- 作者: Edward O. Wilson
- 出版社/メーカー: Liveright
- 発売日: 2012/04/02
- メディア: Kindle版
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本書はE. O. ウィルソンによるヒトの本性の進化的な理解に関する一般向けの啓蒙書である.ウィルソンは世界的なアリの権威であると同時に社会生物学論争の主役であり,ボコボコに批判されながらも「ヒトの理解に生物学を応用すべきだ」とごく初期から学問分野の統合を主張してきた硬骨漢だ.そういう意味では,これはウィルソンが学者人生を通じて関心を持ってきた大きなテーマについて書かれた本だということになる.
片方でこの本は,包括適応度理論を攻撃し,グループ淘汰を(ほとんど留保なしにナイーブに)主張する,主流の理解からみて異端の本であり,ドーキンスは本書の書評(http://richarddawkins.net/articles/646009-the-descent-of-edward-wilson)の最後で「これは力一杯投げ捨てるべき本だ.深い悲しみとともに」と結んでいる*1.
私自身のE. O. ウィルソンの本との関わりは「社会生物学」「人間の本性について」あたりから始まる.前者はとにかく膨大な統合の本で,これでもかこれでもかという量に圧倒されたし,後者は人間について生物学的に理解しようとするごく初期の試みで,進化心理学勃興を遙かに先駆ける本だった.そして「生命の多様性」「ナチュラリスト」「アリの自然誌」あたりからかなり彼のスタイルが好きになって翻訳を待ちきれずに原書で読むようになり,「Consilience」(知の挑戦)で衝撃を受けて,彼は私のインテレクチュアルヒーローの1人になった.それからは彼の一般向けの新刊を欠かさずに読んできたが,2010年にNowakとともに誤解に満ちあふれた包括適応度理論攻撃論文を出したことは,まさに私にとってヒーローの凋落であり,本当に残念なことだった.
そこに出版されたのが本書である.出版後すぐにKindle版を入手してはいたが,ドーキンスの書評もあり正直なかなか手が伸びなかった.しかし読まずにすますわけにも行かないと思い切りをつけたような次第だ.ある意味英雄の最期を看取るような気持ちだったといってもよいだろう.
本書はゴーギャンの傑作「D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous? 」から始まる.「我々はどこからきたのか?何者なのか?どこへ行くのか?」という意味だが,それがそのまま本書のテーマだということだ.
そして導入部では,これは宗教や哲学によって答えられるものではなく,進化生物学を含む自然科学によって取り組まれるべき問題だと捉え,社会性の進化とその進化要因を考えていくとしている.
第2部は「我々はどこからきたのか」について,つまりヒトの進化史になる.
最初にちょっとびっくりするのはウィルソンはヒトを「eusocial:真社会性」だと位置づけ,その他の真社会性生物と比較する視点をとっていることだ.確かにヒトは高度に社会的な動物だが,通常「真社会性」生物というときには不妊のカーストを持つところまで進化した生物を指し,ヒトは含めない.ウィルソンのここでの定義は「グループメンバーが世代重複し,分業を行い,その一部で利他的に行動する」生物ということのようだ.
ウィルソンがこの視点をとる意味は,ヒトと社会性昆虫は分業や利他行動を進化させて生態的に大成功をおさめてきたことで共通しているが,違いもあり,その成功を比較してみようというところにある.そして具体的には「昆虫は『外骨格を持つために体サイズが大きくなれない*2が,長距離を移動分散でき,メスは精子を貯蔵できる』が,ヒトはそうではないので異なる進化経路を通って真社会性に移行した.そしてヒトの成功のポイントは成功するためには同種個体との調整がより強く必要で,それを知性の発達経由で成し遂げた」という主張になる.
そしてそのような進化経路をとれた前適応形質(大きなサイズ,樹上生活により前肢をものの把握に使えたこと,摂食の柔軟な様式,直立二足歩行など)をあげている.
そこからはよくあるヒトの進化史の記述になっている.さすがに統合の巨人らしく,最新の様々な知見をうまくまとめて解説してくれている.そして知性の進化についてはキャンプサイトの防衛のための分業がキーになっただろうと自説を展開している.
