書評 「証拠法の心理学的基礎」

 
本書は英米法の中の証拠法について,心理学的な視点から考察を行う本だ.心理学と法学のコンシリエンス的な内容で面白そうだし,海外ドラマの法廷ものを観るときにより楽しめるのではないか*1と考えて手に取った一冊になる.
著者のサックスとスペルマンはともに法学,心理学の両分野のキャリア*2を持ち,行動科学,心理学と法律の関係性や記憶と推論の法・公共政策などの研究者だ.原書はNYU Pressの法の心理学シリーズ*3の一冊.原題は「The Psychological Foundations of Evidence Law」.
 
日本は古代ローマ法を継受した大陸法系に属する.大陸法系では基本的に自由心証主義をとり,日本においては法廷で用いられる証拠の証拠能力に関する制限はほとんどない.例外は戦後に英米法の影響で憲法および刑訴法に導入された自白法則(任意性のない自白の排除)と同じく戦後に刑訴法に加えられた伝聞法則(伝聞証拠の排除)ぐらいになる(違法収集証拠については明文規定がなく,判例で重大な違法がある場合についてのみ排除が認められている).しかし英米法においては陪審制が基本であることから,陪審が惑わされかねない証拠は排除されるべきだという法原則が判例法としてのコモンローにおいて成立し,その後連邦証拠規則などによる整理を経て,さらにさまざまな新規立法がなされ,刑事だけでなく民事において証拠法の体系が確立している.すると,どのような証拠がヒトの判断を惑わすのか,証拠を見たあとで排除すると(陪審員に向けて)説示することに効果があるのかなど様々な心理学的な問題が生じることになる.本書はこの問題に真正面から取り組んだ一冊ということになる.
 

序章 心理学と証拠法の交差点

 
冒頭では証拠法のルールの作成者(かつてはコモンロー裁判官,現在では司法委員会,議会,特別小委員会)は,特定の証拠が事実認定者にどのような影響を及ぼすかを予測しなければならないのであり,応用心理学者として行動しなければならないこと,今日成立した証拠法はそれに関する心理学的信念の産物であることが強調されている.
信念の内容を示す具体的例として伝聞証拠排除ルールの例外「興奮状態下の陳述」が挙げられている.これは「虚偽証言をでっち上げるには認知能力が必要であり,刺激的な事件下ではそれが残っていないだろう」という信念に基づいているということになる.より一般的には証拠法ルール決定者は「ルール決定者は事実認定者の心理的プロセスと結果を推論できる」という信念を持っていることになる.本書はこのような信念に合理性があるのかどうかを問いかけていくことになる.
次に証拠法が英米法系で進展し,大陸法系にはほとんどない理由について触れている.通説的説明は陪審制とコモンロー裁判官が陪審の能力に疑義を持っていたことを理由とする.著者たちはそうではなく英米法の強い当事者主義の元では当事者たちの行き過ぎを抑制する必要があったという事情が大きかったのではないかと考察している.
序章の最後では証拠法系も世の中(特に科学の進展)とともに変化していくものであり,証拠法の法学は実証的社会科学を良きパートナーとして持つべきことが説かれている.そして現代において特に重要な実証的問題として,「精神汚染の影響」「ヒューリスティックスとバイアスの影響」を挙げ,また英米法における心理学的知見の応用の曲がりくねった歴史を振り返っている.
 

第1部 陪審を考える

 

第1章 裁判官 vs 陪審:事実を認定するということ


まず,陪審の任務,裁判官によるその管理,証拠法の果たす役割が解説される.最初に驚くのは英米法の陪審員は法廷でメモを取ることを許されていないということだ*4.さらに一度見た証拠をもう一度確認することはできず,証人に質問できず,(証拠調べ終了までの間)陪審員同士で議論してもいけない.これに加えて裁判官から「ある証拠をある目的については利用できるが別の目的については利用できない」などの(認知的な離れ業としかいえない)説示を受ける.
基本的に裁判官は陪審が何を聞くことができるのかを証拠法に照らして判断するのであり,証拠法は陪審が正しく適正な判断を下すために作られているということになる.本章ではここから生じるいくつかの疑問に答えていく.
 
<陪審と裁判官の役割分担>

  • 証拠法を適用するには,ある証拠が採用可能かどうかを判断するもの(裁判官)とその判断に従って採用された証拠だけで事実を認定するもの(陪審)という分業が必要になる.法学者や裁判官たちは(裁判官のみの公判審理(ベンチトライアル)において)裁判官が前者の判断をしたのちに(すでに見た証拠に精神汚染を受けずに)後者の判断ができるとナイーブに信じてきたが,実証研究はそのような期待を支持しない.
  • 一般的に「陪審員が誰であるかが評決に影響する(陪審員のバイアスで評決が左右される)」と信じられているが,実証研究によるとその影響は小さく,評決を左右する圧倒的に大きな要因は証拠だ*5.これは選任において公判参加者と個人的なつながりのある人が排除されること,陪審が集団として判断することで説明できる.(ただし,勝敗判断が五分五分に近い案件,特殊な知識が重要な案件,(人種や民族など)個人的な特性が争点になる案件では例外がある)
  • 証拠法はチャルディーニが「影響力の武器」で示した説得の技術(返報性,コミットメントと一貫性,権威,希少性など)の多くを制限している.これは公判審理をより適正にする効果があると評価できる.
  • 公判審理において証拠はQ&A方式で提示される.これはヒューリスティックスやバイアスの影響をなるだけ受けずに証拠を提示する良い方法だと評価できる.陪審員の意思決定プロセスは,このようなQ&A形式で展開される証拠をベイズ的に一貫性のある物語に作り上げるものだと考えられる.法律家は陪審に一貫性のある物語を提示するか,あるいは相手方の物語の一貫性を攻撃することになる.

 
<集団としての陪審>

  • 陪審が集団であるのは,集団の意思決定の方が優れているという考えに基づいている.ただしこれには独立の判断が為されたあとで話しあうことが重要であり(多数派効果の排除),裁判官は証拠の検討が終了するまでは最初の投票をしないように説示することが望ましい.

 
<裁判官と陪審の意思決定の違い>

  • 裁判官と陪審の意思決定が異なりうる可能性には一般的認知能力(バイアスへの耐性)の差,専門的訓練の効果が考えられる.
  • しかし実証研究によると裁判官が陪審より様々なヒューリスティックスに伴うバイアスに耐性があるという期待は支持されていない.証人の嘘を見抜く能力にも差はなかった(どちらもチャンスレベル以上に嘘を見抜く能力はなかった).
  • 裁判官は確かに法的な訓練を受けているが,事実認定についての訓練はほとんど受けていない.
  • 基本的に両者に事実認定者としての差はない.実証研究もそれを示している.

 
<結論>

  • これら全ての考察において浮かび上がるのは証拠の重要性である.

 

第2章 利益衡量

 
証拠法にはある証拠の証拠価値と陪審に与える不適切な影響のトレードオフが存在する.このためほとんどのルールはある証拠の採用を制限するかどうかについて裁判官に利益衡量を行うように求めている(例外的な絶対的排除ルールも存在する).利益衡量を行うためにはその証拠が陪審員にどのように影響するのかを推測する必要があることになる.ここではその心理学的な問題が利益衡量のルールに沿って解説される.
 
<一般的規則>

  • 利益衡量をするには証拠価値の判断とそれが陪審員に与える負の影響の判断の両方が必要になる.
  • 証拠価値は証拠の関連性を定量化したものになる.(1手法として事件の蓋然性の変化を用いるベイズ的なやり方が解説されている)
  • 排除類型は多様だ.
  • 「不必要な遅延,時間の無駄,重複的証拠」基準:これを判断するためには陪審員の心理状態を推測する必要があるが,その際には「知識の呪い」に注意しなければならない.いくつかの州では陪審員が裁判官に質問提出することを認めているが,良い方法だと考えられる.
  • 「不公正な予断,争点の混乱,陪審の誤導」基準:「不公正な予断」に含まれるものに「陪審の感情を掻き立てる証拠」(しばしば写真が問題になる)がある.これは感情的になると判断を誤りやすく,またぞっとするような被害を示す証拠は陪審に報復感情を生じさせるという前提の上にある.しかし怒りのレベルと有罪判断の可能性に相関はないとする実証研究がある.
  • かつては感情は不合理なものと考えられてきたが,近時の研究は必ずしもそうではないことを示している.感情を含むシステム1が常に誤りの結論をもたらすものではない.また陪審の評決は時間のかかる集合的プロセスなので,感情の生起と判断までに時間差があること,個人個人が一貫性の好みを持つこと,評議があることにより感情による誤りが是正されやすい.ただし集団感情伝染には注意する必要がある.また法律家による感情アピールは(陪審員に操作されているという疑惑を起こさせ)しばしば失敗することが知られている.

