「チョコレートを滅ぼしたカビ・キノコの話」


チョコレートを滅ぼしたカビ・キノコの話 植物病理学入門

チョコレートを滅ぼしたカビ・キノコの話 植物病理学入門


「ふしぎな生きもの カビ・キノコ」の著者菌類学者マネーによる菌類学紹介書第2弾*1.今度は植物(特に栽培種)に対する寄生体としての菌類の話が主体で,日本の学問分野でいえば生物学というより農学的な色彩が濃い.原題は「The Triumph of the Fungi」で「菌類の大勝利」といういかにも菌類学者らしいもの.*2邦題はあまりおしゃれなものではないが,店頭平積みで目を引くためにあえてチョコレートを持ってきたという築地書館の苦心が見えるようだ.マーケティングついでにいうと2800円という定価はちょっと割高感があるのではないだろうか.2000円ぐらいの方が部数も出て結局版元にも良いと思うのだが,いろいろあって難しいのだろう.


本書で最初に取り上げられるのは北アメリカでのクリ胴枯病の話.1904年ブロンクス動物園の1本のアメリカグリに現れたその菌はまたたく間にアメリ東海岸に蔓延,成熟した広葉樹林の4本に1本がそうだったといわれる巨大な樹はアパラチア山脈の東側ですべて枯れてしまったのだ.野生の樹木がこれほど壊滅的に単一の寄生体に攻撃されるというのは衝撃的だ.読み進めるとこの菌は実はアジア起源の1種の侵入生物であること,そして東海岸アメリカグリは19世紀までに人間が伐採し尽くしたあとの2次林に生えていたもので,本来ありえないほど固まってクリが生えていた純林に近かったり,遺伝的多様性が非常に小さかった可能性もあるとのことだ.続いてアメリカ,ヨーロッパで猛威をふるうニレ立枯病.この菌についてはどこからきたのかまだ定説はないようだし,様々なニレが立ち枯れているようだが,被害が大きいのはやはり人為的に単一種が植えられた公園や街路樹のニレらしい.
菌が樹木に被害を与える具体的なメカニズムの詳しく解説されている.樹木の立場から見ると形成層を浸食されたり導管を閉塞されたりするのではたまらない.対策としては殺菌剤か抵抗性品種の開発ということになるが,いずれも難しいようだ.

ここからは栽培品種に対する病害の話になる.コーヒー,カカオ,ゴムノキにつく菌がそれぞれ詳しく紹介される.これもなかなか衝撃的で,考えてみると当然なのだが,モノカルチャーされていて遺伝的な多様性の低いこれらの樹木はいったん菌が広がると壊滅的にやられるのだ.コーヒーが原産地アフリカではなく南米で,カカオが原産地南米でなくアフリカで,ゴムノキがやはり原産地南米ではなく東南アジアで成功しているのは,土着の寄生体が近くにいないからだという要因が大きいのだと言うことがよくわかる.南米の南海岸にコーヒー葉さび病菌が,東南アジアにゴムノキを攻撃するミクロシクルスが,たまたま到達していないことに,私達の享楽的な生活*3は大きく依存しているらしい.ゴム産業は植物病理学者の警告に対して事なかれ主義(ここ100年間伝播しなかったんだからあわててもしょうがない)で臨んでいると本書にはある.これも結構衝撃的な話だ.

続いて,小麦などの穀物,有名なアイルランドの大飢饉の主役になったジャガイモ疫病の話が語られる.これらは主食なだけに重大な問題で,研究も進み,各種の薬や抵抗品種もあるようだが,当然ながら耐性菌との間で終わり無き闘いを行っていかなければならないということだ.1年草だからより対策が立てやすいのだろうか.そこについてはふれられていない.農薬といえば殺虫剤がまず頭に浮かぶが,殺菌剤も大変重要だということなのだろう.最後に最近増えてきた,松枯れ,ナラ枯れなどの森林の樹木の感染にふれている.人為的な菌類の伝播などが主要因のようだ.


読み終えると,病原体との果てしなき軍拡競争は当然植物でも重要な問題だということがよくわかる.そして遺伝的多様性が失われると脆弱になり破滅的な結果を引き起こしうるのだ.寄生体との共進化を巡る様々な現象の1つということだが,このような具体例をよく見ると改めて進化生物学的な理解が深まるような気がする.訳者は前作に引き続いて菌類の専門家であり,安心して読める.前作にあった訳者によるオリジナルイラストがないのがちょっと寂しいが,それは高望みというものだろう.



関連書籍



ふしぎな生きものカビ・キノコ―菌学入門

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前作 私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080411


The Triumph of the Fungi: A Rotten History

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本書の原書



Mr. Bloomfield's Orchard: The Mysterious World of Mushrooms, Molds, and Mycologists

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「ふしぎな生きもの カビ・キノコ」の原書



Carpet Monsters and Killer Spores: A Natural History of Toxic Mold

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ニコラス・マネーによるカビキノコ3部作の第2作はこちら.浴室に生える黒いカビの話らしい.

*1:翻訳として第2弾,米国では家庭内のカビの話を書いた第2作 "Carpet Monsters and Killer Spores" に続く第3作ということらしい

*2:著者のまえがきによると1953年に植物病理学者の間で名著とされている "The Advance of the Fungi」という本が出ていて,それに対するオマージュということらしい

*3:合成ゴムでタイヤを作ることは可能だが,質は落ちるらしい