ここで包括適応度理論の攻撃とマルチレベル淘汰理論擁護の中間章が展開されている.ここは誤解とナイーブさに満ちていてなかなか読むのがつらいところだ.理論的な問題は後でまとめてコメントするとして,ウィルソンのここでの趣旨は,「社会性昆虫では,精子を貯蔵した女王の個体淘汰として真社会性が起源したが,ヒトにおいては個体淘汰とグループ淘汰のせめぎ合いの中で真社会性が進化した.だから(アリやハチと異なって)ヒトの本性は利己性と利他性のキメラだ」というものだ.そしてキメラ性つまり心の葛藤の例を多数挙げ,戦争やジェノサイドの非倫理性もそこから説明できると主張している.
その後出アフリカ,創造性爆発,文明の発祥を解説している.創造性爆発や文明については文化と遺伝子の共進化が影響した(特にグループ淘汰が文化進化を大きくドライブした)と主張したいようだ.
第3部は社会性昆虫について
ここはアリ学者ウィルソンの本願地ともいえる領域だ.まず真社会性の昆虫の動物相における優越を丁寧に解説し,その進化史をたどっている.
真社会性昆虫の起源は古い.1億年前には既に生態系において通常の要素だった.そして白亜紀の被子植物の進化に伴いアリ類が爆発的に適応放散を遂げている.どのようなニッチが可能になったのかの詳細が記述されていて,ここは読んでいて楽しいところだ.
第4部は真社会性への進化の要因について
第2部で簡単に触れた真社会性への進化要因についてウィルソンはここで詳細に論じる.そしてまたも私にとっては読むのがつらい部分になる.
まず真社会性への移行はごく限られた事例しかないことを強調し,これを解明するには数理的な理論を振り回すだけではなくフィールドの観察と実験室のデータが重要なのだとコメントしている.そうやってアリハチ類を見ると,防衛可能な巣のようなものと,世代間重複がキーになっていることがわかるとする.そして再び誤解に満ちた包括適応度理論の攻撃を行った後「社会性昆虫の真社会性の移行はマルチレベル淘汰ではなく,精子を貯蔵した女王の個体淘汰による」と主張する.そして「防衛のための分業が進化し,分散抑制の単純変異があれば真社会性が進化でき,血縁は原因でなく結果だ.」という2010年論文の主張が展開される.
第5部は「我々は何者か」について.ヒトの本性は何か,それはどう進化したのかが扱われる.
ウィルソンはまずヒトの本性について,それは心の発達への遺伝的拘束,なにを習得するかについての傾向だと位置づけ,文化と遺伝子の共進化の議論を展開する.
まず動物の文化についての知見をまとめ,ミズンの認知考古学を紹介し,そこで提唱されているヒトの「流動性知性」はグループ淘汰の産物だろうとコメントする.言語の起源*3についても様々な知見を紹介した後で文化と遺伝子の共進化が何らかの役割を果たした可能性について示唆している.
次に道徳と心の葛藤について(ナイーブな)グループ淘汰から解説している*4.このあたりはまさにピンカーが指摘するぐずぐずのグループ淘汰主義者たちの道徳議論そのまま*5になっていてとりわけ読むのがつらいところの一つだ.
宗教についても触れている.宗教についての科学的な解明はかなり進んだが,それはグループ淘汰の産物としての部族主義と深く絡み,非合理的信念を持つこと自体がグループ内団結のためのコミットメントになっていると指摘している.
最後に芸術に関してもコメントがある.認知的に一定の刺激を好む性質があること,バイオフィリア,マルチレベル淘汰の産物としての心の葛藤が現れるストーリーへの好み,狩りの成功などの呪術的要素などが渾然と議論されている.ここはあまり整理されていない印象だ.
この第5部はヒトの本性についてのウィルソンお得意の統合的な総説になっている.様々な知見の紹介として意味がないわけではないが,強調する割には文化と遺伝子の共進化の議論にあまり深みがないこと,道徳の議論に見られるようなナイーブグループ淘汰に絡む筋悪の記述などが点在していることに加え,ことさら標準的な進化心理学の議論を避けているのも奇妙*6であり,総説としては水準の低いものに止まっているように思われる.
