
- 作者: Richard Dawkins
- 出版社/メーカー: Houghton Mifflin Harcourt
- 発売日: 2006/10/18
- メディア: ハードカバー
- 購入: 1人 クリック: 12回
- この商品を含むブログ (47件) を見る
引き続き,不可知論とNOMAについて
キリスト教擁護団体のテンプルトン基金は,祈りに効果があるかについて実証実験を行っている.結果は当然ながらネガティブなものだが(そしてもちろん宗教擁護派はそんなことではくじけない),事実の問題に入り込んでいると言うことはNOMAとは別の考え方に立っていると言うことだろう.
ただ神学者は一般的にこのような手法に反対のようだ.なかなかわかりにくいが,要するに祈りに効果があるかないかを試すような試みは不評みたいだ.神学者によっては神が苦しみを与えるのはより高い心を作るためだとして,ヒロシマやホロコーストまで肯定するとドーキンスは批判的だ.
アメリカでは創造論者に対抗する科学者側のロビー活動(!)があるらしい.彼等はNOMA支持派だ.しかしドーキンスはこれにも批判的だ.ドーキンスにとっては敵の敵は味方だとして宗教穏健派に卑屈にすり寄るのはヒトラーに対抗するためスターリンに手を貸しているように見えるといいきって,このような人たちをネビル・チェンバレン派と呼んでいる.
ドーキンスにとってこの構図は創造論vsその他ではなく,真の科学vs迷信と言うことなのだ.ドーキンスにとってはネビル・チェンバレン派のような打算的な態度は偽善そのものであり,創造論者より許せないと言うことのようだ.なかなか芯の通った立場だ.
最後の不可知論のまとめとして,異星人の存在という命題について,これは確率で議論できるのだということを,ドレイクの方程式やここ数十年の知識の集積を例に引きつつ,もう一度強調する.
ここでドーキンスは面白い思考実験を披露している.あるSFにあるように,我々が,異星人のコンピューターシミュレーション上の存在だとしても(これの反対証明は不可能に思えるが)そのシミュレーションをしている異星人が進化によって生み出されたものなら,それは神ではない.これはデネットの言うスカイフックとクレーンの差だというのだ.
確かにドーキンスの立場から言うと,進化した異星人がシミュレーションをしているのなら,それは創造論ではなく,科学的な事実の問題になるのだろう.でも,だとすると,ここまでこれが生じたら神の実在を認めてもよいとしてきた奇跡が生じても,このSF世界であれば証拠にならないことになるだろう.要するにそこまで考えたらやはり不可知論になってしまうのではないのだろうか.それともこのSFはティーポットと同じで挙証責任はないということなのだろうか.なかなか興味深い議論だと思う.
第2章 神の仮説
(6)偉大な祈りの実験
(7)進化学者のネビルチェンバレン派
(8)緑のこびと