Nowak , Tarnita, E. O. Wilsonによる「The evolution of eusociality」 その7


Nowak MA, CE Tarnita, EO Wilson (2010). The evolution of eusociality. Nature 466: 1057-1062.


(承前)
<Limitations of inclusive fitness theory>
Supplementary Information,Part A "Natural selection versus kin selection"


Nowakたちは,彼等のいう「標準自然淘汰理論」による選択条件式を示した後,続いて包括適応度理論の選択条件式を示す.しかし単純に紹介するのではなく,定式化の批判を混ぜながらの紹介というところがこの論文らしいところだ.


まず包括適応度は「行為者にかかるその行為の適応度影響に,受益者にかかるその行為の適応度影響に血縁度をかけたものを合計する」形式で記述されているが,それは「人工的でトリッキーで人々を混乱させるもの」だという.

The fundamental idea of inclusive fitness is that the consequence of an action can be evaluated as the sum of the following terms: the fitness effect that this action has on the actor plus the fitness effect that this action has on any recipient multiplied by the relatedness between actor and recipient. This is a somewhat artificial and tricky construct that has confused people.

特に別の行為者の同様の行為が対象行為者に及ぼす適応度増減分を含まないというところが,古典的な個体適応度と異なるために著しく間違えやすいという



これは,包括適応度が「個体」の適応度ではなく「戦略」の適応度を考えているという視点の転換がきちんとできていなければ間違えやすいということだろう.私にはその間違える方の勉強不足ではないかと思えるところだ.そういう意味で考えると,ドーキンスの「利己的な遺伝子」は,ハミルトンのわかりにくい論文の背後の本質を非常に明瞭な形で説明しているものだということがよくわかる.



ここからNowakたちは,包括適応度の形式をTaylorとFrank(1996)の定式化で説明する.


焦点となっている個体(この場合は行為者)を●で表すとこの包括適応度 WIFは無性生殖集団,弱い淘汰条件,低い突然変異率の条件下,以下のような定式化になる.行為者が与えたすべての個体(行為者自身を含む)への影響をRの重み付けで合計するという計算の偏微分という形式になっている.


W_{IF}=\sum_{j}\frac{\partial}{\partial \delta}\frac{\partial w_{j}}{\partial s_{\bullet}}|_{\delta=0}R_{j}


そこで現れるRelatedness(血縁度):Rは,行為者個体●と個体 j の間の血縁度をRjとして,以下の形式で定義される.


R_{j}=\frac{Q_{j}-\bar{Q}}{1-\bar{Q}}


このQ_{j}は,行為者個体●と個体 j が同じ戦略をとっている確率,\bar{Q}は集団における平均戦略共有確率だ.この定式化では\bar{Q}は特定ステージの共有確率ではなく,全期間の平均共有確率という形になる.


Nowakたちは,このRの定義は相対的な遺伝的同一性であって,通常の遺伝的共有確率(それはQにあたる)とは異なっているので注意が必要だという.この定義では集団平均に対する血縁度が0になるので,平均より遠縁の個体に対しては血縁度がマイナスになり得ると.


これもその通りだ.もともと1964年のハミルトンの論文があのように難解*1なのは,この血縁度の概念がそれほど単純ではないからだ.しかしこれは(Nowakたちがほのめかしているように)不必要に難解になっているのではない.相互作用のある戦略の遺伝子がある集団の遺伝子プールの中で増えるかどうかを考える上では不可欠だから,というより相互作用のある戦略の進化自体が内包している性質の表れなのだと考えるべきだろう.


続いてNowakたちは包括適応度理論で戦略Aが戦略Bに対して選択される条件を示す.


W_{IF}>0


そして自分たちの「標準自然淘汰理論」の「弱い淘汰条件」バージョンの条件式からこれが導き出せると主張している.(この詳しい説明は後でなされる)
つまりこの2つの理論は同じ洞察をもたらすというわけだ.
ここからが両理論の比較の議論になる.


Nowakたちはすぐ数理的な議論に行かずにまず「わかりにくさ」から議論を始めている.


同じ洞察をもたらす理論にもかかわらず,そもそも包括適応度計算はわかりにくいし,それは包括適応度理論家たちも認めているのだというのがNowakたちの最初の指摘だ.

First, we point out that in the kin selection literature, it has already been shown that calculating inclusive fitness is more cumbersome than calculating direct fitness.

そしてTaylorは彼等の定義する「直接適応度」Wdirの方がわかりやすいとしているとして,その式を示している.(後の「標準自然淘汰理論」からの導出の際にはこちらが使われる)


W_{dir}=\sum_{j}\frac{\partial}{\partial \delta}\frac{\partial w_{\bullet}}{\partial s_{j}}|_{\delta=0}R_{j}


これは行為者ではなく受け手(ここで●で表記される,行為者は j )側から見た影響を血縁度で重み付けして合計しているもので,普通の意味での「直接適応度」とは異なるものだろう.Taylorの用語法は私にも理解しがたい.いずれにせよ,WdirはWIFと等価になる.(これはRousset 2004, Taylor et al. 2007で示されているそうだ)


Nowakたちは,皮肉っぽく,「包括適応度理論家たちが「直接適応度」方式に目を向けることは歓迎したい.しかし自分たちの「標準自然淘汰理論」からの条件式は,もっと一般的で,「血縁度で重み付けして合計する」などという処理不要で結論を導けるのだ」とコメントしている.要するにどうやっても血縁度を用いる方式はわかりにくいのだとTaylorを揶揄しているということだろう.


ここでなされている議論は概念や計算がわかりにくいとか複雑だとかいうたぐいの議論だ.私から見ると間違う人の勉強不足を理論のせいにする議論はいかがなものかという感じだ.
そして「標準自然淘汰理論」方式がどのようにbiや,diを計算するのを説明せずして,こちらの方が簡単だと主張するのは説得力がないのではないかと思う.こちらの計算方式も非常に複雑になるはずではないのだろうか.


