Rethinking the Theoretical Foundation of Sociobiology


Rethinking the Theoretical Foundation of Sociobiology
David Sloan Wilson, Edward O. Wilson

The Quarterly Review of Biology, Volume 82: 327-348 Dec. 2007



D. S. ウィルソンの Evolution for Everyone を読んでなかなか面白かった.その中ではウィルソン自身マルチレベル淘汰と包括適応度が等価であることをあっさりと1行で認めていたが,実際にマルチレベル淘汰理論と包括適応度理論についてどう整理しているのかもっと詳しく知りたくて昨年12月に出ている本論文も読んでみた.(E. O. ウィルソンとの共著になっているが,ほぼ D. S. ウィルソンの手になるものと言ってよいだろう.なお本論文はウィルソンのウェッブページからダウンロードできる http://evolution.binghamton.edu/dswilson/publications.html


要するに包括適応度で r を拡張した理論とマルチレベル淘汰理論は等価だが,マルチレベル淘汰理論を用いた方がいろいろな問題について分析する際にわかりやすいという主張だ.簡単にまとめてみた.


なお私が知る限り,マルチレベル淘汰理論と包括適応度理論が等価であることを説明しているもっともよい日本語の説明は,岩波書店の「行動・生態の進化」P59-P62にある辻和希先生による「血縁淘汰と群淘汰のモデル」というコラムだ.理論的に興味ある人には一読をお勧めする.



<導入と学説史>
最初はダーウィン自身がヒトの道徳性の進化についてグループ淘汰的な記述を行っている部分の引用から始まっている.そしてこれがそのまま発展していけば社会生物学の理論的な基礎となったであろうとしつつ,実際の学説史をたどっている.

まず集団遺伝学勃興時のフィッシャー,ライト,ホールデンはこの問題を含む定式化をしていたが,その後それが認識されることはなかった.
続いてナイーブな群淘汰主義者ウィン・エドワーズが登場した.

この素朴な群淘汰理論に対して1960年代にジョージ・ウィリアムズによって,単にグループのためだけではある性質は進化しないこと,そしてグループ内で不利になる性質がグループ間淘汰により進化することは可能だが,通常淘汰圧はグループ内のものに対してきわめて弱く,進化の条件は非常に狭いものになる.そしてフィールドではほとんど無いだろうとされた.そして理論的にはあり得るが実際には無視してよいと教えられ,本当にどれだけ条件が厳しいかについては吟味されることなく40年が経過したというのがウィルソンの認識のようだ.


<群淘汰が否定された根拠>
次に群淘汰への否定根拠とされたものを順番にみていく.
これまでの根拠は大きく分けると3つある.
1.進化の上で,群淘汰が重要である状況というのは,理論的にあまり生じないと考えられるということ
2.はっきりした分析的に区別できる力としての群淘汰について,観察事実がないこと.
3.群淘汰を使わなくとも利他的な行動については代替的な説明ができること.


1.の理論的にありそうかどうかの問題について
確かにグループ間淘汰が重要になるパラメーター上の条件はある.そして1960年代にはこれを計算できるパワーのあるPCはなかったし,複雑な相互作用の研究例もなかった.しかしその後40年これについてほとんど考えられてこなかったのは驚くべきことだとコメントしている.そしてウィルソンはきちんとモデルを組めばレベル間の淘汰のバランスは容易に達成できるという.

最初のポイントはグループ間の変異の源をどうモデル化するかだ.初期のモデルはこれをサンプリングエラーだけに頼っていた.確かにこれではグループ間の淘汰の影響は大きくならない.しかし個体同士の相互作用上の戦略決定ルール,空間的な構造を組み込めば,これは克服できるという,例としては,信号を用いた相互作用モデル,格子型の空間構造モデルなどが示されている.

もうひとつ当時よく主張されたのは,個体淘汰の方が世代が短いので強力だという議論だ.しかしこれもきちんとシミュレーションをしてみるとグループが個体の15世代を超えて存続してもグループ間淘汰力はバランスをとれると指摘している.また非線形効果を組み込めばこれを克服できる例,利他的行動,利己的行動を単一の要素とせず,いくつかの行動要素の組み合わせとして表現するモデルで克服できる例を示している.

ウィルソンは今日のように複雑な相互作用の研究が進んだ現在では,群淘汰が理論的にありそうもないと前提を置く方が「ナイーブ」な態度だろうと皮肉っている.


2.実証的な証拠について
1960年代の論争は事実に基づいたものではなく,主に理論的な争いだった.
最初の実証の議論は性比についてだった.ウィリアムズは,性比がメスに偏っていないことが,群淘汰で利他的な行動が進化しない証拠だと主張した.しかしその後,性比を含むいろいろな現象が発見されており,ウィリアムズ自体1990年代にはマルチレベル淘汰に目を向けているという.

最近発見された興味深い例は微生物のものだ.混濁しない液体内で繁殖に必要なマットを作るためのポリマーを生産するグラム陰性菌とそれを省略するだまし屋の問題が紹介される.このポリマーを生産する菌の系統はグループ間淘汰により保持されるのだ.このほかバクテリオファージの例,微生物を使った実験例も紹介される.

大型動物の観察例としてはライオンの雌による群れの防衛例が紹介される.ウィルソンの解釈では,ライオンの群れに一定数の防衛を行うメスが存在するのはグループ間淘汰の実例だと言うことになる.


3.の代替的説明について
ウィルソンの説明では,包括適応度,ゲーム理論(互恵による利他行動の説明を含む),利己的遺伝子はいずれも利他的行動を説明するための群淘汰の代替理論ということになる.さらにノヴァクとシグムンドの間接利他,デュガトキンの副産物として相互主義,ラックマンのコストのある信号理論も,群淘汰を持ち出さずに利他的行動を説明しようとしているとしてくくられる.ウィルソンはこれらには共通点があり,いずれ理論的に統一されるだろうと言っている.

