Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)
- 作者: Matthew M. Hurley,Daniel C. Dennett,Reginald B. Adams Jr.
- 出版社/メーカー: The MIT Press
- 発売日: 2011/03/04
- メディア: ハードカバー
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第11章 周縁部:ノンジョーク,バッドジョーク,ニアジョーク
参照ジョーク
ユーモアは生物学的文化的な進化の産物であり,だからあるものがユーモアかどうかの境界がはっきりとあるわけでない.それは生物学的な分類に似ているし,だから偽ジョークや擬ジョークがある.ハーレーたちは本章で,ユーモアの周辺部を扱う.
最初にユーモアかどうかの区別を行うに当たって問題点を挙げている.
- 個人差の存在,特に知識依存性:これはコアにワーキングメモリにおける信念形成の正当性の問題があるから
- 同じ個人でもユーモアの強度は異なる.
- 境界事例:おかしいのだが,何がおかしいか説明できないようなものがある
- 別の事象とのオーバーラップ:ジョークは一つのミーム.ミームは魅力的であればいいので,その喜びの種類にとらわれない.
境界事例,オーバーラップの例
- 洞察,発見,ウィットの評価,他人の不幸,優越感,性的なくすぐり
- なぞなぞ,パズル,韻文,警句
またいろいろな種類がパッケージになることもある.
要するにいろいろな複雑な問題がありますよと言うことだろう.ここからはこれらに絡む様々な話題を取り上げて議論していく.
A 背景知識依存
参照ジョーク
- あるサックスプレーヤーが死んで,天国の門にたどりつく.しかし聖ペテロはこう言う.「残念だが,定員オーバーだよ,君にはほかのところに行ってもらうしかないね」エレベーターのドアが開いてそのサックスプレーヤーは大きなバーの中に出る.すると偉大なジャズプレーヤーたちがセッション中だった.サッチモ,カウント・ベイシー,マイルス・デイビスがいる.彼はチャーリー・パーカーに近づいて話しかけた.「ここは地獄ではあり得ないね.こんなに偉大な人たちがいるんだから」チャーリーはこう答えた.「ほら見てみろ,ドラムはカレン・カーペンターだぜ」
私にはまさに背景知識がないのでこのジョークがよくわからない.*1
ハーレーたちは,「背景知識や認知性向は個人により異なる.だからわからないジョークというのがある.この場合ジョークがわからないと誤信念の内容もわからない」と説明している.確かに私は参照ジョークのサックスプレーヤーの信念が何故,どのように間違っているのかがよくわからない.
ハーレーたちは,古代のジョーク(現代人にはもはや意味がわからない)や内輪ジョーク(外部の人にはわからない)などを解説している.ここで面白いのは信念として成り立っていなくとも,それが理解できればジョークとして成り立つという例だ.
- 自分が過食症の独身男パーティにいることを気づくのはいつか?女の子の中からケーキが飛び出してきたとき
独身男パーティでケーキの中から雇われたダンサーが飛び出してくるのを実際に見たことある人はほとんどいないから,最初の質問だけではその光景は誤信念として浮かばない,しかしオチを聞けば(少なくともアメリカ人には)それがわかるというわけだ.これは「ケーキからダンサーを飛び出すような趣向付きの独身男パーティ」というものがほとんどない日本人にはやや難しいだろうか.私の実感としては映画で見たことがあるだけでも十分笑えるように思う.
B 強度
誰もが知っているように,いいジョークと悪いジョークがありジョークには強度がある.
ではそれを決める要因は何だろうか,ハーレーたちは次の2つを提示している.
(1)誤信念の量:単なるダジャレより大きなミスディレクションの方がおかしい.またそれに関わる人数も効く.二人の登場人物と聞き手の期待がいっぺんに覆るジョークはよりおかしい.
- バーで痛飲した酔っ払いがよろめきながら教会に入ってきた.酔っ払いが懺悔室に入っていったので神父は告解を聴くべく仕切りの向こう側に入った.しかしいつまでたっても酔っ払いは一言も発しない.神父はそっと木枠を叩いた.なお反応がない,神父はもう一度木枠を叩き,さらに反応がないので咳払いもしてみた.しかし酔っ払いは何も話そうとしない.神父はしびれを切らして強くノックした.酔っ払いは叫んだ.「叩いても無駄だよ.こっちにも紙はないんだ」
この場合,酔っ払いの「ここはトイレだ」という信念,神父の「彼は告解をしようとしている」という信念,そして聞き手の信念が,3つ同時に覆っているとハーレーたちは解説している.しかしこのジョークのオチでは酔っ払いの信念はまだ覆っていないような気もする.
(2)感情の相加性
参照ジョーク
- ある朝,6歳児と4歳児がベッドで話をしている.6歳児が提案する.「今日はママに汚い言葉を使ってやろうぜ,僕が最初に『馬鹿』って言うから,お前は『ケツ』っていうんだ」4歳児は熱狂的に賛成し,二人は食堂に下りていく.母親が何を食べたいか聞くと6歳児はこう答える.「馬鹿言ってんじゃねえよ,チーリオ*2に決まってんだろ」その瞬間バチーンと張り手の音が響いた,6歳児は床に吹っ飛び,泣きながら2階に逃げていく.母親は彼をものすごい形相で追いかけ,6歳児を2階の部屋に閉じ込める.「私がいいって言うまでそこで反省してなさい」母親は戻ってきて4歳児に聞く「さて,お前は何を食べたいんだい」「えーと,ママのケツにかけてチーリオじゃないと思うよ」
ハーレーたちは感情の移転効果(いわゆるドキドキ効果)がジョークの強度の影響を与えるのだと議論している.
感情の移転効果はジョークにもある.洞察の喜びや優越感やタブーはある感情のレベルをあげる.これとジョークが一緒にくると上昇レベルは相加性を持ち,脳はその原因を区別できないのでそれはいいジョークだと感じる.だからセックス,暴力,死,排泄,人種偏見と一緒に語られるジョークは強い.
これはAI研究ではクレジットアサインメント問題と呼ばれるそうだ.複雑な現象が複雑な報酬と罰の感情を与えたときに,どの刺激がどの反応を起こしたのかを見極めるのは難しいということだ.
ハーレーたちは,このような問題があるので,よいジョークかどうかを判断するときには,それがユーモアとしての強度なのか,ほかの感情を引き起こされたのかは,なかなか判断が難しいのだと注記している.
ジョークを楽しむ側から言えばどちらでもいいではないかとも思ってしまうが,認知学者あるいは哲学者としてはこだわりたいところなのだろう.