Inside Jokes 第11章 その2 

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)


第11章 周縁部:ノンジョーク,バッドジョーク,ニアジョーク(承前)


さてハーレーたちはさまざまなユーモアの周辺事象の解説を始める.


C 境界事例


最初の2つは誤信念の覆りという視点から説明が容易なものだ


<いないいないばあ>
赤ちゃんはとてもこれがすきでよくわらう.
どこに何があるかという予測,とそしてそれが覆る


<空中に投げられて受け止められる,ローラーコースター>
投げられたあと,もしかしたら失敗して落ちてしまうかもという疑いが大きくなる.そして突然受け止められてそれは覆る.


次はなかなか解釈が難しいもの


<くすぐり>
なぜくすぐられるとおかしくて笑うのか.おかしさは継続しているし,誤信念が覆っているようには見えない.何か誤り検知が有益な認知が絡んでいるようでもない.そしてそれを避けようとする.ハーレーたちは自分たちの仮説にとっても大きな問題だと認め,詳しく議論している.


(1)第1の仮説.

  • 誰かから攻撃されているという信念と,信頼している人からのタッチという信念が頻繁に入れ替わる.だから継続的におかしい.


しかしこれはおそらく間違っている.
入れ替わりは自覚しない.通常忌避的感覚と喜び感覚は交代ではなく同時に感じている,そしてなぜ警戒モードにならないのか,なぜおかしさが減衰しないのかを説明できない


くすぐりをよく考えてみよう.

  • 特別のタッチで忌避的
  • 場所にも限定性
  • 意図的なタッチでないとおかしくない.
  • そして予測可能な動き(自分でくすぐる)ではおかしさが出ない.(自分ではくすぐれないが,くすぐりに予測不可能性を混ぜると可能になる)
  • しかし単なる予測不可能な刺激ではおかしくない


そしてこれらを満たすものとして第2の仮説をあげる


(2)第2の仮説

  • 皮膚に何らかの予測不能な感覚を得ると,かなり低レベルの認知機構(虫検知,ネズミ検知)が働いて,何か嫌なものが皮膚にいるという認知を抱かせる.これはオートマチックなので意識的に違うと思っても認知が生じる.そして実はそうではないということがわかるので何度でも継続的におかしい.(だから場所とくすぐり方に限定性があり,予測不能でなければならない)さらに誤り発見に加えて忌避感,親しい人からのタッチという感覚が強め合う.


<錯視図形>
くすぐりの第2の仮説が正しいとすると,これは最初の認知がオートマチックな認知であり,それに気づくという構造になっている.ハーレーたちは,そう考えると錯視図形と共通点があると指摘している.
では錯視図形はおかしいのか?ハーレーたちが多くの錯視図形を示して議論している.
それによると,単に二通りの解釈ができるような錯視図形はおかしくない.(例:ウサギにもカモにも見える)
一見あるものに見え,実は違う(例:あり得ない立体)はうまくセッティングすると,その種がわかったときにおかしい.
ハーレーたちは最初の認知が誤りだと気づく認知の仕組みが下位レベルのものだとおかしさが出ないとも指摘している.(例:2つの影の濃さは実は同じ)


<物理ユーモア>
これまでの4つは言葉がなかった.そして笑う本人がそれに巻き込まれているので,いわば1人称物理ユーモアと言える.すると3人称の言葉のない物理ユーモアがあることになる.そして実際にあるのだ.
これには様々なスラップスティックドタバタ劇がふくまれる.


ハーレーたちはこれらのドタバタ劇は何らかのアクターの意図にかかる誤信念が覆るという構造になっていることが多いと指摘している.(例:梯子を背負ったまま回ろうとする男と右側に第2の男がいるので自分には当たらないと思っている第3の男.しかし第2の男がしゃがむので第3の男に当たる.)

しかしそうでないものもあると指摘される.ユーモアの受け手の期待が覆る形でもいいのだ.

  • アパートの鍵貸します」のジャック・レモン.いきなりテニスラケットを取り出してパスタの湯切りをする.;このシーンをシャーリー・マクレーンは見ていない.これは観衆へのサービスで映画を見る側の誤信念が問題となっている
  • 急ブレーキをかけてとまったように見える椅子;一瞬椅子が止まろうとしたという考えにコミットしそんなはずがないとわかっておかしくなる


<なぞなぞ>

ハーレーたちの解釈では,なぞなぞはユーモアの喜びと問題解決の喜びの両方の領域にまたがっている.ここではユーモアとしておかしさが説明できるものを解説している.


