第15回日本人間行動進化学会(HBESJ SAPPORO 2022)参加日誌 その1

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本年の日本人間行動進化学会の大会は札幌の会場とオンラインのハイブリッド開催となり12月10日,11日の二日間で開催された.冬の札幌で美味しいものを食べ歩くのもありかと思ったが,いろいろあって結局オンライン参加におちついた.
招待講演と口頭発表はプレナリーでオンラインZoom実況,ポスターは会場のポスターとオンラインのポスターに分かれる(オンラインでは発表者から直接説明は聞けないが,掲示板に質問やコメントを書き込める)という形式で行われた.昨年の完全オンラインと比較するとプレナリーの口頭発表セッションが復活したのがうれしい.
ここではSNSでの言及不可マークのない講演について紹介しておこう.
 

第1日目

 

口頭発表 その1

 

離れうることは集まることを助けるか?:閾値型公共財ゲーム実験を通じた検討 森隆太郎

 

  • 協力は役に立つが壊れやすい.これは相手の行動に不確かさがあり,片方で裏切りの誘惑があるからだ.これを乗り越えるには協力のゴールの認識と相手が裏切らないという期待が重要になる.ここでは相手が裏切らないという期待がどう形成されるかを考える.
  • これまではヒューリスティックス(感情),自己投影,規範などで説明されてきたが,これらの説明においては「集団が所与」という前提があった.しかし実際には集団に参加したり離脱したりすることは生じている.ここでは参加・離脱が自由の場合を考察する.
  • 考察するために閾値型の公共財ゲームを用いる.具体的には5人の参加者のうちn人(n=2, 3, 4)が協力すれば見返りがあるという形のゲームを行う.この場合自分以外の何人が協力するかの期待値によって低い場合から裏切り,協力,裏切りが有利になる(協力者が少なくて自分が協力しても閾値を超えない場合は裏切る方がいい,あと1人参加すれば利得があるなら協力した方がいい.自分が参加しなくとも閾値を超えているなら裏切りがいい).ここで離脱自由にして理論的に分析すると,他者についての協力期待値の低い参加者が抜けて,その結果,平均の協力期待値が上昇し,協力が維持されやすくなることが予想される.
  • 実際にそうなるかについて実験を行った.予測通り離脱オプションがある方が協力期待値が上がり,協力が高まった.またアンケート調査も含めて分析したところ,他者についての協力期待値の低い参加者は平均して非協力傾向が強く,その効果もあるようだ.

 
 

贈与関係による社会組織の遷移 板尾健司

 

  • 社会組織には様々な類型があり,ネットワークや階層構造が異なっている.よくある類型の区別は(1)バンド:血縁中心の格差の最小規模集団(2)部族:より大規模な連合(3)首長制:階層性がある,というものだ(この区分ではさらにステートなど複雑な社会組織があるがここではこの3つまでを扱う).
  • この3類型を贈与の観点から考察してみた.
  • 伝統社会の贈与については,与える義務,受け取る義務,返報する義務があるとされ,贈与を受け取って返礼できれば対等の関係になれるが,返礼できなければ従属的になるといわれている.これを所与に贈与の頻度や程度によって社会組織の遷移が説明できるのではないかと考えてモデルを組んだ.
  • (モデルの詳細の説明:各人に財(資産)があり,確率的に贈与を行う.寿命 l(贈与頻度)と返報倍率 r をパラメータとし,手元資産で返報できない場合は負債が発生,資産に応じてこどもを作り,兄弟間は贈与確率が高いなど)
  • シミュレートした結果 l, r が低い場合には格差が小さいバンド的な社会に,中程度で格差が生じ,大きくなると返報しきれなくなり階層制が現れる.
  • 余剰生産物が増えると贈与頻度や返報倍率が上がるとするとミクロなやり取りからマクロな社会遷移が説明できることになる.

