「ファスト&スロー」

ファスト&スロー (上): あなたの意思はどのように決まるか?

ファスト&スロー (上): あなたの意思はどのように決まるか?

ファスト&スロー (下): あなたの意思はどのように決まるか?

ファスト&スロー (下): あなたの意思はどのように決まるか?



本書はヒトの心の二重過程(そしてそのために生じる様々な認知的なバイアス)や効用評価にかかるプロスペクト理論で有名なダニエル・カーネマンによる一般向けの啓蒙書である.心の二重過程にかかるバイアスは発表以来すでに40年近く,プロスペクト理論も30年近く経過している.これらの研究はその後行動経済学の理論的支柱になり,カーネマンがノーベル経済学賞を受賞したこともあって大変有名になり,多くの解説書や啓蒙書がでている.そのような中で,本書は大御所自身による本ということで注目に値するものだ.内容的には基本的に二重過程とバイアス,そしてプロスペクト理論の解説が柱になっているが,それだけではなくその今日的な展開や課題,さらに新しい話題も扱い.全体で5部構成となっている.


第1部は心の二重性について


カーネマンは心の働きについて,「努力なく自動的に起動し素早く計算し,なぜそうなるのかを意識的に理解できないシステム1と呼ばれる過程」と「努力を要し意識的にゆっくり考えるシステム2と呼ばれる過程」に大きく分かれるという解説フレームをとっている.*1
ここで面白いのは,システム2が起動しているかどうかは瞳孔の大きさで計測でき,ブドウ糖を与えるとその疲労を回復できるという指摘だ.またスタノヴィッチがシステム2についてさらに「複雑な計算を行う過程」と「怠けないという特性」と分けて考察していることを肯定的に評価している.このあたりは今後の展開が面白そうなところだ.
ここからはシステム1の特性を考察している.カーネマンはシステム1は,常時働き,とにかく素早くなにかを結びつける特性があると考え,それにより好き嫌い,正常と異常を瞬時に把握し,因果をでっち上げ,質問をすり替え,そこにある手がかりから結論に飛びつくのだと解説している.ここでは特に「常時働くこと」,「正常と異常の瞬時の把握」についてだけ,進化的に重要だったのだろうとも書いている.
それぞれの詳細はなかなか興味深いが,進化的な議論は中途半端で物足りない.カーネマンのここでの特性の解説は彼のいうシステム1のうち生得的な部分についてのものだろう.するとこれは進化心理学的にはいわゆる適応形質としてのモジュール群の性質ということになるだろう.であればそれぞれの特性は適応課題が異なる限りモジュールごとに異なっていると考えるべきだろう.「早期警戒システムとしての正常異常判断モジュール」はよりスピード重視でその場の手がかりだけからアラート方向にバイアスしたシグナルを出すだろう.また「報道官としての意識への理由付けモジュール」は単なる因果のでっち上げだけではなく自分が正しいことについての自己欺瞞へのバイアスを持つだろう.もちろんサブモジュールが共有されている可能性もあるから共通の特性もあるかもしれない.いずれにせよ考察はより細かくなされるべきではないだろうか.また進化的考察が断片的なのもいただけない.いったいそれ以外の特性についてカーネマンはどう考えているのだろうか?なぜそのようなデザインになっているかについてあまり関心がないということかもしれない.しかし進化的に考察するならそもそもなぜ二重性があるのかから始め,すべての特性について進化的に考察できるところだけに残念な感じだ.
なおここでカーネマンはエキスパートがドリルによって得る直感もシステム1とくくっている.確かに自動的な過程など似ている部分もある.しかし進化的に考えるならこれはやや異なるものを無理矢理まとめているように感じられる.


第2部はこのようなシステム1に関わるバイアスを取り上げる.


