「The Better Angels of Our Nature」 序章

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined



本書はヒトの言語にかかる3部作,そしてヒトの本性にかかる3部作を前作のThe Stuff of Thoughtで完結したスティーブン・ピンカーのこの秋の新作である.私が読んでいるのはiBooks電子書籍だが,ハードカバーでは800ページを超す大作だ.
本書が扱うのはヒトの歴史における「暴力の減少傾向」ということだ.通常の分類でいうとこれは歴史と社会学の分野ということになるだろう.ヒトの本性の理解を踏まえてここを見ていこうといういわば進化心理学的知見の応用という趣旨と,「20世紀はヒトの暴力にとって最悪の時期であり,テロと途上国の内戦が続く21世紀も見通しは暗い」という流通している信念の誤りを指摘したいという両方の思いのある本だということになる.


序章


ピンカーは冒頭をこう始めている.

本書は歴史上生じた最も重要な問題についての本だ.それは暴力の減少だ.それは戦争から子供の虐待まで広く見られるものであり,非常に長い間続いている傾向だ.私たちはかつてないほど平和な時代に生きているのだ.

そして,私達の芸術や学問や商業が今のような形であるのは,私達が毎日の生活を襲われたりレイプされたり殺されたりすることをかつてのように心配する必要が無いことと無縁ではなく,それは現代化が何を意味し,ヒトの本性が何かを考える上でも重要だと続けている.


続いて本書の狙いが示されている.それによると本書は3つの目的があることになっている.

  1. 暴力が本当に減少してきたことを示す
  2. 暴力と非暴力の心理学を概説する
  3. 歴史が心理とどう関わってきたかを考える


ピンカーは暴力が減少しているというのは多くの人には初めて聞くような話だろうとしている.
そしてそのような誤信念の要因として3つあげている.

  1. マスメディアがセンセーショナルなものを取り上げ,それのみが印象に残ること
  2. 物事が改善していると言いたてることは良くないと考えるモラル,西洋文明・現代化は良くないというスタンスを取るインテリ文化の影響
  3. 暴力を減少してきた要因でもある,私たちの暴力への耐性が下がってきていること

しかし実際のデータに当たるとほとんど全ての側面で暴力が減少してきている統計的トレンドが見つかると述べている.


私自身の感覚でいうと,過去の狩猟採集時代には近隣部族との果てしない報復の連鎖の襲撃合戦があったのだろうし,戦国時代のような時期に比べても現代が非常に平和だという認識はあった.しかし20世紀前半のマシンガンと塹壕戦,空爆共産主義全体国家の悲劇はある意味で暴力のピークであったのかもしれないという理解もあったように思う.おそらく日本は江戸時代に天下泰平が200年以上続いたあとで幕末の動乱から第二次世界大戦を経験しているために西洋と比べて暴力減少の線形性が低いということかもしれない.



序章では全体の構成も示されている.


まず暴力減少の歴史が6つのトレンドとして語られる

  1. 平和プロセス:狩猟採集社会から,農業社会へ移行した頃,襲撃などが減り暴力的な死は1/5に減った
  2. 文明プロセス:欧州では15世紀から20世紀にかけて,封建領土から,中央集権国家と商業の発展によって,殺人が1/10から1/50に減った
  3. 人道主義革命:西欧では17世紀から18世紀の100年に,専制政治奴隷制,決闘,拷問,迷信による殺人,残酷な刑罰が減った.(その一部は古典ギリシアルネサンスでも見られる)
  4. 長い平和:第二次大戦後,超大国が均衡し,近代国家同士の戦争はなくなった.
  5. 新しい平和:冷戦終了後,内戦,ジェノサイド,独裁による抑圧,テロが減った.
  6. 人権革命:1948年の世界人権宣言のあとぐらいから人種,女性,ホモへの差別,子供への虐待,動物への虐待が減った.


次は暴力と平和の心理学

<5つの悪魔>

  1. 捕食者的,手段的暴力 :得になるなら力を使う
  2. ドミナンス:優位を求める
  3. 復讐
  4. サディズム
  5. イデオロギー


<4つの天使>

  1. 共感
  2. 自制
  3. モラルセンス(逆に効くことも)
  4. 理性


最後に上記の心理がどのように歴史に反映したかについて

  1. リバイアサン
  2. 商業
  3. 女性化:女性の利益や価値観を尊重する文化
  4. コスモポリタニズム:共感のサークルを広げる
  5. 理性の上昇:暴力の無駄を理解する


ピンカーは暴力の減少傾向を認めると世界は違って見えてくると述べている.

過去は決して無垢ではなく,現代も捨てたものではない.
そして過去できたことを考えると,「残る暴力をさらに減らそう」という思いがわくし,どうすればいいかの考察にもつながる.
「なぜ戦争があるのか」ではなく「なぜ平和があるのか」を問うようになれる.


序言の最後には何故暴力減少のリサーチを始めたかのきっかけも書かれている.
それによると初めて暴力減少について知ったのはデイリーとウィルソンの「Homicide」を読んだときであり,ヒトの本性を考える進化心理学者としては自然なトピックであり,ヒトの本性の3部作でも少し取り上げてきた.そして直接のきっかけはEdgeの質問「あなたは何について楽観的か」だったそうだ.


ともあれ,歴史についてもデータを拾っていった結果ということだろうが,大変な大作として仕上がったわけだ.


関連書籍


ピンカーのヒトの本性についての3部作

How the Mind Works

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The Blank Slate: The Modern Denial of Human Nature

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The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

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The Stuff of Thoughtについての私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080925


同邦訳

心の仕組み~人間関係にどう関わるか〈上〉 (NHKブックス)

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人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (上) (NHKブックス)

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思考する言語(上) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

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デイリーとウィルソンのHomicide 殺人をデータとして使った進化心理学の本.この分野の嚆矢と言うべきものだ

Homicide: Foundations of Human Behavior

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同邦訳

人が人を殺すとき―進化でその謎をとく

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