ハーレーたちの解釈では,なぞなぞをかけられると心は答えを探すモードに入り,次々とヒューリスティックサーチを広げ,それがオーバーコミットにつながりやすいのだという.そして良いユーモアなぞなぞは,このようなヒューリスティックサーチでは得られないものが答えになっている.だからコミットされた信念の覆り現象に似ていておかしいのだ.


なぞなぞジョークの例

  • 「なぜサンタはあんなに陽気なのか」「そりゃ,悪い女の子(bad girls)がどこにいるかを全て知っているからさ」
  • 「ハーレーとフーバーの違いは何か」「汚い袋(the dirt bag)の位置」*1


ハーれーたちはこのようななぞなぞは単純なだじゃれ(上記の例ではbad girlsとthe dirt bagにそれぞれ二義がある)によっているので大人にはあまり好まれないが,中には様々な仕掛けがあって大人にも笑えるものもあるのだとしている.上記のサンタジョークは性的な含意があるので大人でもにやりとできる.

  • 「なぜO. J. シンプソンはアラバマ州に引っ越ししたがったのか?」「そこではみんな同じDNAを持っているからさ」


ハーレーたちによるとこのなぞなぞジョークには,セックス,他人の不幸に感じる喜び,そして2種類のアウトグループへの蔑視が含まれているらしい.*2


<音楽ユーモア>

ハーレーたちはハイドンの驚愕を例にあげて論じている.そして何らかのコミットされた期待が形成され,それが覆るという構造がやはりあるのだとしている.


カリカチャー(似顔絵)>

では何故誇張された似顔絵がおかしいのか?一見するとどこにも誤信念が覆る瞬間がないように思える.
ハーレーたちは,スローモーションで見れば説明できるとしている.そこに顔があると認知し,そのラインを確認する,そしてそこに規範からの逸脱があればおかしくなるというわけだ.そして物まねも同じだとしている.

ここはやや苦しい説明のような気もする.
さらにひっくり返りも逆で,誇張された絵や物まね師が本人に似るはずがないという信念が覆ると考えた方がいいのではないだろうか.コロッケの物まねがおかしいのは,コロッケの顔が岩崎宏美に見えるわけがないと思っているところに岩崎宏美が現れるところにあるのではないだろうか?


<見にくいものやグロテスクなもの,奇妙なもの>


確かに子供はこれらのもので笑う.
ハーレーたちは次のように説明している.

  • 心にはある意味での統計がある,だからありそうもないものは生じないと思っている.それが覆る.
  • さらに別のおかしさとして,「ありそうもないものは,超自然を含む誰かのジョークだと思う.それが覆る」という場合を挙げている(例としては自然にできた円形状の模様などをあげている).この場合想像上のいたずら仕掛け人の視点に立って,引っかかった自分をみておもしろがるという形もあるだろう.


所用あり10日ほどブログの更新が滞る予定です




 

*1:このジョークは日本人には難しい.まずハーレーはオートバイで,フーバーはアップライト型電気掃除機(縦に長い本体の底面に床用吸込口があり,本体の上部に付いたハンドルで操作する一体形,その中間にゴミバッグがついている)で,その違いを聞いている.そしてa dirt bagには「横柄で他人を見下すいやな野郎」という意味もあって,ハーレーを我が物顔で乗り回すライダーをそう形容しているジョークだと言うことらしい

*2:これも日本人には大変難しいジョークだ.まずO. J. シンプソンについての基礎知識が必要だ.彼はNFLを代表する素晴らしいランニングバックで,引退後は俳優としても活躍した有名人.アフリカ系だが金髪の白人女性と結婚し,その妻殺しの容疑で裁判にかけられる.誰がどう見ても有罪かと思われたが,検察の失態で無罪評決を勝ち取る.だからDNA鑑定を避けようとしたという背景があるわけだ.次にアラバマ州はディープサウスと言われる南部の州.そしてアメリカにはredneckジョークと言われるジョークのジャンルがあって,南部の田舎町の教養のない人々の愚かさを笑うらしい.このジョークで難しいのは何故アラバマで人々が同じDNAを持っているとされるのかだが,どうやらこれは彼等は近親相姦をしているという差別的な言い方があるからということのようだ.ということでセックスは近親相姦へのほのめかし,他人の不幸はO. J. の不幸,アウトグループへの蔑視は南部の田舎町の人々への偏見ということだが,もうひとつの蔑視が難しい,おそらく,近親相姦グループの白人の中に潜り込んでもO. J. のDNAは鑑定されるはずだが,それもわからない愚かしさという意味合いなのだろう.この場合のアウトグループがアフリカ系ということなのか,フットボール選手に向けたものなのかは私にはよくわからない