「The First Word」

The First Word: The Search for the Origins of Language

The First Word: The Search for the Origins of Language


本書はサイエンスライター,クリスティーネ・ケニーリーによる言語能力及び言語の進化,さらに言語進化を研究することの是非,およびその論争史を扱った一版向けの読み物だ.論争は,言語能力が進化産物なのかどうかという問題.そしてそれにかかる動物とヒトとの間のギャップはどれほどかという問題に関わる.
私もこれまでヒトの認知能力や言語能力の進化に関する本についてはピンカーの本を含めていろいろと読んできたが,論争当事者である著者の主張が一方的に述べられているものがほとんどだった.本書は論争全体を俯瞰する視点から書かれているもので,主要登場人物の立ち位置,主張当時の文脈がわかり,なかなか興味深く仕上がっている.


プロローグでは,改めて考えてみると言語がいかに不思議なものかがうまく表現されている.一人一人の認知世界の中で多くの単語が関連する意味を持ってクラスター状にきらめき,それが他人の認知世界と微妙に異なりつつ重なり,そしてそれによって人々は連結される.この不思議な言語はどのようにしてできあがったのかという問題を進化的に理解しようとするのが主流の態度になったのは実はごく最近のことなのだ.大きな流れとしては,パリの言語学会の有名な「言語起源の探求の発表に関する禁止」に代表される,「言語は(まるで奇跡のような現出した)突出した単一の現象であり,その起源追求は証拠のない推論に陥るほかなく,それについてはヒトと動物には大きなギャップがある」という理解から,「言語能力は多くの能力の組み合わさったもので,動物にも多くの前適応があり,その起源は進化視点によって探求できる」という理解への転換として捉えられるのだ.


本書は全体として4部構成になっている.第1部は論争史.ここでは何人かの時代を作った学者たちが登場する.ここは本書の白眉であり読みどころだ,少し詳しく紹介しよう.


本書によると,言語の起源にかかる探求はエジプトのファラオ,プサンメティコスから始まる.彼は2人の赤ん坊を言語環境から隔離して育てたら何語をしゃべるようになるかを実験したのだ.同様の実験はシシリア王神聖ローマ帝国皇帝だったフェデリーコ2世やスコットランドのジェームズ王も行ったらしい.これらは「言語はヒト特有のもので神から与えられた単一のものだった」という信念に基づいている.啓蒙時代には様々な憶測だけに基づく言語起源説が唱えられ,学会の発表禁止令に行き着く.
種の起源」出版後,ダーウィンその人は言語能力について,「動物と連続している要素がある」「言語自体も時代とともに変わっている」などの観察により,進化的に考察しようとしたが,その後言語学者で彼に続くものは現れなかった.これが変化し始めるのには1990年代を待たなくてはならない.


最初の登場人物はノーム・チョムスキーだ.チョムスキーは,まさに周囲も認める知の巨人の一人であり,ユニバーサル文法(UG)の主張を行い,生成文法言語学創始者となった.彼は,1950年代に彗星のように現れ,言語は(入力不足のため)子供がスキナー流の学習のみによって修得することは不可能であることを説得的に論証し*1,文法こそが言語のコアであると主張し,実際に各言語において普遍性を持つことを示し,(それは完成された構造を持ち,漸進的に進化した証拠を得ることは難しいと思われるため)言語能力の進化は考察するに値しないと主張した.それまでの言語学者が様々な言語の違いを考察してカタログを作っていたのに対し,彼は言語学が何を探求すべきかについての観念を根本的に変革した.ケニーリーはチョムスキー革命の衝撃の大きさを当時の様々な人々へのインタビューなどを通じて臨場感豊かに記述している.
チョムスキーはその後も彼自身の理論を常に変革し続けた,また信奉者とそうでない言語学者の間には多くの論争が巻き起こった.ケニーリーは論争の性格を,チョムスキーの唯我独尊的な態度*2,変化し続ける用語と説明,(知の巨人として)言ってもいないことを言ったとされる現象などを交えて描き出している.

