From Darwin to Derrida その62

 
 

第8章 自身とは何か その2

 
道徳感情についてのアダム・スミスの洞察とダーウィンの洞察を扱う第8章はここから本題になる.ところどころにスミスの「道徳感情論」からの引用がある.
  

行動のガイド

この世のありとあらゆるところで,動物や植物のメカニズムにおいて,私たちは最高の技巧で手段が目的に合わせられているのを見る.そして自然の2つの偉大な目的,すなわち個体の自活と種の繁栄にむけていかにうまく工夫されているかについて賞賛するほかない.
・・・私たちは身体について考えるときにはこの手段と目的を混同することはないが,精神について考えるときにはこの2つを混同しがちだ.洗練された理性が設定したかのようにみえる目的に向かって私たちが自然の法則に沿って進んでいるとき,私たちはその理性こそが目的に向かう効率的な原因,すなわち感情や行動をつくるのであり,それは人類の叡智だと考えてしまいがちだ.しかし実際にはそれは神の叡智なのだ.

アダム・スミス 「道徳感情論」

The Theory of Moral Sentiment : 6th edition (English Edition)

The Theory of Moral Sentiment : 6th edition (English Edition)

  • 作者:Smith, Adam
  • 発売日: 2020/05/14
  • メディア: Kindle版
 

  • スミスはここで因果の説明の2つのレベルを認識している.私たちにとっての理由(reason)とこのような理由が存在することの理由だ.この部分でスミスが議論しているのは道徳則を破ったものに対する処罰を賞賛する感情の起源だ.
  • スミスの考えでは,私たちが罰したり罰を賞賛したりするのは,社会全体にとっての罰の有用性に対する合理的な熟考の結果ではなく,加害者に対する憤りからだということになる.しかしながら私たちの憤りは,社会の目的のためにうまく工夫された効率的な手段になっている.私たちは感情により動くが,そもそも私たちが感情を持つのは社会のためだということになる.
  • スミスは目的因(final cause)を神の叡智においている.これは自然神学へのオーソドックスなアピールかもしれないが,彼の目的因についての存在論的なスタンスは明確ではない.彼は明晰にしたい部分は極めて明晰に書いている.神学的な問題についてぼかしているのは意図的なのだろう.
  • 100年後ダーウィンは自然に現れる目的因について自然主義的な説明を与えた.生物個体は変異し,その一部は生存競争に有利に働き,そのような特徴を持つ子孫が増える.結果として,変異の効果はそれが次世代により広まることの原因となるのだ.
  • ダーウィンの遺伝物質についての理解は未成熟だった.彼は自然淘汰の受益者として個体を,そして(時に)部族までを認めていたようだ.これは今日も生物学の哲学で論争中であり,ヒートアップは物質的なレベルではなく意味論のところで生じている.遺伝子中心主義から見れば,遺伝子の機能(あるいは目的)は,(次世代以降の)遺伝子の保持と繁栄の原因となる表現型効果になる.

 
スミスの洞察が18世紀としては非常に深いところにあることがわかって面白い.道徳的な感情は理性的な熟考によるものではないことをまず理解し.それではその道徳感情はなぜあるのかを考える.スミスはその存在理由を神の叡智としているが,ヘイグの読みでは無神論的に論じるのは政治的にいろいろまずいのでそうぼかしているのだろうということになる.いずれにせよスミスは罰を与えたいという道徳感情は「個体の自活と種の繁栄」(the support of the individual, and the propagation of the species)の目的に沿うように実装されていると考えていたということになる.
ヘイグはここに「種の繁栄」が入っていることについても遺伝子中心主義的視点から少しコメントしている.スミスについてはそもそも進化概念の成立より前の話だから是非を論じても仕方がないが,ある意味「種の繁栄のため」というのがフォルク心理的に浮かびやすい発想だということを表しているようでもある.「『種の保存』のために進化する」というよくある誤解がなぜこうまでしぶといかの理由の1つでもあるだろう.

From Darwin to Derrida その61

 
 

第8章 自身とは何か その1

 
ヘイグの「ダーウィンからデリダへ」の第8章はアダム・スミスの「道徳感情論」を扱ったやや独立性の強い章になっている.そしてイメージの再帰性が深く議論されていて難解だ(私の理解と要約もいろいろ間違っているかもしれない).まずはこの章がどのような経緯で書かれたものかが説明されている.
 

The Theory of Moral Sentiment : 6th edition (English Edition)

The Theory of Moral Sentiment : 6th edition (English Edition)

  • 作者:Smith, Adam
  • 発売日: 2020/05/14
  • メディア: Kindle版
 
 

  • 本章は元々アダム・スミスの「道徳感情論」出版250周年とダーウィンの「種の起源」出版150周年を記念するエッセイが元になっている.そしてそれは21世紀のダーウィニアンが18世紀のアダム・スミスを再読したことにより触発された感情,理性,道徳についての考えが含まれている.
  • スミスは道徳感情についての議論の中心に「sympathy」という概念をおいている.この「sympathy」概念は,私たちが自分自身を他者の立場において他者を理解すること,自分自身の行動を偏見のない第三者の立場から評価することというものだ.私たちの「sympathy」能力は,自分の意思の制御を越えた反射的自動的なものであり,同時に他者と自分と他者の関係を内省的に熟考するものでもある.

