交替劇プロジェクト講演会 『ネアンデルタール人と新人サピエンスの交替劇』


11月18日にネアンデルタール関連の講演会があったので聴講してきた.会場は一橋の如水会館となりの学術総合センター*1.この講演会は新学術領域研究「交替劇プロジェクト2010-2014」の主催.プロジェクトは「ネアンデルタールとサピエンスの交替劇は旧人と新人の学習能力の違いに起因するのではないか」という仮説の検証作業を学際的に行おうというものらしい.というわけで.先史考古学,数理生物学,認知考古学など分野の異なる4人の講演が行われた.なおこのあと19日以降プロジェクトメンバーと招聘海外研究者が発表する最新研究にもとづくシンポジウムとポスター発表会もあったようだが,そちらには都合がつかず参加できなかった.




オファー・バール=ヨセフ 「ネアンデルタール人の誕生,拡散,ホモ・サピエンスとの競合,そして終焉」


最初の講演者はネアンデルタール人の遺跡を発掘研究している考古学者.遺跡からわかる事実を大まかに整理したもの.
ネアンデルタール人の発見は1848年.現在までの発掘などからハイデルベルジェンシス以降の系統樹が示されていたが,バール=ヨセフはデニソワ人についてもハイデルベルジェンシスから別れた分枝の1つとして扱い,ネアンデルタール人,デニソワ人ともにサピエンスと一部交雑したとした図にまとめていた.
以下はネアンデルタール人についてわかっていることの整理.

  • 分布域はヨーロッパとアジアに限られ,アフリカには渡っていないようだ.現生人類との交雑はヨーロッパ人種とアジア人種(フランスから日本までと表現)まで見られるが(DNAの1%〜4%),アフリカ系とは交雑していないようだ.おそらく欧州が発祥でそこから東回りで東アジアに,南回りでイラクあたりまで広がったと見られる.
  • 復元の歴史:当初は原始的なイメージが先行した復元が多かったが,1980年以降は様々な角度からより現実性のある復元が試みられている.
  • 生態:北部集団と南部集団には違いがある.北部ではより移動し大型の獲物を狩猟していたが,南部では植物や小動物の比率が高い.
  • 文化:ムスティリアンと呼ばれる様式.石器製作にあたりルヴァロワと呼ばれる方式で反復的に薄片を得ていた.また石器はいくつかの形に分類できる.貝殻に穴を開けたもの,ビーズのようなものも出土しており,装飾に使われた可能性がある.そのほか猛禽の爪に幾何学的な模様が書かれたように見えるものも出土している.
  • 遺跡:イスラエルのいくつかの遺跡では最も下のD層(250〜140千年)からルヴァロワを用いた石器が出土している.おそらくネアンデルタールのものだが骨は出ていない.その上のC層(140〜90千年)からはサピエンスの遺物が,さらに上のB層(80〜50千年)からはネアンデルタールの埋葬あとが出ている.ネアンデルタール遺跡から穴あき貝殻,オーカーなども見つかる.イラクの遺跡では歯が水平にすり減ったネアンデルタールの頭骨が出土しているが,これが何故かについては論争中である.
  • サピエンスとの競合:ヨーロッパではサピエンスが東からおそらく3波に分かれて進出し,ネアンデルタールは北ヨーロッパとスペインに二分されていく.
  • 消滅:消滅にいたる過程については論争があるが,ネアンデルタールはより豊かでない環境に追いやられており,それだけでも出産間隔が延びて個体群が維持できなくなった可能性がある.


考古学の立場からわかっていることを流れるように説明した講演だった,提示されるスライドも見事だった.



マーク W. フェルドマン 「ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの文化的ニッチ」


演題はネアンデルタール人に関連するかのごとくにつけられているが,実際には完全に抽象的な文化進化モデルの説明だった.世代に関して垂直,水平,斜めの学習伝達を考え,世代間の動態を行列式によりシミュレートし,ハンティング,食糧分配,ティーチングなどの協力行動が進化できるかを見るというもの.
ゆっくりと前提条件とか数式を吟味できない講演会でスライドをどんどん進めてもなかなか理解は難しい.特に聴衆はネアンデルタール人について興味を持って集まった人たちだったので,協力行動の進化についての前提知識がない人も多く,ほとんど理解されなかったのではないだろうか.
結論は当然ながら前提条件によっては進化可能ということだった.しかし(スライドの説明だけなので私もモデルをきちんと理解できてないが)例えばティーチングのコストの問題やただ乗り(教わるだけ教わって自分はコストのあるティーチングをしない)の問題についてきちんと考慮しているようには思えなかった.(Q&Aでこの点の質問があったが,それに対しては「教えた人にコストがあっても弟子が獲物をくれるなどのメリットがあるだろう」というナイーブな回答だった)


交代劇に関しては,サピエンスの学習能力のメリットがティーチングの協力を可能にしたことだとつなげたいようだが,無理にこのようなモデルを使わなくてもいいのではないかというのが私の印象だ.ピンカーの主張を読んで以来,どうも文化進化のナイーブな主張には懐疑的になってしまう.



スティーヴン J. マイズン*2 「ネアンデルタール人の認知能力はホモ・サピエンスと同じだったか」


ネアンデルタールとサピエンスの認知能力を考古物から探っていった結果という主題.
過去のネアンデルタール人の復元は復元者の価値観が表に現れたようなものが多かった.しかし入手できる情報を総合してをよく分析すると価値とは独立したサピエンスとの違いを見ることができる.具体的には考古物や化石について,比較心理学,社会人類学,神経科学,遺伝学,進化心理学,発達心理学,心の理論などの知見を利用する.
すると次の2つの相反した事実が浮かび上がる.