 
<証人の誠実性と前科>

  • 証人,被告人にかかる前科の利用の制限:前科は(当該事件の犯行事実の証拠として用いることはできないが)証人の誠実性を示すものとしては利用されて良い.しかし証拠価値と予断の間の比較考量を行うべきであるとされている(ただし偽証の前科については制限なしで証拠採用を認める).(様々な場合が詳しく解説されている)

 
<不法行為の有責性にかかる証拠の類型的排除>

  • 法がすでに利益衡量済みであるとして類型的に排除される証拠がある.多くは過失による不法行為にかかる証拠に関するものだ.
  • 事故が生じてそれについて改善策が立てられたことは過失,有責性,製品の欠陥,警告の必要性についての証拠として用いることはできない.これは陪審が後知恵バイアスから誤導されやすそうなこと,改善は社会的に望ましくそれを妨げるべきではないことから説明される.
  • 和解,和解の提案の事実は有責性の証拠として用いることはできない.これは陪審が帰属理論(他人の行動の原因に特定の意図があると考える傾向)から誤導されやすそうなこと,和解が社会的に望ましいと考えられていることから説明される.
  • 医療費の支払いの事実は事故の有責性の証拠として用いることはできない.被害者の治療に資したいという人としての衝動を,のちの訴訟において不利に扱うことにより阻害すべきではないということから説明される.
  • 責任保険への加入の事実を有責性の証拠として用いることはできない.これは責任保険の普及が社会的に望ましいこと,陪審が「保険がかかっているなら有責性を認めても被告は困らないからいいではないか」と考えて有責性の認定に傾きやすいだろうことから説明される.しかし今日においてはほとんどの被告は保険に加入しており,ほとんどの陪審員はそれを正しく想定しているのでこのような目隠しでそのような認識や影響を排除できないだろう.また逆に目隠しにより保険にかかっていないかもしれないと考えることにより有責性を認めがたくなるという影響も生じるかもしれない.

 
<結論>

  • 利益衡量ルールには複数の多層にわたる心理がかかわり,混乱をもたらすことがある.ルールの根拠の多くは心理学的な意味を持つように見えるが,それが本当に機能しているかどうかはあまり調べられていない.より機能的効率的ルールについて検討の余地がある.

 

第3章 証拠の無視や利用制限を求める説示

 
いったん特定の証拠が排除されたなら,(そしてそれが陪審が見聞きしたものであれば)裁判官は陪審にそれを無視するように,あるいはある特定の目的には利用しないように説示する.第3章はこれに関係する問題を扱う.
 
<概説>

  • 膨大な数の実証研究が,人は無視するように指示されても聞いたことの影響をしばしば受けることを示している.しかしどこまでうまくやれるかに影響する要因がいくつかある.これを考える上での重要なポイントは精神汚染と心の働きの二重過程論になる.

 
<証拠の無視を求める説示>

  • 人々に「見聞きした証拠を無視する能力」がないことを示す実証実験は数多い(模擬陪審員を使った実験の詳細が説明されている).

  
<無視できないのか>

  • 長期記憶に定着するまでなら人は意識的にある事柄をより長期記憶に定着させたり定着させないようにしたりをある程度操作できることが示されているが,法廷では証拠は事件と関連性をもって提示され,即座に物語の中に組み込まれるのでこのような操作の対象にはならない.事件に関連する重要な事柄をいったん知ってしまった後で意識的に記憶から除くのは困難である.
  • 無視するように指示されることでより(何を無視するべきかを覚える必要があり)注意が向くという心の過程,物語りに組み込まれた事柄を無視するには物語を再構成する必要があることなどが無視することの難しさを説明する.
  • その情報を知らなかったならどう判断したかを推論することも難しいタスクになる.ある事柄を理解するときにいったんそれを信じるという過程を経ること,いったん1つの信念を得たならそれに固執しがちであること(信念固執)という2タイプの精神汚染が関連する.後知恵バイアスもいったん得た評価を覆すことを難しくする.

 
<無視したくないのか>

  • 陪審が無視せよと説示された証拠を無視したくないと感じていることを示す実証実験がある.
  • 理由には,真実に至りたいという正義の感覚,権威者に指示されたくないという感覚の2つが提示されている.また「誰かが何かを隠そうとしているなら,そこに重要な真実に至る鍵があるのではないか」と信じる傾向があることも重要だ.これは訴訟当事者がある証拠に異議を申し立てることにリスクがあることを意味する.その意義が却下されたときには陪審員がその証拠を重視してしまう可能性があるのだ.

 
<どうすればいいのか>

  • 改善のための様々な実証研究があるが確かな結論は得られていない.

 
<利用を制限する説示>

  • 証拠法はしばしばある証拠についてある目的について採用を認め別の目的について制限をかける(いくつかの具体例*6が解説されている).裁判官はこのことを陪審に説示することになる.
  • 実証研究は,陪審員はある証拠を特定目的にかぎって利用することはないし,そうすることもできないこと,説示はむしろ逆効果になる(説示がないときより禁じられた用法の影響を増幅させてしまう)ことを示している.
  • これは法律家にとっては驚きではない.実際に法律家は(異議があれば排除されることがわかっていても)その様な証拠を賢く陪審に聞かせることに利益があることをよく知っている*7し,しばしば相手方の法律家はその証拠を強調しないためにあえて制限説示を請求しない.
  • 制限説示は法自身が困惑している事柄を隠すための無花果の葉に過ぎないのかもしれない

 
<裁判官自身は無視や利用制限できるのか>

  • 裁判官たちは,自分たちは証拠を適切に評価できると主張し,ベンチトライアルではしばしば証拠法のルールが無視される.
  • しかし実証研究は裁判官の証拠を無視する能力も完全ではないことを示している.(不法行為の有責性を示す)許容性のない証拠を知ったときには裁判官も陪審も責任を認める判断をしやすくなる.
  • 刑事被告人が許容性のない証拠が採用されたことを理由に上訴した場合,上訴審裁判官は(証拠の許容性がないと認めた場合には)「下級審の陪審がこの証拠を聞かなかったらどう判断したか」を推論しなければならない(結論が同じであると判断されたならば上訴は棄却される).これはメタ認知に関する一層困難な離れ業であり,心理学研究はこれが困難であることを示している.

 
<結論>

  • 説示には様々な解決困難な問題が潜んでいる.これについてのよい解決策はいまだに発見されていない.

 

第4章 証人を観察する

 
証拠には証人による証言が含まれる.第4章の証人の証言に関連する問題を取り扱う.
 
<概説>

  • 陪審は証言を聞くだけでなく,証人の記憶が確かなのか,真実を述べているのかを評価しなければならない.
  • 証人が意識的に嘘をつく可能性に対しては,法は宣誓,反対尋問,弾劾の制度を用意し,陪審は証人の態度を見ることができる.しかし証人が本当に誤解している場合にどう対処すればいいのかについて司法制度はよくわかっていない.

 
<記憶の変容>

  • 心理学の研究は人間の記憶が変容することがあることを示している.記憶は常に再構成される.誘導尋問によって記憶を変えることができるという事実もよく検証されている.
  • 法が主尋問において誘導尋問を禁じているのは適切だと評価できる*8.単に質問に同意するよりも自分の言葉でしゃべる方がバイアスを受けにくいのだ.
  • また法は証人の隔離を定めているが,これもほかの証言を聞くことによる影響の観点から適切だと評価できる.

 
<証言者の制限>

  • かつて法は潜在的に信用できない証人を排除しようとし,女性,アフリカ系,重罪前科者,無神論者は証人不適格とされた.この態度は社会的文化的心理的な面で劇的に変化した.現在なお能力の欠如で排除される証人は精神障害者,子ども,薬物の影響下にある人などだ.
  • 同じくかつて法は(真実を述べる)動機が疑わしいという理由で当事者,当事者の配偶者,利害関係人など広範囲な証人排除を行っていた.現在では陪審員の評価能力を信用し,この面のカテゴリカルな証人排除は無くなり,個別に証人適格を推定する形になっている(配偶者については配偶者側に証言拒否権がある形式になっている).
  • かつて宣誓は宣誓の元での偽証が深刻な罪になることを信じる証人へのプレッシャーとなると考えられていたが,現在では証人に真実を述べる義務があることを自覚させるための手段だと考えられている.この面での宣誓に効果があるとする心理学的研究*9がある.

 
<証言内容の制限>

  • 非専門家証人は個人的知識についてのみ証言が許される.これに対して専門家証人は個人的知識に加えて「知らされた知識」さらに「意見」を述べることができる.この区別については微妙な問題が多い(いくつか解説されている)
  • よく問題になるのは目撃供述の誤謬性について心理学の専門家証人を呼べるかだ.裁判官は陪審員は記憶の正確性や証人の評価についてよく知っているだろうと考えてしばしばこの手の証人を排除してきた.しかし最近では一般的な専門家証言は許容される傾向にある.

