「The Better Angels of Our Nature」 第9章 より善き天使 その6  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


4人目の天使「理性」.理性の向上により非暴力の適用範囲は増える.そしてヒトはこれにより長い平和,新しい平和,そして権利革命を可能にしたのか?


ピンカーはこの理性による非暴力適用範囲の広がりに関連して,一般知性とフリン効果を詳しく取り上げている.ピンカーの議論は以下のようなものだ.

  • ウルトラ左翼もおばか右翼も一般知性の存在を否定するが,これは実際に計測できて,学校や社会での成功を予測できる
  • ではフリン効果とは何か.
  • まずそれはテストに慣れたわけではない.知識が増えたわけでも,算数や国語の早期教育でもない.なぜならフリン効果の大きな部分は,推論,類似比較,アナロジー,図形的マトリックスであらわれているからだ.
  • これは非常に驚くべき効果だ.なぜならこれは一般知性 g が上がっているように見えるからだ.そして個別の領域的な知性はトレードオフの関係にあるのではなく,正に相関している.神経的な特徴とも関連する(スピード,大きさ,灰白質の厚みなど)
  • またgには遺伝率があり,家庭環境にはほとんど依存しない.そして数十年の単位でこのような遺伝的な進化が生じるはずはない.
  • つまりフリン効果は家庭以外の環境依存であり,さらに栄養状態とも,健康状態とも,近親婚とも関連がない.


ではピンカーはフリン効果をどう説明するのか,それは認知的な環境の変化によるというのがピンカーの説明になる.

  • フリン効果を細かくみると,推論,類似,カテゴリーなどに関わっている.
  • これは「犬とうさぎの共通点は」という問題を考えるとわかる.1900年ごろの人は,「犬はうさぎを追う」ぐらいのことしか興味がなかったのだ.彼らは自分の経験に寄りかかり,場所と時間,役に立つか,コントロールできるかに関心があった.抽象的なカテゴリーとか,仮定の質問には答える意味がなかった.そしてIQテストは抽象的なフォーマルなロジックを要求しているのだ.
  • その認知的環境変化の要因は何か.明らかなのは学校だ.人々はより多くの割合の人が,より長く学校に通うようになった.そしてその内容もより抽象的なロジックを要求するようになっている.(単なる音読→内容の理解,州都の記憶→問題解決のロジックに)職場でも,余暇でもそれが要求されるようになっていく.(ホワイトカラーの記号操作,ゲーム,読書,抽象的な単語を交えた会話)


非暴力の適用範囲の拡大は「理性は自分の経験から離れて抽象的に考えることにより非暴力の道徳につながる」ということで説明できる.そして自分の経験から離れて抽象的に考えることによりIQは上昇してきた.では「フリン効果で,長い平和,新しい平和,権利革命を説明できるだろうか.あるいはモラル的なフリン効果はあったのだろうか」というのがピンカーの次の議論になる.


ピンカーはそれは直感的にはYESだろうとまず答えている.

  • 「自分がある朝黒人になったら」と考えられるかどうかは非暴力の適用範囲拡大に効きそうだ.
  • 暴力の合目的的に抑止するための「比率」の概念の理解も重要に思える(より推論好きな人の方が,厳罰を求めないというリサーチがある)


予想をしたあとで,実証の前にフリン効果のサニティチェックが始まるのが面白い.


(1)本当に人は賢くなりうるのか

  • フリン自身文化のルネサンスを過大評価しているようだとコメントしている
  • しかし文化はともかく,科学と技術においてルネサンスはあった.宇宙論量子論,地学,遺伝学,進化生物学,分子生物学神経科学,人工の身体パーツ,ゲノムスキャン,宇宙の写真
  • これらは理性のリープをもたらしうるだろう.現代は途方もない脳のパワーの時代なのだ.人々はそれを可能にするアイデアの詳細には注意を払わない,そしてモラルの進歩にも注意を払わない傾向がある.

(2)少し前の人は道徳的に劣っていたか

  • 私はYESと答えられると思う.彼らは正常できちんとしていた人たちだが,そのモラルは原始的だ.ちょうど当時の医療水準を見るようなものだ.
  • 当時の多くの信念は,恐ろしいだけでなく馬鹿げているし,信念同士は矛盾し,狭い領域しか捉えていない.100年前の偉人たちの一部は戦争を賛美し,第一次世界大戦を求めていたのだ.(例)セオドア・ルーズベルトアメリカインディアンの殲滅を正当化,ウッドロー・ウィルソンプリンストンや政府から黒人を排斥,フランクリン・ルーズベルト日系人の収容キャンプ,チャーチルアーリア人の栄光をたたえ,インド人を野蛮だとコキおろした
  • このバカさ加減は政治家に限らない.「法律」:人種分離,男性による女性の抑圧の正当化,同性愛を犯罪と規定,「文筆家」:ジェノサイドの被害者への軽蔑,ナチ,ファシズム共産主義を賛美
  • 今日の子供達はすべての人種は同じだと教えられる.そして抽象的な概念を心の道具として使うように訓練される「人権,言論の自由,非暴力,人種差別,ジェノサイド,戦争犯罪」これらはまさにIQの上昇の要素と同じものだ.