 

協力は集団を超え,伝播するか:他集団の成功者模倣に基づく協力の文化進化プロセスの検討 貴堂雄太

 

  • 協力の進化的説明としては,血縁淘汰,直接互恵,間接互恵,グループ淘汰などがある.近時,戦争時におけるグループ淘汰で協力を説明しようという試みもあるが,批判もある.
  • ここでは文化的な模倣による説明を考える.具体的には他集団の成功者の模倣により協力が広がるかを公共財ゲームを用いて実験した.
  • 第1実験:非協力的bot3体(前回の提示額の0.8倍程度しか提供しない)と繰り返し公共財ゲーム対戦させ(当然ながらどんどん非協力的になり利得は下がっていく),それから非実在の協力的グループの成功例を教示し,もう一度3botと対戦する.教示を与えた参加者の方が与えなかった参加者より当初協力的になった(しかし対戦が続くと協力は下がって最終的には同じになる)
  • 第2実験:上記と同じ実験を現実の4参加者で行う.これも第1フェーズでは(先行知見通りに)ラウンドを続けると協力度が下がっていく.第2フェーズで差は出たが全体的には有意差ではなかった.
  • 考察:いずれも最終的には差がなくなるが,初期ラウンドでは差があり,まず自分が相手提示額より大きい額を出して相手の協力を引き出そうと努力していたと解釈できる.
  • これは他集団での成功情報が意思決定に影響を与える可能性を示唆している.

 
やはり口頭発表を聞くのは楽しい.協力を公共財ゲームで調べる発表が2つあって,それぞれ視点が異なっていて面白い.離脱オプションがある場合,より悲観的なヒトや非協力的な人が去っていくので残ったメンバーの協力期待値が上がるという視点は新鮮で面白かった.
贈与と社会組織の発表はモデルの詳細がよく分からず理解しにくい部分*1もあるが,行動生態学や進化心理学とは全く異なる視点からのもので聴いていて新鮮だった.

*1:例えば贈与してお返しを受けたら資産はどうなるのだろうか.もし宴会などの顕示的消費だったら贈与とお返しにより資産はどんどん減っていくはずで贈与を避けるのが適応的になりそうな気がする.

書評 「「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた」

 
本書は物理学者であるグレゴリー・グバーが「ネコひねり問題」について語った本になる.「ネコひねり問題」というのは,「ネコは逆さ向けにして落とされても空中でうまく身体をひねって脚から着地するが,物理学的に考えてみて,なぜ,どのようにしてそのようなことができるのか」という問題だ.書店でこの本を見かけて最初に感じたのは,ネコは頭からひねってその後身体全体の向きを変えることができるが,それだけの問題をどうやったら一冊の本にまで膨らませることができるのだろうかということだ.そしてそれに興味を引かれて購入して読んでみたものだが,この「ネコひねり問題」には何重にも絡まる謎があって,どうしてなかなか奥深く面白い.原題は「Falling Felines and Fundamental Physics」
 

第1章 「ネコひねり問題」に魅かれた有名物理学者たち

 
第1章はいわば導入ということで,この「ネコひねり問題」にはマクスウェル方程式で有名なマクスウェルやナヴィエ=ストークス方程式で有名なストークスが興味を持ち,実験も行って調べていたという逸話だけが語られている.
 

第2章 謎は解明されたか?

 
第2章からネコひねり問題についての学説史が開始される.

  • ネコひねり問題の最初の説明は次のようなものであった.「逆さまに落とされたネコは落下後すぐに脚を広げ背中を反らせる.これにより重心がネコの上部に移動し,ちょうど重心が上にある重りが水中に沈む時には反転して重心が下になって沈んでいくように,ネコは空中で反転するのだ.」これはもともと1700年ごろにフランスの数学者パランが与えた説明だという.(パランの人生とネコひねり問題への取り組みが詳しく解説されている)
  • 19世紀中ごろまで人々はこれに納得していたらしいが,これは物理的には間違いだ,空気中の浮力は非常に小さく,どこにもぶら下がっていないネコがこのような理由で反転することはない.(ただしスカイダイバーが空中で姿勢を制御するには(空気抵抗が大きいので)背を反らすこの方法が有効だそうだ)
  • マクスウェルとストークスはこの説明に納得せずに調べようとしたが,人間の視覚の限界に阻まれネコが実際にどのように動いているのかを正確に知ることができずに前進できなかった.