まずすべての理論はマルチレベルのグループを前提としている.そして重要な問題は社会的な相互作用と,その中のローカルな相互作用だ.
二番目にすべての理論のグループの定義は収束している.これは全体のポピュレーションに対して個々の適応度を表現しようとするからだ.
三番目にすべてのケースで,特性は利他的,利己的とラベルづけられ,利他的な行為はグループ内淘汰で不利になり,進化するにはグループ間淘汰が必要になるものだ.


そしてこれはハミルトンが包括適応度とプライスの公式を合わせてみたときの洞察のままなのだ.
ハミルトンの理論で重要だった遺伝的な関連はグループ間での多様性を増大させるためのパラメーターの1つに過ぎないことにハミルトンは気づいた.これが大きくなれば,グループ間淘汰がグループ内淘汰を凌駕できるようになるのだ.


また囚人ジレンマでのTFTが有利になる仕組みは,ゲームを行うペアが1つのグループだと考えることができる.そして利己的行為はグループ内では有利だが,グループ間では不利になるのだ.


ドーキンス利己的な遺伝子の複製子と選択の基本的なユニットという説明は,集団遺伝学の遺伝子の平均的な効果ということと同じだ.そしてマルチレベル淘汰理論がいっていることは,グループ内,グループ間すべての力を組み合わせた結果,ある遺伝子が増えるか減るかということだ.


ウィルソンは結論としてこれらすべての理論が利他的行動の進化について説明していることは理論的に等価だとしている.



多元主義
これらの理論はどこで淘汰を区切って説明するかが異なっているに過ぎない.このような複数の理論が併存している現状はどう考えるべきだろうか.
ウィルソンは,いろいろなアプローチでいろいろな複雑な問題に取り組めるのは利点だと認めている.しかし基本的な問題を見失いがちになるのは不利な点だと指摘している.


基本的な問題についてハミルトンは包括適応度の r の拡張によって取り組んだ.そしてすべての問題を包括適応度で取り組めるような枠組みを作っている.またそのほかの拡張例も示している.


実務的な問題としては観察される利他主義をどう説明するかいうことになる.
マルチレベル淘汰理論を使って分析するなら,まず近隣個体との適応度の差を調べ,それがマイナスであれば,より大きなポピュレーションの中で考えていくことになる.基本はより低いレベルの淘汰の方が効果が大きいのだが,より高いレベルの淘汰も無視すべきではなく個別に考えていくことになる.このように順々に考えていくことのほうがより理論的にはクリアーだと主張している.
結局1960年代のウィリアムズのナイーブな群淘汰の否定は正しかったが,群淘汰の理論的な可能性がどれだけあるかの推定が間違っていたということだ.                


<マルチ淘汰レベル論で,高いレベルの淘汰を考える方が理解が容易な例>

1.グループが個体に昇華する例
もっともわかりやすいのは真核生物の起源のような問題だ.メイナード=スミスとサトマーリが示したようなメジャートランジションは高いレベルの淘汰から見た方がわかりやすいという指摘だ.


2.真社会性の起源
これもメジャートランジションの1つ.学説史が詳しく紹介されている.ハミルトンは包括適応度で説明を試みているが,それはマルチレベル淘汰の説明と等価になるし,マルチレベル淘汰理論の説明の方がわかりやすいと主張している.特に繁殖の分化,ポリシングなどの説明についてはそうだという.また相加的でない特徴の分析,コロニーレベル淘汰についてもマルチレベル淘汰理論の方がわかりやすいだろうと主張している.
また半倍数体の仮説については今日はサポート的な役割しかなかったという方向だと付言がある.

ウィルソンはまとめとして,社会性昆虫のリサーチは多元主義で40年間やってきて,低調に終わっていると評価している.その理由としては,包括適応度でリサーチすると,より個体レベルで考えてしまう点,血縁度にこだわってしまいがちになる点などを上げている.包括適応度とマルチレベル淘汰理論は理論的には等価だが,コロニーを淘汰単位をして認識できる点でマルチレベル淘汰理論のほうがよりわかりやすくヒューリスティックだと締めくくっている.


3.ヒトのリサーチ
ヒトの進化においてはガードされた平等主義が深く影響を与えている.この心理的な特徴はほかのメジャートランジションにおけるグループ内淘汰抑制システムとよく似ている.
ウィルソンは他人とコミュニケーションするヒトのいろいろな特徴,笑いなどもその点から解釈すべきだと主張し,ヒトにおいてはグループ間淘汰が特に重要だと考える理由として文化により表現型が容易に変更され,集団間の多様性が大きいことをあげている.
またこの観点から解釈すると興味深い歴史的事実として,帝国は常に民族同士が接触している場所で生まれていることなどをあげている.


<まとめ>
最近の社会生物学においてはマルチレベル淘汰についてどういう立場に立つかいろいろな態度がみられる.
なおほとんどあり得ないものとする立場,包括適応度と等価であることから復活を認める立場,新しい群淘汰として区別する立場,その話を避ける立場など.
結局ローカルでは有利にならないが何らかの大きなスケールでは有利になる特徴が進化するには,何らかの構造が必要だということがポイントだ.
「グループ内では利己性は利他性を凌駕する,利他的グループは利己的グループを凌駕する.それ以外は付け足しの説明だ.」




関連書籍


Unto Others: The Evolution and Psychology of Unselfish Behavior

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恐らくこの本にはさらに詳しくふれられているのだろう.未読.




行動・生態の進化 (シリーズ進化学 (6))

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辻先生による解説が素晴らしい.
私による本書全体の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20061111