この(2)の記述はなかなか思い切ったものだ.しかし道徳の水準は確かに変わってきており,それは現代から見れば昔の道徳観は単に違っていたのではなく劣っていたといっていいものだ(そして世の中は良くなる方向に進んでいる)というのがピンカーの主張の基礎なのだろう.


次は実証になる.「フリン効果で,長い平和,新しい平和,権利革命を説明できるだろうか.本当に理性により暴力は減ったのか」
ピンカーは最初に誤解されやすいところを明確化している

  • モラル向上に必要な理性は,生の脳の能力としての知性ではない,それと相関はするが,抽象的推論能力だ.だからこれは獲得されるもので,遺伝しなくても良い.本書の議論では環境的なものだという前提で進める
  • この仮説は理性の影響についてであって,インテリ層の影響ではない.彼らはイデオロギーを作り大きなる悲劇の元も作っている.


そして推論能力とモラルのリンクを7つあげている.


(1)知性と暴力犯罪

  • 賢い人は暴力犯罪を行わない傾向にあり,被害者にもなりにくい.
  • 因果の仕組みは難しい.しかし悪いと思うのか,より自制できるのかは知性と相関しうる


(2)知性と協力

  • 囚人ジレンマゲームにおける最近の二つのリサーチ
  1. 展開型で,初手C,後手でCにC,DにDを返す割合は(他の条件を調整すると)知性に相関する
  2. 繰り返し囚人ジレンマ実験のメタリサーチ,行われた大学のSATとCの比率が相関する.


(3)知性とリベラル
ピンカーは最初に「知性とリベラルの相関」の主張は政治的に微妙な主張であり,保守は怒りまくるだろうと指摘し,いくつか議論を明確化している

  • まず知性は社会クラスと相関があるので,単にアッパーミドルの価値観が出ているだけかもしれない
  • 次にここで問題にしているのは「古典的リベラル」:自律,個人の厚生>共同体,権威,伝統という考えかた.古典的リベラルは視点の転換の上に立っているものだとすれば,それが知性につながってもおかしくない.
  • そしてそれ以外のイデオロギーポピュリズム社会主義,政治的正しさ,アイデンティティの政治,グリーン)とは相関する必然性はない.実際古典的リベラリズムは,リバタリアンの主張の一部,反政治的正しさと親和的だ
  • リサーチその1 サトシ・カナザワ:2000人のデータ,他の条件を調整すると,保守かリベラルかの回答をみると平均して保守94.8, リベラル106.4.そしてそれは特に古典的リベラリズムと相関.政府は所得再配分の義務を負うについては知性が高いほど支持しない.
  • リサーチその2 イアン・ディアリー:10歳の時のIQと大人になった時の政治的態度を追跡.IQが高いほど,反人種差別的,女性の社会進出に賛成
  • 知性と古典的リベラルは相関するようだ.


(4)知性と経済リテラシー
ピンカーは,今度は左翼が怒る番だと書いてから議論を始めている.

  • 賢いほど経済学的に考えることが報告されている.より移民排斥,保護主義,政府の介入に反対し,自由市場,自由貿易に賛成する.

もちろんこれは直接暴力とは関係ない.しかしプラスサムの認識,協力のネットワークを通じて歴史的には平和への原動力の一つになった-のだ.

  • そして知性が低いほど物事をゼロサム的に捉える.経済学的無知は民族間,階級間の紛争を増やす(あいつらから奪いとれ)


(5)民主主義

  • 交易と並んで民主主義は暴力減少に効く
  • なぜ世界に民主主義が根付くところとそうでないところがあるのかは政治学の難問だった.(なぜ旧ソ連の中でもヨーロッパと中央アジアで異なるのか,イラクやアフガンは?)多くの要素が互いに相関するので要因を特定しにくいのだ.
  • 識字と教育が要因ではないかという仮説が有力だ.ここでいう教育とは単に字が読め,地名を覚えていることではない.リーダーや政策の評価,別の文化,別の人たちの存在の認識,そのような視点を持つ人たちによる文明の一員であるという認識.そしてこれらについては抽象的な推論能力が重要だろう.
  • リサーチ リンデーマン:60年代,70年代における教育等の要因と90年代の民主主義の相関を分析した.結果は知性は教育に効き,そして民主主義に効くというものだった.(富は効かない)そして民主主義においては政府の暴力が低く,対外戦争を好まず,内戦も少ないのだ.


