「Spent」第8章 自己ブランドの身体,自己マーケティングの心 その3

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior


身体を使ったディスプレー方としてミラーの議論はトライアスロン,化粧と進んだ.化粧では女性のディスプレーを問題にしたが,では男性はどうなっているだろうか.(性淘汰形質は通常片方の性に現れるが,ヒトにおいては双方からの配偶者選択があるので,両方の性に性淘汰形質が現れる)


ミラーは外見に関する虚栄心は男性にも同じようにあるといい,男性モデル,ダンサー,アスリート,ボディビルダー,兵士,警官,ヒゲもじゃのフィールド人類学者,アナボリックステロイド服用者などの男性も同じことをしているとコメントしている.


そして男性の場合のフェイクは化粧ではなく,筋肉増強などに現れる.そして化粧の場合と同じようにフェイクとそれを見抜こうとするものの間に軍拡競争が生じている.


ではこのような化粧や筋肉増強はうまくいくのだろうか.ミラーは見破る能力にかかる淘汰圧が強いので,フェイクはなかなかうまくいかないと主張している.確かに私達は,まれに上手な化粧に年齢をごまかされることがあるが,実際にはそれはほとんどの場合成功しないのだ.
ミラーは少し賢い人たちはこの事実に気づき,微妙な戦略変更するのだと示唆している.

少し賢い人ならすぐにこれを理解する.そして外見を向上させることはできなくても維持することは自分の性格を宣伝するなかなか良い戦略だと気づくのだ.60歳の映画プロデューサーと40歳の女優のカップルは,若い頃の体型を維持し,優雅に着飾ることで,20歳の俳優達に身体の外見はかなわなくとも,十分賢明で,自信に満ち,人生のネットワークを持っている実力者だというイメージを宣伝することができる.だから外見に気を配ることは精神的,モラル的な特徴を示すことができるのだ.

ここが本章におけるミラーの主張したいことだ.多くの身体がらみのディスプレーは適応度信号で,性淘汰形質に絡んでいるが,それは単純な年齢や力を伝えようとしているのではなく,性格,パーソナリティのディスプレーだということだ.


ミラーはこのことをこうまとめている.

ほとんどの動物は自分の外見を行動によって操作できない.せいぜい毛繕いや羽繕いするぐらいだ.
数十万年前にヒトの祖先がボディペインティングを発明して以来,私達はそれができるようになった.部族民は動物の面をかぶり,公務員は制服を着る.子供は着せ替えごっこをし,フロリダの老人は派手な服を着る.
そして外見は身体よりもその心理(美的好みやセルフイメージなど)によって決まるようになる.


ミラーの説明はいきなりの展開でわかりにくい.ここまでは信号の信頼性にはコストが必要だと論じ,繁殖価の信号はフェイクしにくいという話だった.それはよくわかる.また体型維持にはコストがかかるので,克己心などの何らかの性格のシグナルとして信頼性があることも理解できる.


しかしここから服装のディスプレーの話になっているが,その信頼性とコストの話はあまりなされていない.
確かに私達は,特にむき出しのコストがかかるわけではない特定のファッションに執心を持つ.ミラーはそれによりパーソナリティをディスプレーしようとしているのだというが本当だろうか.そしてその信号に信頼性はあるのだろうか.それはたいしたコストをかけずにいかようにもフェイクできる信号のようにも思える.
おそらく(特定のファッションセンスを磨くには,様々な経験と修業が必要であるなどの)非常に微妙な形でコストがあるのだろう.
ミラーはオンラインゲームにおけるアヴァターのデザインについて詳細を説明している.(ここではゲーム内のアイテムを賛美するスラングの解説もあって笑える)ここでゲーム参加者は自分の心理状態を表示しようとしているが,最終的に信頼性のある信号としてより(何百時間もかけないと入手できず,オークションにも滅多に現れない)希少性のある「クールな」ゲームアイテムを求めるのだと説明している.


次章からは人々が表示したいパーソナリティについての説明になる.