書評 「チョウの生態「学」始末」

 

本書は共立スマートセレクションシリーズの一冊,チョウやトンボの生態学の大御所である渡辺守によるチョウの行動生態研究についての本になる.渡辺の研究生活は日本の生態学が行動生態学を受け入れていった時期に重なっており,その同時代的な証言と共にチョウの行動生態の知見の広がりが語られている.
 

第1章 はじめに

 
第1章はこの行動生態学の受け入れを扱っている.日本でドーキンスの「利己的な遺伝子」が(「生物=生存機械論」という邦題で)出版されたのが1980年であり,この考え方を受け入れるかどうかが議論となったが,若い世代の研究者には抵抗なく受け入れられていったこと,特にチョウの生態学についてはメスの多回交尾がうまく説明できることから浸透していき,1990年の中頃には利己的な遺伝子理論が席捲するようになったことが記されている.また本書では前半に行動生態学受け入れ前の生活史戦略の研究が,後半に行動生態学受け入れ後の繁殖行動研究が描かれることも予告されている.
 

第2章〜第3章 チョウの生活史

 
行動生態学受け入れ前のチョウの生活史の研究は個体群動態の研究として行われたということになる.まずここでは個体識別した上での標識再捕獲法(非常に手間がかかる)と三角格子法が解説され,それによる生命表の解析,生存率や移動・分散の解析がなされていたことが説明される.ここからアゲハ類についての研究の実例が実際の生命表と共に紹介されている.面白いところをいくつか紹介しよう.

  • (キアゲハ以外の)アゲハ類の寄主植物はミカン科植物で,メスは匂いの強い若葉や新芽に選択的に産卵する.産み付けられる卵はすべて受精されたものだが,タマゴヤドリバチに寄生されることが多く,寄生率は90%に達することもある.これに対して若齢幼虫期の特異的天敵は知られていない.4齢までのアゲハ類の幼虫は鳥糞状といわれるが,これが鳥糞への擬態として有効に機能しているかどうかを定量的に裏付けたデータはない.あるいは分断色かもしれない.3~4齢以降はアシナガバチ類による捕食,ヒメバチ類による寄生が生じる.全体としては生存曲線は初期死亡が少ない生存曲線になっている. 
  • ナミアゲハの主要な寄主植物はカラスザンショウになる.カラスザンショウは先駆樹種であり攪乱によって土壌が明るくなると一斉に発芽する.ナミアゲハの幼虫は(カラスザンショウが成長するにつれて蓄積していく)タンニンを分解できないので,生息地はせいぜい2〜3年までの二次遷移の初期段階に限定されている.
  • 成虫になったあとはメスは寄主植物を探して産卵し,オスは活発に飛翔してメスを探す.キアゲハは明るい草地を好み,ナミアゲハは森と草地の間,黒色系アゲハは林内やギャップを好む.かつては翅の色の黒さが日光に当たったときの体温上昇に不利であることと飛翔経路の好みを関連付けた説明がなされていたが,実際に調べたところ胴体の温度に翅の色はほとんど関係ないことがわかってこの説明は棄却された.
  • 成虫の平均寿命は2〜3週間で,羽化後しばらくは死亡率が低く,日齢が進むにつれて高くなる.翅のしなやかさと鱗粉の豊富さが捕食回避に効いているからだと考えられる.成虫時の重要な蜜源はクサギ類になり,この蜜源と産卵場所のネットワークが成虫の生息地ということになる. 

 
続いて成虫の訪花行動についての研究が語られている.

  • チョウは長い口吻で多くの花の蜜を吸うことができるので,かつては(植物からみた)花粉媒介の効率は悪いと考えられてきた.しかしチョウの成虫は広範囲に飛翔するために遠く離れて咲いている花の間の花粉媒介においては重要な役割があると考えられるようになっている.(クサギとイヌガラシの蜜量や糖濃度の変化がチョウの花粉媒介効率のための適応的な性質となっていることが示されている)

ここで,チョウのメスの卵の総数の計測方法,メスの摂取蜜量と卵生産能力の関係,オスの生殖器官(先端からみて付属腺物質,精包物質,精子の順に装填されている)の詳細,オスの摂取蜜量と精包生産能力などが説明されている.これらをみるとオスにとって精包が極めて重要で,その精包生産のコストの方が非常に大きいことがわかる.

