The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Viking
- 発売日: 2011/10/04
- メディア: ハードカバー
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ピンカーの「長い平和」の様相の説明は続く.
<名誉の概念の消滅>
ピンカーによると,第二次世界大戦後「ナショナリズム」「征服」という概念と並んで消滅しつつあるものに「国家の名誉」という概念がある.挑発に対してエスカレートさせずに引き下がる例が増えているのだ.
- 1979年のソ連のアフガン侵入とイラクの大使館選挙.カーターはオリンピックのボイコットとテレビの中継だけにとどめた.
- レーガンもベイルートやイラクのジェット機の攻撃をエスカレートさせていない.
- 2004年のスペインでのテロに対し,スペインは反イスラムに染まらずに,イラク戦争に加担した政権を交代させた.
- 象徴的なのはキューバ危機.ケネディもフルシチョフもチキンゲームが制御できなくなる危険をよく理解していた.そして結局双方が引き下がることで危険を回避したのだ.
- ゴルバチョフはベルリンの壁の崩壊,そしてソ連の崩壊に際して武力に訴えなかった.歴史家のガルトン・アッシュは「これはまさに驚くべき抑制だ」と評価している.
最近の日本周辺での事例でいうと,度重なる北朝鮮の挑発に対して抑制的に対処している韓国の姿勢が思い浮かぶ.朝鮮戦争休戦直後に延坪島砲撃事件が生じていれば,韓国は報復攻撃を行い,休戦は破れていたとしてもおかしくないだろう.
ピンカーは,キューバ危機やソ連崩壊の際には,ケネディ,フルシチョフ,ゴルバチョフなどのリーダーたちの個人的な資質という偶然の要素が大きかったことも認めつつも,最後にこうコメントしている.
もちろんは戦争は偶然によるところが大きい,世界は世界大戦を一度だけ経験すればよかったのかもしれないし,第三次世界大戦が起きていたかもしれない.
しかしアイデアや規範の大きな傾向を考えると,20世紀前半にヒトラーがいて,後半にフルシチョフとケネディがいるのはそれほど驚きではない.
<大衆の戦争観>
1950年代から70年代にかけて,西側の民主主義国においては,大衆に大きな反戦へのうねりが見られる.それは爆弾への禁止運動に始まり,ベトナム反戦はアメリカを2つに引き裂いた.その流れは今でも反核運動に引き継がれている.
ピンカーは様々な反戦的なメッセージのある映画や歌のタイトルを列挙している.
アメリカの政治家もこれを受けてベトナムから撤退し,対外的にはより不干渉的になった.現代ではこれは犠牲者を最少にしようというドーヴァードクトリンに影響を与えている.実際に1990年以降アメリカ軍の戦術はリモート兵器により重心を移しつつある.
<軍の変化>
アメリカの軍人は,大量の戦死者は広報的に持たないこと,同盟国を引かせてしまうことを理解するようになった.
ピンカーは海兵隊の変化にコメントしていて面白い.それによるとアメリカ海兵隊はマーシャルアーツを導入し,「倫理的戦士」のコードを定めた.それは「命を守る」というものだそうだ.
アメリカ軍部は過去に比べて戦争に対してはるかにリラクタントになっている.アフガンもイラクも軍部は必ずしも積極的ではなかった.空軍はスマート兵器でできるだけ民間人の巻き添え被害を避けるようになった.
ピンカーは,今日では民間人の死者が10人も出るとアフガン大統領への謝罪にマスコミへの説明と大騒ぎになるが,かつては考えられなかったことだと指摘している.(アフガンでの民間人の死者は2011のウィキリークスのデータによると5300人でその80%はタリバンによるものだが,ベトナムでは80万人だったそうだ)
そしてヨーロッパの軍の変容はさらに激しい.フランスもドイツもイラク戦争には参加しなかった.アフガンには参加しているが,かつて全欧州大陸を席巻する勢いだったドイツ軍の軟弱振りはカナダ軍人に嘆かれるほどだとピンカーは書いている.
ヨーロッパにおいて軍隊はもはや「国を守るもの」ではなく,「社会保障をし,経済をうまく回すもの」なのだそうだ.
日本においても同じだろう.日本では憲法上の問題もあってやや様相が異なる部分もあるが,やはり自衛隊は災害対策的な色が濃くなっているだろう.少し前に仙谷官房長官(当時)が自衛隊について「暴力装置」と表現して騒ぎになったことがあるが,このあたりの認識の変化が良く出ているように思われる.
では何故このような変化が生じたのか.ピンカーは次に「長い平和」の原因を考察する.