Nowak , Tarnita, E. O. Wilsonによる「The evolution of eusociality」 その37


Nowak MA, CE Tarnita, EO Wilson (2010). The evolution of eusociality. Nature 466: 1057-1062.


<An alternative theory of eusocial evolution>
Supplementary Information,Part C "A mathematical model for the origin of eusociality"


ちょっと間が空いてしまったが,最後のまとめをしておこう.まずパートCの総括.


Nowakたちの真社会性移行仮説の数理シミュレーションを解説したSupplementary Information Part C.不自然で極端な前提を置いた分析を行い,真社会性進化のための生態条件が血縁度によって異なってくることをあえて示さず,何故娘個体が自分で生殖しようとしないのかという重要な問題をスルーする内容の薄いものであることを見てきた.
彼等は最後にサマリーをおいている.少し冗長だが,ここまで来たのでこれも見ていこう.


まず分析のスタンスが書かれている

  • 真社会性の起源について,「娘が巣から分散するのを止める変異」がどう自然淘汰にかかるかとして分析し,この際に「女王の繁殖率や死亡率が,ワーカーの存在によってどの様に変われば真社会性が導かれるのか?」を調べた.


しかし彼等の分析は途中から分散確率の分析に集中していて,繁殖率や死亡率の条件を有性無性間や半倍数体倍数体間で比較してきちんと示していない.血縁淘汰が効いている結果を出すのを姑息に避けたとしか思われない


次に分析の結果が説明される.

  • 真社会性が進化するにはコロニーの規模が小さい時に女王の繁殖率や死亡率が劇的に変わることが必要だ.より大きな卵巣を持ち,巣の防衛が可能になり,女王が巣にとどまれることが重要ということになる.なお死亡率が下がるだけではこの進化は生じない.
  • 真社会性の進化は非常に難しい.かなり都合の良いパラメータを設定しなければ進化できない.私たちのシミュレーションでは2匹のワーカーを持つと繁殖率が8倍になり,死亡率が1/10になることが仮定されている.この場合,繁殖率が7倍になるだけで進化できなくなる.
  • この様な条件が満たされるかどうかは生態条件に依存する.キーファクターは食料に近い防衛可能な巣だろう.


これは「コロニーが2個体(女王1個体,ワーカー1個体)ではまったく繁殖率も死亡率も1個体の時と変わらない」という著しく不自然な前提によるものだ.このような前提では当該社会性アレルは2個体の時は著しく不利になり,さらに一旦2個体コロニーになってからしか3個体に移行できないということになるので3個体の時に強く有利でなければならない結果になっているのだ.彼等の想定からいってもこの前提は合理的ではない.2個体でシナジー効果があるとして分析すると血縁淘汰的予測そのままになるのでそのような分析を避け,不自然な前提に固執してまで生態要因の重要性を強調しようとするのは,やはり姑息で不誠実な態度というべきだろう.

  • もうひとつの半倍数性生物でのシミュレーションによる面白い発見は,多重平衡解の存在だ.真社会性は起源するより保持する方がやさしいのだ.これが真社会性生物の成功にもかかわらず,それが稀にしか起源しなかったことを説明する.


確かに少し面白い発見だ.しかしこれはゲーム状況的な進化的動態分析ではよく見られる結果のひとつだろう.



ここから彼等のいう真社会性のリサーチにおける革新的な示唆が主張される.

  • 包括適応度理論の流布しているドグマにもかかわらず,真社会性の起源を女王とワーカー間のゲームとして見る見方は有益ではない.包括適応度理論は遺伝子視点の理論だと主張されるが,実はそれはワーカー中心視座にすぎない.それはワーカーを分析の中心に据えて次のようなパズリングな質問を行う.「なぜワーカーは自分の潜在的な繁殖能力を犠牲にして女王の子を育てるのか?」
  • しかし遺伝子を分析の中心に据えれば,この様な疑問はそもそも現れ得ない.標準自然淘汰理論はそのアレルが広がるかどうかを決めることができる.どこにもペイオフマトリクスはない.競争を決定する場面でどこにも進化ゲームはない.家族構造にかかる定式化された集団遺伝学モデルを組むことで,包括適応度を考える必要は全くないことがわかる.


ここは真顔で主張されると脱力するしかないところだ.彼等はまさに「超個体」的な間違った進化観を持っているために真に重要な問題が見えないのだ.「何故分散しなくなった娘は,一旦外で交尾して戻ったり,コロニー内で近親交尾を試みたり,あるいは未受精のまま産卵するように進化しないのか」こそ問われなければならないのだ.この疑問が現れないこと自体がこの分析フレームの重大な欠陥だと考えざるを得ない.

  • 女王とワーカーは標準的な協力ジレンマの中にあるのではない.その理由はワーカーは独立したエージェントではないからだ.彼女たちの特徴は女王にあるアレル(王からの精子を含む)の方で決められる.ワーカーは女王によって組み立てられたロボットとして見ることができる.彼女たちは女王の繁殖戦略の一部なのだ.