  • オスは生涯に何度も交尾を行えると考えられてきたが,1回の交尾で10mgもの付属線物質と精包物質を注入しており,この量をフルに回復するには3日間の糖蜜摂取と休息が必要になる.この間オスはメスに目もくれずに摂食に専念する.これまでの実効性比の考え方には修正が必要だと考えられる.

 

第4章〜第6章 チョウの行動生態学

 
第4章からはチョウの行動生態学が語られている.研究者達が何に興味をもち,どのように調べていったのかが同時代的な証言のように構成されていて充実している.本書の中心部分になる.

  • 動物の配偶行動に対する研究は解発因の特定から行動の意味・役割の解析へ変化した.
  • 行動生態学の受け入れ初期にはチョウについても「メスの子育て投資量の方がオスのそれより圧倒的に大きい,メスには多回交尾する動機はない,オスは何頭ものメスと交尾を試みる」という前提から始まった.
  • 過去に得られていた生命表を解析すると,産卵された卵のほとんどは天敵に襲われない限り孵化することがわかり,メスの繁殖成功は参加卵数を指標として評価されるようになった.オスの繁殖成功は生涯に交尾したメスの数が指標とされた.(本来受精卵数をみるべきだが,当時どの程度そのオスの精子で受精したかを知る方法はなかった.)
  • 最初にオスの配偶行動がどのように最適化されているかが調べられた.それは処女メスと交尾できる確率を最大化させるというモデルで,処女メスとの出合い確率,ライバルオスとの遭遇確率,捕食リスクにより最適飛翔時刻が決まるというものであり,メスよりやや早く羽化をはじめること(プロタンドリー)が説明できた.この背景には交尾済みのメスは種特有の交尾拒否行動を示すので,オスと処女メスの比率が実効性比であるという前提があった.
  • しかしこの解釈では(ほとんど処女メスが残っていないであろう)飛翔季節後半までオスが生き残ってメス探索飛翔し,出合ったメスに求愛行動を示すことが説明できなかった.
  • ここで,交尾中の連結時には捕食リスクが高まるにもかかわらず交尾時間は最短化されておらず,付属線物質や精包を送り込むことがオスやメスにとってなんらかのメリットになっていることが示唆された.さらにメス体内には複数の精包が存在することがあり,交尾済みのメスがある程度時間が経過すると再びオスを受け入れることも明らかになってきた.
  • なぜメスは積極的に多回交尾を受け入れるのか.様々なリサーチがなされ,精包に含まれるエネルギーや栄養がメスに多回交尾のメリット(総産卵数の増加)を与えていることがわかってきた.メスはオスからの精包物質を吸収したあとに交尾を受け入れるのが(産卵数を多くするために)最適であり,オスは(他のオスによる交尾を遅らせるために)大きな精包をメスに注入することにメリットがあるのだ.
  • このような解釈体系のなか,モンキチョウによるメスの二型について黄翅型メスは(求愛されるコストを避けるための)オス擬態だとして説明され,キタキチョウの成虫越冬世代の意味なども解明された.
  • オスは大きな精包を作ることでメリットを得る.このためオスの子育て投資は当初考えられていたよりはるかに大きいことになる.実際にオスは常に交尾に積極的ではなく,精包を作るためにエネルギーや栄養を集めることを優先させる時期がある.また様々なオス間競争やオスメス間コンフリクトの実態(交尾栓,ハラスメントなど)も解明された.オスの無核精子の究極因が何かについても議論された(精子競争におけるカミカゼ精子仮説など8つの仮説が解説されている.なおまだ結論は出ていないそうだ).

 

第7章 研究室の学生たち

 
最後にあとがきに変えて著者の研究者としての雑感が語られている.研究室にパソコンが導入されはじめた黎明期の想い出,チョウの大量飼育ノウハウの確立,野外調査時の爆笑エピソードなどが楽しく,なかなか味のあるあとがきになっている.
また最後にこのスマートセレクションのコーディネーターである巌佐庸の解説も収められていて,ここも読みどころの1つになっている.
 