 
現代的には「sympathy」は「同情」と訳されることが多いが,スミスは「共感」に近い意味で用いている.このあたりをうまく日本語に直すのは私の能力を超えるので,ここでは「sympathy」そのままを用いることにしたい.

  • スミスの文章は複数の視点を用い,能動態と受動態を使い分け,時に親密に時に冷徹に語っていてこの主題にマッチしている.そこには真面目な愉快さと愉快な真面目さのリズムがあり,それは読者の心そして私の心に響く.「道徳感情論」は単に「sympathy」についての本ではなく,読者に「sympathetic」な反応を生じさせる本だ.

 
ここからが内容の予告になる.

  • 私のエッセイは道徳感情についてダーウィンとスミスの洞察を統合して説明しようと試みたものだ.それは3セクション構成になっており,ここでもそれを踏襲する.第1部は個人の行動ガイドの複数性を扱い,それには本能,理性,文化が含まれる.さらにそこではなぜ我々はこのように行動するのかが扱われる.第2部は私たちのセルフイメージについての異なる種類の内省を扱う.第3部ではそこまでの議論を用いて道徳能力を考える.私たちの道徳的選択は異なる目的を持つ異なる実体のコンフリクトするアジェンダの結合から生まれてくるのだ.私はここで,私たちが自分の視点と他者の視点をフリップさせ異なる内的行動の源泉の間の和解と調停を探ることにより,道徳的責任の所在と自分自身という感覚が現れると示唆するつもりだ.
  • 「sympathy」について考えると,私の心は向かい合った鏡のメタファーにとらわれる.私たちは他者の視点から自分を見,その他者はまた私たちの視点から見られている.この反射(reflection:内省,熟考という意味もある)の繰り返しというテーマに沿って話を進めるために,私はエッセイに再帰的な構造を持ち込んだ.テキストは常にそれ自身に反射するように書かれている.
  • アダム・スミスの「sympathy」についての文章を書くにあたって,私はテキストを完璧に明晰なものにしようとはしなかった.あるテキストがスミスの言なのか私の言なのかは曖昧になっている.このような文体は,個人とその視点の境界が曖昧になるようなトピックを書くにふさわしいと思ったのだ.私の考えがスミスのそれと最も離れるのは,「sympathy」が時に利己的な目的のために相手の操作や搾取につながるという部分だ.おそらくスミスは「sympathy」をそのような道具として使うことを想定していなかっただろう,あるいは彼は私より創造の恵みを信じていたのかもしれない.

 
そしてここでは本章の文章が意図的に曖昧で難解なものであることが説明されている.英語が母語でない読者にとってはいかにもハードルが高そうだ.誤解や遭難を恐れずに少しずつ読んでいくこととしたい.
 
道徳感情論は現在講談社学術文庫と岩波文庫で入手可能だ.

道徳感情論 (講談社学術文庫)

道徳感情論 (講談社学術文庫)

道徳感情論 上 (岩波文庫)

道徳感情論 上 (岩波文庫)

道徳感情論〈下〉 (岩波文庫 白 105-7)

道徳感情論〈下〉 (岩波文庫 白 105-7)

 

進化ジェンダー学研究会

http://www.grl.kyodo-sankaku.provost.nagoya-u.ac.jp/wp-content/uploads/2021/02/b93d14f8a828be5fe4f30cdace5a3b02.pdf
 
 
先日進化ジェンダー学研究会にオンライン参加してきた.あまりこの手の講演会には参加した経験がないが,今回は進化生物学的な知見を取り入れるという試みということで聴講したということになる.
 

進化生物学による女性間の関係の理解 -持続可能なジェンダーパリティにむけて

 

開会挨拶・趣旨説明 松本晶子

 

  • 持続可能なジェンダーパリティへ向けて,進化生物学的な女性間の関係性という視点から考えていきたいというのが本日の趣旨.

 

  • ここで日本の現状を説明したい.
  • 1990年に国連から指導者層の女性割合を30%以上にという勧告があった.2002年になってようやく政府は2020年までに30%をめざすという方針を立てたが,到達しそうにないとこれを10年先延ばしにして2030年目標と変更したという状況.
  • 指導者層の女性割合を上げるメリットとしては様々な実証研究からの報告がなされていて,意思決定層の多様化による決定の質の向上,従業員等のモチベーション向上,社会的評価の上昇,業績への好影響などが指摘されている.
  • 日本のジェンダーギャップ指標はここ15年も0.65と低水準で横這いになっている.
  • 文科省の指導もあって大学の女性教授の割合はここ15年で10%程度から20%程度に上昇している.実際に最近の募集要項には女性を優遇する旨が明示されているものも多い.
  • このような方策に対してはいくつかの反応がある.
  • 1つは本当により優秀な男性がいても女性をとらなければならないのかという意見がしばしばでることだ.
  • もう1つは女性から,私たちが今あるのは頑張ってきたから,採用された女性も同じように頑張るべきだという声が上がりやすいことだ.
  • 後者については女性の上位者が女性の下位者に対して厳しく接する傾向があるという女王蜂シンドローム(QBS)と呼ばれる現象があることが報告されている.典型的には「自分が男性上位社会で今の成功を得るために大変苦労したなかで,後に続く女性がその足跡を利用して楽をしていることについての不快感」があり,後輩女性に厳しく当たったり協力を渋ったりする.
  • 本日はこのQBS問題の解決を考えるために,女性間のコンフリクトに焦点を当てて進化生物学的な視点から考察していきたい.