 
<嘘>

  • 証拠法のルールは証言の信憑性を陪審員が評価できることが前提になっている.特に「どのように言ったか」が手がかりになると考えられている.しかし数多くの実証研究は「人は話し手の態度に基づいて話の信憑性を評価するのが得意でない」ことを示している(詳しく解説がある).実際には「話し手の態度」ではなく,「話し手の能力」や「事件とのかかわり」,そして「物語の現実性」に基づいて判断しているのだ.
  • ポリグラフの利用は1923年の判例で否定された.これ以降fMRIを含む様々な技術的進展がある*10が,アメリカの司法制度では嘘発見器の利用は一貫して否定されている.この否定の主な理由は基本的には技術水準が一般的な承認を受ける水準でないというもの(1923年判例の理由)だが,裁判官や陪審が技術を過大視するリスクも理由の一つとされている.とはいえポリグラフの正答率は70〜80%とされており,有用性がないわけではない.これについては人間が人間を評価するところに裁判の道徳的正当性の基礎があるという議論がある.そうだとするならこのルールが変わることはないだろう.*11

 
<反対尋問>

  • 反対尋問は証拠法の原則の中で最も重要な位置を占めている.伝聞証拠が原則的に許されない最も重要な理由が反対尋問が行えないところにある.
  • 敵対証人に対しては証人の弾劾(信用性に疑問があることの証拠を提示すること)が認められている.これには前科のほか評判や意見に関する証言も認められているが,実証研究によると不明確かつ一般的な評判や意見にはあまり効果がないことが示されている.
  • 反対尋問ではしばしば嘘をつく動機の存在,供述の矛盾がテーマになる.実証研究は証人の自己矛盾が信用性評価を下げることを示している.
  • 反対尋問では(主尋問でも要求される)関連性と許容性が要求され,さらにその内容について主尋問で現れた事項と証人の信用性に影響する事項に限られている.しかし研究によるといかなる証言も信用性評価に関連する可能性があると考えられる.
  • 証人の自信を示す言動(断言など)は陪審員による信用性評価に影響するが,研究の結果,証人の自信と証言の正確性にはあまり関連がないことがわかっている.
  • 反対尋問などにより陪審がある証人の信用性に疑問を持ったとしても,そこから遡ってその証言内容をなかったことにして物語を再構成するのは難しい.これは証拠制限説示と同じ種類の問題になる.

 
<秘匿特権>

  • 証拠法は社会的利益の観点からいくつかの秘匿特権(法律家,医療やカウンセリング従事者,家族など)を認めている.秘匿特権を持つ証人はしばしば事件についての極めて有益な情報を持っているので,この特権を認める心理学的社会的な根拠が問題になる.しかし心理学的な問題(秘匿特権はどのような行動の変容をもたらすか,そもそも人々は秘匿特権を知っているのか,秘匿特権がなければ結婚関係が損なわれるということが本当にあるのか,同じく医療やカウンセリングが損なわれるのか)についての研究はほとんどない.
  • いずれにしても秘匿特権の存在は,嘘をつく最も強い動機を持つ証人が排除されるという結果を生んでいる.

 
<結論>

  • 証人尋問は拷問への道につながっている,このため法は様々な制限や制度を設けている.反対尋問は誠実性と正確性に役立つとされているが心理学的研究はあまり為されていない.反対尋問では誘導尋問が許されているが,そこでソース・コンフュージョンが生じないのかかはもっと懸念されるべきかもしれない.

 

第5章 性格証拠

 
英米では法廷で検察官が「被告人(あるいは証人)がいかに悪い(あるいは信頼できない)人間であるか」を強調しようとするのは極く普通になされているそうだ.そこでこのような「性格証拠」がどこまで許されるのかが問題になる.
 
<概説>

  • かなり多くの証拠のルールが「性格」(と法が呼ぶもの,明確な定義はないが人のパーソナリティ上の特徴や心理的帰属とだいたい同じと考えてよい)について定められている.実務ではそのうちの真実性,誠実性,暴力性などがよく問題になる.法は性格と行動をつなぐ線は曖昧で不完全であることをよくわかっているが,例外的に法意思決定のための特定目的に使うことが認めている.これが様々な問題を生じさせている.

 
<性格証拠ルールの概観>

  • 最も重要な一般的ルールは「性格はそれに沿って行動が生じたことの証拠として許容されない」(傾向性ルール)というものだ.しかしこれには多くの例外が定められている.
  • まず実体法で性格が要素になっている場合がある.(名誉棄損を受けた人の誠実性,子どもの監護における親の性格,保釈や仮釈放の要件など)この場合は性格が法廷で争われ,評判に関する証人の意見や証言が利用される.
  • 刑事訴訟においては被告人側は自分の(好ましい)性格についての証拠を提出できる.いったんそれが争点になれば検察側も性格証拠を提出できる.
  • 性格証拠は(行動の証拠としては利用できないが)動機,機会,意図,準備,計画,知識,(犯人と被告人の)同一性,錯誤(ミス)の非存在,事故(偶然)の非存在の立証には利用できる.多くの法律家はこの抜け穴を何とか利用しようと試みる.
  • ある人物の習慣的行動,ある組織の日常的習慣を示す証拠は(性格証拠と区別され)許容される.
  • 1990年代に証拠法に特殊な例外が追加された.性的暴行や子どもへの性的虐待事件については民事刑事問わず,「過去に性的暴行,子どもへの性的虐待を行ったこと」についてのいかなる証拠も許容されるようになった.これは傾向性ルールの重大な例外になる.
  • 証人の信用性については性格証拠の提出が許容される.ただし宗教的信念にかかる証拠は許容されない(かつてはキリスト教徒のみ証言が認められていたが,その制限がなくなると法律家は(キリスト教徒でない)証人の宗教的信念を攻撃するようになった.1975年にこのような攻撃が禁止されることになった).

 
<心理学と証拠法の方針>

  • 傾向性ルールを作り上げたコモンロー裁判官たちは,暗黙の性格理論に従っていたと考えられる.彼等は「性格は行動の源泉として各個人の中に一貫して存在するが,予測因として高度に信用できるものではない,しかし陪審員はそれを理解しない可能性がある」と考えていたのだろう.
  • その後の法律家たちも,陪審員が性格証拠に不当な重みを与える可能性があること,陪審員が被告人が悪人だと知れば証拠がなくとも有罪に傾きがちになることを傾向性ルールの理由としてあげている.
  • 心理学研究は性格による行動の傾向性がコモンロー裁判官たちや法律家たちの考えよりはるかに小さく,予断のリスクが高いことを示している.人格尺度が行動を予測する力は驚くほど小さいのだ.(性格よりその場の状況の方がはるかに重要であることを示すいくつかの研究が紹介されている) 将来の行動予測には性格よりも過去の行動の方がましなのだ.
  • では性格が重要だという認知が多くの人にあるのはなぜか.それは進化環境で他人の行動パターンを理解するためには単純化され一貫性のあるショートカット的な説明が有用だったからかもしれない.
  • この研究知見の法政策的含意は何か.それは性格証拠の禁止は賢明だということだ.また傾向的な証拠を利用する場合にはヒトが賢明な統計的推論者(特にベイズ推論者)でないことを考慮すべきだ.特に前述の性的暴行についての証拠法の例外を保つなら陪審に統計的説示を行うことが必要ではないかと考えられる.

 
<許容される個人についての証拠>

  • 「動機,機会,意図,準備,計画,知識,(犯人と被告人の)同一性,錯誤(ミス)の非存在,事故(偶然)の非存在の立証のため」という性格証拠の許容ルールはコモンローで時間をかけて発展してきた.このルールの目的は心の状態,同一性の確認,犯罪にかかわった状況(res gestae)の3つにまとめることができる.このルール群は多くの議論を招き,一貫しない裁判所の決定が生じてきた.またこれらのルールは利益衡量の諸問題,特定目的のみについての証拠利用や制限説示の問題を生じさせる.
  • 法は性格証拠と習慣証拠を区別する.これは習慣的行動はより引き金刺激により自動的に生じやすいという心理学的知見からみて是認できるものだ.
  • 法は証人の信用性について前科の提示を許容する.何であれ罪を犯すような人間はうそつきである可能性が高いと仮定しているのだ.しかし研究によると,陪審員の被告人の証言の信用性判断は前科の有無により影響を受けず(そもそも被告人の証言ははまったく信用されていない),いったん被告人の前科を知った陪審員は(制限説示があっても)有罪である可能性を高く見積もるようになる.
  • また法は証人の信用性について意見や評判などの性格証拠を許容する.正直性と評判が相関すると仮定しているのだ.しかしヒトの正直性についての研究は.それは大きく状況依存でかつ複雑であり,事態がそのように単純ではないことを示している(アリエリの一連の研究が紹介されている)
  • 性的犯罪についての傾向性ルールの例外を是認するには,性犯罪はその他の犯罪と行動態様が異なるという前提が必要なはずだ.しかしそのような主張を支持する経験的証拠は全くない.少なくとも少年犯罪についてはこの前提が全く当てはまらない.成人犯罪においても再犯率は性犯罪よりも窃盗などの財産犯と薬物犯の方が高いのだ.