渡辺の大学入学は1969年で,日本の生態学はまだ旧態依然としてイデオロギーに染まっていた時代になる.そこからの学者としてのキャリアはハミルトン革命と利己的な遺伝子視点に基づく行動生態学の受け入れと大きくかかわってくる.本書ではチョウの行動生態学の知見の積み重ねが,そのあたりの背景説明と著者自身の研究物語とともに語られており,学者人生の回顧録とも呼べる雰囲気が本書に不思議な魅力を与えている.読んでいて楽しい一冊だった.
 

From Darwin to Derrida その12

生物個体内の遺伝要素間コンフリクト.真核生物の生殖細胞と体細胞,キメラの問題を取り扱った後,ヘイグは核の存在がどのような問題と関連するのかを語る.
  

核の要塞

 

  • 複製の速度により単一のオリジナルからのDNAがどこまで増えられるのかが決まる.E. coliの染色体は40分に1回複製が起こる.もしヒトのDNAがこれと同じように単一の環状染色体であれば,同様に複製するのに1ヶ月かかるだろう.ヒトやその他の真核生物はオリジナルを複数にすることでこの問題を回避している.これによりゲノムのある部分がその他の部分より速く複製するというリスクは増える.なぜなら配偶子の接合と減数分裂がならず者エレメントに新たなゲノムに入り込む可能性を与えるからだ.だから真核生物はこれを防ぐための洗練された仕組みを持つことが期待される.

 
まず真核生物は複雑なため(そしておそらく様々なコンフリクトの結果として)DNAが(原核生物より)長い.これを素速く複製するために特有のコンフリクト脆弱性が生まれる.そしてそれに対してセキュリティが構築されていることになる.
 

  • この複製セキュリティにかかる仕組みが2つある.1つ目は核内での遺伝物質の複製と細胞質内でのタンパク質合成を分離していることだ.大きな分子の核への出入りは核膜孔複合体によってコントロールされている.タンパク質が核内に潜り込むには特定のシグナルが必要になる.
  • 2つ目は真核生物の細胞サイクルだ.複製は特別なSフェイズに限られている.DNAが複製するにはその前に複製許可因子を得なければならないが,これは1サイクルに1回限りしか得られない.起源認識複合体(ORC)はこれから生じる複製の場所をマークし,その近辺で転写が生じないようにする.これによりORC近辺の遺伝子がRNAを使って悪さするのを防いでいるのだ.

 
2つ目の仕組みはなかなか複雑だ.そもそもどのように進化したのかにも興味が持たれる.ヘイグはこれをめぐるコンフリクト状況とさらにそこに加えられたセキュリティの仕組みを具体的に説明している.
 

  • アカパンカビは1サイクルで2回以上複製しようとするエレメントに対する効果的な防衛を進化させた.もし半数体核の中で2回以上複製が生じるとコピーはメチル化により不活性化され,もはやオリジナルと同じと認識できなくなるまで繰り返し突然変異を生じさせる過程(RIP)に晒される.つまり他を出し抜いて多く複製しようとすればオリジナル共々コピーも皆ずたずたに変異させられるのだ.
  • 脊椎動物はDNAを活性化区域とメチル化による転写不活性化区域に分けている.ゲノムの不活性部分は,タンパク質をコードせず転写ミスや不均等交叉を起こしやすい単純な繰り返し配列を極めて多く含む.これはゲノム内パラサイトへの防衛なのかもしれない.まず多くの挿入は非重要な部分に入る.2番目に挿入された外来DNAは不活性化されやすい.そして3番目に挿入されたDNAは転写ミスや不均等交叉により破壊されやすい.

 
なかなか印象的だ.この節の最後でヘイグは注意書きを置いている.
 

  • (ここまで内部セキュリティを説明してきたが)真核生物への進化にかかる唯一の機能が内部セキュリティだったと考えるならば,それはミスリーディングだろう.エージェント達が異なる利害を持っていたとしても調和問題はある.大腸菌でタンパク質コード遺伝子は4000あり,ヒトなどの生物は2万を超えるだろう.真核生物の核膜やヒストンタンパク質,脊椎動物の染色体の大部分のメチル化は大規模ゲノムの転写ノイズの低減のための適応だとバードは議論している.コントロールとセキュリティーは同時に進化したのだろう.

