「科学」2008/12 特集「ダーウィンは「人間」をどう考えたか」追記

斎藤成也の中立進化説

shorebird2008-12-16

先日のエントリーhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20081213についてnabesoさんからコメン卜をいただいていたのだが,ご自身のブログにさらに丁寧なエントリーを立てられてトラックバックいただいた.http://d.hatena.ne.jp/nabeso/20081215/1229350213

ありがとうございます.

斎藤先生のお立場から見た適応主義者のスロッピーな部分が大変わかりやすく整理されていて参考になる.



これを読むと,「表現型に占める中立的な形質と有利な形質をきちんと単位化して評価した」リサーチもないのに,表現型にある形質は自然淘汰の結果が多いと言ってしまうナイーブさが許せないという斎藤先生のお気持ちは大変よくわかる.

nabesoさんの「ここら辺を総合的に判断すると、理論研究もしくは個別形質として自然選択を議論すること自体は科学的であるが、ただ形質の機能だけを問題にした研究において、自然選択云々は勇み足と考えています。」というご意見にも敬意を表した上でちょっとだけ感想を.



まず,ある表現型の適応度については,適応度は対立形質との相対的な成功を示す連続した量なので,中立か,中立でないかという境目は恣意的にならざるを得ないだろう.(有意かどうかという基準にしてもデータ数,有意水準などに依存するだろう)だとするとそれが1割だとか5割だとかいう議論を定量的に行うのは難しいのではないか.

もちろん何らかの基準を設けて議論することは可能だし,それは空中を飛ぶような議論でなく,実証的なデータでのみ決着がつけられるべきだろう.そういうリサーチが,実務的に,またリサーチャーのインセンティブ的に,難しいのは残念なことだ.


結局スロッピーかそうでないかの議論は,「ある形質が本当に正の自然選択によって進化したのか?ということを判断することは極めて難しい」というところがポイン卜なのだと思う.通常 just so story 批判に対しては, 「まず適応を仮定したモデルを仮説として作るのは問題ない.それをきちんと検証するという手続きがあればそれは科学なのだ」と反論し,対照を設けて実験し,適応度を直接計測したり,モデルが正しければ観察できる別の形質(性比のゆがみなど)を計測したりすることになる.ここに加えて適応だと主張するなら「これは主に浮動で定着した形質ではないのか」ということも考察すべきだということになるのだろう.(といいながらこれもちょっと実務的には難しい課題かもしれない)

そしてそれらを全部飲み込んだ上で,それでもやはりゾウの鼻とか,コウモリの翼だとか,ヒトの脳(そしてホットトピックとしてはヒトの言語)とかの形質が,主に中立形質の浮動により形作られたとはとても思えないというのが私の素直な感想だ.*1(その形質が,変異の集合体であり,そのうち中立形質が9割という主張だとしても,遺伝子変異の9割ならともかく,表面に現れる形質に違いのある多くの変異の9割が中立だとはとても思えない)もちろんこれは私の直感に過ぎない.でもそれをいうなら中立9割もどうも直感の数字のようだから,「おあいこ」というところだろうか.


いずれにせよnabesoさん,どうもありがとうございました.重ねて御礼申し上げます.

*1:まったく適応度に関係がないと思われていたカタツムリの殻の模様だか色だかが,実際に調べてみると被捕食率に有意に効いていたという逸話を思い出すところだ