 

第3章 馬の運動

 
ネコがどう動いているかを正確に知るためには写真技術が必要になる.というわけで第3章は写真技術の歴史(写真そのもの,機械式シャッター,高速連続写真)が語られている.本筋の物理問題からは離れるが,様々な発明家の人間ドラマが描かれていてなかなか読ませる発明物語になっている.当時馬がトロットするときに全ての脚が地面を離れている瞬間があるかという論争があったこと,実際に素早く動いている馬の姿を撮影することが可能になり,その論争には決着がついたが,今度はこれまで絵画の中で伝統的に描かれてきた馬の姿と異なっていたために芸術論争が巻き起こったなどの逸話は楽しい.
 

第4章 フィルムに捕らえられた猫

 
第4章ではこの高速連続写真が動物の運動の研究家マレの手により改良され,ついにネコの宙返りの連続写真が撮られる経緯が書かれている.ここでも発明家たちの奮闘ぶりが楽しい.
 

第5章 回って回って

 
様々な経緯の末1894年にマレは逆さに落とされて宙返り着地するネコの連続写真を撮影することに成功し,フランス科学アカデミーで発表した.物理学者たちはこの写真を見て,ネコはなぜ身体を支える支点なしに宙返りできるかを議論し始めた.これは角運動量保存の法則に反するように思われたのだ.(ここで角運動量保存の法則について詳しい解説がある)

  • (写真の発表前に)天文学者で数学者のドロネは猫が支点なしに(つまり何らかの外部の足場を押すことなしに)宙返りすることは不可能だと断言していた.マクスウェルはネコは落とされたときに持っていた角運動量を身体を広げたり縮めたりして調節しているのだろうと考えていた.しかし写真を見るとどちらも間違っていることがわかる(落とされたときにほとんど角運動量を持っていなくとも,ネコは支点なしに宙返りする).
  • 物理学者たちは当初混乱した,しかしギューとレヴィがネコが剛体ではないことを考えに入れれば宙返りできるとする説明を見つけた.それは「タックアンドターンモデル」と後に呼ばれる考え方で,前脚の開閉と後脚の開閉をずらして組み合わせることで,上半身と下半身の慣性モーメントを操作するというものだ(まず後肢だけ広げ,上半身と下半身をねじると上半身が余計に回る,そこで後肢を畳み前肢を広げて逆にねじると下半身が余計に回る,あわせると空中で支点なしに回転できることになる).問題は一件落着したように思われたが,ネコが実際にこのモデルに従っているのかは十分に吟味されなかった.
  • また同時期にルコルニュがヘビが別の方法で宙返り可能であることを論文で指摘している.ヘビのような細長い動物は円環状になって,全身を身体の中心軸にそって回転させることによって,角運動量を保存したまま上向きから下向きに転回できる.これは理論的な指摘とだけ受け止められていたが,実はネコの動きはこちらに近かったのだ.

 

第6章 地球を揺るがす猫

 
ここではこのネコひねり問題がきっかけになったどろどろの科学論争が紹介されている.

  • ペアノの公理系で有名なペアノはネコひねり問題について「ネコはしっぽを高速回転させることによってそれ以外の身体を逆方向に回転させられる」ことを指摘した.(後に,この効果が全くないわけではないが,しっぽのないネコも問題なく宙返りでき,その効果はあまり大きくないことがわかっている)
  • 当時チャンドラーが計測した地球のチャンドラー揺動の周期が問題になっていた.オイラーはこのタイプの地球の章動があることを予測し周期が306日であると計算していたが,実際の計測周期は427日だったのだ.
  • このズレは地球が完全に剛体でないことから生じており,ネコ問題の本質と良く似ている.これを最初に指摘し,海流の影響を示唆したのはヴォルテラだったが,ペアノはこれは自分のネコひねり論文にヒントを得たのだと暗に示唆してこの先取権を軽んじた.(ヴォルテラの取り組み,その後生じた二人の間の激烈なやり取りが詳しく解説されている.*1

 

第7章 猫の立ち直り反射

 
次に問題になったのは,目隠しされたネコも正しく宙返りできるが,このネコは空中でどのように自分の向きを知るのかという問題だった.これが問題になるのは空中に放り出されたネコは実質上無重力状態にあり,重力を使って向きを感知できないはずだからだ.(これは厳密にはアインシュタインの一般相対性理論から導かれるとして,ここで相対性理論の簡単な解説もある)
ここではネコの反射神経系,加速度感知の仕組みの研究史,マグヌスによる内耳による加速度感知によりネコひねり反射が生じるという誤った仮説がまず解説され,ここからの進展が語られる

