From Darwin to Derrida その189

 
ヘイグは第14章において自由について語る.遺伝と経験はそれぞれ私たちを形作る.遺伝は劇場と俳優を用意するが,そこに脚本はない.そしてそこで私たちの魂(psuche)は遺伝子に直接コントロールされずに意思決定を行う.そしてそれは経験も同じであり,それは条件付きの発達プログラムのような形で影響を与えるが,直接的に魂が行う決定を拘束するわけではない.ヘイグはそのあたりをさらに詳しく解説する.
   

第14章 自由の過去と将来について その11

  

  • 私たちは遺伝の奴隷ではない.なぜなら遺伝子は私たちの魂に意思決定を委任しているからだ.そして私たちは文化の奴隷でもない.なぜなら私たちの魂は文化のどの部分を受け入れてどの部分を拒絶するかを評価し決断できるからだ.
  • 遺伝的な指示は文化による修正を許容している.なぜなら社会の規範を無視する魂は生存に不利になるからだ.しかし文化による修正は選択可能だ.なぜなら無条件に文化を受け入れる魂は,自分で受け入れるかどうかを判断する魂より生存に不利になるからだ.そしてそのような判断が時に文化を変えていく.

 
ここはちょっと面白い.自然淘汰は生存繁殖に不利に働く魂を篩い落とすために,どのような魂が私たちに備わるかを決める大きな力となる.そして全ての決定に直接介入するタイプの魂や既存の文化やインストラクションに無条件に従う魂は生存繁殖に不利になると考えられるから,そのような魂は進化しない.だから私たちの魂は遺伝や環境に直接的に拘束されずに行動を決定できると主張することができるわけだ.
 

  • 私たちはヒトの本性により文化に順応的でかつ文化に懐疑的なのだ.私たちは文化や個人的決定により遺伝的決定主義から解き放たれている.そして私たちはヒトの本性により文化的決定主義から解き放たれている.これは権力の分散だ.私たちの魂は制約の中で自由なのだ.そしてその制約の中で最も重要なのは他者の魂の自由ということになる.

 
ヒトは社会性動物であるので,互いに他者の行動を操作できた方が有利になる.だから自由な決定を制限する最も大きな要素となる他者からの操作介入となるという意味だろう.他者との相互作用は淘汰圧としても重要で,さらに個別の行動決定についても重要な要因となるわけだ.