この説明は,ワーカーが産卵できないことが絶対的な制約である場合にしか妥当しない.そしてそのような制約は通常絶対的ではない.ワーカーと女王は遺伝的要素が異なるのだから当然コンフリクトが生じる.ワーカーは産卵する潜在能力があればまさに独立したエージェントと考えるべきだ.彼等は根本的に間違っている.

  • 巣にとどまったワーカーを「利他的」,分散した子を「裏切り」と表現することは有益ではない.両方のタイプの子がコロニーの再生産には必要だ.


有益でないとはどういう意味だろうか?ある戦略セットにどう名前をつけても(包括適応度分析であれ,「標準自然淘汰分析」であれ)分析結果が変わるわけではない.この主張は意味不明である.

  • 私たちのモデルはマルチレベル淘汰を使っていない.コロニーレベルの淘汰があるだけだ.それは女王の拡張として考えることができる.淘汰は社会性女王と単独性のメス間,あるいは社会性女王間に働く.


彼等の分析がコロニーレベルだという主張も意味がよくわからない.遺伝子レベルで分析しているのではないだろうか.そして遺伝子頻度の便利な計算方法として,一回交尾の女王が1個体だけ存在することからコロニー数を使うことが可能になっているだけではないだろうか?

  • 血縁度は真社会性への進化をドライブしない.私たちは自分たちのモデルを使って,半倍数体遺伝様式に従い,継続的給餌を行う,前社会性の数千の種における,真社会性のアレルの運命を分析した.いくつかの種では真社会性は進化し,その他の種では進化しない.進化するかしないかは,女王の人口動態的なパラメータ依存で決まり,血縁度では決まらない.調べられた全ての種は同じ血縁度構造を持っている.


「血縁度は真社会性への進化をドライブしない」と主張するためには血縁度の異なるシステムで生態条件を比べてみるべきだ.そしてもしやってみれば血縁度は当然生態条件を変えるだろう.だから当たり前だが,真社会性の進化については生態条件「も」血縁度「も」効いてくるのだ.これが排他的であるかのように主張するのはまったく理解できないところだ.*1

  • 一旦真社会性が進化すると,コロニーは血縁関係の個体により構成される.娘は子孫を育てるために母と同居するからだ.だから血縁度は真社会性の結果であり原因ではない.


真社会性が進化する際の生態条件に血縁度は効いてくるのであり,血縁度が結果だという主張は理解しがたい.因果は実在し,それは先験的に明らかだというなら,それは「信仰」に過ぎないだろう.

  • 私たちのモデルは生産的な実証研究に向けて明瞭なインプリケーションを与える.行われるべき重要な測定は,女王の人口動態パラメータ(産卵率や寿命など)に与えるコロニーサイズの影響だ.
  • この様なデータを与えてくれそうな動物群は,ハナバチとカリバチだ.これらは多くの種を持ち,様々な進化段階を見せる.この中には真社会性から単独性にもどったもののある.また単独性-真社会性の移行にかかる遺伝的コーディングも,淘汰をドライブするそのコーディングの表現型の可塑性や環境要因とあわせて突き止める必要があるだろう.


この部分は唯一まともなものだ.確かに血縁度と共に生態条件は重要だ.そしてその詳細は十分興味深い.


Nowakたちは最後にこう主張している.

  • 社会性昆虫における血縁淘汰は,進化分析の中心にワーカーをおいた時のみ現れる現象なのだ.血縁淘汰主義者たちは,利他的に他人の子供を育てるワーカーの存在は自然淘汰以外の説明を必要とすると主張した.そしてこの説明が血縁淘汰というわけだ.


この主張はNowakたちがハミルトンを理解できていないことを示す部分の1つだ.確かに利他的に他人の子どもを育てるワーカーの存在は説明が必要だ.自然淘汰においては遺伝子構成が異なる他個体の間ではコンフリクトが予想されるのだ.そしてそのコンフリクトが自然淘汰の中でどう働くかの分析が重要だということだ.つまり血縁淘汰理論は自然淘汰がどのように働くかという分析であり,自然淘汰の代替理論ではない.

  • しかしながらそこにはもっと便利な同格のシステムがあるのだ.もし真社会性遺伝子が分析の中心に据えられるなら,「標準自然淘汰理論」がそれが進化するかどうか決めることができる.どこにも説明が必要なパラドクスはない.血縁淘汰と包括適応度の周天円は消える.


「標準自然淘汰理論」は同格なシステムではあるが,決して便利ではない.包括適応度理論に比べてはるかに扱いにくく,シミュレーションでしか分析できない場合が多い.包括適応度理論を使わずにシミュレーションの繰り返しでしか分析しないとすれば,それは理論的には大きな退行ということになるだろう.


以上がNowakたちの論文だ.論文全体を通じての私の感想はエントリーをあらためて述べることにしよう.

*1:Nowakたちがこの2つの要因が排他的でないことを理解することができないほど愚かではないとすると,これはイデオロギー的な「ためにする議論」としか解釈できないだろう.これは遺伝か環境かの二元論と構造が似ている.