生物科学 特集:生物哲学から見た進化と系統 (60巻4号 2009年5月号)


ソーバーの「進化論の射程」を読んだ勢いで,「生物科学」の生物学哲学特集号にも手を出してみた.


巻頭は三中信宏による「生物学哲学は生物学にとって探照灯たりえるか


著者若かりしころの生物体系学論争の背景にポパーの仮説演繹主義をはじめとする科学哲学があったこと,その後「生物学哲学」の流れが生じてきたことなどが紹介されている.
進化の現代的総合から体系学論争にかけて背後にあった科学哲学は論理実証主義による科学方法論の色彩が濃かった.その後1960年代以降Hull, Ghiselinらの仕事を通じて,個別科学よりの「生物学哲学」が現れてきた.体系学論争の際にはこの動きは間に合わなかったが,自然淘汰の本質や淘汰の単位の論争には,科学者の「武器」として役立つようになってきているという趣旨だ.


遺伝的浮動情報理論」 森元良太


中立説,あるいは中立説を含んだ集団遺伝学のモデルには,遺伝的浮動が組み込まれている.この浮動の過程に量子力学的な非決定性が含まれているかという議論を扱っている.
森元は「しみ出し理論」(量子的な過程が分子の過程,さらに遺伝子の突然変異の過程に影響を与えている)「自律性議論」(量子モデルと同じように解釈できるから同じような非決定過程だ)の両方を丁寧に紙数をさいて否定し,それはむしろ情報理論的な解釈の方がよいのだと議論しているようだ.
遺伝的な浮動は量子的な非決定論がなくても(ニュートン力学の世界で)十分起こりうる現象であるし,そもそもサイコロを投げているような現象と同じと考えれば十分であるのは自明ではなかろうか.きっと自明ではないのでこのような議論になっているのだろうが,なぜこんなことをまじめに議論しているのかの背景の方が気になった寄稿だった.


「進化群,つまり自然におけるリアルな種の認識」 直海俊一郎


あくまで「進化的なリネージ」として【種】は実在すると主張する直海俊一郎の投稿.
これまでの主張をおさらいした上で,保全生態学などで問題になっているESU(Evolutionarily Significant Unit: 進化的に重要な単位)の実体,あるいは新しく主張されている標徴種概念による【種】が,これまで伝統的に【種】とされてきたものより小さなものになっており,直海の主張する「進化的リネージとしての【種】」に近いものになっていることを指摘している.
また「進化的リネージ」としての種概念に対する批判(境界が不明瞭,リネージとなるのかどうかはその後の成り行きに依存しており,現時点で決められない)にも一部答えている.それは「進化群とはしばしば不明瞭であることを受け入れる」というものだ.
ここまでくると,「【種】は広い利用目的にかなうあり方でただ一通りに実在するが,その境界はしばしば不明瞭である」ということになるだろう.そうすると「連続しているものを切らなければならないという問題がある【種】は実在しない.そしてその利用目的ごとに便宜的に決めればいい」という主張との差は,実務的な目的によるそれぞれの【種】概念が収斂しているかどうかということになるのだろうか.


生物多様性と生物学の哲学」 中尾央


「What is biodiversity?」(MacLaurin & Sterelny, 2008)という本の書評という感じの寄稿.「種の多様性を測るよい指標は何か」という設問に対して,「様々な仕方で補った種の豊富さはよい測度を与える」というのが結論の本らしい.                                                                                                  
本の中では,種の多様性の原因と,その結果(あるいは絶滅)がもたらす結果の区別,【種】問題,表現型の多様性,生態学における個体主義の是非,生物多様性およびその価値の測定法などが議論され,本稿ではやや批判的に論評している.
保全に絡んで生物多様性に関しても様々な問題があり,哲学の出番もあるという状況が見て取れる.


