Nowak , Tarnita, E. O. Wilsonによる「The evolution of eusociality」 その6


Nowak MA, CE Tarnita, EO Wilson (2010). The evolution of eusociality. Nature 466: 1057-1062.


(承前)
<Limitations of inclusive fitness theory>
Supplementary Information,Part A "Natural selection versus kin selection"


「弱い淘汰条件」についての補足


さて,前回私は「何故包括適応度が弱い淘汰条件でないと成立しないのか」についてうまく説明できないと書いた.後でゆっくり勉強しようと思ったのだが,しかしだんだん気になってきた.いろいろ調べて一応私なりの理解が得られたので,ここで整理しておこう.


まずNowakたちの論文では,これはハミルトンもグラフェンも認めているとある.そこで引用されている原文に当たってみた.

  • Michod RE and Hamilton WD (1980). Coefficients of relatedness in sociobiology. Nature 288, 694-697.
  • Grafen, A (1984). Natural selection, kin selection and group selection. Chapter 3 of Behavioural Ecology, 2nd edition (ed.s J.R. Krebs and N.B. Davies), 62-84. Blackwell Scientific Publications, Oxford.


まずはミコッドとハミルトンの論文だ.これはNarrow Roads of Gene Land Vol. 2 108-115に収録されている.基本的にこの第2巻は性の進化に関する論文を集めているのだが,その論文群の真ん中に収められているものだ.
論文自体は,「ハミルトンの提唱以来包括適応度は支持が広がり,その中で様々なRの定義が提唱されてきたが,これらが同じかどうか,どういう関係にあるのか」を2遺伝子座モデルを使って説明しているもの.
「弱い淘汰条件」についてはその説明の前段にわずかにこのような記述があるだけになっている.

However before doing so, we should acknowledge an important aspect of the derivations: either selection must be weak so that standard identity coefficients can be used as measures of genetic relationship, or rather special condition must be imposed on the models so that there is no selection at internal points of the pedigree patterns studied.


これによると「standard identity coefficients」が「measures of genetic relationship」として使えるために「弱い淘汰条件」が必要になるとある.(そしてもし弱い淘汰条件を仮定しないのであれば,特殊な条件がモデルに必要だとある)
この用語が正確に何を表しているのかはやや微妙だが,文脈から見ても,これは血縁度の計算にかかる問題だと思われる.しかしこの短い文章だけではなぜ弱い淘汰条件が必要なのかの理由ははっきりしない.


次にグラフェンBehavioural Ecology, 2nd editionで何を言っているのかを見てみよう.これはクレブスとデイビスの編集による定評のある行動生態学の教科書の第2版の1つの章だ.


グラフェンも,最初にこの「弱い淘汰条件」は血縁度にかかるものだとコメントしている.
そして血縁度の定義についてCharlesworthのものを用い.以下のように説明している


潜在的行為者の当該遺伝子座に当該遺伝子のある確率= r ×潜在的受益者の当該遺伝子座に当該遺伝子のある確率 + (1-r) × 集団全体の個体の当該遺伝子座に当該遺伝子のある確率の平均」


なかなかわかりにくい定義だが,2倍体の有性生殖集団を念頭において,集団平均の遺伝子共有確率を組み込んだ定義になっている.これは最初の潜在的行為者の確率を1とすると(本論文のモデルのような無性生殖集団で,行為者からの血縁度を問題にすると1となる),これは本論文で後に使われる血縁度の定義R_{j}=\frac{Q_{j}-\bar{Q}}{1-\bar{Q}}(ただしQ_{j}は,行為者個体と受益者個体 j が同じ戦略をとっている確率,\bar{Q}は集団における平均戦略共有確率)と同じものになる.
(なお最初のミコッドとハミルトンの論文はこのような様々な定義が実は等価であることを説明しているものだ)


グラフェンの説明は「ここでの定義に従うと,淘汰の無いときにはこの血縁度はすべての遺伝子座で同一であり,系統から計算(両親共有兄弟なら0.5となる等々の計算)可能だが,ある遺伝子座に淘汰がかかると,すべての遺伝子座で同じではなくなってしまう.だから弱い淘汰条件が必要だ.」というものだ.


これもなかなか難解だ.そこでこの教科書の第3版には邦訳がでているので当該個所を参照してみると,グラフェンは血縁度の説明を(おそらくわかりにくいという声に応じて)大幅に増強している.
特に注力されているのは「なぜ血縁度計算に『集団平均の遺伝子頻度』が関係するのか」そして「なぜ血縁度の定義に集団平均遺伝子頻度が加味されているのに,系統からの計算が可能なのか」というところだ.ここでグラフェンは,後者についてある個体の遺伝子型を仮定したときにその両親共有兄弟の遺伝子型の確率を推定するという形式で説明している.ここでハーディワインベルグ平衡が成り立っていれば系統からの計算で問題ないことを示している.

そして強い淘汰が働くと,その淘汰圧のかかった遺伝子座においてハーディワインベルグ平衡からのずれが生じ,それ以外の遺伝子座における計算とずれてしまい,系統からの計算が適用できなくなる.だから「系統からの計算を成り立たせるためには弱い淘汰条件が必要だ」と説明している.
さらに遺伝子座単位で血縁度が異なる場合であっても,包括適応度理論は引き続き遺伝子座単位で適用でき,それはゲノム内コンフリクトの理論になるのだとも説明されている.


