「文明は暴力を超えられるか」

文明は暴力を超えられるか

文明は暴力を超えられるか



本書は西洋法制史家の山内進による中世から21世紀にかけての西洋の「正戦」概念にかかる論文やエッセイを集めて出版したもの.というわけで書き下したものではなく,内容に一部に重複はあるのだが,著者の問題意識,姿勢は一貫しており,サブテーマごとに2本から4本の論文,エッセイが並んでいて通して読んで違和感は無いようになっている.


最初のテーマは十字軍.
まずは十字軍の始まりとほぼ同じくして成立したキリスト教の聖俗分離革命が考察される.ゲルマンの多神教の世界にキリスト教が入っていった様子をワーグナーのローエングリーンの魔女オルトルート*1を引いて説明しているところは面白い.著者はこれは前ヨーロッパ的な心的,政治的,法的構造の破壊であり,その後の聖職叙任権闘争,ローマ法と教会法の躍進,世俗権力の集権化に道を開いたと評価している.
続いて初期十字軍の「聖戦」の論理をみる.それは異教徒による「聖地」の「汚染」の「浄化」であり,参加を誓約する者には贖罪が与えられる.(これは後に誓約を反故にする際に代償を支払うという制度になり,最終的に贖宥状を金で売るということになり,宗教改革につながる)著者は,とはいえ実際に現地では「浄化」は徹底されたわけではないことを指摘している.
次にパレスティナへの聖地回復十字軍が,キリスト教支配地域の拡大を目指す「北の十字軍」*2につながる経緯を考察する.当初は元々ローマ帝国にあった聖地を奪われたことの回復で「防衛戦争」だったのだが,キリストのために悪行者を倒すことは正しいという論理に拡大され,後に「改宗か根絶か」の戦いに変化する.


第2部は異教徒の権利と正戦がテーマになる.
まず13世紀以降のローマ教会の異教徒の扱いについて考察する.彼らはすべての異教徒の権利を否定し,ただ根絶しようとしたわけではない.
13世紀前半の教皇インノケンティウス4世は,過去キリスト教世界に属していた土地の回復のための戦争は「聖戦」と認めた.しかしそうでない異教徒の占有する土地についての侵略戦争は否定した*3.ただし彼は「キリスト教の神は全世界の命令権と裁治権を有しているのであり,自然法を犯した異教徒,宣教を妨害した異教徒への攻撃は正当化できる」とした*4.というわけで実体的には骨抜きなのだがロジックとしては異教徒の権利を認めるものになっている.著者はこのロジックはすぐにキリスト教世界全体で受け入れられたわけではないが,後に教会の正式な見解になり,最終的には16世紀の国際法学者にも影響を与えたと評価している.15世紀には異教徒の権利をめぐって公会議が開かれる.ドイツ騎士団(当然異教徒の権利は全否定する)と当時異教徒であったリトアニアと連合してドイツ騎士団に敵対したポーランドが異教徒の権利をめぐって争ったのだ.著者は両方の議論を丁寧に紹介している.この会議では玉虫色の結論しか出なかったが,その後異教徒の権利をすべて否定する考えは下火になった.大航海時代以降の西洋列強による世界各地の征服は,異教徒の自然法違反を表面上の理由としている.

そして近世に入り,正しい戦争の概念は「聖戦」から「正戦」に移る.戦争に正しいものと正しくないものがあるという思想は西洋に限るものではないし,西洋においてもキリスト教以前のアリストテレスキケロから始まる.著者はそこから始め,アウグスティヌストマス・アクィナス,スコラ哲学,人文主義的初期国際法学の「正戦」概念をみていく.基本的には正当な権威,正当な理由,正当な意図が問題にされる.グロティウスは正当原因として防衛,回復,刑罰をあげている.この最後の刑罰は自然法違反をとがめるものという考え方であり,文明は野蛮を攻撃できるという考え方につながる.啓蒙主義は野蛮に対しては同じ考え方をとり,ヨーロッパ内では文明を共有するものとしての節度を求めた.

しかし18世紀以降は主権の絶対性が強調されるようになり,実証法学は,ヨーロッパ内での戦争は単なる紛争解決手段だと捉え,正戦は正当な権威のみを条件とするとした.主権国家は正当な手続きさえ踏めば,理由のいかんを問わず自由に戦争を仕掛けることができると考えられたのだ.そして人類は二度の世界大戦を経験し,第二次世界大戦後,正戦概念はまた大きく展開することになる.



第3部はアメリカの正戦思想が取り扱われる.

著者はアメリカを考えるにあたってホッブスから始める.ホッブスの言う自然状態はそのままフロンティアの現実だった.そこで植民者は,ロックによる「住民は土地をただ占有しているだけでは権利はなく,それに資本投下して経済的に利用して初めて保護されるのだ」という論理を元にフロンティアを西進させる.

そのような植民地時代のアメリカは,ヨーロッパ中世的な側面をもち暴力的で宗教的だ.そして文明の西への移動,宗教の西への移動,アメリカこそ正統なローマ帝国の後継者だという認識が生まれる.これはアメリカには神の使命があるのだという認識につながり,二つの世界大戦時に,ネオグロティウス的な「侵略戦争を罰するための正戦」という正戦概念を為政者が採用することになる*5.この思想はニュルンベルク裁判,東京裁判において顕著に現れている.著者はこの新正戦論はアメリカ的干渉主義と2度の世界大戦において幸福ともいえる結合関係を保ってきたと評価しつつ,ベトナム戦争以降の現状について様々な議論を紹介している.



