリストは一番腐ったチェリーをピックアップしていたという訳なのだ.アメリカは1999年から2016年にかけて世界トレンドに逆行していたのだ.アメリカの1999年の自殺率は実は史上最低で,20世紀前半には遙かに高かった.これはスイスや英国でも同じだ.
  • 自殺率をさらに詳細に分析するのは難しいが,エコノミストの記事では以下のように説明されている.
    • 「より大きな自由が自殺率減少の1つの要因だ」と精華大学教授のジン・ジュンはコメントしてる.女性の自立は多くの女性を救っただろう.2002年の調査では田舎の若い女性の自殺率は高く,自殺未遂者の2/3は不幸な結婚生活,2/5は夫に暴力を受けていること,1/3は姑との諍いを理由として挙げている.ジンは「彼女たちは夫の家族に嫁入りしたのだ.彼女たちは故郷を離れ,知り合いが1人もいないところに嫁いだ」と説明している.
    • インドでも同じようなことが起きている.「インドの若い女性は特に厳しいジェンダー規範に直面している.」とハーバードメディカルスクールのヴァイカラル・パテムは言う.もし妻の両親がその結婚を認めない場合には,両親は警察に娘を誘拐されたと訴える.そして警察は21才の女性を同意に基づく家庭から引きはがすのだ.パテムはこう結論する.「インドの多くの自殺は若い人が自分のロマンティックパートナーを選ぶための方法を欠いていることから来ているのだ」

 

  • イスラム学者ナディア・オウェイダットはあまりリベラルでも先進国でもないヨルダンで育ったときになぜ自殺を考えたかについてこう語っている.
    • 大学に行きたいと家族に言ったとき,彼等は激怒した.高校を卒業した時点でもう十分だと.私は英語を学んで国外に出るという望みを持つようになった.彼等はそんなのあきらめてすぐに結婚しろと迫った.
    • この諍いを終わらせる方法があるのは知っていた.大学に進んで教育を受けアメリカに脱出するか,あるいは死ぬかだ.

www.malanational.org

 

  • デュルケーム的な結束の強い家族,親密な村の生活,伝統的社会規範は人々を疎外と自殺から守るという考えも再考を迫られている.エコノミストの記事が結論づけたように,「世界全体で自殺率は田舎の方が高い傾向がある.社会的絆は時に人々を束縛する.暴力的夫や暴君的姑から逃げ出すのは都会の方が容易なのだ」
  • これらのことは,田舎に住んだこともないくせに伝統的生活を切望する批評家たちの頭から抜け落ちている.バークレーの教授であるアリソン・ゴプニックの「Enlightenment Now」の書評サブタイトルは「この新刊でピンカーは不思議なことに小さな村の価値を無視している」だった.この自分で経験してもいないのに浸るノスタルジアは,不思議なことに田舎の小さな村の生活の偏狭主義,同調主義,部族主義,女性の自立の阻害を無視しているのだ.
  • 確かに啓蒙運動は女性が拡大家族に属しながら科学者としてコスモポリタン的大都会で成功する方法を示すことができたわけではない.しかし彼女がその選択権を持つようになったことが,現代への告発理由になるはずもない.

 

  • 人生にはトレードオフがつきものだ.現代社会のかつてないような自由は,親密さと自立のトレードオフ,長期的にまずいことになる誘惑に負ける自由を含むのだ.我々はまだ皆が自由をうまく使えるようなナッジを駆使できる完璧なリバタリアンパターナリズムには行き当たっていない.しかし法学者リチャード・ポズナーが指摘するように.現代への嘆きに繰り返し現れる誤謬は「理想化され悪徳を無視した過去と悪魔化した現代を比較すること」なのだ.

Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later その3

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次の批判はいかにも感傷的なもの.ピンカーは簡単にかつ辛辣に切って捨てている.その次は前回につながるところで,現在ある懸念についてどう考えるかというもの.こちらはかなり丁寧に答えている.

