「ヴィクトリア朝の昆虫学」

ヴィクトリア朝の昆虫学―古典博物学から近代科学への転回

ヴィクトリア朝の昆虫学―古典博物学から近代科学への転回



本書はオックスフォードの歴史学者クラークによる一冊で,19世紀から20世紀初頭の英国の昆虫学の流れを幾人かの昆虫学者に光を当てて描いたもの.原題は「Bugs and the Victorians」で,訳出に当たって奥本大三郎が監修を務めている.目次にはダーウィンの名も見え,ダーウィンオタクを目指す私にとっては必読文献ということで入手したものだ.


物語は19世紀の初頭の英国における外国の珍しい昆虫を記載する博物学の隆盛から始まる.それは昆虫採集という趣味を広げ,ヴィクトリア朝の経済の発展を背景に,人間社会への意味を巡って様々な主張が現れるようになる.
最初の登場人物はイデオロギーと昆虫の分類や社会性昆虫の本能の議論を結びつけたカービーとスペンスだ.面白いことのこの2人は政治的な主張を異にしながら共著で「昆虫学入門」という本を著している.本書ではこのトーリーでハイチャーチ派のカービーと急進派で改革主義のスペンスの考え方が昆虫の分類や本能の考え方にどう影響を与えたかを描いている.自然神学と五員環分類(本書では五点法と訳されている),本能を巡る議論などが取り上げられている.現代から見ると理解しにくいが,当時昆虫に本能があるかどうかはイデオロギー的には重要な議論だったようだ.
次は社会性昆虫を巡る話題.ハチの観察箱の流行を見た後,奴隷制の議論との関連が紹介されている.ダーウィン奴隷制のアリを紹介する際に奴隷制擁護の議論だと受けとられないように注意していることに触れた後,ダーウィンの友人のラボックが登場する.ラボックはアリを精力的に研究して,その心理(と訳されているがむしろ認知能力ということだろう)に迫ろうとした.彼はアリを飼い慣らして文明を持つようにすることもできると考えていたらしい.ここではラボックの研究が社会ダーウィニズムに影響を与えたこと,アリを室内で飼い,実験生物学の先駆けとなったことを紹介している.


この後にダーウィンを扱った一章がある.若いころ昆虫採集に熱中していたこと,マルハナバチの観察,ランと送粉昆虫の共進化,人間の知能が動物と連続していることの考証にハチの巣作りの本能を取り上げていること,性的二型,擬態,地理的分布などの考証にも使用していることなどの有名な話が最初に紹介され,その後に昆虫学の反応が取り上げられている.幾人かの昆虫学者のよる進化への反論はあったが,全体としてオープンにダーウィン学説を受け入れて議論していたことがベイツの擬態学説を例に説明されている.
ただしクラークのダーウィンに関する理解は必ずしも深いものではなく,Descentを性淘汰を説明する目的の本だといってみたり,ネオダーウィニズムを通常と異なる意味に用いていたりして*1,私にとってはやや不満の残る書きぶりになっている.


後半は昆虫学の実学への流れが描かれている.19世紀末にアメリカ大陸のコロラドハムシが欧州に農産物への害虫として侵入するのではないかという懸念が広まったことをまず紹介し,そのような世相の中で,害虫の駆除コントロールを使命とする「経済昆虫学」の勃興を,女性昆虫学者オーメロッドの生涯とともに紹介している.この中では,昆虫の生態や分類を観察記載するという純粋学問的姿勢と農業生産の役に立つという功利的な姿勢の相克が女性の権利の伸長の世相の中で描かれていて面白い.*2
最後は20世紀初頭の医療への応用という「衛生昆虫学」への進展が語られている.昆虫が感染症を媒介するということが知られ始めたころの様子がよく描かれている.この2分野が合わさって応用昆虫学となり現代に続いていると説明され,本書は終わっている.


本書は歴史家の手による科学史の本として読むべきもので,そういう意味ではなかなか狭いフォーカスの中で1世紀にわたる昆虫学の動きが丁寧に描かれているということになるだろう.ただし語り口はいかにも英国の歴史家の手によるもので,ひねりにひねっていて取っつきにくく読みやすい本ではない.また私的にはダーウィンの書きぶりが浅いところがちょっと物足りないという印象を禁じ得なかった.

*1:通常は1930年代以降の現代的総合を意味するのだが,ここでは19世紀末のダーウィンの死後直後の進化学を指す用語としている

*2:例えば彼女はイエスズメの駆除にも熱心であったのだが,これはヴィクトリア朝の女性のイメージとは真逆であったようで,それに伴うエピソードが語られている