 

霊長類におけるメス間の対立と協力  小田 亮

 
(冒頭で進化とは何か,自然淘汰はどう働くかなどの初歩の進化についての説明あり)

  • 今日は霊長類のメス間の対立と協力の話をしたい.霊長類を扱うのは,ヒトも霊長類の1種であり,集団を形成してメンバー間に社会関係があるということが共通していること,実際のリサーチが多いことによる.
  • 近縁種間の社会の比較はいろいろなされている.集団が母系か父系かどちらでも無いか,配偶システムがどうなっているかという切り口で比較される.

 

  • 何をめぐって争うかといえば,(安全を含めた)リソースと配偶機会ということになる.
  • そしてこの点についてはオスとメスでは状況が異なる.これは精子と卵子への投資量の差から生じており,よりコストの小さい性(オス)は配偶機会や回数を増やそうとオス間でメスをめぐって争い,よりコストの大きい性(メス)はより良いオスを選り好む.そしてメス間では繁殖成功が資源量による部分が大きいので,リソースをめぐって争うことが多い.チンパンジーでは高順位メスほど質の良い食物を得,カニクイザルでは高順位メスほど捕食される率が小さいことが報告されている.
  • ここで注意すべきなのは適応度は相対的なものだということだ.だからメスにおいて,他のメスの繁殖の抑制行動が進化しうることになる.繁殖の抑制には交尾を妨害するなどの直接的な方法だけでなく,優位信号の誇示など間接的な方法もある.
  • 対象には交尾,性的成熟,排卵,着床の妨害,流産の誘発,子殺しなどがある.キイロヒヒのメスでは社会的嫌がらせがあり,卵胞期の方が黄体期より妨害行為を行う.
  • 配偶機会をめぐる競争も少ないがある.チャクマヒヒやハヌマンラングールではオスをめぐる争いが見られる.

 

  • 対立の性差もある.メス間の競争は直接の暴力的対立ではなく嫌がらせ(spite:自分も損をするが相手にも損を与える)が多い.なぜそうなるのかについては,集団の構造によっては血縁淘汰的な要因も働くが,長期的に将来的な競争を抑えることのメリットが大きいということもある.実際にキイロヒヒでは食物が豊富な時期の方がメス間の嫌がらせが多い.(オス間ではその時点の配偶機会だけが問題になるが,メス間では妊娠,さらに子育て投資期間を通じて競争が継続するという意味,なお直接競争のコストが大きいため,それほど適応度差が大きくないメス間では割に合わないことが多いという説明があとの講義とQ&Aで補足された)

(ここで親の子育て投資の性差についての進化的な説明があり)
 

  • ではメス間の協力はどうか
  • 一番顕著なメス間協力は共同繁殖を行う種の場合.
  • コモンマーモセットでは10個体前後の群れを作るが,この中で繁殖するメスは1頭か2頭のみでその他のメスは子育てを手伝う.
  • なぜこうなっているかを調べると下位メスは(交尾はするが妊娠はせず)繁殖を抑制していることがわかった.しかし上位メスからの直接的な交尾妨害は見られない.近親交配回避は説明にならない(他グループのオスと交尾している).メカニズムとしては上位メスの存在により(嗅覚刺激か視覚刺激かはわかっていない)排卵が抑制されることによっている.
  • なぜ排卵が抑制されるのか.稀に下位メスが出産したときにはその後の生存率が低い.これは上位メスの子殺しによる.だから下位メスは(コストをかけてもどうせ殺されるような)無駄な妊娠を抑制しているのだと思われる.
  • つまり協同繁殖においては協力と対立が両方とも存在しているということになる.

 

  • ヒトも協同繁殖種だ.手伝いは未成年個体と祖母が中心になる.(ここで閉経とおばあさん仮説が紹介される)祖母がいる方が子どもの生存に有利になるという実証研究はいくつかある.
  • ヒトの生活史の特殊性は重要だ.成長期が長く寿命も長い.そしてこれは狩猟採集時代の環境への適応だと思われる.ヒトの狩猟採集民の食物内容はチンパンジーと比べて加工を必要とする塊茎などの抽出食物,狩猟食物が多い.これらを得るには高度な知識と経験が必要だ.長寿になって始めてエネルギー収支の帳尻が合うし,学習経験を積むために脳が大きくなっていてこのために成長期が長くなっている.

 

ヒトの協力と競争の進化、そして性差 大槻 久

 

  • ヒトの協力は人類史にとって重要だ.サバンナへの進出に伴う環境の激変への適応により未熟児産出と子育てコストの増大が生じ,それに協力で対応している.
  • その協力の特徴は,自発的,大規模協力も可能,空間,時間を越えた協力が可能ということだ.
  • ここまでは男女に共通している.では性差はどう考えるべきか

 

  • 性差が生じるには男女に異なる淘汰圧がかかる必要がある.その候補としては,分業(特に狩猟や戦争における男性間の協力の重要性が近年よく指摘される),血縁構造の非対称(父系社会なので,集団内で男性間の方が血縁度が高い),繁殖にかかるコスト,配偶者として望ましい形質の差などがある.
  • なおここで重要なのは,性差はあっても大きくオーバーラップしていることが多いことだ.ほとんど重なっていて平均に少し差があるという形が多い.