  • マグヌスの仮説を吟味する中で,ラドマーカーとブラークは実際のネコはタックアンドターンモデルに従っていないことに気づき,新たに「ベンドアンドツイストモデル」を提唱した.これはネコは身体を折り曲げることで上半身と下半身の回転軸を(理想的には)180度異ならせ,角運動量を保存しながらそれぞれ回転させるというモデルだ.(これは先のヘビモデルと基本的に同じ考えで)後の研究でネコひねりを可能にする最も大きな要因であると認められている.
  • では(目隠しされた)ネコはどのように空中で向きを知るのか.生理学者のブリンドリーは(同じように宙返りするウサギを用いた)一連の研究*2で,ネコは直前何秒かの重力場の記憶に基づいて向きを知ることを明らかにした.

 

第8章 猫,宇宙へ

 
では無重力状態ではどうなるのだろうか.ここで著者は宇宙開発史,とくに無重力が生物に与える効果を調べるための実験の歴史を詳しく語る.そこではあまりネコは登場しなかったが,1957年に大型輸送機で作り出された自由落下状況でネコが調べられた.それによるとネコは無重力状態に入って5秒以内であれば宙返りに成功することがわかった.これはブリンドリーの実験結果を裏付けているものだ.
そしてネコの宙返りにヒントを得た,無重力状態で宇宙飛行士が姿勢制御する方法のテクニック開発の物語が語られている.このために開発された数学的手法を用いたモデルが現在のところネコひねり問題の数学モデルとして最も正確なものになっているそうだ.
 

第9章 謎を隠し続ける猫

 
ここで新たなネコひねりの謎が提示される.

  • 19世紀末に高層建築が増えるとネコが自然淘汰で適応していたであろう高さ(2階程度だと考えられる)以上の高さから落ちることが増えた.当然2階以上から落ちたネコは高いところから落ちるほど怪我することが増えるだろうと思われたが,実際にデータを調べてみると,確かに8階程度まではネコはより怪我しやすくなるが,それを越えると逆に怪我しにくくなることがわかった.
  • この謎はまだ完全に解かれていないが,1つの仮説は空気抵抗により終端速度(ネコぐらいの大きさと重さの物体は5~6階から落ちれば終端速度に達する)に近づくと徐々に加速が下がり下向きの重力を感じられるようになるので緊張が解けより着地に向けて準備しやすくなるというものだ.また身体を広げて(ムササビが滑空するのと同じように)着地場所を調節できる可能性も指摘されている.

またここではネコがどのように舌をぴちゃぴちゃさせて水を飲んでいるのかについても解説されている.
 

第10章 ロボット猫の進化

 
第10章の話題はロボティクス.様々な動きをするロボットの開発史が語られ,その中の一コマとしてロボットにネコひねりをさせる試みが紹介されている.このロボティクスの研究ではネコひねりを解析するための物理モデルが開発され,ネコひねり能力はベンドアンドツイストモデルで十分に説明でき,タックアンドターンモデルにはせいぜい二次的な役割しかないことが明らかになったそうだ.またここではそれ以外のやり方でロボットを宙返りさせる方法についてもいろいろ解説されていて面白い.
 

第11章 いまだに残る数々の難問

 
これでネコひねりの物理は十分に解明されたかに思われたが,実はいまだに論争は続いているのだそうだ.それは実際のネコの動画を見るとベンドアンドツイストだけでなくタックアンドターンやしっぽ振り回しなどの動きの要素が見られることがあるからだ.これは考えてみれば当然で,ネコは正しい姿勢に戻るための方法を1つに限定しなければならないわけではなく,いくつかの選択肢をその場に応じて組み合わせて使っているから(そして個別のネコは異なる組み合わせを使うから)だ.ここでは似たようないくつかの説明が可能な問題としてムペンバ効果(ある条件の元では常温の水より沸騰した水の方が先に凍る現象)の説明についての論争にも触れられていてなかなか面白い.
 