「遺伝子選択説を巡る概念的諸問題」 松本俊吉


ソーバーの「進化論の射程」の訳者による,自然淘汰の選択単位に関するソーバーとステレルニー間の論争の整理だ.「進化論の射程」を読んでいてソーバーの言い分に納得感が得られない私としてはいいタイミングの記事になった.
ソーバーが遺伝子選択説を批判しているのは,それは自明な言明であり,単なる帳簿的な意味を持つに過ぎない(マイオティックドライブのような現象のみ例外となる)し,選択過程の真の因果を明らかにしていないというところにある.
ソーバーとルウォンティンはヘテロ接合子優越を例にとり,この現象は,文脈依存的であること,また遺伝子ではなく遺伝子型の持つ適応度の相違が問題になって選択が生じていることから,遺伝子は環境との因果的相互作用を担う真の実体とは言えないと議論している.これに対してステレルニーとキッチャーは,相同染色体の遺伝子が何であるかも環境だと考えると,これは通常の頻度依存淘汰の過程と何ら違いはなく,ヘテロ接合子優越現象は遺伝子選択説の反証になり得ないと議論している.
松本は,ソーバーの文脈依存性であるから駄目という議論については,ステレルニーに軍配を上げているが,選択過程の因果を示す真の実体かどうかという点でなおソーバーを支持している.(最終的な松本の立場は記述可能かという意味では多元論的遺伝子選択説(どちらのモデルでも記述できる),真の因果性の反映という意味では階層的一元論(マルチレベル淘汰論)を支持するものである)


しかし私にはここは理解できない.松本は例えば鎌形赤血球貧血にかかるヘテロ優越について,その対立遺伝子のどのような性質がそのような頻度依存的な有利性/不利性をもたらすのかを説明する生物学的な筋書きがないと指摘している.確かに現在これはまだできていないのかもしれない.しかしこれは原理的には可能な話ではないだろうか.2つの相同染色体の遺伝子座に別の遺伝子が乗っていると,どのような仕組みでマラリア耐性がある赤血球を持ち,かつ致死にならないかが具体的に説明できないことだとは思えない.
さらに納得できないのは,なぜ直接の因果関係がなければ説明として駄目だというのかの理由が示されていない(脚注にトークン因果性と性質因果性の区別から導き出されているとあるが,これをきちんと説明していないのは残念というほかないだろう)点だ.本来議論されるべきなのは,どのような説明がリサーチプログラムとして優れているかという問題ではないのだろうか.


この寄稿の後半で「多元論」を巡る議論としてとして紹介されているが,結局マルチレベル淘汰論とハミルトンの定式化した包括適応度は理論的には等価だ(そして提出時期はハミルトンが圧倒的に早い).私の感覚では,遺伝子間の関係について定式化がエレガントになされているハミルトン形式の方がリサーチプログラムとして優れているように思われる.直接的因果かどうかというような形而上学的なお遊びをしないでどちらがより生産的で有用なのかを議論すべきではないだろうか.(少なくともD. S. ウィルソンがE. O. ウィルソンと共著で示した論文ではそのようなスタンスで(マルチレベル淘汰論の方が有用だと)議論されている.詳しくはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080330参照)


そもそも「帳簿的な記述」と「直接の因果」はそんなにはっきり区分けできるものなのだろうか.通常の利他性の進化を考える際において,遺伝子同士が一定以上の回帰係数を持って相互作用をしている場合に利他性進化の条件が満たされる.このことを個体あるいは遺伝子の作用として影響パスを定めて微分方程式系で解いていくことと,集団同士の利得を定式化して,さらに集団内の遺伝子同士の相関を考えてモデルを作ることとを比較して,前者は直接因果が示されていないので駄目な議論であり,後者がより優れているとなぜ思うのだろうか.はっきり言ってまったく理解できない.


最後に松本は,ヘテロ優越現象は,少なくともドーキンスの普遍的遺伝子選択単位説の反証になっているという認識を示している.ここもそうは思えない.ドーキンスが遺伝子同士の相互作用について深い理解をもち,考察を重ねていることは,彼の多くの著作を読めば明らかだ.ドーキンスの主張がそんなにナイーブなはずはないのではないだろうか.(私の推測では,ドーキンスも集団内での遺伝子相関まで考慮したマルチレベル淘汰論が包括適応度と等価であることは認めるだろう.ドーキンスが否定するのは集団内の遺伝子相関などの条件をつけない素朴な集団選択説だ.しかしソーバーとは逆に,その理論的等価性こそ包括適応度の議論ですべて説明できる証左と考えているのではないだろうか)


いずれにせよ本稿を読んだ私の感想は「なぜリサーチプログラムにおいて直接的因果の説明でなければならないと考えるのかの根拠こそがこの問題のポイントであり,本稿ではそれが示されていない.現状ではドーキンスとステレルニーの主張の方がはるかに涼やかである」というものだ.


以上「生物科学」の生物学哲学特集だ.様々な記事があってなかなか充実しているという感想だ.




関連書籍


http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090622においてレビューしたばかりの「進化論の射程」

進化論の射程―生物学の哲学入門 (現代哲学への招待Great Works)

進化論の射程―生物学の哲学入門 (現代哲学への招待Great Works)

  • 作者: エリオットソーバー,Elliott Sober,松本俊吉,網谷祐一,森元良太
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2009/04/01
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