 

  • 協力の性差のリサーチは囚人ジレンマや公共財ゲームを使ってよく調べられている.ここでは2011年のメタ解析のデータを紹介する.
  • (1)男女に協力する傾向の差はあるか:NO 効果量(平均の差/標準偏差)は-0.05(男性が大きいと+値とする) ほとんど差は無い
  • (2)同性への協力傾向への差はあるか:YES 効果量は+0.16 男同士の協力の方が高い.また繰り返し囚人ジレンマで,相手の裏切りへの許容傾向も男同士の方が高い.これは関係性修復能力の差として出てくると思われる.
  • この差についての進化心理的な説明としては,狩猟と戦争がよく持ち出される.実際に男性は競争の文脈でより協力しやすく,内集団びいきが強い.
  • 狩猟に関しては伝統社会では男性が狩猟,女性が採集という分業が広く見られる.これは身体の大きさや強さの問題というより女性は子どもを連れているので長距離移動が困難という事情が大きい.
  • 農業革命以降はリソースが蓄積継承可能になったので,父系親族で継承されるようになった.そこで(父系社会においては血縁度も高く)男性間の同盟・協力が重要になっていったと思われる.
  • (3)男女間(異性間)の協力について性差はあるか:YES 効果量-0.22 異性間では女性の方がより協力的.
  • これについての社会文化的な説明としては,女性は協調的,男性は独立的であるべきだという社会的なステレオタイプに影響されているというものになるが,疑問だ.また進化心理的な説明としては女性は向社会的な方が男性に好まれるので協力的に振る舞い,男性はドミナントである方が女性に好まれるので非協力的に振る舞うというものがあるが,ドミナントと非協力は異なる問題でこれも疑問だ.
  • メタ解析をまとめると,男女で協力傾向に差は無いが,同性間協力では男性の方が協力的で,異性間では女性の方が協力的だということになる.

 

  • 女性間の競争について
  • どちらの性がより競争するかについての古典的理論は,潜在的繁殖時間の長い性が選り好みし,短い性が争うというものだ.配偶子や子育てにより投資する性の方が潜在的繁殖時間が長くなる.簡単に言うと希少な性(通常メス)が選り好みをして余剰な性(通常オス)が争うということになる.
  • しかしこの余剰な性(オス)の個体間に資源の偏りがあると,資源を多く持つオスをめぐってメスが争うということも生じる.そしてヒトではそういうことが観測されている.具体的にはケニアのキプシギス族の婚資のリサーチがある.婚資は若かったり未妊娠の女性の方が高くなる.これは男性(およびその親族)が女性を選り好んでいることを示している.
  • 実際には古典的理論の影響もあって,これまで女性間の争いについてはあまり注目されていなかった.
  • その中で女性の争いの状況についてのベニソンの分析を紹介する.
  • 女性の競争相手:同じ集団内の非血縁個体が多い.男性に比べて共同作業は少ない.
  • 女性の味方:まず配偶者,子どもができたあとはその子の血縁親族(義母など),親しい友人
  • 争いの対象:配偶者,人間関係,家族の社会的地位になる.
  • 女性の競争戦略の特徴:干渉的(直接的)競争を避ける.偽装的(隠蔽的)競争を行う.コミュニティでの地位を危うくするようなあからさまな闘争は避ける.女性に対して平等を強制する.社会的追放の手段をよく用いる.

 

  • なぜ隠蔽的な競争戦略を用いるのか.それは子育ての投資量が大きく直接的な闘争のコストが高いからだと考えられる.(隠蔽的競争に関連して)女性は他者との競争的課題より自分との競争的課題の方を好む.また高地位の男性を争うときには直接競争よりもセルフプロモーション(お化粧やおしゃれ)の手段を用いようとする.
  • 平等を強いるというのは,男性の狩猟と異なり,女性の共同作業はよりゼロサム的な状況だからということがある.また非血縁女性が高圧的に振る舞うと常に嫌われ,悪く言われる.「出る杭は打たれる」状況になりやすい.
  • 社会的追放(social exclusion)は,コストが低いので(子育てコストの高い女性には)よく使われる.同盟や協力の拒否,評判の押し下げなどによる.
  • 関係のダメージを図示すると,男性間競争ではあるレベルまでは交渉が行われ,そこからエスカレートしていき,最後には致命的な対決にまで至る.女性間競争では男性では交渉がなされるレベルの対立でも隠蔽的な競争が生じ,男性ならそこからエスカレートが始まるぐらいのレベルで関係決裂となる.

 

  • QBSについて
  • これについてはリサーチ的な知見はないので個人的なコメントになる
  • 現在成功している女性は,かつて男性優位社会の中で非常に厳しい競争をくぐってきている.そこには競争の厳しさについての認知バイアスが働いて,若い女性について必要以上に競争相手としてみてしまうのかもしれない.
  • そこに自分が苦労して残してきた足跡を利用して楽に上がってくる後輩女性についての不快感が加わるのかもしれない.
  • 解決策はこの認知バイアスをどのように改善していくかというところにあるのかもしれない.