チョムスキーのUGは,言語能力はヒトの脳にハードワイヤードに書き込まれている(言語器官)という含意を持つと考えられ,そのモジュールはほかの脳機能と完全に分離しているとされた.ケニーリーは「言語は進化産物でない」と言う主張はチョムスキーによる明確な主張ではなく,むしろ伝説だとしている.チョムスキー自身のコメントは謎めいたものが多く,つなぎ合わせると「言語能力が自然淘汰産物であることもあり得るが,むしろ(このように完全なものが淘汰産物とは考えにくく)偶然のものだった*3という方がありそうだ.いずれにしてもそのような探求は言語学の焦点ではない」という趣旨だったようだ.


第2の登場人物はカンジの研究で有名なスー・サヴェイジ=ランボーだ.カンジの登場までには類人猿の言語能力の研究の前史がある.
最初期のリサーチにはガードナー夫妻によるチンパンジー,ワシューの手話習得がある.これにその他のチンパンジーやゴリラのココが続いた.しかしこれらを追試しようとしたテレースによるニム・チンプスキーのリサーチは先行研究による類人猿の言語理解は実験にあたった人間の(正答への)微妙なサインを読んでいることによる影響を排除できていないことを明らかにした.マーチン・ガードナーはこの分野の多くの本をレビューし,パターソンのココのリサーチが脚光を浴びたのはそのフォトグラフが「美女と野獣」的だったからだと酷評した.動物の言語研究へのファンドは一瞬にして干上がった.
サヴェイジ=ランボーが5年のファンドを得たのは,この騒ぎの直前だった.ボノボのカンジは手話ではなくピクトグラムによる言語を習得し,数百以上のそれまで触れたことのない文章を正確に理解し,作話に当たっての創造性もかいま見せた.またカンジ,パンバニーシャ,タムリの比較からは,ボノボの言語習得にもヒトと同じような臨界期があること,間違い方の分析から,彼らが単語をカテゴリーに分けていることもわかった.このサヴェイジ=ランボーのリサーチは動物とヒトの言語能力がそれまで考えられていたよりも連続的であることを説得的に示すものだった.しかしこのリサーチの受容には時間がかかった.ケニーリーは,1980年代のサヴェイジ=ランボーへのレビューはまず批判とけなしが基調になっていたし,それには動物とヒトの精神世界は根本的に異なるものだという考えが背後にあったのだろうと書いている.


3番目に登場するのは,真打ちの二人組,ポール・ブルームとスティーヴン・ピンカーになる.1989年,彼らはまさにチョムスキー派のお膝元MITにいた.
彼らが言語の進化リサーチに進むきっかけになったのは,当時発達心理学の大学院生だったブルームと進化心理学者リーダ・コスミデスとの会話だったそうだ.コスミデスがMITの講演において心と言語を適応的観点から説明した後,ブルームは彼女と会話する機会を持った.ブルームは当時スティーヴン・グールドの主張を単純に受け入れていて,彼女に「(言語が適応で説明できるとは)全くばかげていると思います」と話しかけた.コスミデスは大変礼儀正しくかつ知的に,それがいかに間違った理解であるかを解説してくれたそうだ.ブルームは少し考えてコスミデスが正しいと悟った.そして次にピアテリ=パルマリーニが,チョムスキー派の立場から「言語は適応では説明できない」と主張する論文を読んで,それは全く間違っていると確信するようになったそうだ.
当時の言語学の世界では,チョムスキーとグールドの影響力は圧倒的だった.まだ社会生物学論争の記憶もぬぐい去られておらず,適応主義と人種差別,性差別を結びつける風潮が残存していた.グールドはかつての社会生物学論争の旗手の一人として「ヒトの特徴についての適応的説明については徹底的に懐疑的に扱う」というスタンスだった.おそらく彼は言語について真剣に考えていなかったのだろう.講演の後の質疑応答で言語が適応産物であるかどうかを問われて,興味なさそうに手を横に振りながら「たぶんスパンドレル」と答えたという記録がある.
ブルームは当時新進気鋭の教授だったピンカーにアプローチし,言語の進化に関する共同研究が始まった.彼らは進化生物学を勉強し,グールドの主張が進化生物学の世界では全くの異端であることを知る.ピンカーはすぐに進化生物学を深く吸収し,このリサーチプログラムを主導するようになり,チョムスキー的な生成文法言語理解の上で,言語能力が(ほかのすべての生物の機能的で複雑な特徴と同じく)自然淘汰による適応産物であることを確信する.ピンカーはチョムスキーに教わったこともあり,当時チョムスキーとe-mailでやり取りしていて,そのあたりの詳細もおもしろい.基本的にチョムスキーは言語の進化についてあまり関心がなく,それは実証がえらく難しい些細な問題だと考えていた様子がわかる.
ピンカーたちは,すべてのヒトが言語能力を持つこと,すべての言語は(その文化水準に関わらず)同じように複雑であること,ヒトは3歳で正式なトレーニングなしで苦もなくこの複雑な知的能力を発達させること,複雑性自体は適応進化にとって何ら問題にならないこと,言語はコミュニケーションという目的に対して機能的にデザインされていることを論拠として,言語が適応産物であるという論文を書き上げる.彼等の主張は基本的に言語をチョムスキー的に理解した上で,それが適応であることを示すというものだった.ケニーリーはこの後のエピソードとして,この論文内容の講演を二人がMITでやることを引き受けた後で,コメンテイターがグールドとチョムスキーであることがわかったという顛末*4に触れている.当時のオーソリティに対決する若い学者の心意気とグールドのスロッピーさが描かれていてなかなか読んでいておもしろい.
この論文,そしてすぐ後のピンカーの「Language Instinct」の出版が,言語進化のリサーチをついに大きな流れにすることになる.ケニーリーはピンカーたちの業績の影響力の大きさについて,それがチョムスキーのお膝元MITの本流のリサーチャーから出てきたことにもあったのだろうとしている.