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

<批判 その5>
  • 人類のウエルビーイングの数字を眺めるというのは非倫理的で残酷で無慈悲な行いだ.今苦しんでいる人に一体何と言うつもりか?

 

<応答>
  • ほとんどのジャーナリストは伝統的な興味本位の報道における自らの数音痴振りについてきまり悪く感じている.しかし逆にそれをひけらかす者もいる.その良い例は「ピンカーは人類はうまくいっているとあなたに思わせたいのだ.個別の人については問題にするなというわけだ」というニューヨークタイムズの書評記事だ.

www.nytimes.com

 

  • この告発に対してはそのまま裏返して答えることができる.数字を見ることこそ人の苦しみに対して道徳的,同情的,そしてセンシティブなやり方だ.それは,部族メンバーや写真映えが良いものや近所の出来事を優先したりするよりも,すべての命を同じように慈しむものだ.データをみることこそ,どこで最も人々が苦しんでいるか,それを減らす方法は何かを知るために良い方法なのだ.
  • 7世紀の位取り法の発明の真価がわからない人には「Factfulness」に描かれた貧困とそこからの脱出を何度も繰り返しイメージすることをおすすめする.毎日重労働で同じもの食べ,飢饉の年に飢え,幼い子どもたちが死んでいく家族のイメージから,いつでもチキンと卵を入手でき,ストーブを囲み談笑し,子どもが学校に通う家族のイメージへの転換だ.そしてそれを1000年間休みなく繰り返しイメージするのだ.これを別のやり方で評価するとこうなる「過去25年間に10億人が極貧から抜け出せた」

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<批判 その6>
  • ドナルド・トランプをどう説明するのか? ブレクジットは? 権威主義的ポピュリズムは? 彼等は啓蒙運動の終わりと進歩の終焉をもたらしているのではないのか?

 

<応答>
  • 啓蒙運動の理想,すなわち不偏の理性と科学的自然主義とコスモポリタンなヒューマニズムと民主政体は人類に最も良い展望を与えるものだが,それは直感的ではない.人々は容易に動機に動かされた偏った認識,マジカルな思考,部族主義,権威主義,黄金時代へのノスタルジアにスライドバックしてしまう.
  • そして啓蒙運動思想は常に主流であったわけではない.1945年以降影響力を持つようになったが,それでもロマン主義者,民族主義者,軍国主義者,その他の反啓蒙運動主義者たちから攻撃され続けている.2010年代の権威主義的ポピュリズムも単に感情面だけでなく思想面でそれらの流れの中にある.「Enlightenment Now」でも触れたようにトランプ主義の知的ルーツは反啓蒙運動主義にある.これらは経済的文化的人口動態的な変革期に,特に時代に取り残されたように感じる人々の間で流行しやすい.
  • 啓蒙運動と進歩を信じる者たちにとって,トランプ政権の2年目は椅子に縛り付けられて予期できない電気ショックを与えられ続けたようなものに感じられただろう.凶悪な独裁者を持ち上げ,報道の自由と公正な司法の基礎を掘り崩し,外国人を蔑み,環境保護を台無しにし,環境科学を馬鹿にし,国際協力をないがしろにし,核軍拡競争を再開すると脅しているのだから.
  • しかし将来が永遠に泥靴で踏みつけられるようなものだと悲観する前に,権威主義的ポピュリズムについてより広い視野から見直してみよう.ポピュリズムは確かに最近膨張したが,どうも天井を打ったように見える.過半数のアメリカ人はトランプを支持していないし,ヨーロッパでもナショナリスト政党は中央値で13%の得票しか得ていない.ポピュリスム支持のデモグラフィックセクター(田舎,低教育,老人,エスニックマジョリティ)はみな減少している.
  • 2018年のトランプ大統領とブレクジット推進派の労苦は.サポーターたちに実務は理論ほどうまくいかないことを改めて思い知らしめた.彼等の前に立ちふさがったのは,国内の民主政体のチェックとバランス,そして国際的な協調への圧力だ.国際協調こそ,貿易問題,移民問題,環境汚染,新興感染症,サイバーテロ.海賊,ならず者国家,戦争などに対する最も効果的な対処法なのだ.
  • トランプやその他の反動的リーダーたちが世界に害を加えることができ,それに対してしばらくの間は反対して封じ込めを講じなければならないとしても,彼等だけが世界の中で行動しているわけではない.コネクティビティ,モビリティ,科学,人権と人類の幸福という理想を含む現代の力は各国政府と民間セクターと市民社会組織に幅広く行き渡り,情勢を一夜で逆転させないだけの大きなモメンタムを持っている.
  • 政治経済学者のアンガス・ハーベイはポジティブな進展を示すデータセットを報告している.(温暖化ガス放出量の減少,自然保護区の増加など14の例が挙げられている)