 
真核生物内のコンフリクト,ここまではいわば前座になる,ここから減数分裂に絡む真打ち登場だ.

From Darwin to Derrida その11

生物個体内の遺伝要素間コンフリクト.ヘイグは単細胞の場合から多細胞の場合に議論を進める.
 

多細胞企業

 

  • 枯草菌Bacillus subtilisの胞子の発達は体細胞系列と生殖細胞系列の違いをよく示している.このバクテリアは非対称細胞分裂を行い,母細胞(体細胞)と前胞子(生殖細胞)に分かれる.母細胞は前胞子を包み込み,胞子のコーティング形成を手伝い,その後捨てられる.この過程は両方の細胞でシグナル交換をしながら整然と進む.
  • 粘液細菌のMyxococcus xanthumは運動性の捕食性バクテリアであり,多細胞の子実体を作る.個別の細菌は土壌内で運動して採餌する.しかし栄養分がなくなると集合して柄(体細胞)と粘液胞子(生殖細胞)に分化する.

 
最初はバクテリアが分化した多細胞体として機能する場合からはじめている.萌芽的多細胞生物体として考えると面白い.なおこの粘液細菌は文字通りバクテリアの1種であり,真核生物であるいわゆる粘菌(少し後で出てくる)とは別の生物になる.続いて真の多細胞生物に話が進む.
 

  • 生物体は分業の利益を得るために体細胞を発達させる.しかしリッチなリソースを持つ体細胞は別の遺伝子の生殖細胞に利用される可能性が出てくる.だから体細胞による分業は,体細胞がこれを利用する生殖細胞となんらかの遺伝的同一性への信頼を持つことができるときだけ可能になる.最も簡単な方法は体細胞と生殖細胞が結合していることだ.枯草菌のケースはこれだ.
  • しかし体細胞系列が大きく複雑になってくると系列同士の連絡は間接的になっていく.するとパラサイトにつけ込まれる隙ができ,この搾取を避けるための精巧な仕組みが必要になる.その例が免疫システムだ,これらの例は血縁(結合)と緑髭(免疫)が体細胞協力維持のためにどう働いているかを示している.
  • 体細胞が移動したり,複雑な器官を形成すると物理的結合だけで体細胞への搾取を防げなくなる.なんらかの細胞認識が必要になるのだ.2つの細胞が出合うと,その反応は相手について学んだこと(味方か,敵か,どちらでもないか)に影響される.
  • 2つのタイプの分子相互作用を区別することができる.ホモタイプ相互作用は2つの細胞の同じ分子をめぐって生じ,同一性を知る典型的な方法だ.ヘテロタイプ相互作用は異なる遺伝子によるエンコードされた分子間で生じ,この遺伝子間に連鎖不平衡がある場合に同一性にかかる情報を得ることができる.多細胞生物の体細胞セキュリティにおいては緑髭効果が重要になると考えられる.

 
つながっているから祖先共有のはずだというのが血縁的な協力になり,さらになんらかの識別システムにより協力を担保すると緑髭ということになる.最後のところは多細胞生物においてはいろいろなパラサイトが入り込むので,単に結合しているだけでは安全ではなく,識別システムが重要になるということだと思われる.そしてそれはいわゆる免疫機構になる.
 

  • 自分自身とそれによく似た別の分子を区別できる分子が生まれたことで,戦略の幅は広がり,大きな多細胞生物の進化が可能になった.免疫グロブリンのスーパーファミリーの祖先は元々自分自身とホモタイプ的に相互作用していたのだろう.しかし今やT細胞,MHC抗原,免疫グロブリンなどの様々なヘテロタイプ相互作用を行う分子が存在する.もう1つの例はカドヘリンだ.これは自分自身と同じ分子とくっつく細胞表面のタンパク質になる.これは生物体の器官形成に大きな役割を果たしているが,自己認識機能にも使える.