4番目の登場人物はフィリップ・リーバーマンだ.
チョムスキー的な言語理解においてその完全性,生得性が一つの鍵になる.それが,進化は奇跡的なもので進化では説明できないという主張につながるのだが,リーバーマンは早くからそれに反対してきた.リーバーマンは電子工学出身で,言語についてもそのメカニカルな発声の仕組みに興味を持った.そして他の動物は舌を動かす運動能力が劣るためにうまく発声できないのではないか,つまり言語はまず運動として捉えた方がよく,また文法は何か別の認知能力が前適応としてあったのではないか,そして進化は漸進的に進み,チョムスキー的な生得的な言語専用器官はありそうもないと考えた.彼はパーキンソン病を調べ,この病気にかかると規則動詞の変形により問題が生じることを見つける.これはパーキンソン病と関連の深い基底神経節は運動コントロールとともに再帰的文法と何らかの関わりがあることを示唆する.リーバーマンのリサーチは言語の運動の関係というピンカーたちとはまた異なる視点から現代の言語進化研究に影響を与えているのだ.


第2部は様々なリサーチャーたちの話を聞いたケニーリーによる言語進化の今日的知見の紹介ということになる.
ケニーリーの認識では,ヒトの言語というトピックはヒトのユニーク性の問題と深く結びつくものとして議論されてきた.それは進化や遺伝子の視点からは動物とヒトとの連続性は疑うべくもなく,さらにそれまでヒトのユニーク性のシンボルとされてきた道具や文化が動物にもあることがはっきりしてきた中で,ヒトと動物との分断を強調したい論者にとって言語は最後の拠り所でもあったのだ.
しかし実際に言語における動物とヒトの連続性と独自性はどのように理解されるべきか.ケニーリーはまず様々な動物の言語と関連する認知能力を紹介する.ニューカレドニアガラスの論理的推論能力,ヨウムのアレックスの言語使用と「None」という概念の理解.イルカ,ゾウなどの自己鏡像認識能力などを見ていくと,このような認知能力は長寿の社会性動物によく見られるもので,ある意味で収斂形質だということがわかる.ケニーリーは,ここで同種個体間の社会関係と文法の構造の類似点(組み合わせ,入れ子構造,意味の優先)を示唆している.
ではヒトの独自性はどう捉えるべきか,ケニーリーは(弱いバージョンの)ワーフ仮説を好意的に紹介しつつ,言語がより独特の思考能力をヒトにもたらした可能性を示唆している.ここはやや強引に感じられるところだ.
次にケニーリーは動物の世界のプロト言語を探索し,ベルベットモンキーや多くの鳥類の警戒音をまずみる.脳機能などには類似性もあるが,警戒音自体は小動物特有のもので大型類人猿にはないものであり,プロト言語と扱うべきかどうかについては議論がある.ケニーリーは,警戒音は有用な場合にすぐに進化できる収斂形質だろうとしつつ,この「ある種の動物の音声シグナルがプロト言語と取り扱ってよいものかどうかという議論」は何度も繰り返されるテーマの一つだとコメントしている.
続いてイヌのヒト言語の理解,イルカのシグナルホイッスル音,ゾウの個体ごとに異なる鳴き声,チンパンジーのパントフートなど何らかのコミュニケートを行っていると考えられる例を取り上げる.これらは言語との連続性を感じさせるとともに,音声と意味対応の恣意性や品詞の区別がなく言語との断絶性も示している.

