「The World Until Yesterday」 第8章 ライオンやその他の危険 その2 

The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?

The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?


伝統社会におけるリスクマネジメント.彼等はリスクを類型化してそれぞれ対処方法を変えている.ダイアモンドは,自然環境の危険,人の暴力に続いて病気と食糧不足を扱う.


<病気>


これは伝統社会では人の暴力と死因のトップを争うものだ.
現代社会と異なり感染症が最大のリスクになり,その種類は場所により社会の態様により様々だ.先進国でも感染症が減少したのはここ200年のことで,公衆衛生,水道,病原体の知識,ワクチン,抗生物質のおかげだ.


ダイアモンドは狩猟採集社会と人口の多い定住社会の違いを解説している.

  • 狩猟採集社会で多いのはマラリアなどの節足動物媒介病,赤痢などの消化器系感染,呼吸器系感染,皮膚感染病だ.
  • これに対して人口の多い定住社会においてはジフテリア,麻疹,おたふく風邪,百日咳,風疹,天然痘チフスなどが問題となる.
  • これらの定住社会の病気は,ヒト特有で,人口密集するところで,大きなピークを持つ流行を伴い,継続的な感染源がない中で生じる.これらは人から人へ移り,全員が感染し死ぬか免疫を持つ形で流行が終わる.そして別の地方に飛び火して継続する.このような感染が保たれるには人口が多くないとだめなのだ.たとえば麻疹には数十万人以上が必要だ.これらの病気は家畜を経由して人に移り,そして人特有に適応する.だからこれらの病気は農業以降になる.(もちろん伝統社会の人間であってもこれらのクラウド感染症にかからないわけではない.伝統社会だけでは感染が持続しないというだけだ.だからファーストコンタクト以降壊滅的な感染が生じることがある.)
  • 伝統社会の病気は上記と逆の特徴を持つ.つまり病原体はヒト特有ではなく,サルなどの動物や土壌に潜伏しているものになる.そして流行がなく,ヒトからヒトの感染は少なく,生涯免疫を構成しない.

伝統社会の人々はこのような感染症にどう対処しているだろうか.ダイアモンドは以下のように指摘している.

  • 彼等は基本的に病気の真の原因について無知だ.だから効果的な対処は難しい.
  • そのような制限の中,いくつかの知見がないわけではない.(人糞と赤痢,あるいは鉤虫の関係,効果のある薬草があること)
  • そして様々な間違った理論が淘汰されずに残っている.迷信,運命論,魔術,女性の穢れ,道徳的理由付け・・・


ダイアモンドは指摘していないが,これはまさに知識の有無,そして科学の力の問題だろう.間違った因果理論の元ではリスクマネジメントは効果的にはできないのだ.


<飢饉>


ダイアモンドは冒頭で1913年のニューギニアの飢饉とそれによるある部族の餓死によるほぼ全滅の記録を紹介している.実際には餓死する前に病気にかかったり近隣部族に攻め込まれたりするので,餓死による全滅の記録はまれなのだそうだ.
しかし食糧不足や,特定栄養素の不足は伝統社会では深刻なリスクだった.ダイアモンドは,伝統社会の人々の食べ物への執着の逸話をその問題がいかに深刻だったかの傍証として紹介している.彼等にとって食糧はセックスより重大関心事でいつもそのことについて会話しているのだそうだ.狩猟採集社会では移動,腐敗,敵からの襲撃の問題があって貯蔵が難しいという事情を理解する必要があるのだ.


では具体的にはどのようにリスクが生じるのか


最初は予測不能なリスクについて

  • 日単位での狩りの成功不成功
  • エリア内での豊凶:吹雪が数日続く,果樹の豊凶,干ばつ,ゾウ,大雨,イナゴ,霜


これらに対して,狩りの成功不成功についてはグループ内での分配で,エリアの豊凶に対しては,キャンプの移動,食いだめで脂肪にする,近隣部族との相互扶助協定などで対処する.


ダイアモンドは対処としてもうひとつ生産手段の分散化をあげている.彼等は平均的な効率性を最大化させるよりも,最低限の収穫が一定以上であることの方にプライオリティをおいているのだ.具体例としては耕地を飛び飛びに離れた場所に持つことなどが紹介されている


次は予測可能なリスク

  • 収穫の季節性


これに対しては伝統社会も様々な対処を行っている.基本は貯蔵,食べ物の範囲を広げる,季節的な移動になる.

  • 貯蔵は通常の狩猟採集社会では難しいが例外的に可能な場合もある.アイヌや北米太平洋岸の定住狩猟採集社会では行われていたようだ.乾燥,塩漬け,冷凍,変わったところでは腐りやすいものをブタに食わせて太らせておくなど.
  • 厳しい時期にはまずいもの,少し毒のあるものにも手を出すということはよく見られる
  • 厳しい時期に集合して乗り切る.秋にナッツを集めて冬を過ごすなど.


<危険への反応>


ダイアモンドは最後にまとめをおいている.しかしここはあまり整理されていなくてやや肩すかし的だ.


まず私達のリスク管理が,死傷者の大きさに合わせた回避努力を行うようになっていない理由を列挙している

  1. 被害が測定困難であること,特に回避努力をしなかった場合の死傷者の推定は難しい
  2. メリットがあればリスクを取る方が合理的であること
  3. リスク認知にバイアスがあること.これによりテロや飛行機事故や原子力のリスクについて,自動車事故やタバコのそれより高く評価してしまう.
  4. リスクテイク傾向には個人差がある.一部の人はリスクを取りたがる
  5. 社会よってもリスクテイク傾向は異なる

そして現代社会も正しいリスクマネジメントができていないことを指摘して,いくつかの問いかけを行っているだけだ.


ここでは結局いろいろなところで言われている現代のリスクマネジメントの非一貫性を緩く指摘するのに止まっている.現代社会が建設的パラノイアを実践すべきことを列挙してくれるかと読んできたので,これでは物足りないというのが率直な感想だ.
基本的には上記の3番目のリスク認知のバイアスこそが問題なのだろう.そしてそれは伝統社会でも現代社会でもそれぞれに問題があり,より正確な情報が得られるにもかかわらず,バイアスに流されている現代の方がより非合理的に見えるという状況ではないかと思われる.