第12章 猫の宙返りと基礎物理学

 
第12章はネコひねり問題は幾何学的位相の観点から捉えることができることについて.幾何学的位相を説明するためにフーコーの振り子の挙動(フーコーの振り子の振動面は地球の自転につれて回転するが.(北極点や南極点以外では)1日で360度より少ない角度でしか回転せず,1日経つごとに振動面がずれていく)が解説され,ネコひねりの挙動(ネコが様々に姿勢を変えて元の姿勢に戻ったときにその向きが変わっている)にはこれと本質的に同じ要素があることが指摘されている.
そしてこれは数学では「非ホロノミック系」と呼ばれるものであることが説明され,量子力学における実例,ネコひねりにも言及がある量子力学の論文の話などが語られている.この章は著者が自由に物理学的蘊蓄を語っていて楽しい.
 

第13章 科学者と猫

 
第13章では締めくくりとして愛猫家でもあった科学者たち(ニュートン,ハミルトン,ウッド,テスラ,アインシュタイン,ハッブル)の逸話が語られ,シュレジンガーのネコが登場し,そして論文の著者となったネコ*3の話がされている.最後の口直しというところだろう.
 
以上が本書の内容になる.ネコひねりという問題を膨らませて次から次に関連するトピックが現れ,その中で角運動量を保存しながら宙返りするなぞが徐々に解かれていき,わくわくしながら読み進めていける.ちょっと科学的な息抜きのための読み物としてとても秀逸だと思う.私は多いに楽しませてもらった.
 
関連書籍

原書

*1:チャンドラー揺動の実際の態様や原因はかなり複雑で,剛体からのズレの最大の要因は海洋底における水圧の変動である旨の解説があるが,なぜ水圧が変化するのか,そしてなぜ水圧の変化が運動に影響を与えるのかについては説明されていない.もう少し詳しく解説してほしかったところだ

*2:レールや自動車や遠心機を使うなかなか大掛かりな実験で詳細は面白い

*3:ヘザリントンが単著論文の原稿にwe, ourを使ってしまい,それを(ワープロのない時代に)直すのが面倒になって愛猫のチェスターを著者に加え投稿し,そしてこの論文は受理された.ヘザリントンはこの悪ふざけを学科長に白状したが,学科長は逆にチェスターに客員特別栄誉教授にしようと言い出した.この話は物理学者の間で大いに広まり,チェスターは業界で大変有名になったそうだ

From Darwin to Derrida その189

 
ヘイグは第14章において自由について語る.遺伝と経験はそれぞれ私たちを形作る.遺伝は劇場と俳優を用意するが,そこに脚本はない.そしてそこで私たちの魂(psuche)は遺伝子に直接コントロールされずに意思決定を行う.そしてそれは経験も同じであり,それは条件付きの発達プログラムのような形で影響を与えるが,直接的に魂が行う決定を拘束するわけではない.ヘイグはそのあたりをさらに詳しく解説する.
   

第14章 自由の過去と将来について その11

  

  • 私たちは遺伝の奴隷ではない.なぜなら遺伝子は私たちの魂に意思決定を委任しているからだ.そして私たちは文化の奴隷でもない.なぜなら私たちの魂は文化のどの部分を受け入れてどの部分を拒絶するかを評価し決断できるからだ.
  • 遺伝的な指示は文化による修正を許容している.なぜなら社会の規範を無視する魂は生存に不利になるからだ.しかし文化による修正は選択可能だ.なぜなら無条件に文化を受け入れる魂は,自分で受け入れるかどうかを判断する魂より生存に不利になるからだ.そしてそのような判断が時に文化を変えていく.

 
ここはちょっと面白い.自然淘汰は生存繁殖に不利に働く魂を篩い落とすために,どのような魂が私たちに備わるかを決める大きな力となる.そして全ての決定に直接介入するタイプの魂や既存の文化やインストラクションに無条件に従う魂は生存繁殖に不利になると考えられるから,そのような魂は進化しない.だから私たちの魂は遺伝や環境に直接的に拘束されずに行動を決定できると主張することができるわけだ.
 