1974年のトヴェルスキーとの共著論文では,不確実性の判断において,ヒトはいくつかのヒューリスティックス(本書の用語ではシステム1)を用い,それにより代表性,利用可能性,アンカリングのバイアスを持つと主張されている.
本書ではより具体的な統計的な認知バイアスから始めている.ここでは自分自身統計を多用する学者でありながらサンプル数の重要性が真に理解できていなかった述懐などがあって面白い.
代表性バイアスについては標本数を評価できないこと,偶然を理解できないことをシステム1の特性(結論に飛びつくハロー効果,とにかく結びつける連想マシン)から説明する.
アンカリングについてはシステム1にかかるバイアス(プライミング)だけでなくシステム2の熟考型の思考にも関わるバイアスだと解説している.
利用可能性バイアスについてはシステム1の「質問の置き換え」に起因すると説明がある.これはデータの数や内容ではなく,容易に思い出せたかどうかだけを問題にする効果として現れる.なおここでカーネマンはこの「容易性」に別の理由付けを与えるとこの効果が薄れることを報告し,このバイアスにはシステム2も関わっていると書いている.なかなか複雑な現象のようで面白い.
ここからは応用編で,このようなバイアスの結果,マスメディアで大きくカバーされるような事故のリスク評価が過剰になること,基準率やベイズ推定でいう事前確率の無視が生じること,連言錯誤が生じること,平均への回帰が理解できないことなどを解説している.
この第二部の議論は,事実の主張について40年間に磨き上げられたロバストさがあり,またこれらの業績はそもそも人々の統計への認知の難しさという現象が探索の始まりであったという歴史的な回顧もあって,読んでいて楽しい.ただし残念ながら進化的な議論はほとんど登場しない.統計の認知にかかるバイアス,特に偶然が理解できず,事前確率を無視してしまうような心がなぜ淘汰されなかったのかはなかなか面白い問題だ.私の印象としては,「偶然性が理解できない」のは本質主義的な心を持ち因果をとにかく求める方がより危険回避等の適応課題の解決に役立ったから*2なのだろう.カーネマンは因果を求める心の特質について「とにかく結びつける」からだとしか説明できていないが,「因果を求め原因を探そうとする心」は適応的なデザインで,正しい統計的な理解能力とトレードオフになっているのではないだろうか.「事前確率の無視」の方はより説明が難しい.おそらく何らかのトレードオフの結果なのだろうが,謎というほかなさそうだ.


第3部は自信過剰を扱う.


これはカーネマンの説明フレームではシステム1の特性からくる心の性質の一つということになるのだろう.基本的には今そこにある事実からのみ推論する事から「自分の無知」について「無知」になってしまうこと,また何でも結びつけてその場のつじつまを合わせる因果推論を行うことから,そのようなつじつまのあった結論への自信過剰が生まれるという流れで説明している.そこで紹介されるエピソードはブラックスワン的な無知だったり,カーネマン自身も罠にはまってしまった他者の人物評価に関する自信過剰だったり,企業のトップマネジメントやファンドマネージャーたちの市場予測に関する何ら根拠のない自信*3だったり,プロジェクトの進行予測はことごとく楽観的であって,それに反する情報を得ても当事者はそれを無視してしまうもの*4(これもカーネマン自身が経験したエピソードが語られる)だったりして読んでいて面白い.
しかしこの部分も進化的な議論がなく,私のような読者には物足りないところだ.カーネマンの議論では,これはシステム1という心のデザインの性質上不可避な現象というだけになってしまう.しかしなぜそのようなデザインになっているのか,状況によって自信過剰が深かったり浅かったり個人差があるのはなぜかを考察するには,進化的な議論が欠かせないだろう.トリヴァースやクツバンの議論をふまえるならこの自信過剰は結局自己欺瞞の一環であり,そこにはより深い「他者の操作を巡るアームレース」という問題が潜んでいるということになるだろう.
なおカーネマンは「エキスパートがドリルによって身につける直感」についてもシステム1の一つとしてここで解説している*5.このような直感がうまく働くようになるには,規則性のある環境下で長期間のドリルを積み重ねることが条件になると主張している.
カーネマンは最後にこのような自信過剰に対処するのは非常に難しいこと(単に知識として一般的な自信過剰傾向を知っていても,自分がそれに当てはまるという風には感じない),片方で楽観的な方が人生を幸せに感じることができるらしいこと,また経済全体としてもこのような楽観的な企業家が冒険してくれるおかげで活性化されるものであることについてアンビバレントに語っている.このあたりはいろいろ考えた末のことらしく,なかなか味がある.


第4部は不確実性のある環境下での意思決定の問題,いわゆる「プロスペクト理論」を取り上げる.


プロスペクト理論とは,意思決定の基準になるヒトの効用の感じ方について以下を主張するものだ.