次のケニーリーのテーマは言語とジェスチャーの関連だ.ヒトはしゃべっているときに無意識でジェスチャーをしているし,類人猿にもジェスチャーによる信号がある.また一部のジェスチャーにはヒトと類人猿で共通の意味がある*5ことも見つかっている.聴覚障害の子供たちが独自に発達させたサイン言語はユニバーサルな言語の特徴を共有する.ジェスチャーの有無は聞き手にも影響を与える.一部の研究者はジェスチャー言語が音声言語に先立ったと考えている.言語におけるジェスチャーの問題は現在ホットなリサーチエリアになっている.指さしはヒト特有と思われてきたが,チンパンジーもヒト相手には指さしを行うことが見つかっている.これはチンパンジーは他個体の指さしに反応しないが,ヒトは反応するかららしい.この違いは協力傾向の差にかかるものだろう.チンパンジーの社会は強い競争指向社会なのだ.このことは会話が成り立つためには注意の共有,そして協力が必要だということと関連があるのかもしれない.

このほか,音声パターンやその習得順序,発声器官の発達*6音声認識*7などについてもケニーリーは詳しくレビューしている.

言語学的には言語の要素は音韻論と統語論になる.そして動物に原始的な統語論的な能力があるかどうかが争われている.非常に原始的な組み合わせの能力があるというレポートは多い.ケニーリーは鳴鳥類やヒヒのリサーチを詳しく紹介している.ヒヒのそれは社会的順位と関連があるもので興味深い.ヒトの統語論の捉え方については,チョムスキー流の文法のみからその完全な構造を探る手法と並んで,ジャッケンドフやピンカーなどの,単語や句などのより多くの要素に目を配り「マルチ次元的な意味をリニアに伝達するための情報工学的な工夫」という視点を重視する手法などが紹介されている.
さらに最近の新しい流れとしては,言語の変化や進化のモデルを作りコンピュータでシミュレートしていくもの,テレンス・ディーコンのように過去において生じたはずのシグナルからシンボルへの移行を重視する考え方,音楽と言語の関連を探る方向などがある,ケニーリーはここもそれぞれ詳しく紹介している.

次のテーマは言語を司る脳領域あるいは脳の発達の可塑性の話だ*8.ケニーリーは様々なエピソードやリサーチを紹介して,言語能力を含む多くの認知能力はそれぞれ脳の特定領域と関連しているが,それは絶対的なものでないことを解説している.そしてFOXP2が登場する.多くのエピソードと紆余曲折の上で,この遺伝子は,古くからある発現ネットワークのかなり上流にある調節遺伝子で,運動コントロールなどに広範囲の影響を与えるものであること,鳥類のさえずり学習,マウスの発声にも影響を与えること,ヒトの進化史において強い正の淘汰を受けた可能性が高いことが明らかになってきた.

ケニーリーはこれらの知見が教えてくれるのは,言語が単一の特殊能力ではなく,(動物とも共有する)多くの基礎を持ち,遺伝と環境の相互作用の産物である複雑な生成物であることだとコメントしている.この第2部はいろいろな話題に次から次に飛び移り,やや焦点が定まらず散漫な印象も受ける.しかしサイエンスライターが,なおコンセンサスのあまりない混沌とした分野で多くの参考文献を読み,さらに数多くの学者にインタビューした上の文章としてはこうならざるを得ないのかもしれない.ある意味ケニーリーの興奮が伝わってくるようでもあり,そして言語が一筋縄では捉えられない複雑な構造を持つことが実感できるようになっている.