 

キメラの見世物

 

  • 粘菌は粘液細菌Myxococcusと驚くほど似た生活史を持つ真核生物だ.普段はアメーバのように単体で採餌しているが,飢餓に陥ると集合して子実体を形成し,柄(体細胞)と胞子(生殖細胞)に分かれて分業する.集合した粘菌細胞が皆クローンである保証はないし,集合シグナルが捕食者に利用されない保証もないので,粘菌は特に体細胞への搾取に弱いと考えられる.
  • 実際に集合シグナルによってくる捕食者粘菌,集合シグナルを出して粘菌をおびき寄せる捕食者粘菌も発見されている.一部の粘菌は他種の子実体に潜り込み柄にならずにフリーライドする.

 
この粘菌のシステムへの搾取をめぐるアームレースは興味深い.このように搾取に弱そうな粘菌側の対抗戦略にも興味が持たれるところだが,ここでは解説されていない.
ここから異なる祖先を持つ細胞系列が同一個体を形成するというキメラの問題が取り上げられる.キメラ体の内部は当然ながら強いコンフリクトがあることが予想される.
 

  • 動物個体内が同種細胞のキメラになっていることがある.ホヤでは近隣個体の細胞が紛れ込んで血液内に入り生殖系列を乗っ取ることが観察されている.別の例は,半倍数体のカイガラムシのものだ.既に別の精子で受精済みのメスの卵子に入った精子が,メスの体細胞内で生き延びている例が見つかっている.これは時に娘や孫との受精が生じるのかもしれないし,単にそこで永続しているだけかもしれない.
  • マーモセットやタマリンは通常二卵性双生児を生む.しかし胎盤は(通常1子を産む)祖先の胎盤の性質を受け継いでいるので,胎盤内で双子の細胞は混じり合う.そして双子は互いに相手の血液細胞がキメラになっている.もしオス生殖細胞もまぜこぜになっていて,完全に半々になっていたとすると,双子の体細胞遺伝子は兄弟のどちらが交尾するかについて無関心になるだろう,ただし精巣内での競争は非常に激しいものになるはずだ.
  • ヒトでは二卵性双生児キメラは例外的だが,子どもと母親の間のキメラはごく普通にみられる.胎児の細胞が胎盤を通じて母親に混入し,場合によっては10年以上残る.彼等は単に消えていくのか,それとも何らかの母親操作を行っているのだろうか?
  • パラサイトによる体細胞搾取は多細胞生物にとって重大な問題だ.しかし体細胞搾取が異種生物のみによって生じるわけではないことはここであげた例でわかるだろう.もちろん強制や騙しによる同種他個体の操作も体細胞搾取の1つだと考えられる.

 
いかにも面白そうなキメラだが,ヘイグの解説はあまりコンフリクトの具体例を示すものにはなっていない.このあたりは今後のリサーチエリアということになるのだろうか.

From Darwin to Derrida その10

 
ヘイグによる生物個体内の遺伝子コンフリクトの解説.まずバクテリアのような原核生物において,単一起源で複製機会を平等にすることで(複製効率のコストを払いつつ)コンフリクトを抑えている仕組みがあることを解説した.
続いてそのような単一起源の複製機会が平等化されたチームが複数存在する場合の解説になる.

 

危険なリエゾン

 

  • コスミデスとトゥービイは一緒に複製されて適応度が同じように最大化される遺伝子群をコレプリコン(coreplicon)と名づけた.そしてゲノム内に2つ以上のコレプリコンがあればゲノム内コンフリクトが起こりやすい,なぜなら時に他のレプリコンの犠牲の上で自レプリコンの複製効率を上げられる状況が生じるからだと主張した.
  • 短期的淘汰と長期的淘汰は反対方向である場合がある.ある細胞系列内で複製が速いコレプリコンは頻度を上げるだろう,しかしそのような細胞内でのコレプリコン間の複製効率の差が細胞の生存にとってコストになるなら,そのような細胞系列はいずれ排除されてしまう.だからコレプリコン達の長期的な利益は,他の系列細胞の遺伝子と新しい連合を組む機会がない限り,一致する.組換えは遺伝子の運命をシャッフルする.だから組換えは永遠のゲノム内コンフリクトにとって本質的なものだ.