futurecrun.ch

Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later その2

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ピンカーの啓蒙運動擁護本に対する批判への応答.3番目のトピックあたりからはかなり本筋に関わる議論になってくる.まず延々と採り上げた「これまで世界が良くなってきている」という事実の提示に関する疑問が取り上げられている.
 

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

<批判 その3>
  • 一体どうして「心配することはない.すべてうまくいく」などということが言えるのか.海洋のプラスティック汚染はどうなのか? 麻薬の蔓延は? 学校での銃乱射事件は? 多すぎる収監者の問題は? ソーシャルメディアは? ドナルド・トランプは?

 

<応答>
  • 「Enlightenment Now」を書くことは,「Better Angels of Our Nature(邦題:暴力の人類史)」で発見したことを再発見することでもあった.「進歩」というのは新奇でエキゾティックで反本能的な概念だ.多くの人々は「進歩があったかどうか」という質問を「悲観主義者であるのか楽観主義者であるのか」という質問に読み替えてしまう.そして彼等は進歩の原因は何か神秘的な力で世界をユートピアに向かって運んでいくものだと考えてしまう.
  • しかし「進歩があったかどうか」は物事の見方ではなく,事実に関する質問だ.それは計測可能で,実際に様々な指標が向上しているのだ.「Factfullness」の著者ロスリングがいうように多くの人は悲観主義ではなく無知のために進歩を否定してしまう.
  • 同時に,「進歩」は過去すべての期間ですべての面ですべての人にとって良くなったことを意味するわけではない.それはもはや進歩ではなく奇跡になるだろう.進歩は奇跡ではなく問題を解決していった結果なのだ.問題が生じること自体は不可避であり,解決策はまた別の問題をもたらし,それはまた解決されなければならない.このためある面で進歩がある中で別の面では停滞や後退が存在する.しかしほとんどの人にとって世界がより良くなったという意味で進歩は現実なのだ.オバマが言ったように「あなたが誰になるかわからないなかで過去から現在までどの時代に生まれたいかを聞かれれば,それは『今』を置いてほかにない」のだ.
  • 現在悪化している物事のリストを提示するのは進歩があるかないかを決めるいい方法ではない.それはコラムニストたちが定期的に再発見しているやり方で,読者を怖がらせて預言者ぶるための方法でしかない.

 

  • 進歩は世界が完璧であることを意味するわけではない.それはかつてより良くなっていることを意味するだけだ.そして進歩を認めることが,今苦しんでいる人々や現在の深刻な問題を無視していいことを意味するわけでもない.

 

  • 将来がどうなるかは今日私たちがどう行動するかにかかっている.
  • しかし現在何をすべきかは,進歩をどう理解しているかによって変わってくる.もしこれまでの世界を良くしようと試みた努力がすべて無に帰したと信じているなら,つまりすべてはムダだったと思うなら,あきらめて現在を享楽的に楽しむのが最善になる.もし現在が最悪で,すべての組織が機能不全で改善不可能だと信じるなら,正しい方策は帝国を破壊してすべてを焼き尽くし,焼け跡から何かいいものが生まれることを期待すること,あるいは『私だけが問題を解決し,この国をもう一度偉大にできる』と叫ぶストロングマンにすべての希望を託すことになる.
  • しかし,もし理性と科学を用いて人々をより良くできると信じるなら,正しい方策は,よりこの世界についての理解を深め,組織を改善し,人々をより良くするように務めることになるのだ.

