読書中 「The Stuff of Thought」 第3章 その5

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


フォダーの極端生得主義への反論の続き,単純な他動詞も決して言語のアトムではなく,その中に素粒子があるのを見ていこうという趣旨だ.



3番目の例は接触所格 contact locative 構文だ.
 I hit the bat against the wall.
 I hit the wall with the bat.

 She bumped the glass against the table.
 She bumped the table with the glass.


そしてやはりこの against を用いる構文をとれない動詞がある.cut, break, touch はとれない.
この場合「打つ」動詞のみこの構文をとれるのだ.



これは第2章で見たcontent-locative 構文の問題と同じ種類の問題のようだ.であればやはり動詞のマイクロクラスの問題になるのだろう.日本語ではこの交替はあるだろうか.
通常の「打つ」はこの交替はできないようだ.ただ前にも書いたが「銃を撃つ」「矢を射る」「ナイフを刺す」であればこれができる.


 バットで壁を打つ.
 *バットを壁に打つ.


 熊を鉄砲で撃つ.
 鉄砲を熊に撃つ.


 矢を熊に射る.
 熊を矢で射る.


 ナイフを熊に刺す.
 熊をナイフで刺す.


「突く」は微妙だが,私の語感では交替できない気がする
 銛でサメを突く.
 ?銛をサメに突く.

 おまえのドリルで天を突け!
 ?おまえのドリルを天に突け!


なぜ「撃つ」「刺す」「射る」はできて「打つ」「突く」はできないのだろうか.私にはこれらの動詞のマイクロクラスの違いを明確に指摘できないようだ.動作の意味に関しては「刺す」「打つ」「突く」は強く,「撃つ」「射る」は弱いように感じる.接触に関していえば「刺す」と「打つ」にはあって,「撃つ」「射る」「突く」にはないように思う.
この現象は英語で生じているものとは少し異なるのだろうか.





4番目の例は中間態 middle voice だ.動作が何かに対してなされることの容易性を示す.

 This glass breaks easily.
 This rope cut like a dream.


そしてこう表現できない動詞がある.

 *Baby kiss easily.
 *That dog slaps easily.
 *This wire touches easily.


中間態はある種の原因に対して特別な効果を表す「切る」「壊す」動詞にのみ使えるのだ.効果がない「さわる」「打つ」動詞に中間態は使えない.


この中間態はそのままの現象としては日本語にはないようだ.上記のような文章は他動詞ではなく自動詞の形(あるいは他動詞の自発態,可能態の形)をとる.
 グラスは容易に壊れる(*壊す)
 このロープは簡単に切れる(*切る)

そしてこのような文章は英語では中間態が使えないような動詞でも同じ形にできるようだ.ただし,その事物の性能から来る問題という意味はなくなる.
 このワイヤには容易にさわれる.



そして最後の5番目の例は非使役変形 anticausative alteration .他動詞を動作主をのぞいて自動詞として用いるものだ.これは一般的な容易性を示すのではなく,実際に生じたことを表す.
 At three o'clock, the glass broke.

そしてやはり使えない動詞群がある.

 *Sometimes last night, the rope cut.
 hit, touch

これができる動詞は結果のみを表す「壊す」動詞だけだ.中間態を示すような動詞でもその結果を得るための動作も表すような「切る」動詞では使えない.


これも日本語ではこのような現象はないようだ.中間態と同じく他動詞ではなく自動詞の形(あるいは他動詞の自発態の形)をとってあらわすしかない.

 夜の3時にそのグラスは壊れた.
 昨夜,そのロープは切れた.


ピンカーはこのような5つの現象がある動詞でできてある動詞にできないのは,その動詞のマイクロクラスの差にあるのだと説明し,この場合,動きを表すか,接触があるか,さらに何らかの状態変化を表すかという要素のより結果が異なるという.


まとめると以下の表のようになる.

alteration Microclass hit cut break touch
能動格 動き,接触
所有者与格 接触  
接触所格 動き,接触,効果なし
中間態 効果  
非使役変形 効果,接触なし,動きなし    


つまり動詞はこうなっている.

  hit cut break touch
動き
接触  
効果  


ピンカーはこう結論づけている

それぞれの文法構文を決める要素はバラバラではなく共通のコンセプト(動き,接触,効果)になっているのがわかる.これは動詞の中にある意味の組み合わせシステムなのだ.動詞の変形は,名詞や代名詞の変形を決めているような,任意のマーカー(性)に従っているわけではない.それは話者が動詞を使う現実世界の出来事によっているのだ.
だから動詞には意味の要素があり,分割不可能なアトムではない.だから生得的である必要はない.「原因」「動き」などが認知における基礎的コンポーネントなのだ.


日本語では,この5つの現象にきっちり対応するものはない.(接触与格についてはかなり近いようだが)しかし「撃つ」と「打つ」で見られるような様々な差が,別のマイクロクラスに応じて生じているのだろうと思われる.


日本語でこのような差として指摘されているものには「○○が××てある」という構文がとれるかどうかという現象がある.これは効果のある動詞にしか使えないのだ.


 マンゴーが切ってある.
 *マンゴーが打ってある.


現れる現象は異なるが,やはりマイクロクラスはあって様々な文法現象の差を生み出しているようだ.異なる言語間で基本的概念は共通で,個別言語によりパラメーターが異なっているといういつものパターンが確認できる.




第3章 50,000の生得的概念(そしてその他の言語と思考に関するラディカルな理論)


(1)極端生得主義