 

Lesser apes? What can female apes tell us about social relationships? Melissa Emery Thompson

 

  • チンパンジーのリサーチは1960年代にグドールや西田によって始まった.グドールのリサーチはナショジオで紹介されて有名になった.彼等はチンパンジーを個体識別し,個体により異なる行動パターンを見せることを示し,チンパンジーの社会の様子を明らかにした.
  • その後様々なフィールドでリサーチが進んだが,オスの研究が基本になっていた.彼等は暴力的で,リーダーシップを争い,激しく競争する.オスが同盟を組んで絆を持つことはドゥ・ヴァールが明らかにした.そしてオスの協力については狩猟,肉の分配,ナワバリの防衛と絡めて議論された.この間メスについてはあまり理解が進まなかった.西田はあるときに「メスは受動的な集まりだ」とも語っている.
  • しかしこれは満足できない.あのように認知能力があり,社会行動を行っているメスが単に受動的に振る舞っているはずはない.メスのリサーチが進まなかったのは研究者に女性が多かったことから見てもパズリングだった.

 

  • ここで,私は類人猿のメスに興味がある.なぜ彼女たちはあまり社会的でないように見えるのだろうか.そしてチンパンジーについてウガンダのキバレで1987年よりリサーチを行った.
  • チンパンジーのリサーチは観察で追うことができるので捕獲してタグ付けなどは行わない.そしてグドールのように餌付けして触れあうようなことはせず,5メートルまでしか近づかず,彼等がヒトのリサーチャーを無視するように慣らした.これは干渉により行動に影響が出る恐れもあるし,感染症の問題もあるからだ.そして日常生活を観察して記録し,尿と便を採集して,繁殖,ストレス,エネルギーなどの生理状態,病気,遺伝子を調べた.
  • 多くの霊長類の社会は母系集団で,メス間には血縁があり,順位があり,ライバルになったり仲良くなったりして相互作用する.しかしチンパンジーは父系集団で,このような濃密なメス間の関係性がない.社会は流動的で,メスは12〜3歳になると生まれた集団を出て別のグループに属し,生まれたグループの血縁個体とは生涯会うことがない.
  • チンパンジーのメスは起きているほとんどの時間を採集に当てる.私が観察した集団の規模は55頭前後だったが,そこからばらけて採集を行う.誰と一緒に過ごすかは自分で選べる.
  • オスはより凝集的だ.メスは採集時に1頭か,子連れの2頭ということが多い.ばらけて採集するときに大きな分集団(パーティ)にほとんどのオスが集まる.オスは生涯同じグループで過ごすので互いの関係が密でよく相互作用する.互いにライバルであり,ナワバリ防衛の同盟相手でもある.
  • メスは分集団に一緒にいても社会行動が少ない.チンパンジーの相互作用の半分近くはオスオス間,同じく半分近くがオスメス間で,メスメス間は10%ぐらいしかない.ネットワーク図を書いてもオスオスのネットワークはたくさんの線が描かれるが,メスのそれはスカスカになる.この大きな要因は子育て投資が大きく,かつ誰も手伝わないので社会的な活動をする余裕がないというところになる.出産間隔は5.5年もあり,よく採集する場所の果実数と繁殖成功が相関する.
  • しかしメス同士は滅多に喧嘩をしない.メスは生まれ集団から分散する過程でいろいろな集団を訪問して,食物やメスの友好性をアセスする.メス同士の衝突は新メンバーがグループに加入直後に(新しいメスと既存メスの間で)少し高くなるが,年数が経つにつれて減っていく.
  • メスに明確な順位はないと考えられてきた.確かにオスのような優劣の明解な順位はないが,序列はあり,それが何年も安定していることがわかっている.これに対してオスの順位はかなり大きく入れ替わる.
  • 競争についてまとめると,メス同士は競争を避ける傾向があり,序列は安定しており相互作用は少ない.ただし新参者を排除するための争いはあり,稀に子殺しに至ることもある.

 

  • メス同士の同盟はどうか.グルーミングや近接の具合を見ると,2頭か3頭の仲の良いメス同士のつきあいがあり,あとは疎遠という関係になる.一度メス同士が楽しそうに遊んでいるところにオスが現れて,散り散りになったのをみたことがある.メスはオスのハラスメントを避けるために苦労しているようだ.

 

  • この部分はチンパンジーとボノボが大きく異なる部分になる.ボノボもやはり父系社会だが,メス同士は互いに友好的で,集団内で同盟を組み,オスより優位になっている.時に対立することもあるが,性行為的な行動で仲直りする.

 

  • ではヒトではどうなっているのか.アメリカの調査によると男性と女性では女性の方が友好的だとされている.女性は女性同士で強くて親密な絆を作る.この部分はチンパンジーと大きく変わっていることになる.
  • しかしチンパンジーとの共通点もある:ネットワークは男性よりも小さい.友情への方向性は男性より小さい.友情は男性より短期的.友人間で一旦対立したあとで許し合うことが少なく,意見の不一致で友情が終わりがちになる.誰とつきあうかをめぐって嫉妬しやすい.
  • ヒトの女性は直接的競争を避けようとするが,コンフリクト解消がへたなのだ.ランガムが面白いリサーチをしている.彼はテニスのシングルマッチのあとの選手の様子を比較した.男性選手の方が試合のあと互いに友好的なのだ(女性選手が目を合わさずに形だけ握手している画像が紹介される).また男性と比べて同じような地位の友人を作ろうとする.
  • 伝統的小規模社会はいろいろ調べられているが,女性同士の関係を調べたものは少ない.
  • ヒトの社会性の性差には男性はより集団を好み,女性はペアや小さなグループを好むというものがある.女性は3人グループになったときにそのうちの1人を排除しがちになる.女性の友情は難しく,少数の個人に集約される.