 
<結論>

  • 多くの人は性格から行動を予測しすぎる.法はこれを抑える賢明なステップを踏んできたと評価できる.ルールには多くの例外が定められて様々な問題がある.心理学的研究が問題解決を支援していくことが望まれる.1990年代に定められた性犯罪についての傾向性ルールの例外はなんら経験的証拠なく採用されたもので,問題があると考えられる.

 

第3部 その他のタイプの証拠

 

第6章 伝聞と伝聞の例外

 
伝聞証拠は原則として許容されないが,様々な例外がある.第6章はこの伝聞証拠を扱う.(なお日本法においては刑事訴訟法においてのみ伝聞証拠が原則禁止されているが,面前調書などの広い例外規定がある)
 
<伝聞についてのルール>

  • 証人は自分で見聞した知識を証言できるが,他の人が見聞したと言っていることについては証言が許されない.それは見聞者の知覚や記憶の正確性や真実性について評価できないからだ.これが基本的なルールになる.
  • 伝聞は聞いたことに限られない.公判外で行われた供述(書面など)も含まれる.そしてそれを陳述した内容が真実である証拠として用いるものが制限される伝聞証拠になる.しかし法は2ダースを超える例外を認めている.

 
<伝聞についての研究の概観>

  • 伝聞証拠の一般的な問題についての心理学的研究は少ない.主に調べられているのは伝聞証拠の重みが低く扱われるかという点になる.
  • そのような研究のメタ解析によると伝聞証拠は完全には無視されないが,他の証拠に比べると影響度は小さい.ヒトは伝え聞いたことについては原則的に懐疑的であるようだ.(いくつかのリサーチが詳しく紹介されている)
  • 例外は実際の証人である子どもの供述を大人が代理して証言する場合だ.実験室実験では陪審員は成人の捜査官から得られた代理証言を子どもが直接証言する場合より信じていた.このような場合には伝聞証拠は過大に評価されることになる.

 
<例外>

  • 例外は必然性と信頼性の利益衡量から作られたとされている.それぞれの例外における信頼性,陪審員がどこまで信頼するかが心理学的な問題となる.
  • 諮問委員会の記録を読むと立法者が注意を払っているのは作り話(嘘)のリスクであり,誤認知や記憶の減衰にはほとんど注意を払っていないことがわかる.しかし近年の心理学的研究は記憶の脆弱性を明らかにしており,もっと注意が払われるべきだ.

 
<現在の感覚の印象と興奮した発言>

  • 「現在の感覚の印象」例外は,当該出来事が発生している最中に行われたその出来事に関する供述(911通報の録音など)を証拠として認めるものだ.同時性が記憶の変容の問題をなくし,(別途法廷に呼び出して)反対尋問可能であることから是認できると考えられる.
  • 「興奮した発言」例外は,供述者が興奮のストレスのもとにあり,その興奮を引き起こした出来事に関する供述を証拠として認めるものだ.これには興奮している状態では嘘をつく認知能力が制限されるという根拠が挙げられている.これは興味深い心理学的仮定のうえにある.現在の知見からみて嘘をつくのに認知資源が必要だというのは正しいと考えられるが,ストレスは長期短期の記憶を損なう可能性があり,法が考えるほど信用できる証拠ではないのではないかと考えられる.実際に陪審員はそのような証拠について低い重みづけしか与えないという研究もある.

 
<現存する精神的,感情的,身体的状態>

  • この例外は,供述者が自分の現存する心身の状態(どのように感じ,何を計画しているか)を供述する場合の例外だ.
  • 立法者はこれは「現在の感覚の印象」例外の応用だとしているが,心理学者は懐疑的だ.まずこのような供述は基本的に検証不可能だ.動機については,ヒトは自分の行動の理由を説明することが全く不得手であることが知られている.さらに意図や計画の供述については,(コミットメント効果,将来自分ができることについての過信傾向,将来自分がよい行動を行う確率の過大評価など)いくつもの問題がある.実際に陪審員は自己高揚的な供述について低い重みづけしか与えないようだ.

 
<瀕死の際の供述> 

  • 自分の死が差し迫っていると信じている供述者(実際に死ぬ必要なない)がその死の原因や状況について行った供述も例外となる.
  • この例外は瀕死の人は嘘をつく動機がない(嘘をついたまま地獄に行きたい人はいないだろう)という理由で非常に古くから認められている.
  • しかし最近の研究を見れば,そのようなストレス下での証言の正確性には懸念が生じるはずだ.片方で陪審員がこのような瀕死の状況での供述を疑うことは難しいだろうと想像される.

 
<規則の変遷>

  • この他にも多くの例外がある.例外の多くはビジネスや行政において様々な記録が導入されたことに関連している.前科や評判の利用も例外に当たる.評判に関する規定に関しては現在のようなネット世界でどう扱われるべきかについて再考すべきかもしれない.

 
<結論>

  • 伝聞証拠法則の例外ルールは多く,証拠法ケースブックの1/4を占める.
  • 立法者はもっぱら嘘のリスクを懸念したが,心理学者は意図せずに不正確になることをより警戒するだろう.
  • 心理学はこのルールの改善について多くのことができるだろう.

 

第7章 科学的証拠とその他の専門家証拠

 
第7章は科学的証拠がテーマ.法はこの世界の有り様や動きについての専門性のある(一般人にはあまり知られていないが,真実である蓋然性が高い)証拠や証言について特別の扱いをするのだ.
 
<概説>

  • 裁判所が科学的証拠と格闘する必要があるのは,(判例法の)ルール創造場面,専門家証言を法廷に入れるかどうかのゲートキーパーの場面.許容された証拠を陪審員が用いる場面だ.

 
<ルール創造>

  • 諮問委員会は審判対象事実(特定の事件の事実)と立法事実(ルールの創造,変更のために助けになる(法的推論や立法過程に関連する)事実)を区別する.前者において裁判官は調査においても決定においてもなんら制限を受けない(調査をしない完全な自由がある)が,後者において(特に矛盾する下級裁判所の判例を整理する必要がある時には)より広く関連事実を検討する必要があるとされている.
  • しかし実際には裁判官は立法事実についても調査をせずに直感に頼ることがしばしばある.心理学研究はどのような場合に直感が誤りやすいのかを示すことができる.

 
<ゲートキーピング>

  • ゲートキーピングは専門家証拠,科学的証拠に関する証拠法の焦点であり,多くの議論がある.
  • 専門家証言は(一般の証言と異なり)意見や推論の結果を述べることができる.
  • 平均人が有していない知識を持つものは誰でも専門家として扱える.
  • ゲートキーピングの許容性の試金石は「有用性」になる.
  • 法は専門家証人が中立的であることを想定しているが,実務では証人として申請した当事者側に立つことが大半だ.

 

  • 専門家とされた証人が実は専門知識を有していない場合やバイアスを持つ場合に生じる混乱に備えて,専門家証人のスクリーニング手続きが定められている.また法は裁判官に自らの選択による専門家証人を任命する権限を与えている(これは当事者があまりに劣悪だったりバイアスを持っている証人を申請することへの抑止になる).
  • 証人が申請者側のバイアスを持ちやすいことは,選んでもらったことへの忠誠バイアス,弁護士との対話の中で生じる一貫性バイアス,弁護士への権威に従うバイアスから説明できる.いったんバイアスを持つと推論は「動機付けられた推論」になりやすい.
  • 刑事においては科学捜査研究機関職員の証言が重要になる.彼等はいわば検察に恒久的に雇われたガンマンであり,そのグループ内で期待されるように振る舞う強い傾向を持つ.これが(最終的には主観が入り込みやすい)指紋や弾痕や足跡の類似性判断がしばしば重大な問題になる理由だ.弁護側はしばしば独自の専門家証人で対抗するが真実の発見のためには有効だと考えられる.

 

  • 最も初期の許容性テストは「資格」だった.19世紀には「市場性テスト」(消費者から信頼を得ているか)がしばしば用いられた.20世紀になりフライ基準(その専門知識が属する特定の分野で一般的に承認されているか)が採用された.フライ基準には同業者は消費者より甘い(占星術の専門家は占星術を有効だというだろう)という欠点があった.また裁判官は特定分野を広く解したり狭く解したりして許容条件を操作できるという問題もあった.
  • 現在のルール(ダウバート基準)は,専門分野の科学的有効性と証人の証人適格についてそれぞれ判断されなければならない,その分野の一般的承認では不十分だとされている.
  • このルールの変遷は基準がシステム1型からシステム2型に移行してきたと評価できる.実務的には民事においては専門家証言はより承認されにくくなり,刑事においては検察の専門家証人に対する被告人の異議が認められにくくなっている.
  • 最近の科学的再調査では,これまで法廷に招き入れられていたいくつかの分野(指紋の同一性判断,弾道学など)が全く信頼に値しないものであることが明らかになった.これは(社会心理学がいう責任の分散により)裁判所が機能不全であったことを示している.