  • ヒトは効用についてある財産状態を評価対象とするのではなく参照点からの動きを評価対象とする.
  • 評価は非線形だ.確率に対しては0%近傍と100%近傍で動きに対して過敏であり,全体的に参照点からの大きさに対して限界効用は逓減する.
  • 参照点からの利益と損失に関して非対称に評価する.(損失回避傾向)

カーネマンはまずそれまでベルヌーイによる限界効用の対数的な逓減しか議論がなかったところから,実験による実証を通じてこのプロスペクト議論を作り上げた舞台裏を語り,そしてこれが経済主体の合理性というミクロ経済学の大前提を否定するものであるにも関わらず,主流の経済学が重大視しない理由を「プロスペクト理論の弱点」としてまとめている.このあたりは凡百の行動経済学解説本が,ただ「従来の経済学は間違っている」とわめくだけなのと違って,フェアでありかつ冷静で,さすがに大御所の貫禄といったところだ.カーネマンはこう整理する.

  • 確かに厳密にはこれはミクロ経済学の前提を覆している.しかし従来からのモデルは簡明で扱いやすく,かつ結論も近似として十分ワークする.(プロスペクト理論をモデルに入れ込もうとすると複雑で扱いにくくなるが,大きな結論はそれほど変わらない)
  • 「参照点」は常に「現状」とは限らない.それは揺れ動き,定義しにくく扱いにくい.
  • 落胆,後悔*6などプロスペクト理論では扱いきれない現象がなおある.そしてこれらを理論に組み込む努力はなされているが,多くの人に支持されるものは得られていない.

ここからカーネマンはプロスペクト理論で示されるような心が生み出す様々な現象を扱っている.保有効果,フレーミングの影響などだ.このあたりは最近のリサーチも含めた各論の印象が強くてなかなか読み物として面白い.いくつか興味深い記述もある.

  • 保有効果は熟練トレーダーになるとなくなる.
  • マグカップアメリカ人の学生には保有効果を生むが,イギリス人の学生には生まない.
  • 損失回避はモラル判断に影響を与える.同じ行為であっても損失回避目的と利益追求目的では非難の強度が異なる.
  • フレーミングにより参照点は簡単に動く.
  • フレームが狭くなればなるほど全体としての結果は非合理的になる.メンタルアカウンティングはまさにこの問題を生じさせ,株式投資における気質効果*7,サンクコストの誤謬,まれな危険に対する無視あるいは過剰反応(ゼロトーラレンス)の二者択一などをより頻繁に生じさせる.
  • よりシステム2が効きやすいフレーミング*8もある.

なおカーネマンはここでは損失回避傾向についてだけ進化的議論を試みている.カーネマンの議論を大まかに要約すると危険判断は適応度上非常に重要だったので「危険判断,回避」がシステム1の挙動に強く刻み込まれているという説明になるだろう.そうかもしれないが,モジュールごとの適応が非常に精妙にデザインされていることから見てあまり説得力はないように思う.むしろ餌などのリソースは,一般的に通常の生存繁殖への必要量に対して余剰なのか欠乏なのかが適応度に対してそもそも非対称になっていることを反映していると素直に考えた方がいいのではないだろうか.


最後の第5部は「二つの自己」と題し,自分の過去の幸福度を評価する(カーネマンはこれを「記憶する自己」と呼ぶ)と,それはその時点で感じた快楽度を積分したもの(これを「経験する自己」と呼ぶ)とずれることを扱っている.


これはカーネマンにとって不思議で受け入れがたく,かつ重要な問題だったようで,どのようにずれるのか(記憶する自己は,快楽や苦痛のピークと最後の平均を評点化し,その持続時間は問わない)なぜか(システム1が質問を置き換えてしまうから)何が問題か(政策として何を最大化させるべきかが問われる)などを考察している.しかし結局なぜ「質問の置き換え」が起動してしまうかについては答えられてはいない.
ここではカーネマンは進化的な議論を行っていないが,進化的に考えるなら,「経験する自己」はその時点での行動にかかる動機・報酬システムであり,「記憶する自己」は次回以降の行動にかかる動機・報酬システムだ.だからこの二つの自己は別の目的にかかる別モジュールで一致しなくても全く問題はない.さらにそもそも動機システムはその個体の包括適応度極大化のために進化したのであって個体の幸福のためにあるわけではないから,記憶する自己が快楽の積分値を極大化しようとすると期待する方がおかしいということになるだろう.もっともなぜこのようなアルゴリズムになっているのかは難しい.なかなか面白いところだろう.
政策的にどちらを優先させるかは,価値判断ということになるだろう.カーネマンは快楽の積分値を優先した方がよいと考えているようだが,事後ずっと記憶にどのようなものが残るのかを優先するというのは,(記憶をもつこと自体が苦痛や快楽であり得るのだから)功利的に全く意味がないとも言い切れないようにも思う.それに民主主義社会で投票で決めるなら,「記憶する自己」の圧勝ということになりそうだ.