第6部は「我々はどこに行くのか?」について
ウィルソンは最終章で我々の将来について論じる.まずヒトが大きな脳により言語と科学技術を手にし,地球上で大きな優越を享受していることを指摘する.
ここでそれはマルチレベル淘汰の産物だとし,そしてまたもや包括適応度理論を攻撃し,ヒトの複雑な本性はグループ淘汰から最もよく説明できるのだと繰り返している.この同趣旨の攻撃を何度も繰り返すところはなかなか見苦しい.おそらく書いていると止まらなくなるのだろう.
そこから主題に戻り,宗教について議論する.宗教は不死でないことを理解した人類にとって心の平安に資するものだった.しかしより心にしみこむためにそれは神話という物語形式を取り,反事実的な主張により人々を無知に押し込め,自部族の優越性を主張し異端排斥を後押しする.ウィルソンは,基本的に宗教のメリットも認めつつデメリットの方が大きいという立場に立ち,その勢いを弱めていくことに賛成している.またそれはグローバル化の進展と地球温暖化と生物多様性の危機の認識,さらに宇宙における人類の孤独の理解*7から緩やかに世俗化するという形をとるだろうと予想している.そして最後に「22世紀頃に,人類は,互いに敬意を持って接し,理性を徹底的に用い,自分が何者であるかを受け止めることにより,地上に永遠のパラダイスを作ることができるのではないか」というのが自分の信仰だとコメントして本書を終えている*8.
ここで本書の各所に散らばっている包括適応度理論とマルチレベル淘汰の議論についてコメントしておこう.
- ウィルソンの議論は基本的に2010のNowakとの共著論文(Nowak MA, CE Tarnita, EO Wilson (2010). The evolution of eusociality. Nature 466: 1057-1062.)の主旨そのままだ.とはいえ数理的な部分には踏み込まず*9,包括適応度理論の否定についても「それは数理的に証明された」などの言い方にとどめている.いずれにせよ包括適応度理論とマルチレベル淘汰理論の等価性を否定する点で,主流の考え方と対立する異端的な立場に立っている.
- この論文についての私の評価は「きわめて筋悪」だというものだ.まず数理的な包括適応度理論の批判は,結局それにはいくつかの前提条件があることを指摘しているだけで,その解法の強力さとのトレードオフを無視しているし,その点に関する包括適応度理論の拡張があることも無視している.代替理論として提唱されている「標準自然淘汰理論」はシミュレーションに頼った非力な手法にすぎない.また真社会性の進化要因については,まず包括適応度理論が生態要因を無視しているように批判しているが,それは事実ではなく,全く筋悪のかかしの議論だとしか評価できない.次に社会性昆虫の真社会性への進化過程が「精子を貯蔵した女王の個体淘汰」だという見方は,その各ゲノムがワーカーに異なる比率で受け渡されるためにコロニー内でコンフリクトが生じることが全くわかっていないナイーブな議論としか評価できない.なお防衛可能な巣のようなものの重要性自体は鋭い指摘だが,それはリチャード・アレキサンダーによってはるか昔から議論されているものだ.(なお詳細についてはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20101012以降の連載を参照.連載の最後のまとめはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20110418)
- 本書におけるウィルソンの議論の特徴は,まず「グループ淘汰」という時に,それが個体にとって不利でグループとって有利な形質(利他的形質)の進化なのか,それとも分業などグループで協力することにより個体もグループも有利になる形質の進化(相利的状況での協力:個体淘汰で説明可能)なのかをきちんと区別していないところがあげられる.部族主義や,団結のためのコミットメントなどは後者でも十分説明できるだろう.これはまさにピンカーの指摘するぐずぐずのグループ淘汰の主張そのままだ.
- 2番目にどのような場合に個体淘汰(グループ内淘汰)よりグループ淘汰(グループ間淘汰)の方が強くなるのかという条件について全く触れていないということだ.だからすべての主張がナイーブグループ淘汰の主張と同じように聞こえる.これによりさらに議論がぐずぐずになっている.私の受ける印象は,「ウィルソンは利他行為の進化理論についてはきちんと理解できてなく,Nowakのお墨付きを得て『単純に広範囲にグループ淘汰を主張しても問題なく,包括適応度理論は間違っている』と信じてしまった.そして『社会性進化については観察事実から考えていけばよく,ヒトについては心理の葛藤はマルチレベル淘汰理論にのみフィットする』と(代替説明可能であることを理解せず)飛びついた」というものだ.