 
この批判は『進歩』が何を指すのかについての誤解というやや初歩的なところでつまづいたものだが,多くの人にとって大いに陥りやすいところなのだろう.ピンカーはあまり辛辣にならずに丁寧に応答している.
 

<批判 その4>
  • これらの世界の改善傾向を示す数字はみなチェリーピックされたものに違いない.

 

<応答>
  • これはひどい言い掛かりであり,世界が良くなってきた可能性を信じられないことから来ている.
  • 時にこの懐疑は完全に政治的なものだ.「進歩派は進歩を嫌う」という私のコメントに対して怒り狂った批評家たちには左派活動家のデイヴィッド・クレイバーのツイートを紹介しよう.

誰かあのネオリベラル/保守派たちのここ30年の社会の進歩についての数字への反駁方法を知らないか? あいつらの数字は貧困も文盲率も子どもの栄養失調もみな鋭く低下していると言ってる.こんなのが正しいはずがない.きっと右派のシンクタンクのでっち上げに違いない.でも正しい数字はどこなんだ.見つけられないんだ

  • そうだろう.「Enlightenment Now」で挙げた数字は(チェリーピッキングではなく)すべてのチェリーを数え上げたものだ.私はすべての論者が進歩の指標として合意できる数字,長寿,繁栄,教育から始めた.そして「Better Angels of Our Nature」でやったのと同じく暴力と蛮行をグラフ化した.そして心理学的な進歩の原因であるリベラル価値,さらにその結果である幸福感も採り上げた.
  • そのすべてで私は最も客観的で合意を得やすい指標(例えば戦争による死亡数,殺人による死亡数など)を選んだ.大学の研究者,政府機関,国連のような国際機関によってまとめられた数字にこだわり,「世界が悪い方が自分たちのビジネスにとって都合がいい」ような組織による数字を避けた.存在する限り世界全体の数字を使った.そしてそのデータセットの全期間データを用いたのだ.
  • より細かな数字(年代ごとの平均余命,雷による死亡など)については,英国とアメリカのデータを多く用いた.それはデータが入手可能で,多くの想定読者が興味を持つと考えたからだ.しかしこれらのデータは開発途上国の大いなる改善を含んでおらず,進歩を過小評価しているだろう.

 

  • どのケースでも進歩は肉眼で観察可能(なほど明確)だ.それは私が数字を操作しているからではない,そんなことはできない,データセットは簡単に入手できる.確かにグラフは上下しているし,指標について異なる定義もある.しかし進歩恐怖論者の主張とは異なり,結論はうごかない.
  • そしてこの結論を提示しているのは私だけではない.「Enlightenment Now」の出版以降同じような結論を提示する5冊の本が出版されている.

It's Better Than It Looks: Reasons for Optimism in an Age of Fear

It's Better Than It Looks: Reasons for Optimism in an Age of Fear

The Perils of Perception: Why We're Wrong About Nearly Everything

The Perils of Perception: Why We're Wrong About Nearly Everything

Factfulness: Ten Reasons We're Wrong About The World - And Why Things Are Better Than You Think

Factfulness: Ten Reasons We're Wrong About The World - And Why Things Are Better Than You Think

Clear and Present Safety: The World Has Never Been Better and Why That Matters to Americans (English Edition)

Clear and Present Safety: The World Has Never Been Better and Why That Matters to Americans (English Edition)

The Optimistic Leftist: Why the 21st Century Will Be Better Than You Think (English Edition)