第3部では言語の進化シナリオを考える.
ここで自然淘汰の基礎解説,ヒトの進化史の簡単な見取り図の解説がまずある.その上で言語進化のシナリオを考察していくことになる.
ケニーリーの理解では言語進化については突然の大きな跳躍か,漸進的な進歩があったのかが最初の対立点になり,突然跳躍説の論拠は5万年前の文化爆発だということになる.そして理解の鍵は最新のDNAの分析技術の発達だ.これによると脳において発現する多くの遺伝子に正の淘汰がかかったことが明らかになっている.そしてこれが文化爆発と関連するかどうかが争われている.ケニーリーはこれはまさに現在進行中のリサーチの焦点であり,今後明らかになっていくだろうとコメントしている.
突然跳躍かどうかが最大の論点というケニーリーの捉え方にはやや違和感もある.複雑な言語能力の進化には多くの遺伝子が関わっていることが予想され,大跳躍はありそうもなく,結局どの程度の時間で完成していったのかという程度問題にすぎないだろう.文化爆発は人口密度効果によるものだと考えた方が様々な状況にはフィットしそうに思われる.いずれにしても現在進行中の分子的リサーチの進展には興味が持たれるところだ.

ケニーリーはここで言語能力の進化だけでなく言語自体の進化,あるいは文化進化というトピックも扱っている.そしてサイモン・カービーの言語ユーザーエージェントのコンピュータシミュレーションリサーチを紹介し,いくつかの文法構造が文化進化として理解できるとコメントしている.もっともこの部分はややスロッピーな紹介で少し残念だ.単なる言語の変容と文法などの構造の現出が説明上明快に区別されていないし,このシミュレーションはかなり前提に依存するだろう*9 *10 *11

ここからは一部の研究者のインタビューを通じて見える言語と進化に関するいくつかの話題を紹介している.言語を使ってどのように問題解決するか,文化の役割,言語は別の形態で進化することがあり得たのか,性淘汰の占める重み,言語とヒトの共進化という視点,言語と文化との共進化*12という視点からの捉え方,言語学習のバイアスの詳細,言語が脳に与える影響,農業革命の与えた影響などだ,おもしろそうなエリアも妄想に近い構想も併せて語られていて,熱意にあふれた研究者が目の前にいるような趣だ.


第4部は将来について
最初は言語進化というリサーチの将来.冒頭では21世紀になってのチョムスキーの(それまで些細なこととして無視してきたはずの)言語進化に関するエリアへの登場が扱われている.チョムスキーは2002年言語進化のカンファレンスに現れ,すぐ後でハウザー,フィンチと共著での論文を発表した.この論文の解釈についても一悶着あったらしいが,ケニーリーは,チョムスキーたちの主張について,「周辺部分では譲歩しても結局言語のコアの部分として再帰性を持つ文法を据え,この部分はコミュニケーションにかかる適応ではなくスパンドレルであり得る*13と主張しているもの」と要約し,周りの反応も詳しく紹介している.ピンカーとジャッケンドフは「チョムスキーは25年にわたる主張を覆し,いきなり結局言語はそんなに複雑なものではない」といっているようだと前置きした上で,言語に何か特別な特定のコアはないし,再帰性は言語だけでなく視覚などの様々な認知に見られると批判している.ここではそのほかの様々なリサーチャーの反応も詳しく紹介されている.このあたりはなかなかほぐれない感情的なしこりもあるのだろう.
ケニーリーは,なお言語とヒトの特殊性や自然淘汰の役割などについて論争は継続しているが,「言語が自然淘汰による適応産物として多数の基礎の上に構築された複雑なものであること」は様々な証拠から明らかになりつつあるのではないか,リサーチャーたちはチョムスキーの呪縛から離れる時期ではないかと論じている.これはケニーリーが様々なインタビューを通じて感じたチョムスキーの大きすぎる影響についての正直な感想というところだろう.また呪縛から逃れたリサーチャーたちのリサーチ方向についてもいろいろ紹介されている.