- なおこうなるに至った背景が見える記述もいくつかある.(1)ウィルソンが当初包括適応度理論に好意的だったのはとにもかくにも3/4仮説がエレガントだったからで,それがうまくいかないとわかったときに3/4仮説だけでなく包括適応度理論すべてに懐疑的になった.(2)遺伝的多様性に向かう進化は包括適応度理論では説明できないと思った.(3)包括適応度理論の元でもb, cという形で生態要因を取り込めるという主張については,実務的に調べることが難しいという理由で受け入れがたいと感じている.(4)性比やポリシングに関する包括適応度理論の貢献は,それが唯一の解釈の可能性だとは思えないと感じている.
- これらの記述はウィルソンの理論的な明晰性を大きく疑わせるもので結構衝撃的だ.なぜ応用仮説の一部がうまく行かないからといって理論すべてに否定的になるのか,代替説明の可能性を無視するのか,実務的な取り扱いの容易さと理論の正当性を混同するのか.私の感想はただ悲しく痛ましいというものだ.
というわけで,本書は私のかつてのインテレクチュアルヒーローの一人の凋落に向き合うという悲しい読書体験を与えてくれるものになった.本書はなお統合の巨人としての様々な知見の総説部分においては技の冴えの片鱗を感じ取ることができ,無価値な本というわけではない.しかし実際に手にして読んでみた結果の喪失感と寂寥感はすさまじい.
彼は結局根っからのナチュラリストであり,理論的には最初から微妙だったのだろうか.思い返してみると「社会生物学」も圧倒的な統合の本だが理論的な明晰性は薄かったような気がする.あるいはそれは「老い」*10というものだろうか.ドーキンスは「力一杯投げ捨てるべき本」だと評したが,私はこう言っておこう. ― 本書は墓碑のごとく本棚の隅にひっそりと収まっているのがふさわしいのかもしれない.かつて真に偉大な学者だったことのある人物の想い出とともに ―
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筋悪包括適応度理論攻撃の立役者Nowakによるその背景説明の本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20110508
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*1:この書評に関する私のコメントはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120531参照
*2:これは大きな脳を進化させられないということが問題になるという趣旨
*3:ウィルソンは若いときにチョムスキーの文法理論をずいぶん勉強したそうだ.それはあまりに難解でウィルソンの手に余ったが,ピンカーがすっきりわかりやすくかみ砕いてくれたと述懐している.
*4:葛藤についてはグループ内淘汰産物とグループ間淘汰産物の相克ということでマルチレベル的といえばマルチレベル的だが,どのような条件でグループ間淘汰形質が進化するのかについて一切記述がない.そういう意味で基本的な説明スタンスはナイーブグループ淘汰的な印象を与えるものになっている
*5:ピンカーとグループ淘汰主義者たちの論争についてはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120714からhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120801を参照.
*6:ウィルソン自身はヒトについて進化生物学を適用しようとする嚆矢となった一人だが,その後社会生物学論争を経て,コスミデスたちHBES主要メンバーとは一部意見の相違やいろいろなややこしい経緯・因縁があるようだ.仮に現在の進化心理学の議論が気に入らないとしても紹介して批判すればいいのではないだろうか,全くスルーというのはいただけない.
*7:この部分のウィルソンの議論はわかりにくい.「神に祝福された人類は地球を思いのままにしてよく,だめになったら宇宙に進出すればいい」という議論が否定されるはずだということらしい.いかにも一神教的な考え方だ.なお異星人と接触できないのは,仮に異星人による文明があっても他星系への進出に基本的にメリットがないからではないかという議論も行っている.
*8:最終パラグラフはゴーギャンに対する手紙の形式になっている.一流文筆家らしいすばらしい終わり方だ
*9:1カ所「弱い淘汰」条件について触れているが,その記述ははっきり言って意味不明だ.
*10:執筆当時のウィルソンは82歳.