 

  • 多くのバクテリアは複数の環状ゲノムを持つ.このうち1つをバクテリア染色体と呼び,残りをプラスミドと呼ぶのが伝統的な用語法だ.プラスミドの複製にはエネルギーとリソースが必要だ.(染色体視点から見て)プラスミドがその使用リソースに見合うものを返してくれるかは,その遺伝子が細胞に与える代謝作用,その作用が今必要とされているか,プラスミドと染色体の共適応状況に依存する.多くの抗生物質耐性遺伝子はプラスミドからもたらされる.抗生物質に被爆しているときにはそれは必要だが,そうでなければコストに過ぎない.

 

  • ほとんどのプラスミドはホストと他のバクテリアの接合を推進する.この際にそのプラスミドのコピーはホストにとどまり,プラスミドは接合したバクテリアに移る.つまり接合によってプラスミドは新しい細胞質に広がるのだ.これに対して染色体遺伝子は通常移動しない.つまり染色体はプラスミドの複製コストを負担させられている.
  • プラスミドはパラサイト,あるいは相利共生者と単純にカテゴライズできない.レンスキの実験では当初ホストにとってのコストでしかなかったプラスミドの影響が500世代後に利益に転じた例がある.プラスミドは垂直にも水平にも伝播し,淘汰はどちらにもかかる.水平伝播効率が垂直伝播効率を犠牲にして高まるとホストにはコストになりやすく,逆ではホストに利益が生まれやすい.同様な議論は同じようにバクテリア細胞質に入り込むウイルス,トランスポゾン,その他のコレプリコンに当てはまる.

 

防衛のやり口

 

  • プラスミドが一旦入り込んだら排除は難しい.プラスミドにはその垂直伝播を確実にするための機能を持つ多くの遺伝子がある.多くのプラスミドは長期間効果のある毒遺伝子とその解毒剤遺伝子を持つ.だからプラスミドを排除すると残る毒に対して解毒剤を持たない状態に陥ってしまう.これは毒遺伝子が解毒遺伝子の存在を認識していることになる.プラスミド視点では自己認識している(緑髭効果)ということになる.
  • このような防衛方法にはいろいろある.一部のプラスミドはメチラーゼとその制限酵素をエンコードしている.このプラスミドを失ったバクテリアは染色体の複製を阻害されて死んでしまう.
  • トリパノソーマのミトコンドリアは大きな環状DNAと複数の小さな環状DNAを持っている.大きな環状DNAの配列にはバグがあり,ミニ環状DNAの創り出すガイドRNAが読み出しに必要になっている.このRNA編集システムはミニ環状DNAの保全システムとして進化したのだろうか? もしそうならミニ環状DNAは大きな環状DNAを暗号化するような編集ができるのかもしれない.このミニ環状DNAはプラスミドと同じようにミトコンドリア間を水平伝播する.

 

チームの入れ替え

 

  • 組換えのないバクテリア染色体は(突然変異以外に)メンバーの変更がない.その社会契約は「すべてが皆のために」であり「みんな勝手に」ではない.染色体内の組換えはプラスミドやウイルスの水平伝播のような例外的な場合にのみ生じる.
  • しかし一部のバクテリアは「自然形質変換 natural transformation」と呼ばれる環境DNAを取り込んで相同配列と入れ替えるメカニズムを進化させた.この過程は染色体上の遺伝子によりコントロールされる.この取り込みはストレス環境下で生じる,あるいはそもそもはリソースの取り込みから進化したのかもしれない.いずれにせよこのメカニズムの詳細は形質転換が単なる副産物ではなく適応形質であることを示唆している.
  • なぜチームは一部のメンバーを入れ替えようとするのか.修復仮説はそれは傷ついたDNAの修復だと考える.しかしこの過程がDNA損傷によって起動されるわけではないことを考えるとそれはありそうにない.組換え後継仮説はこの過程を新しいプレーヤーの取り込みだと考える.チームの残存確率は環境変化時には新しい実験をある程度行う方が上がるのだろう.問題はチーム内の遺伝子にとって自分が組み替えられるのは不利だということだ.重要な社会的疑問は「特定のポジションが特権的な立場に立っているのか,特に形質転換を起こす遺伝子も組み替えられるのか」だ.

 
バクテリアのような細胞内オルガネラがない生物であっても個体内の遺伝要素間のコンフリクトがあり,それが極めて複雑な状況を生んでいることがわかる.染色体とプラスミドは状況に応じて利益が一致したり相反する.相反する場合染色体はプラスミドを排除しようとし,プラスミドは毒と解毒剤システムによりそうしないように強迫する.そして環境激変時には組換えに対して利害が一致するということになる.