 

  • ヒト社会は子育てを周りが手伝うシステムになっている.子育てについては社会的サポートが受けられそうかどうかが重要になる.現在の世界は女性の行動にはまだまだいろいろな制約がある.その中ではピアサポートネットワークを作ることが重要だ.
  • 多くの人は生物的性差の話を嫌う.しかし進化が性差を作るのは当然だ.そしてその中で適切な社会的な条件を探し,作っていくことが重要だと思う.

 

脳・こころ・ジェンダー:発達認知神経科学的な視座から 平井真洋

 
冒頭で自分は性差の専門家ではないこと,事実と価値は異なる(だから性差があるという主張と性差別を肯定することは異なる)こと,これまで議論されている認知の性差は分布が大きくオーバーラップした中で小さな平均差があるものであることについての注意があり,そこから講演が始まる.

  • これまで様々な認知的な性差が観測されたと報告がある.(それぞれ効果量dとともに紹介される.この場合プラスは男性の平均値が大きいこと,マイナスは女性の平均値が大きいことを示す)
  • 数学;-0.05(難問の場合;+0.16),心的回転;+0.73(時間制限がある場合;+1.03),言語全般;-0.11(語彙;-0.02,流暢さ;-0.33),社会的認知(ポジティブ;-0.08,悲しみ;-0.10,怒り;+0.09),コミュニケーション(付加疑問文の解釈-0.23),身体的攻撃性;+0.55,など

(ここで演者の専門である視線知覚,運動知覚についての脳科学的な知覚の原理の説明がある)

  • このような脳科学的な仕組みに特定の「性差モジュール」はないと考えられる.認知の性差が生じるとすれば出生前のホルモン,出生後の経験や訓練が候補になる.
  • 先天性副腎過形成症(CAM)があると女児でもテストステロンに暴露される.この女児がどのようなおもちゃを好むかを見ると,人形より車を好むようになる.また空間認知能力も高くなる.
  • このことから考えると,ホルモンのような内分泌生理が環境選択に影響を与え,それが性差を作り,さらにそれが脳機能の活性に影響し,さらに環境選択に影響を与えるというループが存在し,それに別に文化的な影響が加わるということになるだろう.認知の性差といっても背景は複雑だと考えられる.

(ここで自らの心的回転と視点取得を組み合わせた実験を紹介)

  • この実験では予想されたような性差は検出されなかった.この結果から考えると,報告されている(心的回転や視点取得の)認知の性差は文脈に敏感な微妙なものだと思われる.
  • 本日のお題として呈示されているQBSについては,あまり知見はなく脳科学的な説明は難しいと思う.

 

女性同士の葛藤は、性的競争かストレス反応か?  坂口菊恵

  

  • (映画「プラダを着た悪魔」の画像を呈示して)このQBSのような女性間の競争は進化の文脈の中での性的な競争から来ているのだろうか.それとも資源競争なのか.順位の高い女性は若い女性を性的ライバルとして排除しようとするのか.それはホルモン的にはどうなのか.これらの説明は難しい.
  • 「プラダを着た悪魔」のプロットではストレスと直接的な攻撃が描写されており,どちらかというと資源競争的にみえる.性的競争だとおしゃれ競争のような間接的な競争になりがちだ.ここでは女性間の資源競争を見ていこう.
  • 生物が攻撃を行う場合の理由には,ナワバリ,食糧,社会的地位,配偶機会,配偶相手,子の保護,等がある.このうち配偶や子の保護に関するものは生活史と絡みホルモンが影響を与える.
  • 一般に攻撃はテストステロンのような男性ホルモンと関連すると考えられがちだ.確かに霊長類のオスの攻撃傾向はこれで上がる.しかしメスにはあまり関係しない.カニクイザルに投与しても攻撃性は上がらない.ヒトの女性も排卵期に攻撃性が高いわけではない.
  • コルチゾールやセロトニンとの関係も単純ではない.
  • 性役割逆転種のホルモンを調べると,メスの男性ホルモンが高くなっているわけではなく,オスのそれが低くなっている.男性ホルモンはオスの生殖機能と深く関わっているためらしい.攻撃性はあくまでオスの生殖機能に付随するものという位置づけになる.

 

  • ここから本題として性差と差別,そしてQBSに関連するいくつかのテーマを取り上げる
  • (1)ステレオタイプ脅威への対処
  • これは自分の行動への評価が,個人に対するものではなく,自分が属するグループに対する偏見でなされるのではないかという恐怖,そしてそれによりパフォマンスが低下するという問題だ.例えば「女子は数学ができない」といわれると本当に数学ができなくなるという状況があるとされる.
  • この問題はよく知られていてリサーチも多い.タスクが重要で,周囲が脅威を感じているとより効果が大きいなどの結果が報告されている.
  • ただし,このリサーチでは偏見のストレスについての分析はあまりなされていない.

