「The Better Angels of Our Nature」 第8章 内なる悪魔 その5  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


ヒトの内なる悪魔.3番目は報復にかかる心理・感情だ.


V. 復讐


この心理は古くから記録されているし,ユニバーサル.(旧約聖書,「目には目を」,ホメロスシャイロック,旧ユーゴの副大統領,ニューギニア部族民,アパッチのジェロニモ
復讐しても被害が回復できるわけではないが,これは暴力の大きな動機になっている.

  • 95%の文化に血の復讐の概念がある
  • 部族戦争の主要な動機
  • 殺人の動機の10〜20%を占める
  • 都市暴動,テロとそれへの報復暴力
  • パールハーバー,9/11 いずれもアメリカ市民に怒りの感情を与え,とりうるオプションは戦争しかなくなった.


ピンカーはこれが誰にでもある感情であること,様々な実験や脳神経学的な知見(中脳ー海馬ー扁桃の怒り回路,意図によるかどうかの判断は側頭頭頂部接合部,痛みや嫌悪は島皮質,報酬は線条体,コスト判断は眼窩前頭前皮質や副内側皮質),共感によって抑制できること,性差があることなど説明している.


<報復の進化的機能>
ではこの機能は何か.進化的にはこれは「抑止」機能を持つものだと議論される.囚人ジレンマ,アクセルロッドのTFT,トリヴァースの互恵理論に触発された大量のリサーチがある.ピンカーによると,結局初期の洞察を越えるような結果は得られていない.ピンカーは簡潔にこれまでの知見をまとめている.

繰り返し囚人ジレンマゲームで成功する戦略の要素

  • ナイス:初手は協力,相手が協力なら協力
  • クリアー:わかりにくいとランダムだと誤解される.ランダムに対する合理的な応手は全て裏切り
  • 報復:裏切られたら裏切る
  • 許し:相手が協力に戻れば許す


エラーがある時

  • TFTは報復連鎖にはまってしまう.この場合はより許す戦略(時々ランダムに協力する)が有利.
  • しかし許しすぎるとサイコパス(AllD)に侵入されてしまう.
  • これに対抗するには「後悔する許し」(自分が先に裏切りの時には許す.相手が先の時には許さない)がいい


繰り返し頻度条件は重要

  • 誰と対戦しやすいかは大きな影響を与える
  • 空間構造,ネットワーク構造により協力が生じうる


間接互恵

  • ヒトは言語を持つので間接互恵の問題が生じる.名声,噂


多数の協力

  • 公共財ゲームで研究された.
  • リサーチは複雑で迷路のように広がっているが,それでも実際にありそうな条件下でのリサーチでは,以下のような要因が現れる.
  • 搾取,復讐,許し,後悔,名声,噂,非難,近隣関係


<実社会での機能>


では実社会では報復はペイするのか?
多くのラボ実験では答えはイエスになる.

  • コストがかかっても報復するという名声があればより抑止力がある.だから報復の欲望は強い.
  • 直接抑止:報復者が加害者の将来的な行動に影響を与えられると考えて報復すると加害者が知っている時に抑止力は高い.だから報復感情は加害者が報復者の状況を理解していると思った時により強くなる.
  • 間接抑止:報復するという名声があると抑止力は強くなる.だから見物人がいるとより報復感情は強くなる.


このことから「最後通牒ゲームでなぜ多くのプレーヤーが半分近くを提案し,そうでない提案を受けると蹴るのか」を理解できる.これは報復心理を刺激するからだと解釈できるのだ.


<過剰報復の問題とリバイアサン


ピンカーは実社会での状況について次の2点の謎を挙げる.

  • なぜ抑止手段なのにこれほど多く実行されるのか?冷戦時の核のようにならないのはなぜか?
  • なぜ報復のサイクルにしばしば陥ってしまうのか?


ピンカーの答えはそこに「モラルギャップ」があるからだというものだ.

ヒトは自分の加害を過小評価し,相手から受けた害を過大評価する.そして双方の帳簿は食い違うのだ.
そしてリバイアサンの利点はまさにここにある.法システムは両当事者に無関心で,害を歪みなく測れる.さらに被害者からみて罰が不十分でも,少なくとも被害者の「名誉」は傷つかない.だからローマの正義の女神は秤と目隠しと剣を持っているのだ.


<過剰報復と正義の心>


とはいえ,この法システムによる罰は,人道主義革命までは過酷になる傾向があった.それは「正義」を求める心がそうさせる.この正義はもともと抑止のための適応だが,犯罪者の意図には反応するが,インセンティブには反応しない.インセンティブに反応するなら,どのぐらい罰される可能性があるか,どのぐらい目立つかによって罰の大きさが変わるべきだが,正義の心はそういう風には働かない.


何故適応として生じたはずの「正義の心」はインセンティブに反応しないのか.ピンカーは以下のような示唆を行っている.

  • 功利主義からは抑止に絞った刑事政策が提言されることになる.しかし完全にインセンティブベースの制度を作ろうとすると,(完璧なものはできないので)犯罪者に隙をつかれることになりやすいだろう.正義による厳罰はそれを塞いでいると見ることもできる.