The Optimistic Leftist: Why the 21st Century Will Be Better Than You Think (English Edition)

(少なくとも「Factfullness」には訳書がある)

FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

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  • 作者: ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド
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  • さて,これらが示す世界の数字を読者にある代替情報源と比べてみよう.ジャーナリストは定義からしてチェリーピッカーだ.彼等は戦争や疫病や災害などの稀な出来事を取り上げる.平和や健康や安全などの日常的出来事は取り上げないのだ.寿命や事故についての統計は悪い方向に向かったときだけ報道される.
  • このビルトインされたネガティブを採り上げる傾向に加えて,ジャーナリストは彼等の言う「モラル的な見地」から読者を日常の満足感から振り落とすべく恐ろしい事件を探し求め,その際に定量的な見方を封じ込めている.(オニオンの記事では皮肉交じりにこう紹介されている「CNNはどのニュースが視聴者をその日の残りの時間中パニックに落とし入れるかを決めるためのモーニングミーティングを行っている」) そして新聞は近隣で誰かがおぞましい犯罪にあったような出来事を商売道具にしているのだ.

www.theonion.com

 

  • もしこれらのニュースがデータとセットで提示されるなら読者のトレンドへの理解に役立つだろう.しかしそうでないならそれは書き手の思いのままに読者を利用可能バイアスに突き落とすことができる.
  • このような操作的でないやり方も可能なのだ.私たちは,メディアが天気やスポーツや金融市場と同じように事件についても定量的なデータと一緒に提示することを想像することができる.

 

  • 専門的な歴史学も美味しい果実を追い求めている(つまりチェリーピックしている).戦争,飢饉,恐怖政治,革命については多くの歴史が書かれているが,平和と豊穣と調和についての歴史は少ない.そして人類のウェルビーイングの歴史的傾向についてのものはさらに少ないのだ.

 

  • 環境問題はまた別の課題を提示している.私は環境の質についてのグローバルな長期的データセットを提示することができなかった.これを計測することを可能にするどんな歴史的概念も存在しないからだ.確かに誰も過去250年で環境が向上しているとは主張しないだろう.実際に多くの進歩は環境とのトレードオフの上に実現してきた.
  • しかしながら過去10年についてはグローバルなレポートがある.そしてこの環境パフォーマンスインデックスによると180カ国のうち178カ国で環境は改善しているのだ.これは環境が向上し始めたことを示唆しているようだ.それを知って世界を眺めると,これまでの環境悪化要因であった世界全体の人口増加は,1962年に増加率のピークを打ち,現在増加率が大きく低下中であることを知ることができる.(これはまだあまり知られていないが,ブリッカーとイビットソンの本に書かれている)

Empty Planet: The Shock of Global Population Decline

Empty Planet: The Shock of Global Population Decline

 

  • すると問題は環境を示す数字のどれをグラフにして示すかということになる.私は最も刮目すべき指標としてCO2放出量を選び,さらにアメリカのCO2放出量,森林面積,石油の海洋汚染,自然保護区の面積を選んだ.それらはすべて改善している.
  • 批評家たちは,生物多様性や淡水リソースをプロットすることもできたはずだと批判している.それはすべきだったのかもしれない.しかしあの部分の私の目的は環境の状況を示すことではなく,伝統的ジャーナリズムや活動家たちの環境破滅の運命論を突き崩すことだったのだ.

 
ここは本書の大半をなす労作の真価に絡むところで,ピンカーも猛烈に反駁している.そしてマスメディアのドラマチックで悲観的なニュースへのバイアスを繰り返し指摘する.ピンカーに言われてみて確かにスポーツニュースや株式市場・金融市場の記事には定量的な部分があることに気づかされる.社会的なものも同じように扱うことは可能だろう.殺人や事故のニュースを伝えると共に,その10万人あたりの発生件数の推移を打率や防御率のように示せばいいのだ.そうであればどんなにいいかと思ってしまう.