  • 私たちはヒトの本性により文化に順応的でかつ文化に懐疑的なのだ.私たちは文化や個人的決定により遺伝的決定主義から解き放たれている.そして私たちはヒトの本性により文化的決定主義から解き放たれている.これは権力の分散だ.私たちの魂は制約の中で自由なのだ.そしてその制約の中で最も重要なのは他者の魂の自由ということになる.

 
ヒトは社会性動物であるので,互いに他者の行動を操作できた方が有利になる.だから自由な決定を制限する最も大きな要素となる他者からの操作介入となるという意味だろう.他者との相互作用は淘汰圧としても重要で,さらに個別の行動決定についても重要な要因となるわけだ.

From Darwin to Derrida その188

 
ヘイグは第14章において自由について語る.遺伝と経験はそれぞれ私たちを形作る.遺伝は劇場と俳優を用意するが,そこに脚本はない.そしてそこで私たちは遺伝子に直接コントロールされずに意思決定を行う.ヘイグはこの決定を行うもの,そして形相因であり作用因であり目的因であるものをアリストテレス的な「the soul(psuche):魂」と表現する.
   

第14章 自由の過去と将来について その10

  

  • 形相は単純に物質が組織化したものだ.魂は単純に形相の統合の特定のレベルだ.より複雑な生命の形相においては魂の獲得は漸進的であり,魂の喪失もおそらく漸進的だろう.

 
この「魂」は,(普通の言い方で表現すれば)システムとして機能している脳の部位ということになるだろう.脳が組織化され,機能し始めるのも,機能を停止するのも1か0かではなく漸進的だということになる.
 

  • 社会は魂の獲得についての異なる信念と死についての異なる定義とうまくやっていかなければならない.形相は死んだばかりの死体にも残っている,その一部は生きていてその形を保っている,しかし身体の統合は失われている.細胞の魂は身体の魂の死があっても生存しうると言っても良い.そのまだ生きている部分は移植手術を受ければ別の身体の一部となりその身体の魂を養うことができる.

 
私たちは,社会的には生(あるいは意識の獲得)と死を1か0かの不連続なものとして扱う.それは(もしかしたら何らかの適応的な理由で,あるいは全く副産物的な理由で)直感的にそう感じられるし,おそらく社会的にもその方が便利だからだ.しかし物理的に考えるとそれは連続的な過程に違いないということになる.このあたりの齟齬が引き起こす問題は様々なところで議論されることがあるものだ.中絶の是非をめぐるアメリカの政治的な議論もこのあたりに関係するだろう.
ここからヘイグは行動が自由なのか拘束されているかという問題に戻る.
 

  • 私たちが自分が自由かどうかを問うとき,通常私たちは自分の毎日の選択において自分の魂がコントロール下にあるかどうかを問うている.魂が外部の作用因により決められるというのはどういう意味になるだろうか.
  • 抽象的なレベルにおいては,私たちの魂は違いのキャンセラーとしてバスタブ効果を使い,違いの増幅装置としてバタフライ効果を使う.バスタブ効果は魂に望まない原因に乱されないことを可能にする.それらは私たちの魂を馬鹿げた運命の投石や弓矢から守ってくれる.バスタブはどこから水が入ったかには影響を受けない.バタフライ効果は私たちが関連する情報に敏感になることを可能にする.蝶の翅の一振りが,その表面のわずかなイオンの動きが,大きな違いを作る.それらはあるバスタブから別のバスタブに替えるためのミニマルな手段を用いる決定ポイントだ.
  • バスタブ効果とバタフライ効果は私たちの魂が世界にどう反応するかを決めるメカニズムなのだ.反応するかどうか,どのように反応するかは私たちの魂の構造によって決まる.もし私たちの過去が異なるものであったら,私たちは異なるやり方で反応するだろう.私たちは異なる魂を持つと言うことになる.

 
自由か拘束されているかという問題になぜバスタブ効果とバタフライ効果が出てくるのはちょっとわかりにくい.おそらく脳におけるわずかな状態の違いが大きな決定や行動の差となって現れるということがいいたいのだろう.行動の差が遺伝による大きな構造によって直接決まるのではなく,極く微小な状態の違いによって生まれるなら行動は遺伝に拘束されていないといえることになる.
 