 
<公判での利用>

  • 陪審員は専門家証言をどこまで理解し,正しい重みづけを行えるのかが問題になる*12
  • 陪審員は単純な事件で事実関係を整理することについては有能だが,複雑な事件ではその能力は疑わしい.専門家証言は本来はその中身で評価されることが望ましいが,陪審員にそれはできず,証人の表面的な特性で判断するか,その証言を無視することになる.
  • 特に理解されにくいのが確率的証拠についての統計的な解釈だ.陪審員は統計学ではなくヒューリスティックに従って判断し,因果を誤解する(様々な誤謬の例が紹介されている).データを提示する専門家証人は物語的で質的な証言を提示する証人よりも理解されにくいのだ.
  • 裁判所は長きにわたって専門家の証言に対しては反対尋問や対立する専門家証拠による弾劾に効果があるという立場をとってきた.しかし実証研究によるとその効果は疑わしい.
  • 改善のためのいくつかな試みがある.その1つは裁判手続きの改善だ.メモとりの許容,専門家への質問の許容,裁判ノート(専門家のスライドと用語集),チェックリストの利用などだ.研究によるとメモや質問には効果がなく,ノートとチェックリストには効果があった.
  • 別の方法は統計情報の表示方法の改善だ.ギゲレンツァはヒトは確率表示より頻度表示の方をより理解することを示した.統計的な理解についてのヒューリスティックの知見からデータ表示の方法についていくつかの改善案が提示されている.
  • 陪審員を法廷で直接教育するという方法も提案されている.直接的な教育が因果推論を(時間をかければある程度)改善できるとする研究結果がある.

 
<結論>

  • 科学的証拠は(専門知識を持たない)裁判官や陪審員に多くを要求する.
  • スクリーニングルールは時代とともに改善された.かつては現在では「無効」と考えられる「法科学」が法廷に持ち込まれていたのだ.
  • その下流にあるルールは陪審員が直面している理解・評価の問題について全く貢献していない.いくつかの改善提案はあるが,裁判官や陪審員に科学リテラシーがない以上根本的な解決は難しいだろう.

 

終章 証拠法のための心理学の教訓

 
最終章はここまで述べてきたことの教訓を中心にまとめられている.

  • 証拠ルールの創造者は(陪審員の心理を推測するメタ認知課題などをもつために)応用心理学者として活動するしかない.かつては素人的な素朴心理学が応用されてきたが,より体系だった方法で心理学が用いられることが望まれいる.
  • 法制史学者は証拠法の出現は素人陪審の台頭への応答と考えてきた.しかし実際には19世紀に弁護士に手続きが委譲されるのがきっかけになっている.証拠法は主として弁護士を抑制するために発展してきたのだ.
  • 証拠法の特に重要な機能は弁護士に(「影響力の武器」で示されたような)説得の技術を妨げるところにある.
  • 利益衡量テストにはメタ認知が必要になる.テストは意味ある試みだが,本当に機能しているかについては研究の余地が残されている.
  • 証拠無視や証拠利用制限の説示の効果は疑わしい.他の方法を考案すべきかもしれない.
  • 反対尋問は証言の信用性を評価するための重要な手段とされているが,これについての心理学的研究は少ない.
  • 性格証拠は(多くの例外はあるが)原則として禁止されており,これには意味がある.しかし近年の性犯罪に関する例外は根拠なく採用されたものであり問題含みだ.
  • 伝聞証拠の例外は証言が必要で信頼できることを前提に認められているが,(例外の体系が複雑であることもあり)これについての研究は少ない.
  • 科学的証拠は(真実の発見のためには)重要だが,裁判官や陪審員にこれを評価する能力がない.裁判官はゲートキーパーの役割を果たせていないことがしばしばある.特に統計的,確率的証拠はほとんどの人にとって不可解なものであり,効果的な教育方法の導入が望まれる.

 
 
以上が本書の内容になる.コモンロー裁判官が素朴心理学をもとに様々な証拠法を作り上げてきたこと,その多くは真実の発見のために役に立っているが,限界もあったこと(特にバイアスと二重過程,態度で嘘を見抜けるか,記憶の減衰や変容あたりについては理解されてない部分がある),今後心理学の応用として証拠法の改善の可能性があるということあたりが印象に残る部分だ.なかなかニッチな分野の書物で関心のある人は少ないかもしれないが,私的にはいろいろ楽しめた.裁判員制度が導入された日本でも今後重要になる部分(特に科学的証拠の扱い,記憶の変容の認識あたりはそうだろう)であり,多くの法律実務家たちに読まれればよいと思う.
 
 
関連書籍
 
原書

 
その他の法と心理学シリーズ

*1:かなり以前に英米刑法について本を一冊読んだことがあって,それは海外ドラマの刑事ものや法廷ものを見るときに大変参考になった.英米刑法では大陸刑法と責任についての考え方が基本的に異なっている.大陸法では故意と過失だけだが,より細かく分かれていて,しかも個別判例に遡った形でアドホックに定められていてとても興味深い.それが謀殺(murder)と故殺(manslaughter)の差を説明する.故殺はかっとなってやった殺人や未必の故意による殺人(日本法ではどちらも紛れもない殺人罪になる)を含む概念で,字幕ではしばしば「過失致死」と訳しているがあれはかなりミスリーディングだ.また「重罪:felony」も英米法特有の重要な概念で,これを知っているとシナリオをより深く楽しめることがある.ドラマでは法廷で証拠の採用をめぐって争う場面も多いので,それなら証拠法を知るとより楽しめるだろうと考えたわけだ.

*2:サックスは心理学博士で法学修士(MSL),法科大学院および心理学部でリージェント・プロフェッサーを務める.スペルマンは心理学博士で法務博士(J. D.),現在は法科大学院教授を務める

*3:証拠法のほかには財産権法,家族法,不法行為法,環境法が出ているようだ

*4:私のような強迫観念的メモとり人間が陪審員になったらものすごいストレスを感じるだろう.なお日本の裁判員はメモをとってもいいようだ

*5:評決の予測モデルを用いた研究では,評決の分散の80~90%が証拠で説明でき,陪審員の個性や特徴は10~15%しか説明できないそうだ

*6:例えば被告人に前科があることは,当該事件の犯行事実の証拠として用いることはできないが,被告人の性格を示す証拠としては採用が認められている

*7:これは海外ドラマでよく見かけるシーンだ

*8:なお日本法でも主尋問における誘導尋問は原則禁止されている.

*9:ダン・アリエリの行動経済学リサーチが紹介されている

*10:fMRIを用いる最新技術についての多くの神経科学者の意見はまだ法廷で使えるのを正当化できるレベルには達していないというものだそうだ.

*11:なお日本においては,捜査段階でのポリグラフの使用に被験者の同意が必要だが,いったん同意されて行われたポリグラフの結果の証拠能力は判例で認められている

*12:法が専門知識を持たないものに専門家証言のスクリーニングや評価の義務を与えているのは逆説的だとコメントされている

From Darwin to Derrida その142

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その7

 
だんだん難解になる「Making Sense」.送信者(最初の解釈者,情報の創造者)の意図と受信者(2番目の解釈者,情報の消費者)の意図は異なるという話の解説になる.
 

解釈の解釈 その2

 
前回ヘイグはチータ相手にジグザグ走りを行い,リカオン相手にストッティングを行うガゼルを持ち出した.
ジグザグ走りはチータの走行予測を困難にする意図を持ち,チータはジグザグを見ながら予測しようとするので両者の意図は合致していない.しかしストッティングではガゼルは「ストッティングを行うガゼルは健康で追うに値しない」ことを示し,リカオンはその通りに解釈しているので,一見意図は合致している様にも思われる.しかしヘイグは違うと言う.

  • しかしこれは行動生態学者の解釈であって,(私たちが知る限り)ガゼルやリカオンの解釈ではない.彼等の解釈は「ストッティングする」「追いかけない」というだけのものだ.(ガゼルはチータに対してはストッティングしない.なぜならチータには耐久力はないが,ものすごいスピードがあるからだ.ガゼルはチータがいるという状況を「できるだけすばやく遠くに,そして予想できない動きで逃げる」と解釈する)

 
というわけで私の最初の感想は行動生態学に慣れすぎていることからきているということになる.(ここのヘイグの「解釈」という用語の用法が通常と少し異なっているということもあるだろう)
 

  • 解釈は目的を達成するために選ばれた行動だ.一部の解釈は,引き続く解釈者の解釈や当初の解釈者ののちの解釈のための情報として使われる.私はここで「テキスト」を引き続く選択の情報として意図された情報という意味で用いる.テキストは著者(創造者)による読者(消費者)への入力として意図された出力だ.しかしテキストをどう解釈するかを選ぶのは読者だ.テキストは意図された読者の解釈能力を予測する.それは静的なオブジェクトでもありうるし,動的なパフォーマンスでもありうる.