書評 「森林の系統生態学」

森林の系統生態学―ブナ科を中心に―

森林の系統生態学―ブナ科を中心に―

 
本書は生態学者広木詔三による日本の森林を扱った一冊.「系統生態学」というのは初耳だったので,思わず手に取った一冊だ.この系統生態学というのは生態という空間的なパターンに加えて系統という歴史も加えて種間の関係を読み解いていくという試みのようだ.
 

序章 種の特性と群集

 
本書は著者にとっても学者人生を総括する一冊らしく,序章に理論編がおかれている.この理論編では「種」についての問題が著者なりに整理されて論じられている.
リンネ以来の種概念(特にマイアの生物学的種概念とその限界と様々な提案)を簡単に見た後で,種の実在性の問題を扱う.三中による種の実在性の否定について「一部の例外的な時期を除けばある種は別の種から独立しており,実在性の否定はおかしい.また種の認識をすべてヒトの認知に帰すべきではない」と主張されている.著者が種の実在性の否定についてかちんときているのはわかるが,実在をめぐる哲学的な整理には踏み込めてなく,議論としては浅いという印象だ.
このほかここでは適応放散について,ニッチと競争だけでなく系統関係にも目を配るべきだとか,局所的な個体群の集合である群集に加えて種の集合全体を種集合体として捉えるべきだという「種」に入れ込んだ主張がなされている.著者の学者としてのスタンスというところだろう.
 

第1部 植物の系統と分類:ブナ科の位置付け

 
冒頭で陸上植物の系統の概観がある.コケ類,ライニー植物群,裸子植物,被子植物とコンパクトにまとまっている.ここで塩性植物のアカザの適応戦略(種子の二型性(親元に落ちる種子と分散する種子)など)の話が挟まってから本題のブナ科の話になる.
このブナ科の話は系統,地理的な分布,風媒と虫媒,果実と殻斗の進化(三角錐3個が祖先形態でそこから丸いドングリが進化する),日本のブナ科植物の学名についての蘊蓄と語られていて,大変充実していて面白い.
 

第2部 樹木の生活史と生態:ブナ科に即して

 
ここでは著者自身の研究を中心にブナ科の樹木の生活史戦略が解説される.

  • 様々なドングリの発芽スケジュール:落葉樹は短期発芽型で常緑樹は長期発芽型であるのが基本.クヌギなどの例外あり.ブナは多雪地帯に適応した長期発芽型
  • 種子の大きさ:樹木としては大きい種子が耐陰性であるのが基本だが,日本のブナ類では種子が小さい方が耐陰性が高い.ナラ類の種子の大きさはギャップなどのストレス環境で速やかに成長できる戦略であるようだ.またクルミなど動物散布に適応して種子が大きくなるものもある
  • ブナの結実周期:(丹念なブナの種子広いリサーチの結果が解説されている)豊作年の平均間隔はヨーロッパのブナが4年程度であるのに日本では6年程度であるようだ.その不規則性や同調性のメカニズムについてはなお解明されていない.(究極因としては)受粉効率,光合成生産物の蓄積と消費などの複数要因が関わっていると思われる.
  • 萌芽再生:延命戦略(被陰下で光合成量が消費量に追いつかなくなった場合に,萌芽の細い幹を残して延命を図る)である場合もあるし,空間占拠戦略(氾濫や崩落の際にいち早く萌芽枝を出す)である場合もある.落葉樹は春に葉を出すために根や幹に養分を貯めているので萌芽戦略を採りやすい.このためシイやカシを伐採したあとにはナラ林ができやすい.

 
またこの第2部では近縁種間の関係として,アベマキとクヌギ,ツブラジイとスダジイとオキナワジイ,フモトミズナラの分類学的系統的な考察がおかれている.いずれも深い.
 