 

  • (2)条件性(社会的)敗北
  • これは恐怖条件付けの1種で,負けるとわかっているならそもそも戦わずに敗北を受け入れるようになる傾向のことだ.
  • ストレスホルモンが恐怖に結びつき,無動を引き起こす.

 

  • (3)実効性比(性淘汰のかかり方)
  • 進化生物学的には実効性比が傾いている性の方がより配偶をめぐって争うことになる.
  • ヒトでは,まず基本的に男性は短期的に配偶機会を量的に争うことになり,女性は長期的に配偶相手の質,子育て資源をめぐって争うことになる.基本的に女性は男性の戦略に妥協を強いられる.これに実効性比の影響が加わる.
  • アメリカでなされた議論には,配偶は数年男性の方が年上であり,ベビーブームがあったため世代によって実効性比が異なり,これが60〜70年代の性の解放,90年代以降の子育てへの回帰を説明するというものがあった.
  • ただしこの議論は後付け的であまり信頼できないと感じている.地域的にもいろんな実効性比があるはずだというのもある.
  • また世界の各地域で実効性比と性差別的文化,同性愛や中絶への寛容性との相関を調べたリサーチもいくつかある.
  • 実効性比の観点から令和の日本の状況を見ると,人口減少傾向と配偶年齢差から基本的に男性余剰傾向になっている.しかし男性がより攻撃的になっているようにはみえない.女性間の攻撃性についても(嫁姑の対立は減っているようだが)あまり低下しているようでもない.このあたりはいろいろ捻れていて解釈が難しい.捻れの要因の1つは実効性比が世代によって異なっているからということもあるだろう.
  • いずれにせよ若い世代では男性余剰であり,男性がより一夫一妻指向になり,(配偶の駆け引きとしては)女性有利になっているのは間違いないと思う.
  • 日本でQBSが現在あるとすれば,それは女性余剰の世代の女性が少子化世代の女性を(ステレオタイプ脅威に対するストレス反応として)攻撃しているということなのかもしれない.
  • 片方で実はQBS現象というのはあまりないのではというリサーチもあることには注意が必要だ.結局嫌な上司や先輩というのはどの時代もどこにでもいるということかもしれない.

 
 
ここから全体討論となった.取り上げられたのは,QBSが生じやすい条件とかはあるのか(そもそも本当にあるのか),日本ではこの手の問題に対して精神主義(心でっかち主義)で対応しようとしがちだが,うまくいかない.条件をきちんと調べて,それに応じた制度設計が重要だ,などの議論がなされていた.また参加者からのQ&Aセッションも盛り上がっていた.
私としては霊長類のメス間の関係性や競争についてまとまった話が聞けて勉強になった.

From Darwin to Derrida その60

 
 

第7章 自分自身の背中を掻く その6

 
ヘイグは第7章で個体内コンフリクトについて語ってきた.そして最後にエッセイ風の追記を置いている.
 

追記(Afterthoughts)

 
冒頭には聖書(ガラテア人の手紙 5:17)からの引用がある

私たちの肉体の欲望は聖霊に従う精神と対立する.一方,聖霊に従う精神は肉体の欲望と対立する.これらは正反対のものだ.だからあなたはすべきことをできないのだ.

 

  • 私たちはしばしば自分自身の中の争いを経験する.それはパワフルな内部の声と声の争いで,どちらも簡単には引き下がらず,フェアに振る舞いもしない.私は,このようなゲノム内の党派は基本的に2つの対立派閥にまとまる傾向があり,最も強硬な党派が論争を主導すると議論した.
  • 私たちの内部対立を考察した試みの多くは,そこに2つの対立する力を見いだしている.それは「衝動と制御」「感情と理性」「誘惑と良心」「罪と徳」などと表現される.
  • このような分析の軸にはファミリー類似性*1がある.それは対立する力の多次元空間における第一主成分に似たようなものなのだろう.
  • そしてこれらの力の対立は時に執行力を持つ制御者あるいは判事により解決される.例としてはソクラテスの魂の三分説,(プラトンの)白馬と黒馬に引かれた戦車の御者の比喩,フロイトのEsとÜber-Ichの争いを仲裁するIchなどがある*2

 
このあたりは哲学的な蘊蓄も含めたこれまでの個人内の党派争いについての考察のまとめということだろう.
 

  • なぜ一部の心は調和的で,一部の心は凄惨な争いに満ちているのだろう.精神病理についての標準的な生物学的アプローチはなんらかの壊れたメカニズムを探すというものになる.しかし自分自身への不満は「機能の壊れた機械」というより「うまく機能しないコミュニティ」と概念化した方がいいのではないだろうか.そのような視点のシフトの方が乱れた心を癒やすのによいのではないだろうか.
  • 私はこれ以上精神病理学に自分の推測を押しつける気はない.それは容易に誤解されて遺伝的決定論のラベルを貼られてしまったり,メカニズムと主観的経験の間の「越えられない隔たり」を理解しない鈍感な試みだと批判されることになりそうだ.

 
そして個人内に党派争いがあるなら,コンフリクトはメカニズムの故障ではなく,社会的な合意が得られない状況と考えた方がいいことになる.最後の留保はこれまでのいろいろな軋轢を想像させて興味深い.
 