 
ここで「テキスト」の本章における定義が現れる.それは情報の消費者(受信者)が何らかの解釈を行うことを意図して発信される情報ということになる.
 

  • この拡張された定義においては,書かれた書類,美術品,DNAやmRNA,神経活性,チューリングマシンのテープは全てテキストということになる.私の話し言葉は,音により「書かれ」聴取者に解釈されることを意図された,その場限りのテキストになる.絵画は,絵の具で「書かれ」鑑賞者に解釈されることを意図された,永続的テキストになる.道路に描かれた平行な白線は,歩行者には横断場所を示すと解釈されることを意図された,ドライバーには歩行者がいれば一時停止する場所を示すと解釈されることを意図されたテキストになる.クジャクの尾は,メスの賛美を誘発するように意図されたテキストだ.ストッティングはリカオンを思いとどめさせるように意図されたテキストだ.

 

  • テキストの著者が(読者がそう解釈するように)意図する解釈と実際の読者の解釈とは区別されるべきだ.ガゼルのストッティングパフォーマンスに(ガゼルが)意図しなかった弱さを見つけたリカオンはそのガゼルを追うだろう.

 
ここはちょっとよくわからない.前段の議論から考えると,ガゼルの解釈は単にストッティングすることだが,行動生態学者が見るとそれはリカオンが追ってこないように意図されたものになる.そしてそれは常に成功するわけではないということだろうと思う.すると「リカオンが追ってこない」というのは著者(ガゼルをさすことになるだろう)が意図する解釈といえるのだろうか.ここではストッティングを持ち出さずに,普通の本の著者と読者などの別の例の方がわかりやすかったのではないだろうか.
 

From Darwin to Derrida その141

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その6

 
だんだん難解になる「Making Sense」.「意味」は物理的存在は離れてはあり得ないという主張の後,「解釈」について深堀が為される.
 

解釈の解釈

 

  • 非生物世界は生物の解釈者にとって有用な非意図的な情報の宝庫だ.非意図的情報は他の解釈者の解釈のなかにもある.解釈を再解釈するときには,最初の解釈者(情報の創造者)の意図と2番目の解釈者(情報の消費者)の意図を区別することが必要だ.

 
情報の創造者と情報の消費者というのは普通の用語で言えば信号の送り手と受け手ということになるだろう.送り手が受け手にどのように解釈してほしいと思っているかと受け手が実際にどう解釈するかは異なることがあるという意味になるだろう.基本的に生物世界では信号は相手の操作のために行われるので,利害が一致しない場合には意図の読みあいになるのはむしろ当然ということになろう..
 

  • チータに追われたガゼルの回避行動は捕獲されにくくするという意図による.チータはガゼルを捕獲する意図を持ちガゼルの動きを観察し解釈する.これらのチータの解釈はガゼルに意図されたものではない.
  • 健康なガゼルがチータではなくリカオン(hunting dogs)を見るとき,ガゼルはそれをストッティングすべき状況と解釈する.リカオンはストッティングしない(あるいは弱々しくしかストッティングしない)ガゼルをより追いかける.健康なガゼルとリカオンはともに,リカオンが弱いガゼルを追いかけることにより利益を得る.リカオンがストッティングしないガゼルを追いかけるという決断は健康なガゼルの意図するものだ.
  • ストッティングの進化的合理性は,ストッティングは「このガゼルはリカオンより強壮で持久的な追跡が失敗する可能性が高く,追うに値しない」ことをリカオンに示すシグナルだというところにあると考えられている.

 
ここはちょっと驚きだ.これまでガゼルのストッティングについて私が読んだものは.このディスプレイは捕食者向けとされていて,具体的にはチータやライオンが念頭に置かれていた様に思う.例えば最近のオールコックとルーベンシュタインの行動生態学の教科書ではトムソンガゼルがストッティングディスプレイを行う相手はチータであると書かれている.
またここではAfrican wild dogsではなく,hunting dogs(通常は猟犬の意味になる)と表記されているのもちょっとよくわからない.猟犬では状況的にも進化的にも意味が通らないだろうと考えて.リカオンと訳してみた(African hunting dogsでリカオンをさす用法もあるようだ)ところだ.
いずれにしてもガゼルが短距離高速追跡型の捕食者に対してはジグザグ走りをしてもストッティングはせずに,中長距離持続追跡型のリカオンに対してはストッティングするということについては,1988年の論文が引用されている. 
 
link.springer.com

書評 「進化と人間行動 第2版」

 
本書は進化心理学,人間行動進化学の(日本語で書かれた)最も優れた入門書として読まれ続けてきた本*1の22年ぶりの改訂版である.著者には初版の長谷川夫妻に大槻久が加わり,この間の様々な知見の進展に合わせた全面的なアプデートを行っている.トピック的には生活史戦略,協力行動の進化(特に間接互恵性),文化の重要性の部分の改訂が大きい.また全体を3部構成にして見通しをつけやすくする工夫も加わっている.
 

第1部 進化とは何か

 
第1部は本書のテーマについての序章と進化学についての概説(ダーウィンの進化学,分子進化学,行動生態学)がおかれている*2
 

第1章 人間の本性の探求

 
第1章は序章的な部分になる.人間の理解のためにはヒトの進化と適応という観点が有用であること,遺伝と環境の問題(ヒトの行動には遺伝も環境も影響を与えていることは当然であり,それぞれどれほど,どんな影響を与えているかの解明が重要),これまでの社会科学における前提とその誤り(SSSM批判),遺伝決定論(という誤解),(近年知見が深まってきた)エピジェネティックスの重要性が説かれている.また最後には本書で扱うテーマがどのような(誤解に基づく)批判を受け論争を経てきたのかについて(社会ダーウィニズム,社会生物学論争)簡単に解説がある.
 

第2章 古典的な進化学

 
第2章は伝統的な進化学の解説.ダーウィンが進化と自然淘汰を提唱するまでの歴史,自然淘汰・適応・適応度の簡単な解説,様々な適応の例(ダーウィンフィンチのくちばし,オオシモフリエダシャクの工業暗化,ヒマラヤを渡るインドガンのヘモグロビン構造,鎌型赤血球症,ヒトの皮膚の緯度勾配),ヒトが引き起こした適応(病原体の適応性獲得,乱獲によるタラの生活史変化)が解説されている.
 

第3章 現代の分子進化学

 
第3章は分子進化学の解説.遺伝子の物理化学的実体(DNAの構造,複製機構)*3,遺伝子の発現機構(転写,転写調節,翻訳),突然変異,中立説と分子系統樹,ゲノム科学の進展がまず解説されている(ここは第2版で追加された部分になる).こののち行動にも遺伝子が影響を与えうることが様々な例(トックリバチの巣,インコの雑種の行動,カッコウのヒナの宿主の卵排除行動,色覚が行動に影響を与えること,オキシトシンの感受性が配偶システムに影響を与えること)とともに説明されている
 

第4章 「種の保存」の誤り

 
第4章は行動生態学の解説だが,特に進化が「種の保存」に向かって進むという誤解を解くことに注力されている*4.ローレンツにみられるグループ淘汰*5の誤解,ウィリアムズによる誤解の指摘,メイナード=スミスによる数理的解説,行動生態学の勃興,子殺しの個体淘汰的解釈,進化ゲーム理論による儀礼的闘争の説明,例外的にグループ淘汰が働く場合(そしてそれは血縁淘汰としても解釈できること)が解説されている.
 

第2部 生物としてのヒト

 
第2部ではヒトの進化,適応形質が扱われる.人類進化史,生活史戦略,家族(血縁淘汰),協力の進化,性の違い(性淘汰)が主に採り上げられている.
 

第5章 霊長類の進化

 
第5章では霊長類の特徴が概説されている.霊長類というグループの特徴.大きな脳と社会脳仮説,大型類人猿とその社会構造,チンパンジーの特徴(協力傾向,道具使用,コミュニケーション)などが解説されている.第2版では霊長類全体の進化史が大きく付け加えられて充実している.
 

第6章 人類の進化

 
第6章では人類進化史が概説されている.ここでは初期猿人,猿人,原人,旧人,新人という区分を用いて,犬歯の縮小(性的二型性),直立二足歩行,臼歯の発達と退化(食性の変化),大脳の発達の傾向を概説したのち,それぞれのグループが取り扱われている.第2版で付け加えられた知見として,現在直立二足歩行についてはラブジョイの「食料供給仮説」が有力視されているがこれはアルディピテクス・ラミダスの分析から生まれた仮説であること,最近発見が続くアジア地域での原人の多様性,旧人段階での火の利用と調理仮説,ネアンデルタール,デニソワとサピエンスの混血などのトピックが紹介されている.
 

