読書中 「Moral Minds」 第1章 その4

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong



道徳は論理ではなく,感情だけでは説明できないとすると,では何だろう.


ここでハウザーの例題だ.

1.病院に運ばれたそれぞれ異なる臓器が損傷を受けた5人を救うために,そこに献血に来ている1人を犠牲にして殺害して5つの臓器をとってよいか?
2.列車のブレーキが壊れて暴走している.本線にいる5人を救うために,ポイントを切り替えて支線に列車を進めてそこにいる1人を犠牲にしてよいか?

多くの人は瞬間的に判断し,1にはno,2にはyesと答えるそうだ.私もそのように感じる.この2つの例は何が異なるのだろう.5人のために1人が犠牲になるのだから結果としては同じで功利的には説明できない.しかし1.は絶対的に許されないと強く感じてしまう.


そしてハウザーは,哲学者は長年議論を繰り広げたあげくにひとつの原則を見つけ出したと説明する.

  • この場合の原則は「直接的に人を殺そうとすることは許容できない悪だ.何か別の目的を持った行為の副産物として人が死ぬ場合は許容できる」と説明できる.2の場合,列車を支線に切り替えること自体に道徳的な価値はないのだ.逆に1の場合には直接殺害し,臓器を取り出すという行動がネガティブな感情を呼び起こすのだ.これは「ダブルエフェクト原則」と呼ばれる.一般の人は一瞬にこの判断に至るが,この原則を説明できる人はほとんどいない.コールブルグが正しいならほとんど人は発達段階1ということになってしまう.


ハウザーはそして,何故人は一瞬このような判断ができるのだろうかと問いかけている.ハウザーの回答は人は普遍的な道徳能力を持っているというものだ.そしてこれはチョムスキーの発見した言語能力と極めて似ているという.つまり道徳には普遍文法があるという主張であり,チョムスキーその人や政治学者ジョン・ロールズも同じような主張をしているという.


確かに私自身例題1と2の違いは説明できない.これは微妙な日本語を聞いてそれが文法的に正しいかどうか理由はわからないが指摘できるのによく似ている.無意識で膨大な文法規則に基づく計算を行っているというモデルには説得力がある.


続いて第5節でもう少し細かくこのモデルを見ていくことになる.


第1章 何がいけないのか



(4)道徳本能