(6)教育と内戦

  • リサーチ クレイトン・ザイン:160カ国,49の内戦で教育の4つの指標(対GDPの教育費,就学率,高等教育の比率,識字率)と翌年の内戦の関係を調べた.指標が1標準偏差上昇すると内戦は73%減少した
  • ザインは,おそらく争いを平和的に解決するようになる効果と,就業率が上がり乱暴者が減るのと両方の効果があるのだろうと言っている.


(7)政治論争の洗練
ピンカーは「近年のアメリカではこれは地に落ちつつある」とコメントしてから始めている.

  • リサーチその1 スローチ:スピーチにおける一貫した複雑性指標を作った.(絶対,必ず,永遠になどという用語を使わない,二つの見方を提示,そのリンクも提示など)これは書き手の知性と相関するが同じものではない.ただしアメリカ大統領ではこの指標と知性はよく相関する.そしてこの指標は暴力とも相関する.また戦争との関係を分析すると指標が下がっていくと戦争に直面しやすいことがわかった.
  • 解釈は難しい,単純になって戦争になるのか,戦争を決めたから物言いが単純になるのか


ではこの一貫性のある複雑性指標の増大はフリン効果によるものか?

  • リサーチその2 ロセリーノとフェイガン:1916〜32と1970〜1993の議会証言とそのプレスカバーをフリートレードや人権にかかる29のとピックで検証.結果はうち28で複雑性が上昇.(例外は女性の社会進出)
  • ただし一つのアリーナではそれは逆行しているようだ.それは大統領選ディベート.分析によると全体では1992から2008にかけて単純化.経済的問題については1984以降単純化
  • おそらくこれは選挙ストラテジストの洗練のため.選挙終盤で態度を決めていないのは情報が少なくワンライナーを好む人たち,だから「下を狙え」とアドバイスするのだ


ピンカーは,「もしかしたらこのアメリカの政治過程の弱点が,平和が進む中での直近の二つの戦争を説明できるのかもしれない」と辛辣にコメントしている.この(3)(4)や(7)の指摘は最近の日本の政治状況にも当てはまるように感じられ,なかなか背筋が寒くなる気分にさせられる.
ともあれ,ピンカーはこれで理性の非暴力化効果を示せたとし,「より善き天使」の議論を次のように結んでいる.

理性の平和効果は,一旦文明がある程度進んだのちに,さらに平和に向かうことのできる最大の要素だ.他の天使はヒトの進化と共に常にあった.それでも戦争,奴隷,女性の抑圧などの暴力を大きく下げることはできなかった.それらは領域が限られているのだ

  • 共感:確かに広がるが,それは,血縁,友人,類似,可愛らしさが必要で,センチメンタルに大きく影響される.
  • 自制:そもそも自分が行おうとしていた暴力だけしか止められない.そして人生にはやるべき時もあるのだ.それがいつかを教えてくれるのは理性だけだ.
  • モラルセンス:部族,権威,清純にもよっている.そしてそうではない最大多数の最大利益,合理的法精神を教えてくれるのは理性だけ

理性はオープンエンドの組み合わせシステムだ.だから無限に新しいアイデアを生み出せる.自分の利益と他者とのコミュニケーションから他者のリスペクトも引き出せるのだ.また間違いを認め改善することもできる


アダムスミスの「道徳感情の理論」には,百万人の(見知らぬ)中国人の死亡と,自分の小指の喪失ではどちらが気になるかという議論がある.感情的には後者の方に大きく揺すぶられる.しかしもし選択を問われたら,ほとんどの人は小指を犠牲にするだろう.それは自己防衛の衝動より,理性,原則,良心の方が強いからだ.


以上がピンカーの理性の効果の議論だ.長い平和,新しい平和,権利革命は短い時間の中で生じているために,何らかの文化的な要因が疑われるところだ.ピンカーはその辺のリベラルが好みそうな文化的な現象には飛びつかずに『理性』を持ち出し,人々はより抽象的に考えられるようになりモラルが向上したのだと主張している.私はこれは説得的だと思う.


そして「より善き天使」の説明もこれで完了だ.最後に最終章が残っている.