第7章 ヒトの生活史戦略

 
第7章は第2版で付け加えられた章になり,ヒトの生活史戦略を扱う.生活史戦略とは何かがr戦略とK戦略を用いて説明され,そこから霊長類の生活史戦略の解説になる.霊長類は典型的なK戦略者であり,中でも類人猿はその極致ということになる.続いてヒトの生活史戦略が解説される.脳の大型化などに伴い様々な生活史パラメータが調整されている.ここでは妊娠期間(脳の大型化との関係で議論がある*6),離乳時期(ヒトの離乳時期は大型類人猿よりはるかに早い.共同子育てが大きく関係していると考えられる),長い子供期と思春期の存在,閉経の存在(ホークスのおばあさん仮説とカントの世代間競争仮説)などが解説されている.
 

第8章 血縁淘汰と家族

 
第8章は血縁淘汰を扱う.まず血縁淘汰理論の解説があり,ハミルトン則,血縁度,生物世界の例(社会性昆虫の不妊ワーカー,ジリスの警戒温,鳥類のヘルパー),血縁認識(表現型マッチング,物理的近縁性,ヒトにおける親族呼称)が説明される.
ここからヒトの血縁者間の協力がテーマとなり,具体例としてバイキングの連合形成,イヌイットの捕鯨船クルー,ヤノマミの争い,おばあさん仮説の解釈,アヴァンキュレート*7,チベットの一妻多夫制,半きょうだいと全きょうだいの親密度の違いが採り上げられている.
続いて血縁淘汰とコンフリクト状況がテーマとなり,殺人の研究,子殺しの状況(シンデレラ効果),親子間コンフリクト(親の投資理論の簡単な解説含む),母親と胎児のコンフリクトとゲノミックインプリンティング,親による選択的投資(トリヴァース=ウィラード効果),父系社会における女児差別,女児への偏向投資が解説されている.
 

第9章 血縁によらない協力行動の進化

 
第9章は直接互恵,間接互恵による協力の進化がテーマ.
直接互恵性のロジックの説明,動物に完璧な例は認められないというのが大勢だが,その側面を示す例(チスイコウモリ*8,雌雄同体の魚類の交尾行動)がまず紹介される.そこから具体的な直接互恵性の成立条件,特にフリーライダー排除の必要性と繰り返し囚人ジレンマ実験としっぺ返し戦略の有効性,裏切り者検知心理メカニズムの存在と4枚カード問題が詳しく解説される.
次に間接互恵性のロジック,ヒトの歴史においては農業革命以降知らない他人との相互作用が増えてよりこのロジックが重要になったであろうことが説明される.そこから公共財ゲーム,罰あり公共財ゲーム,最後通牒ゲームにおける知見とそれが間接互恵性(評判を重要視する心理)と進化環境と現代環境のミスマッチから説明できる部分があること*9が詳しく解説されている.
最後に「ヒトは元来協力的か」ということについて簡単なコメントがある.ヒトの進化環境においては直接互恵性に基づく社会関係が重要であり,ヒトの行動には「相手の協力には協力でお返しする」という社会的交換ヒューリスティックが埋め込まれているのではないかと示唆している.
 

第10章 雄と雌:性淘汰の理論

第10章は行動生態学の基本解説に戻り性淘汰がテーマ.生物の性,有性生殖と無性生殖,性差の存在をまず抑え,そこから性淘汰理論が解説される.ダーウィンの洞察,同性間競争強度の性差についてトリヴァースの親の投資理論からの説明と実効性比からの説明,同性間競争の態様(量と質)と精子競争,配偶者の選り好み,ハンディキャップ理論とランナウェイ,配偶者防衛とEPC,(霊長類に見られる)子殺しとメスによる対抗戦略(メス連合戦略と乱婚による父性の撹乱戦略),雌雄間コンフリクトが簡潔に解説されている.
 

第11章 ヒトにおける性淘汰

 
第11章はヒトにおいて性淘汰がどう働いているのかを扱う.
まずXY染色体による性決定の仕組みを説明し,LGBTQの説明(性決定メカニズムが複雑であることから,一定割合でシナリオ通りに進まない事態となる*10)がある.
ここからヒトの進化においてどのように性淘汰が働いてきたかが解説される.まず配偶システムが説明される.身体の性差から推測される配偶システム(性差はそれほど大きくないが,典型的な一夫一妻種よりは大きく,若干のオス間競争,精子競争があったことが推測される),歴史的民俗史的に見た配偶システム(20世紀前半まで法制度的には一夫多妻を認める社会が多いが,実際には極く少数の男性のみ一夫多妻を実現していた)が説明され,近縁の類人猿と比較した場合の大きな特徴は一夫一妻や(少数の)一夫多妻の家族が集まって共同繁殖する多層構造の社会を持っていたことだと指摘される.
次にどのようにペアボンドが形成されていくのかが解説される.ヒト社会では本人同士の恋愛・愛着だけでなく,家族(特に親)の承認,社会の承認が重要になる.そこから社会における配偶競争,配偶者選択(恋愛)事情が,伝統的父系社会(家父長制社会)の場合,狩猟採集民の場合,現代社会の場合についてフィールドリサーチの結果も交えて丁寧に説明される.
ここで進化心理学的な配偶者選択基準として有名な男性の女性のWHRについての好みが取り上げられて特に丁寧に解説がある*11
最後に家父長制が論じられている.伝統社会で見られる家父長制的慣習には配偶者防衛と考えられるもの(女子割礼,女性の行動制限)があること,家父長制の起源*12,出世地からの分散*13,男性の暴力,権力志向*14などが説明されている.
 

第3部 心と行動の進化

 
第3部ではヒトの行動の進化を解明するアプローチ,その際の文化要因の重要性がテーマとなる

第12章 ヒとの心の進化へのアプローチ

 
行動の進化へのアプローチとして他動物種との比較(近縁類人猿との比較,同じような生態を持つ動物群との比較*15),ヒトの個体発生からの考察*16とネオテニー説や自己家畜化説,人類学や考古学とのコラボレーション*17,文化間比較(進化心理学勃興時にはユニバーサルが強調されたが,現在では通文化性と文化間差異の両面から検討されることが増えている),進化理論に基づく仮説検証型研究(殺人率の性差,年齢別カーブの研究が解説されている*18)などが扱われている.
 

第13章 ヒトにおける文化の重要性

 
第13章は第2版で大幅に改訂され,ヒトの行動における文化の役割を強調する.
まず文化の定義,動物に文化はあるかを簡単に解説し,文化伝達の様式(目的模倣: emulation,動作模倣: motor mimicry,社会的促進,教育),スペルベルの表象感染説と個人の考えの変容の重要性,ニッチ構築*19とヒトの文化,遺伝子と文化の共進化*20,文化の累積的発展,進化環境と現代環境のギャップのトピックが扱われている.
 
 
以上が本書の概要になる.初版の当時から進化,行動生態学,ヒトの行動進化と進化心理という膨大なトピックを簡潔にまとめた素晴らしい教科書だったが,それが様々な知見を加えて改訂され,さらに充実した教科書にブラッシュアップされた*21.この分野の初学者にとっては前にもまして必読本ということになるだろう.
 
 
関連書籍
 
初版

 
その他の初学者向けの進化心理学本
 
個別の行動の至近因,究極因を整理した事典,通読しても面白い.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/2021/07/09/131933

 
中国の進化心理学学習者向けのガイド本.多くの著名進化心理学者のエッセイが集められている.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/2018/11/30/081619

 
本書初版と並び,2000年代に出された入門本

*1:初版は2000年4月,21刷りまで進んだそうだ

*2:本書はもともと東大駒場の教養科目のテキストとして書かれたものであり,進化全般についての概説がなされているということになる

*3:なお本章のコラムでなぜDNAのチミン(T)がRNAではウラシル(U)なのかが解説されている.化学的にはUを使う方がエネルギー効率がいいが,DNA上のシトシン(C)は時折ウラシルに化学変化してしまう(修復酵素によりすぐに修復される).このため暗号にUを使っているとCが変化したUなのか,もともとのUなのか区別できなくなり,DNAの役割である長期保存記録として望ましくないことになる.しかしRNAでは短期間なのでエネルギー効率優先の方が適応的ということらしい