これは制度論としては理解できるが,やはり適応としての心理がインセンティブに全く反応しないことを説明できるわけではないだろう.このあたりはなかなか難しい.


<法システムと内面化>


ピンカーは法システムは完全ではあり得ないので,暴力減少には文明化プロセスによる内面化も重要だと指摘する.殺人率は文明化プロセスを経てさらに大きく下がるのだ.ここでピンカーは公共財ゲームの「顕名の罰」(非協力に対する罰ありのゲームデザインで,誰が罰を与えたかが罰されたプレイヤーにわかる条件のもの)の効果が文化によって異なるという知見を紹介している.

  • 顕名での罰だと,被験者の国によって大きく異なり,報復の連鎖になる国がある.:ロシア,ウクライナギリシアサウジアラビア
  • よく調べると市民道徳との関係に相関がある.これは最大の社会的資本とも呼ばれるもので,「税金をごまかしてもよい」などの項目への賛否にかかるものだ.
  • 市民道徳は,フェアな法制度,効率的な警察,闇市場がないこと,組織犯罪がないこと,犯罪頻度のが低いことなどと関連する.そしてこのようなところでは罰に対して反省せずに報復に出るのだ
  • 因果の向きを統計的に示すのは難しいが,おそらく市民道徳がないと,報復に出るという向きなのだろう.


<許し>


もうひとつ個別に報復の連鎖を抑える方法がある.それは「許し」だ.これは霊長類に見られ,もちろんヒトにもある.
ピンカーはどのようなときに「許し」にスイッチが入るのかを以下のようにまとめている.

  1. 血縁,友人,同盟者などの共感の輪の内側
  2. 利害の一致:(例)大統領予備選後の結束
  3. 相手がもはや無害だと確信できる時


この3番目は重要で,だから「加害が意図的だったのか事故だったのか」は重要になる.また相手が謝罪をしていることが重要なのもこの理由による.当然この謝罪のシグナルの信頼性は問題になる.
ピンカーは信頼性の問題から謝罪のいくつかの側面を説明している.

  • 誠意のない謝罪は逆効果になる(騙そうとしていることになる)
  • これを真実にするための適応として以下の感情は理解できる.:恥,罪.当惑の感情
  • このような感情があると意図的に操作できない自律神経系の現象が信頼性のある信号となる:赤面,どもり,涙
  • ハンディキャップコスト構造が信頼性を与えることがある.動物だと腹を見せる.ヒトだとお辞儀,ひれ伏すなど


この議論はなかなか深いところがある.コストの議論はわかりやすいが,感情と自律神経系現象のインデックスとしての信頼性の議論は難しい.
恥や罪の感情があると謝罪をしたあとに裏切りにくくなるのはわかる.しかしこれはそのようなフェイクをすることがより大きなコストに結びつかない限り,フェイクが進化するだろう(つまり心にもない謝罪をいかにも心から謝っているように行うようになるはずだ).だからそのような行動をする人達は(例えば)別の局面で信用されなくなり大きなコストを被るということが条件としては必要だろう.とはいえこのような感情がある方が別の局面で有利であるなら謝罪はある程度信用できるシグナルになるのだろう.
涙は完全に自律神経系のコントロール下にないので(嘘泣きをすることができる)のでさらに説明は難しいように思う.


<謝罪を含む和解による報復連鎖の抑止の実践>


ここでピンカーは,マッカラフの「このような謝罪を含む和解による報復連鎖の抑止によって,法システムのコンフリクトを減らせる」という主張を紹介している.

  • 実際に多くのコミュニティでは(法システムの代替として)レストレイティブ正義過程(被害者と加害者が対面し,被害者は訴え,加害者は謝罪して賠償を行うというもの)を採用している.
  • 国際関係においてもここ20年で,公式の謝罪がなされるようになってきた.


実際に国際関係における「過去の出来事についての公式の謝罪」という行為は1980年より以前はほとんどなかったそうだ.そしてこれは効果がある場合があるとピンカーは議論している.
ピンカーはロングとブレッケのリサーチを紹介している.


《信用される謝罪》
既に共感の輪の内側にある同士の謝罪(内戦など),また(まさにハンディキャップ理論が予測するような)コストのある謝罪は信用されるのだ.


《よい和解の条件》

  • まず妥協のない真実の提示,そして加害者側は加害を認める(委員会方式).認めるのは心理的には辛いプロセスなのでこれには意味がある.
  • 人々の今後の社会的なIDを明確にする.:犠牲者→主権者,反乱グループ→政治家あるいは実業家
  • 完全な正義を求めない:大きな線引きをして,多くのものは特赦,あるいは名誉の剥奪に止める.そして一部の主導者,容認できかねる残虐行為者のみの処罰に止める
  • 両当事者が,新しい関係についてコミットメントをする.:文章,儀式


一旦こじれた国際関係の修復はなかなか困難だが,成功例もあるということなのだろう.