最後にまとめがある.逆向きに本書の議論の流れを要約し,自分たちの研究が行動経済学につながり,現在サンスティーンがオバマ政権のナッジチームに加わりいくつかの成果が出ていること,システム1の望ましくない結果を避けるのは,単にこのようなシステムの特性を知っているだけでは非常に難しいが,危ない状況を認識することは可能なこと,組織としてはより対処しやすいことなどにふれている.


全体として,大御所の本ではありながら偉ぶるところがなく,40年間考え抜いてきたことを読者に伝えたいという意図がうまく実現されたわかりやすい本になっている.リサーチの始まりの経緯や自らの失敗談など読者をあきさせない工夫もあり読みやすい.トピックの取り上げ方はあまりシステマティックでなく,冗長さもあるが,それは心の理解の実状を物語っているということでもあるのだろう.進化的な議論が中途半端であるのはいただけないが,それは著者の専門性から見ればやむを得ないところだし,至近的なメカニズムの本として読めば内容は深い.語り口は率直でフェアであり好感が持てる.また最後に歴史的な論文も付録として載せられていてうれしいつくりだ.



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心の二重過程を扱った本はたくさんあるようだ.これはジョナサン・ハイトによるもの.ゾウと象使いという比喩は直感的にわかりやすい
私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120129

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*1:なおこのシステム1,システム2というのは架空のキャラクターで実在せず,説明の便宜のためだと何度も断り書きがある.なぜ実在性にこだわるのかはよくわからない.モジュール的に考えるならそれは神経ネットワークの性質として「実在」していると考えてもいいのではないだろうか.実在性を巡る哲学的な議論に巻き込まれるのを避けているのだろうか?

*2:因果を推定して問題を解決できるのにしないことによる(同種個体間で不利になる)コストは,偶然の出来事に因果を推計して効果のない行動をしてしまうコストに比べれば大きいということは十分ありそうだ

*3:カーネマンは本書において株式運用などのファンドマネージャーたちが市場平均に勝つ能力がないにもかかわらずそのように振る舞っていることについてファンドマネージャー側の自信過剰であり,業界全体が幻想の上に乗っていると示唆している.確かに個々のファンドマネージャー自己欺瞞的な自信過剰にあるのかもしれない.しかし彼らを雇用しているアセットマネージメント会社側はそのようなファンドマネージャーでも客が金を払ってくれさえするなら全く問題ないのだ.だからファンドマネージャーは,「自信たっぷりに振る舞って客の信頼を勝ち取り,失敗したときにうまく言い訳をでっち上げて客を納得させる能力」を買われていると考えるべきだろう.これは自己欺瞞が自己利益に効いているいい例ということになるのだろう.この場合自信過剰により経済的な問題を抱えているのは,自分は「市場に勝てるファンドマネージャーを選ぶ能力」を持つと考えている客の方だ.(なおアセットマネージメント会社側は微妙だ.ファンドの成績が高い方がビジネスとしてはより有利なので「有能なファンドマネージャーを見分ける能力がある」という自己欺瞞に陥っている可能性もあるが,「平均して市場に勝てるマネージャーなどいない」と割り切って自信過剰のマネージャーを選んでいるのかもしれない.)

*4:そしてゴールに延期できない期限があるとデスマーチということになる.

*5:内容的には自己欺瞞とはあまり関係がなさそうなので構成のねらいはよくわからない

*6:たとえば自分が選ばなかった選択肢をもし選んでいればどうなったかを気にする,それが後に明かされるかどうかで選択を変えることがある,など.これはこれでなかなか興味深い現象だ.

*7:なおカーネマンは気質効果による投資行動(値上がった株を売り,下がった株を持ち続ける)は市場平均を下回るパフォーマンスをもたらすばかげた行動だと主張し,税効果に加えて,直近で値上がりした株は値上がりし続ける傾向があるというアノマリーが安定的にあるからだと説明している.税効果の説明は正しいがモメンタム効果が安定的にあるという主張は間違っている(そのような効果が安定的にあれば世界中のファンドマネージャーは苦労しない).税前で市場平均に平均的に負ける理由としては取引コストを持ち出すべきだっただろう.頻繁に取り上げる割には株式市場のことは余りよくわかっていないようだ.

*8:カテゴリーの異なるものを比較させる等