*4:初版では章題は「「利己的遺伝子」と「種の保存」」とされていたが,第2版ではこうなっている.いつまでたっても消え去らないしぶとい誤解ヘの問題意識が窺える

*5:本書では群淘汰という用語が使われている

*6:かつてはヒトは生理的な早産とされていた.チンパンジーはメス体重が30キロで妊娠期間が34週なのに対し,ヒトは50キロで38週しかない,アロメトリー的には早産に見える.これは胎児脳の大型化と2足歩行のトレードオフの中での適応だと考えられてきた.しかし最近別の可能性も指摘されているそうだ.メス体重だけでなく新生児の体重と脳重まで考えるとアロメトリー的にはヒトの妊娠期間が長いと判断でき,また女性の骨盤をもう少し大きくしても歩行効率はたいして下がらないことも示されているそうだ.とはいえ出生後に脳が大きく成長する必要があるためにヒトの新生児がチンパンジーに比べて無力なのは確かだ.この新しい考え方によるとヒトの妊娠期間は子どもの脳の成長に必要なエネルギーを子宮内で与えるより体外授乳および共同子育てで与える方が効率的になる時点で出産が生じるということになるそうだ

*7:母方のおじが男の子に特別な投資をする例

*8:チスイコウモリの例は有名だが,血縁個体間の血縁淘汰的な説明も可能ではないか,「恩人」への選択的な応報についての明確なデータがないのではないか,という疑義があるそうだ

*9:罰あり公共財ゲームで見られる利他罰的な行動や最後通牒ゲームに見られる不公平分配への拒否は,実は将来相互作用する可能性のある相手への裏切りへの威嚇をおこなう(自己のタフさについての評判を守る)心理と完全な匿名性はない(あるいは二度と相互作用しない他人というのはほとんどいない)という進化環境での行動傾向の現代環境へのミスマッチで説明できる可能性がある

*10:これは自然に生じるプロセスであり,そのような個体も差別を受けずに自由に暮らしていく権利を持つと思っているとコメントがある

*11:1990年代にデヴェンドラ・シンは0.7程度のWHRの好みがユニバーサルに見られると報告した.しかし調査対象男性が西洋文化に偏っていたためユニバーサルではないのではないかという疑義が出され,ペルーやタンザニアの西洋文明とあまり接触のない集団ではそのような好みが見いだせないとういう報告も出された.片方で思春期になる女性のウエストがくびれてくるのは生物学的事実でもある.ここでは西洋文明でランナウェイが生じた可能性も含めてより調査が必要だとまとめられている

*12:父性の不確実性から来る配偶者防衛が究極因と考えられる.資源の防衛が可能になると男性間競争が激しくなることが予想されること(民俗史的には家畜の飼育とともに母系制から父系性社会に移行する傾向がある)から農業革命以降に階層化と家父長制が顕著になったと考えられることなどが解説されている

*13:ミトコンドリアとY染色体遺伝子からヒトにおいては父方居住と女性の分散が多かったことがわかっている

*14:男性間でより競争が激しいこと,男性が女性をコントロールできることにより父性を確実にできることが重要だと説明されている.より地位の高い男性が女性から選り好まれるためにそれを志向したという要因も効いている可能性については触れられていない

*15:狩猟行動,配偶システム,言語などが例に採られている

*16:ヘッケルの反復説,フロイトやピアジェによるヒト心理についての(現代においてはとても受け入れられない)反復説的な考察,それが心理学の中でなお総括されていないことなどが説明されている

*17:ミズンの認知考古学,ヘンリックの小規模伝統社会における最後通常ゲームのフィールド実験などが解説されている

*18:ここで著者の1人である長谷川眞理子の日本の殺人の研究についての解説がある

*19:本書ではニッチェ構築と表記されている

*20:有名な乳糖耐性と酪農文化の話を紹介し,これ以外には個別の文化との共進化の明確な事例はないととする.ここでは新奇性追求とDRD4遺伝子の関係(ただしのちのメタ分析では当初報告されたよりもずっと関係性が小さいことがわかった),セロトニントランスポーター遺伝子の日米差なども説明されている.

*21:私的には,性淘汰の理論的解説があまり改訂されていないところ(フィッシャー条件の吟味が解説されていない),進化心理学の重要概念である心の領域特殊性(モジュール性)の説明が削られているところ(なぜ省略したのかは定かではない.紙幅の都合ということだろうか)が少し残念だが,それは完璧を求めすぎるないものねだり的な感想の領域ということになろう

From Darwin to Derrida その140

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その5

情報,解釈,意味,目的をめぐるヘイグの難解な議論.その趣旨は意味論も物理的実体を離れて存在することはないことを示すためだと解説される.
 

情報と意味 その2
  • 複雑性は,解釈者の内部的な動作がどのように観察と行動をマッピングするかのところにある.意味が物理的解釈の外側に存在することはあり得ない.もしあなたが,この文章は単なるインクの染みやスクリーンのピクセル以上のものだと主張するなら,このインクの染みやピクセルが極めて洗練された解釈者(つまりあなた自身だ,読んでくれてありがとう)への入力になっているということだ.

 
意味が物理的解釈の外側に存在するという主張は実在するのだろうか.私にはよくわからないが,いかにもポストモダニズムや現代思想ではありそうな感じではある.ヘイグは具体例を出しながらさらに解説を深める.
 

  • カエルの視野を動く暗点がカエルの舌を捕食のために前方に突き出させるという事象を考えて見よう.このカエルをブラックボックスと扱うなら,カエルの網膜をたたく光子は情報(入力)になり,舌の突き出しは意味(出力)になる.もしカエルの脳の内部を覗けるなら,そこには感覚器官の刺激から行動に至る多層的な解釈の積み重ねを見いだすだろう.1つ1つの物理的状態はそれぞれ1つ前の情報プロセッシングの意味であり,それに続く神経状態への入力になり,その神経状態は新しい意味となるということだ.

 
いかにもディープラーニングの階層的な話だが,ヘイグがこれを隠喩として意識しているかどうかは定かではない.
 

  • カエルの視覚システムは当該光子を獲物の距離,方向,動き,速度の情報として解釈する.これらの意味はそれに続く行動としての解釈を生み出す.カエルは当面の獲物の性質についての解釈を最小化する.それは獲物にカエルの意図を推測させ逃避を可能にする時間を与えないためだ(口の中の小さな獲物は逃げた10倍の獲物より価値がある).いったん口の中に入れば,カエルはそれが獲物かそうでないかを解釈する十分な時間を持つことになる(これは視覚ではなく口内の緒感覚を用いる).そしてその解釈は将来の舌の突き出しにかかる感覚基準の調整に用いられる.

 
進化生物学的には網膜の暗点を感じたらまず解釈を最小化して舌を突き出す方がカエルの適応度が高いということだ.その後獲物かどうかを判断して,さらに適応度を上げるべく次回の解釈の微調整に使うことになる.
 

  • カエルの内部状態のカエルにとっての意味にかかる哲学者によるどのような言葉や文字による主張(例えばハエ,獲物,小さな動くもの)もその哲学者の解釈だ.だからそれは哲学者にとっての意味になり,カエルにとっての意味ではない.もし私たちが哲学者の心のブラックボックスの中をのぞいたなら,そこには(言葉が発されたり書かれたりする前に)疑いもなく無数の解釈の解釈,意味の意味があるだろう.
  • もし文字の書けるカエルが自分の経験を書き残したなら,彼女は「獲物はハエだと思ったが間違っていた」と書くかもしれない.彼女の解釈は哲学者の解釈と同じ種類のものだ.解釈者は(それが自身の解釈にかかるものであっても),自分の中の物事に直接アクセスできるわけではなく,物事の情報にアクセスできるだけなのだ.

 
これは進化心理学の「意識は脳の持つ全ての情報にアクセスできるわけではなく,自分の評判を保つための報道官として説明をでっち上げるのに有用な情報にのみアクセスできるようになっている」という知見と整合的だ.自分自身であっても脳の状態や計算プロセスを(意識として)認知できるわけではない.(ただしカエルにそのような意識があるのかどうかはまた別の話になるだろう)
 

  • 「意味とは解釈者がその情報から意味を解釈する何らかの物理的物体だ」という主張は定義であり,全ての解釈が同じように有用だという主張ではない.一部の解釈は別の一部より有用だ.それはそれに続く解釈をより生み出したり,それまで解釈できなかったものを解釈できるようにするからだ.私たちの知覚は行動をガイドするためにより有用な世界についての情報を得るために進化したのであり,私たちの言葉の解釈は,他者が何を言っているかを知るために進化した.情報と意味は解釈者を主体として(as subject)相対的に定義されているが,解釈者は客観的に(objectively)情報を解釈するように願うことがあり,そのように進化したのだ.

 
この最後の部分も難解だ.意味は解釈者にとっての主観的なものだが,より客観的な方が役に立つのでその方向に進化したはずだというほどの意味だろうか.これは統計学のジャーナル「Journal of the Royal Statistical Society」に載せられたデニス・リンドリーの「統計の哲学(The philosophy of statistics)」という論文からの引用だそうだ.

https://people.umass.edu/stanek/pubhlth892d/Lindley-The-Statist-2000.pdf