<サピエンスとの違いが小さいと思われる事由>

  1. 共通祖先からはつい最近(50万年前頃)に分岐している
  2. 交雑した形跡がある
  3. 脳容積は同程度
  4. 喉の構造も大きな違いはない*3
  5. かなり複雑な石器のテクノロジーを使っている(ルヴァロワ方式)
  6. 社会も複雑だった(弱者のケア:心の理論や共感の示唆)
  7. 狩猟技術も協力,信頼の存在を示唆


<サピエンスとの違いが大きいと思われる事由>

  1. 文化が一様:30万年間変わっていない.氷河期と間氷期が交替するかなり厳しい環境にいたが大きな技術革新は見られない.特に115〜130千年前の間氷期にも不変だったのはサピエンスと比べる対照的
  2. サピエンスと交替している:約5万年という極めて短い時間の間に入れ替わっている.
  3. シンボルの欠如


ここでこの「ネアンデルタール人にシンボルが欠如している」という主張について反論批判が多いことについて詳しく取り上げる.


まずシンボルの意味,これは恣意的なサインであり,(動物の存在についての)足跡などのインデックス,(火の存在についての)煙というアイコンとは異なる.そしてサピエンスの特徴は文化のほとんど全てのものがシンボルと結びついていることだ.


そしてネアンデルタール人にもシンボルがあったという主張は多いが,それらは全て怪しい.

  • シャテルペロニアン様式とされるペンダントやビーズ:まずこれらの文化の担い手が本当にネアンデルタール人だったかどうかもまだ確定しているとは言えない.発掘の際の層の乱れだったかもしれない.さらにネアンデルタールのものだったとしても単にサピエンスのもののコピーだったかもしれない.なお論争中だがマイズンとしてはこれはネアンデルタール人が作ったとは考えていない.
  • スペインで発掘された穴あきの貝:自然に穴の開いた貝を集めたものかもしれない.少なくとも糸を通した証拠は無い.マイズンとしてはシンボルの証拠としては弱すぎるという考え.
  • 骨や石につけられた十字や何かの記号に見える傷:証拠としては弱すぎる.同じ模様が複数のものにつけられている例はない.
  • 埋葬:これも長い論争中.本当に意図的に埋葬したかどうか怪しいし,少なくともシンボルとしての根拠はない.
  • 色素のピグメント(貝殻の中の色素やオーカーのかたまり)がボディペインティングの証拠と主張される:確かに面白いが,色をつけたこととシンボルは別.例えば口紅はアイコンに過ぎない.儀式があったこととシンボルも同一ではない.


そしてこの矛盾する2つの事由を統合的に解釈できるのは「ネアンデルタール人の認知はドメインスペシフィックだったが,サピエンスの認知は流動性を持つことができた」という理解だ.具体的にいうとサピエンスは技術ドメインの認知と社会ドメインの認知と自然史ドメインの認知を組み合わせることができた.だから家畜栽培化や装飾が可能になったのだ.特に言語は語彙,文法と音律が組み合わさったもので,感情や絆を表すことができる.


基本は『心の先史時代』『歌うネアンデルタール』における主張を要約したものだった.途中のネアンデルタールにもシンボルがあったのかのところが非常に詳しく解説されていて,論争中のトピックにふさわしく面白かった.



クリストフ P. E. ツオリコファー 「ネアンデルタール人の脳を復元する」


化石からネアンデルタール人の脳の形状を復元してみたという講演.頭蓋からまずそのエンドキャストが作れる.しかし脳の形状とはなお差異があるので,現生人類のCTやMRIのデータを使って脳の形状を推定するというもの.
形状から機能を推定するのは(機能はネットワークにのっているので)難しいが,それでも様々なことがわかる.また新生児や幼個体のデータを使って脳の発達の様子を推定することができた.
形態的な違いで面白いのはネアンデルタールの方が顔の部分が大きいことで,出産時の骨盤を通る限界もネアンデルタールでは脳の大きさとともに顔のところがネックになっているらしい.


形状から交替劇の真相に迫るのは難しいのではという印象だったが,それでもいろいろなことがわかって面白い.冷静な講演振りも印象的だった.


以上で講演会は終了だ.会場はほぼ満員の盛況でいろいろな話が聞けて面白かった.もっとも結局先史考古学者と認知考古学者の意見は真っ向から対立し,数理生物学者の話はあさっての方向で,脳構造からもあまり多くのことがわかりそうでもないというのが私のおおむねの感想で,この仮説の線にしたがって交替劇の真相を検証するのは遙か彼方という印象だ.これからの進展に期待するということだろう.





関連書籍


マイズンの本.「歌うネアンデルタール」についての私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060716


心の先史時代

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歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化

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*1:実はこの日すぐそばの神保町では昆虫大学があってどちらに参加するか悩ましかったのだが,結局ネアンデルタールの方に参加したものだ

*2:「ミズン」と表記されることが多い(この講演会のプログラム上も「ミズン」表記になっている)が,実際にはマイズンと発音されるようだ.司会の西秋良宏も「マイズン」と発音して紹介していた

*3:かつては「ある」という議論があったが,性差まで含めると実際にはネアンデルタール人の男性の喉はサピエンスの男性と女性の間にあるということで現在は「おおむねない」という理解でいいそうだ