第3部 森林のダイナミクス:火山植生の遷移を中心に

 
第3部では遷移が扱われる.最初に遷移理論の学説史が解説される.クレメンツの遷移理論の体系化と単極相説,ホイタッカーによる極相パターン説により遷移の古典理論が20世紀の半ばに完成する.70年代以降攪乱の重要性が認識され,遷移の要因(攪乱,生活史特性,種間相互作用,ストレスや栄養などの環境要因)は相互に関連しあったものとして捉えられるようになる.その結果単純な極相の概念は否定され,攪乱と遷移という枠組みに変わることになる.
以上の学説史を踏まえてここからは具体的な研究例になる.そして火山においては溶岩や火砕流による攪乱があり,その年代も特定できることから理想的なフィールドになり,詳しく取り上げられる.まず桜島,三宅島,磐梯山の遷移の詳細が詳しく語られ,またさらに雪崩攪乱の例として穂高岳右俣谷,湿地の遷移として大根山湿地の例も取り上げられている.このあたりの具体的な植生の遷移の解説は迫力もあり本書の読みどころになっている.最後に著者がこのような研究を通じて感じた理論的な問題(遷移における位相,極相概念,種の位置づけ,温帯と熱帯の違い)にも触れている.
 

第4部 すみ分けと種分化

 
ここで著者は今西錦司の(種社会の制御下に一斉に変化するといういわゆる今西進化論ではなく)すみ分け原理について深入りする.今西のカゲロウのすみ分け観察,ニッチ概念との比較を解説し,ニッチ概念では種間関係が捉えきれないと断定し,さらにすみ分け原理に立つと種分化の履歴効果をフレームに入れ込むことができると力説し,より概念的に広げた広義の「すみ分け原理」に立つと宣言する.正直なところ,このあたりの著者の主張はこだわりが強くて難解で,私にはよくわからないという感想だ.
ともあれ,そこから著者は具体的な樹木種の「すみ分け」を解説していくことになる.ブナとスギ,ブナ科内の諸種,ブナとナラ,ヤナギ類,サクラ類,カエデ類,カバノキ類,モミとツガなどが次々に解説されている.ここも大変面白く読みどころの1つになる.問題の履歴については,日本列島への侵入や種分化の推測も含めていくつか取り上げられている.ただ私の感想としては,(ことさらすみ分けと力説しなくても)系統地理的な視点も取り入れたニッチ解説としてみることができるのではないかと思う.
続けてコナラ,ミズナラ,モンゴリナラの系統についての仮説が開示されている.ここも詳細は大変面白い.
最後にオニグルミの歴史的な形態変遷データが断続平衡説に当てはまっているという話が載せられている.著者なりに興味があった話題ということなのだろう.
 

第5部 森林群集論

 
ここも最初は理論から.まず森林の成立環境要因を列挙し,風ストレスの重要性を強調する.続いて階層構造,植生の連続体説を解説し,森林群集をグローバルな森林の連続体として捉えるという著者の立場を説明する.そのうえで渡邊定元の「樹木社会学」,今西の種社会概念を批判し,著者としては歴史性と生態的統合の2つの枠組みから捉えると宣言する.
歴史性としては特に適応放散と地理的分布の関連を解説している.北米のマツやマングローブなどの例をあげた上で,日本のコナラ属の例が解説される.熱帯で起源したアカガシからウバメガシ,クヌギが分化して温帯に広がり,クヌギからさらにコナラが北米で分化し,ヨーロッパやアジアに広がった.そして大陸と日本列島におけるブナとカエデの種構成の比較から適応放散の歴史を再構成している.ここも本書の読みどころの1つだ.
生態的統合としてはカケスによるコナラの種子分散,菌類との共生が成立できるかどうかが遷移過程に影響を与える例,森林群衆内の種間関係が取り上げられている.
 

本書は妙に「種」にこだわった理論編と,著者自身のリサーチを中心にした具体的な森林生態の解説が混じり合った本になる.理論編はやや難解で通常の進化生態学からみると少し斜めにずれている部分もあり私には評価する能力はないが,具体的な森林生態の解説部分は充実しておりとても面白い.動物と違って樹木は個体移動がなく寿命も長いので,種分化の歴史が現在の分布により大きな影響を与えていることもわかる.本書を読んだ上で(かつ樹木の種識別ができるように修業して)日本の森に入るととても楽しい経験ができるのではないかという思いでわくわくしながら読める本だ.