第4部は文明というテーマが取り扱われる.

最初に西洋文明の基層をみる.中世ヨーロッパはきわめて暴力的な世界だった.掠奪は一つの経済行為であり,フェーデ(私闘)は正当な行為として認められていた.著者は様々な具体的なエピソードをあげて中世西洋の暴力性を強調している.このあたりはピンカーを読んでいるとよくわかるところだ.

この暴力的世界がどのように非暴力的になっていったのか,著者は3段階だと捉えている.

  1. 11世紀から15世紀:聖職叙任権闘争により聖俗分離がなされ権力が世俗化した.ゲルマン的に神性を帯びていた国王は世俗化した.世俗権力は合理化,官僚化を進め,ローマ法,教会法による法の支配により私戦的暴力の規制の強化を試み始めた.片方で教会はより平和を呼びかけるようになった.
  2. 16世紀から18世紀:世俗化した権力が集権化し,この時期に人々の行動様式も規律化,文明化する.著者は宗教改革以降教会の政治的な影響力が低下したことを指摘した後,非暴力化の過程を新ストア派のリプシウスの思想からみていく.リプシウスは,世俗権力による効率的な統治のためにどうすればよいかという問題意識から古代ローマを研究し,ストア派的な価値観を認め,権威,節度,堅忍,規律が重要と説いたのだ.片方でエリアスを引用しつつ,人々の行動特性の理性的抑制的な方向への変化を文明化が生じたと説明している.
  3. フランス革命以降:3権分立と,国家による暴力の独占が生じる,これにより効率的な警察が生まれ,片方で文明化がさらに進み,市民社会は平和化する.

このあたりはピンカーの「文明化プロセス」の解説と比較すると面白い.両者ともノルベルト・エリアスの影響を深く受けているが,少しずつ切り口が異なっている.ピンカーはこれ全体を一つにまとめ,権力の集権化と暴力の独占により文明化プロセスが生じたとし,むしろ地域差や,アメリカの状況の解説に焦点を当てているが,本書の著者は法制史家らしく聖職叙任権闘争,宗教革命,新ストア派哲学の思想面にフォーカスしている.(おそらくそのためにあえて規律化と文明化を分けて議論しているように思える)

著者はここで止まらずに,この「国家による暴力の独占」は主権国家による暴力を止めるものはないという状況を生む結果となり,2度の世界大戦,21世紀のアメリカの「正戦」につながっていることも指摘している.

次に明治期の日本がそう信じたように,国際法がヨーロッパ文明クラブメンバー内の法というものだったかというテーマが取り上げられ,当初より非キリスト教圏を含む自然法として考えられていたと主張する小論が掲載されている.

最後の論文はちょっと特殊なもので,第一次大戦後の日本における国際法論争を紹介しながら,ウィルソンの理想主義を額面通りに信じず主権国家の行動の自由から功利主義的に考えた福田の立場と,その理想主義に世界の大勢をみた姉崎の立場を説明し,後者にやや共感的に論じている.



本書では,法思想が平和のために何ができるかという問題意識を背景にもち,境界と共存をキーワードにし,ヨーロッパにおいての正戦概念,自分とは異なる信仰を持つものとの共存を認めるかに関する考え方の変遷を扱っている.そして「狂気のような十字軍の時代にも共存の思想はあり,(実際には抜け穴だらけで戦争の抑制にはあまり役立たなかったが)「聖戦」「正戦」という概念を構成した.それは主権の絶対性から一旦影を潜めたが,2度の世界大戦という悲惨な経験を経て(アメリカに流れていた伏流が表に現れるように)復活している」と結論づけている.私たちは現在その希望と危うさに直面しているということなのだろう.

考察は様々なテキストを読み込むことによってなされ,(文明化プロセスにおいて殺人率の変化が扱われているほかは)扱われた思想が実際にどのように社会に影響を与えたかの定量的な分析はなく,検証のあり方として物足りなさは残る.しかし実際に十字軍やイラク侵攻は起こっているのであり,法制史という学問フレームからはそれ以上は難しいのだろう.それでも細部はいろいろと面白く,中世西洋の歴史のうねりを感じさせてくれる本に仕上がっている.ピンカーの副読本として異なる角度から西洋中世を眺めることができてなかなか面白い読書となった.



関連書籍



山内進の若いときの作品.私が西洋中世の暴力性について始めて読んだのはこの本だった.この本ではさらにその暴力の背後にある法規範意識を掘り下げて考察している.





 

*1:気取った現代ヨーロッパ風の演出では,エルザとローエングリーンは勃興する野蛮な文化の象徴で,オルトルートは没落しつつある文明の最後の残滓のように描かれたりするところだ

*2:バルト十字軍とも呼ばれる.ローマ教皇のお墨付きを得たドイツ騎士団が中心となり,東欧,バルト海沿いに征服を進めたとされる.

*3:インノケンティウス4世はドイツ騎士団などの北の十字軍にはたびたび自重を促しているそうだ

*4:なおこの自然法違反は,人食や生け贄だけでなく,同性愛,一夫多妻,偶像崇拝も含まれるものであったことには注意が必要だ

*5:これはアメリカの国際法学界ではあくまで少数派だったそうだ