強い淘汰においてハーディワインベルグ平衡からずれるというのは,集団遺伝学らしい表現だが,いかにも直感的にはわかりにくい.
よく考えてみるとこういうことだろう.

ここで両親共有兄弟を例として考える.問題にしている利他行為にかかる遺伝子頻度は淘汰の影響を受けるので当然頻度が変化する.すると行為者と受益者の遺伝子共有確率Q_{j}も変化し,さらに集団全体の遺伝子共有確率\bar{Q}も変化する.
系統から計算した血縁度0.5が引き続き成り立つためには,Q_{j}の変化幅と\bar{Q}の変化幅がちょうど1:2になっていなければならない(ハーディワインベルグ平衡ならそうなる).しかし強い淘汰がかかっているときにはちょうどそうなる保証がないということだ.


またこの後グラフェンは別の例も合わせて,包括適応度理論の前提条件を議論し,そこで弱い淘汰条件についてもさらに説明を加えている.


全部合わせて考えた私のいまの理解は以下の通りだ.

  • 強い淘汰がかかると,その淘汰がかかっている遺伝子座と,それ以外の遺伝子座について血縁度が異なりうる.
  • それは直感的には以下のように説明できる.ある行為者が相互作用する両親共有兄弟の集団があるとする.弱い淘汰条件の場合には行為者と兄弟の血縁度は(すべての遺伝子座で)0.5で問題ない.しかしある遺伝子座に強い淘汰がかかると兄弟集団のなかの当該遺伝子頻度が変化する.この変化はハーディワインベルグ平衡からの逸脱を引き起こしうるため,当該遺伝子から見た兄弟の血縁度は0.5からずれてしまう.
  • 非常に極端な場合には,当該遺伝子を持つコストを強く払った兄弟は死亡確率が上がって集団からいなくなり,当該遺伝子を持たないコストを払っていない兄弟はそのまま生存する.すると同一世代内であってさえ集団の遺伝子組成が変化し.行為者と兄弟集団の当該遺伝子共有確率自体が0.5を下回ることさえ生じるだろう(血縁度はさらに低くなる)
  • だからある個体と別の個体の血縁度を系統から計算しようとするなら弱い淘汰条件が必要になる.
  • しかし遺伝子座単位で血縁度を計算すれば,引き続き包括適応度を適用することができる


モデルとして遺伝子座単位で血縁度を計算すればいいというなら,これは理論的に致命的な問題であるようには思われない.
しかし実務的にはまず.系統から血縁度を推定できなくなれば野外観察データをとることが極めて困難になるという問題が生じるだろう.
そしておそらく実務的に考えると,以下のことが最も理論的にも重要なのだろう.

  • 厳密に言えば「弱い淘汰条件」と「相加性」(この議論は本論文でこの後展開される.相加性は包括適応度計算において経路ごとに足し合わせる計算をするので理論的に重要な条件だ)は別の問題だ.しかしこの2つは緊密に関連していることが多いのだと思われる.
  • なぜなら非常に強い淘汰は,相加性を崩してしまうリスクが高いからだ.それは強い淘汰に現れる大きなコストや大きな利益は非相加的になりやすいからだ.例えば,コストが死亡に結びつけば,その後利益を受け取ることができなくなり相加性は破綻する.また生存率を半分にするようなコストは相乗的に効くだろう.一般的に大きなコストは相乗的になりやすく,大きな利益は収量逓減的になりやすいのではないかと思われる.
  • だから相加性という条件を守るためにも一般的には弱い淘汰条件で考えるのが望ましいことになるのではないか


そして弱い淘汰条件と相加性の仮定により,様々な作用が線形になり,適応度の足し合わせ,微分的解法を含む多様な分析が可能になるということだろう.
そしてこの手法の有益性は,このような解法のメリットとコスト(条件から外れる可能性の高さ,外れたときの結果の頑健性など)から判断されるべきことになるだろう.有益性や仮定の満たされない例についての議論はこのあと本論文に現れる.


関連書籍


Narrow Roads of Gene Land: Evolution of Sex (Evolution of Sex, 2)

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第2巻は「性の進化」編.なぜ二倍のコストにもかかわらず有性生殖は維持されるのか.この難問にハミルトンがチャレンジする知的格闘を追体験できるエキサイティングな論文集だ.


進化からみた行動生態学

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原書第3版(1991)の邦訳.日本語で出された行動生態学の教科書や入門書の中で最も優れたものの1つだろう.蒼樹書房亡き後入手困難になっていると思われる.


Behavioural Ecology: An Evolutionary Approach

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現在入手可能な原書第4版(1997).残念ながらグラフェンの章はなくなっている.


進化遺伝学

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ここではメイナード=スミスによる解説がある.包括適応度の前提条件が細かく説明されており,「弱い淘汰条件」についても簡単に理由の説明がある.趣旨はグラフェンによるものと同じだ.