  • 本章で提示した1つの問題は「私たちは自分自身を脅迫してある行為を強制できるか」ということだ.自分の中のある党派が,将来の脅迫がハッタリではないことを(別の党派に)示すために,脅しを実行するということが起こりうるだろうか.これを考えると「自己破壊的」行動が心に浮かぶ.そしてそれは時に党派間の互恵性の破壊や党派間の契約破棄に結びつき,さらに将来の行動を変えようとする(それぞれの党派の)絶望的な努力の結果として実際の害が生じるのだろうか.
  • 身近に自傷行為を行う人がいるなら,それがいかに理解が難しい現象であるかがわかる.不完全な観察者としての私の視点からいえば,外に現れているサインは「自身の中のある党派の(党派の集合体である)自身に対する怒り,そしてその力の誇示」であるように見える.しかしこれは私の共感の不足,そして自分自身が自分の中のある党派の怒りを感じていることを他者に投影してしまっていることから生じているものなのかもしれない.

 
結論は出せないが,いろいろ考えてしまうトピックであることがわかる含蓄のある追記だと思う.

*1:family resemblance:ウィットゲンシュタインによるカテゴリーの分類の1つ.明確に境界を定義できないが似たものが集まっているようなカテゴリーを表す.家族的類似性と訳されることが多いが,家族よりは広い語感だと思ってこう表記している

*2:ヘイグはこれが英語でid, superego, egoと実にひどい訳にされていると文句を付けている

From Darwin to Derrida その59

 
 

第7章 自分自身の背中を掻く その5

 

www.researchgate.net

 
個体内のインプリント遺伝子間のコンフリクトにおいて,協力は成り立ちうるか.典型的な父方遺伝子と母方遺伝子の対立は囚人ジレンマの状況になる.1回限りではなく繰り返し囚人ジレンマなら協力の可能性があるが,相手の識別と相手の行動の記憶がないとアクセルロッド=ハミルトン型の協力は難しいということがここまでに論じられた.
 

  • しかしなぜ個体内の遺伝子間の協力は個体間の遺伝子の協力より難しくなるのだろうか.

 

  • 繰り返し囚人ジレンマの解析的分析やシミュレーションリサーチは複雑な行動の可能性が豊富に生じることを示している.一般的に単一のESSは存在せず,しばしば複数の戦略が共存しうる.それは互いに対戦したときに同じ振る舞いをする異なる戦略が複数ありうるからであり,そしてそれらの優劣は(ミューテーションにより生じた劣化版も含む)第3の戦略と対戦したときのパフォーマンスで決まる.

 
この個体間の繰り返し囚人ジレンマリサーチについての状況説明は簡潔で素晴らしい.では個体内ではどうなるのか,ヘイグの考察は続く.
 

  • 個人内の互恵性の文脈では,遺伝的多型は興味深い可能性を生む.それは個体内の異なる戦略の組合せがパーソナリティに関連する可能性だ.時にある利益主体が勝ち,時には利益主体同士が妥協し,さらに時に異なる利益主体が競争する.

 

  • 繰り返し囚人ジレンマの理論的解析結果をゲノム内の互恵性の議論に当てはめるのは魅惑的だが,そこには問題がある.ほとんどの解析は典型的なトーナメント型の競争を前提にしている.各戦略はあるラウンドで繰り返し対戦しペイオフを受け取り,そのペイオフに基づいて頻度が上下し,次のラウンドに進む.そこでは無性的な生殖(あるいは単一遺伝子座モデル)が前提となっていて組換えはない.
  • ここで別の方式のトーナメントを考えてみよう.そこではチームが対戦する.チームメンバーは戦略遂行においてそれぞれ別の役割を負っている.チームはそのラウンド限りであり,次のラウンドでは(ペイオフにより頻度が上下した後に)メンバーが組み替わった新しいチームを作る.これは有性生殖(あるいは複数遺伝子座)モデルになる.
  • そこでは成功するメンバーは様々なチームで好成績に貢献するものになる.チャンピオンチームを選ぶプロセスというより,チャンピオンたちの集まるチームを選ぶプロセスとなるだろう.無性生殖モデルの結果が,有性生殖モデルの良いガイドになる可能性はある.しかしそれは検証が必要だ.

 
この部分のヘイグの考察はややファンタジー的で(珍しく)曖昧模糊としている.父方遺伝子と母方遺伝子がチームを組んでそれがどうパーソナリティに関連するという状況を考察しているのだろうか.そして有性生殖モデルとインプリント遺伝子の組合せがどのようにモデルの挙動に影響するのだろうか.
 

  • 個人内互恵性について想像をめぐらすのは楽しい.しかしそれが生じるのをどうやって知ればいいのかという問題は残る.戦略的協力と無知のヴェールの結果の協力あるいは非協力的な手詰まりを区別する方法はあるのだろうか.この検証性の問題は内部コンフリクトの研究の進展の阻害要因になっている.
  • 母系遺伝子と父系遺伝子のコンフリクトについての理解がインプリント遺伝子の分子的振る舞いの知識により進んだように,この分野の進展は遺伝子の働くメカニズムの詳細を理解することにかかっているだろう.そこでは条件付きの遺伝子発現,特にそれが父系か母系かと言うだけでなく他の遺伝子の行動を条件とするものであることを示すことが重要になる.これは確かにチャレンジだ.しかし乗り越えられないものではない.

 
この最後の部分には含蓄がある.ゲノミックコンフリクトについてはまだまだリサーチのフロンティアが広がっているということだ.