最後に言語自体の将来が扱われている.ただこの部分は言語変化,言語の本質の変化,言語能力のさらなる進化,言語能力を持ったことによるヒトのさらなる進化が渾然と扱われていてまとまりのない記述になっている.一般向きに未来に向けて膨らんだ話題を持って本書を終えるという趣向なのかもしれない.


エピローグでは,本書のテーマは「言語進化はリサーチに値するものだ」ということだとまとめた上で,「無人島に赤ちゃんが大量に流れ着き,彼らが長期生存可能なら,そして世代を重ねたら,彼等はどのような言語を使うだろうか」という問いを各インタビューウィーに問いかけてその回答を紹介している.それぞれの学者の立場が明瞭に現れていておもしろい試みになっている.


というわけで本書は私のような読者にとっては「言語進化」学説の歴史,論争の詳細,そして登場する様々なリサーチャーたちの立ち位置を知るのに大変有用な本だった.チョムスキーのものすごい存在感,ピンカーが潮流を大きく動かす役割を果たせたのは,才能と理論のスマートさだけでなくチョムスキーの属する言語研究の保守本流の出自であったからこそでもあったことはなかなか印象的だ.またケニーリーは多くのインタビューをつないで本書を構成しており,なかなかうまいドキュメンタリーテイストの本に仕上がっている.言語進化に興味がある人にはお勧めの本である.


関連書物

なんといっても言語進化をメインストリームに押し上げた記念碑的な傑作.最近Kindleでもう一度読み返してみたが,20年前に書かれたにもかかわらず非常に今日的な議論であり何度読んでも刺激的で面白い.

The Language Instinct: How The Mind Creates Language (P.S.)

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同訳本

言語を生みだす本能(上) (NHKブックス)

言語を生みだす本能(上) (NHKブックス)

言語を生みだす本能(下) (NHKブックス)

言語を生みだす本能(下) (NHKブックス)





 

*1:これは行動主義のフレーム全体へのノックアウトパンチとされ,実際にその影響力は大きく失われた

*2:チョムスキーは周辺科学に大きく影響を与えたが,周辺科学が彼に影響を与えることはなかった.ケニーリーは自他ともに認めるラディカル左派だったチョムスキーがトーテムポールのような権威そのものになってしまったのはある意味皮肉だったとしている.

*3:このような偶然性を強調するコメントは1980年代以降に出てくるようだ.グールドの影響を受けたのかもしれない

*4:結局チョムスキーは来ず,グールドはぜんぜん準備不足で,まともな反論はなかったということだったようだ.さらに講演にはデネットも参加していて,グールドの反論がダメダメだったにも関わらず,多くの聴衆がグールドの勝ちだと思うと話しているのに衝撃を受けて,それが「ダーウィンの危険な思想」を書くきっかけになったそうだ.

*5:ナーバスになったときに手を顔に当てるなど

*6:喉頭の低下についての議論はなかなか興味深い,フィッチはこれは声を低くするための適応で,オスオス競争の性淘汰シグナルを疑っている.ピンカーは女性も低下することからそれに否定的だ.

*7:その特徴としてはカテゴライズがある.連続した音波形状の中から,離散的音素を聞き分けるのはこのためだ.この能力がどこまで動物にあるかについても論争があるようだ.

*8:またこの部分ではヒトの進化史における脳の増大,ミラーニューロンの話題も取り上げられている

*9:単純に情報伝達に正の適応度を与えていて,操作の観点が含まれていないように思われる.

*10:また言語をウィルスになぞらえ,より学習されやすい言語変異が残りやすいというミーム的な指摘もなされていて,おもしろい部分もあるが,覚えやすい言語を使うのはヒト側にもメリットがあるので単純にウィルス的だとも言えないように思う.結局モデルの詳細が重要だということだろう

*11:また仮想世界での効率的な情報伝達システム進化させていくシミュレーションも紹介されているが,ここも操作の観点が抜けているように思う

*12:ケニーリーはボールドウィニアン進化を文化と遺伝子の共進化の意味に使っていて少しスロッピーな印象で残念だ.

*13:社会性のスキルとして再帰性を持つ認知能力が進化し,その後言語に乗ったというような主張らしい,