この後ようやく包括適応度理論の「脆弱な前提条件」の議論が始まる.



<補足>Relatedness(血縁度):Rの定義について


前回紹介したハミルトンの論文にもあるように血縁度の定義にはいろいろあって,基本的には(条件を整理すると)等価なものだ.本論文ではTaylorとFrank(1996)の定式化によっている.
R_{j}=\frac{Q_{j}-\bar{Q}}{1-\bar{Q}}


これは「なぜ血縁度計算に集団全体の遺伝子共有確率が関係するのか」についての「グラフェンの秤」を使った説明にうまくフィットする形式だ.


では「なぜ血縁度計算に集団全体の遺伝子共有確率が関係するのか」
一言で言うと数学的にそうなるからだということになるが,直感的な説明としては,遺伝子の適応度は集団平均との競争になるから,集団平均より遺伝子共有確率が高い個体に与えるメリットはその遺伝子のメリットになるが,集団平均と同じであれば何のメリットにもならないからだ.「グラフェンの秤」はこれをわかりやすく図示したもの(前回紹介したグラフェンの行動生態学教科書第3版の説明にある,もともとは1985年のグラフェンの総説論文*2で使われたもの.)で,以下のような形をしている.受益者の遺伝子頻度が集団平均から行為者までの中のどの位置にあるかが重要だということだ.





最近よく見られる定義はもともとのハミルトンの回帰係数を使った形式に近いもので,こういう形をしている.
r=\frac{Cov(x, x')}{V(x)}


このような定義は,巌佐先生の「生命の数理」,辻先生の「シリーズ進化学・行動生態の進化 第2章」あたりにみられるものだ.
これはプライスの方程式から直接得られるので導出がエレガントで美しい.せっかくなので導出を紹介しておこう.


まず行為者個体の当該遺伝子頻度*3をxとする.2倍体であれば 0,0.5,1 のどれかをとる.また相互作用の相手方の遺伝子頻度をx'とする.この遺伝子が,分析対象の行為者個体にコストcを負荷し相手にbのメリットを与える戦略を完全に相加的にコントロールしているとする*4とこの適応度は,相互作用をしないときの適応度をw0として以下の通り表される.
w=w_{0}+bx'-cx


さてここで知りたいのは集団全体のxの平均頻度が上昇するかどうかだ.適応度と遺伝子頻度の集団平均をそれぞれ\bar{w}\bar{x}と表記する.すると\Delta\bar{x}>0であればいいことになる.


ここでプライスの共分散方程式を遺伝子頻度について表現すると以下のようになる.


\bar{w}\Delta\bar{x}=Cov(w,x)+E(w\Delta x)


ここで,突然変異がないとすると次世代における個体単位での\Delta x=0なので右辺の右項は0になる.そして適応度の定義より\bar{w}>0なので\Delta \bar{x}>0Cov(w,x)>0とおける.


上記の適応度式を共分散式に代入すると以下のようになる

Cov(w_{0}+bx'-cx,x)>0
Cov(w_{0},x)+Cov(bx',x)-Cov(cx,x)>0
b\cdot Cov(x',x)-c\cdot Cov(x,x)>0
b\cdot \frac{Cov(x',x)}{V(x)}-c>0


ということから血縁度はr=\frac{Cov(x, x')}{V(x)}となる.


これは集団における当該遺伝子頻度{0,0.5,1}と相手方の遺伝子頻度{0,0.5,1}の共分散を当該遺伝子頻度の分散で割ったものであり,行為者と受益者が(集団平均より)どのくらい近いのかを表している.
これは包括適応度が「戦略」そしてそれを司る「遺伝子」の適応度であることから考えると自然な定義だ.集団のなかで「戦略の相互作用」にフォーカスを当て,(潜在的)行為者と(潜在的)受益者の遺伝的な近さを一種の回帰係数として示したものだということができる.だから血縁はこの回帰を上げる一方法に過ぎず,どんな形でもこれが上がればこの戦略は進化しやすくなる.そういう意味で,ハミルトン自身の包括適応度の拡張と整合的な定義だと言えるだろう.(こうなってくると拡張された後の「relatedness」と「血縁度」と訳すのはもはや適切ではないという感じもするが,定訳となっているのでやむを得ないだろう)



このあたりの様々な血縁度の議論は1980年代に盛んだったもののようで,前述のミコッドとハミルトンの論文はその現れだ.最も詳しいのは先にも挙げた1985年のグラフェンによる総説論文のようだ.日本語文献でこのあたりを最も詳しく説明しているのは,私が知る限りでは粕谷先生の「行動生態学入門」における解説だ.



関連書籍


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巌佐先生の名著「数理生物学入門」の続編.なかなか密度の濃い本だ.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20081226


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シリーズ進化学の第6巻.ここの辻先生の寄稿は力のこもったものだ.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20061111


行動生態学入門

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入門とうたっている割にハイレベルの数理的な記述が詰まっている.もう出版されてからかなりたち,一部内容が古くなっているところもあるが,現在でも日本語で書かれた行動生態学のまとまった本としては最も記述水準の高い本の1つだと思う.

*1:これは読んでみようとした人にしかわからないと思うが,ハミルトンの1964年の論文は非常に深いところまで議論をしていて,表現もわかりにくい

*2:Grafen, A. 1985. ‘A geometric view of relatedness’. Oxford Surveys in evolutionary Biology, 2, 28-90.

*3:複数遺伝子による量的モデルではここに育種価がはいる

*4:そうでない場合には血縁度の定義は表現型と遺伝子型の共分散の形になる