  • 遺伝子は魂の詳細記述だ.それらはそれらのために決定を行う解釈者を造る情報だ.なされるべき選択はその詳細記述の一部ではない,なぜなら将来の出来事がどうなるかは予測できないからだ.提供されるのは選択するために使う道具だ.詳細記述には経験による修正可能性が含まれる(経験そのものは含まれない).
  • 魂の構造は,遺伝子に書き込まれた進化的歴史と,経験に対応し詳細記述を修正し魂をリモデルする発達の歴史により決定される.そしてこれらの歴史は歴史自体から部分的に自由な魂を作り上げる.魂は(外部的ではなく)内部的な目的(telos)なのだ.魂は自らの意思で自らを作り上げるのだ.

 
私たちが遺伝子の奴隷ではないというのは,ドーキンスが「利己的な遺伝子」において最後に強調していたことだ(そして実に多くの浅薄な批判者が読み飛ばしている(あるいはそもそもそこまで読んでいない)部分になる).基本的にヘイグのここでの記述はまずそれを確認し,さらに私たちは経験の奴隷でもないという趣旨を加えているということになる.つまり私たちは遺伝にも経験にも拘束されていない.進化史と経験履歴は目的因として働いて,環境条件に応じて調整された条件付き戦略を実行する意思決定システム(魂)を作り上げる.そしてそれは行動が拘束されているのではなく自由だということを示しているということになる.

From Darwin to Derrida その187

 
ヘイグは第14章において自由について語る.遺伝と経験が私たちをどのように形作っているのかについては,そのタイムスケールが大きく異なる.ヒューマンユニバーサルについての遺伝的要因は長いタイムスケールの所産であり,それに生じた有害突然変異が発達に与える影響は(通常の)環境要因より大きいことが解説された

   

第14章 自由の過去と将来について その9

 

  • 瞬間瞬間の行動のタイムスケールについて遺伝子はほとんどコントロールできない.私たちは遺伝子に諮ることなく多くの決定を行う.遺伝子からの入力なしで母親と赤ちゃんは微笑みを交わす.作用因としての物質遺伝子はこの舞台においては出番がない.それら(物質遺伝子)は舞台セットの構築に使われ,そして将来のパフォーマンスのために舞台をリモデルする道具となりうる.

 
逆に行動は短いタイムスケールの現象であり,遺伝的要因はそれを個別にコントロールできない.
 

  • 世界のリアルタイムの解釈者としての私たちは劇における俳優だ.しかしその演技はあらかじめ書かれた脚本のない即興のものだ.私はあなたが何を言うかを聴くまではなんと言うべきかを決められない.因果的なストーリーには多くの語り方がある.

 
つまり遺伝は劇場と俳優を用意するが,脚本と演技を個別にコントロールすることはできない.ここからヘイグは「魂:the soul」という概念を持ち出す.ただしそれはキリスト教的,超自然的な概念ではない.
  

  • 魂(the soul)は生きている身体の形相(form)だ.「魂」と言う単語は,2千年にわたるキリスト教神学との結びつきに搦め捕られている.それは私の意図する意味と異なる.私の意図する意味はアリストテレスの「psuche」(ラテン語ではanima,英語ではsoulと訳される)に近い.
  • 「psuche」は生命の息吹であり,動きの源であり,死体と生きている身体を分けるものだ.「psuche」は生きている身体の動きを開始する.それは身体を(別のものではなく)ある種のものにする本質だ.そしてそれは身体がそのために動く目的だ.この目的(telos)は,行動の利益とも,その行動がなされるための効用的目的とも解釈できる.
  • アリストテレスによると「psuche」は作用因であり,形相因であり,目的因であり,そして「soma」は質量因であり,「psuche」と「soma」の連合が生物だ.だから植物も魂を持つ.魂は,意識的無意識的を問わずその選択を示す生命の精妙な機構だ.完全に形作られた魂は発生において発達し,年齢とともに衰え,最後には存在することをやめる.

 
アリストテレスが登場し,だんだん難解になってきた.ここで「魂」は上記の比喩に沿うなら,俳優に演技をさせる要因としての概念ということになるのだろう.