「The Sense of Style」第6章収録の各論について その1 


「The Sense of Style」についての書評は前のエントリーの通りだが,この第6章の各論は大変面白い.文法好きな人には見逃せない部分だ.私の備忘メモをかねていくつか紹介しておきたい.


<文法編>


形容詞と副詞
誤解した自称文法家からよく出される文句の1つは「英語から形容詞と副詞の区別が失われつつある」というものらしい.ピンカーは以下のように解説する.

  • まず多くの副詞は形容詞と同形だ.fast, hardなど.また方言によっても異なる.real, badなどは一部地域では副詞としても用いられている.歴史的には古い時代の英語の方がより副詞と形容詞に同形を用いる傾向がある.monstrous fine(スウィフト), violent hot(デュフォー)などの用例がある.Drive safe, Go slowなどはこの名残と考えられる.
  • 次に形容詞は名詞を修飾するだけでなく補語としても用いられる.seem excellentなど.さらに動詞句を形容することができる.died young, feel terribleなど.特にfeelについてはこれは文法的に間違いだという誤解から過訂正がよく生じる.実際にfeel badはfeel badlyによく過訂正されて言い回しとして定着したことから,現在の辞書では badlyを特別な意味を持つ形容詞として収録している.
  • これに関連するのがアップルのCMで使われた「Think different」を巡る文法騒動だ.これがdifferentlyでなければならないという批判は間違いだ.Thinkはその考えの中身を形容するときには形容詞を補語としてとることができる.(考え方の形容は副詞で行う)だからアップルがこれを訂正しなかったのは正しいのだ.

日本語では,形容詞が動詞節を修飾する際の活用(「美しい」と「美しく」)の問題がパラレルになるのだろうか.これについてはあまり問題が生じているようには思われない.唯一思いつくのは「すごいきれい」などの使われ方だ.私は最初この言い回しに抵抗があったが,口語表現においては,もはやこれは「すごい」という副詞になったと考えた方がよいと思うようになった.ちなみに今調べてみると広辞苑は収録していないが,日本国語大辞典は「すごい【形】」の項目に「(口語において)連用形を副詞的に用いることがある」,大辞林は「すごい」には収録せず,「すごく」を副詞として認知し,「すごく【副】」の項目に「『すごい』が用いられることがあるが標準的でないとされる」と説明している.いずれにしても書き言葉としては認知されているとは言い難いだろう.


ain’t

  • これはもともと英国の下層クラス地区の方言によるbe, have, doの否定形であり,下品だとして多くの教師や親から嫌われてきたし,今でも非常に嫌われている.
  • しかし,用法としてはかなり確立しつつあるものだ.まずこれは単音節でやさしい音の響きがあるのでポピュラーソングの歌詞によく用いられる.またこの語は月並みな真実を表す際にも(特にそれ以上の議論不要というニュアンスで)よく用いられる.


between you and I

  • 「betweenの後に代名詞が来るならそれは対格でなければならない(between us).だから並列に並ぶ代名詞はいずれも対格でなければならず,between you and meでなければならない」という主張が自称文法家からよくなされる.
  • しかしandで結ばれた等位句はヘッドがないという奇妙な特徴がある.例えばyouとIがいずれも単数であっても,you and Iは全体として複数扱いになる.おそらく格のアグリーメントに関してもヘッドレス扱いになるのだろう.だからbetween you and Iといってもネイティブにとってそれほどおかしく響かない.
  • ただし英語にとってデフォルトの格は(主格ではなく)対格になる.(「えっ,ぼく?」というときは「Me?」となる)だからbetween you and meの方がより自然に響く.そしてbetween you and Iを嫌う人が多いので書き手としては避けた方がいいだろう.しかしこれは致命的な誤りとは言えない.

英語にとってのデフォルトが対格だというのは知らなかった.なかなか深い.


canとmay

  • 「canは能力や可能性を表すとき,mayは許可を表すときと峻別しなければならない」という主張が自称文法家からよくなされる.
  • しかし「することができる」と「してもよい」の区別は微妙だ.また「It may rain this afternoon.」などの可能性を表すmayの用法はかなり一般的でもある.ある程度可換可能だと考えてよい.


分詞構文の主語

  • 「『Turning the corner, the view was quite different.』という文章は文の主語the viewがturingの主語と一致していないので誤りである」という主張が自称文法家からよくなされる.
  • 好事家からのこの手の几帳面な指摘に対応して,新聞はこれに関するお詫びと訂正にあふれている.それだけ書き手は自然にこれを使っているということだ.そして多くの読者は特に大きなは違和感を持たずに読む.
  • そして実際にはそのようなルールはない.このような修飾句(分詞)の主語は読者がその視点を共有する主役(protagonist)だと想定される.より一般的には「分詞構文の分詞の主語が書き手と読者の場合には,文の主語と非一致でもよい」ということになる.
  • だから問題は非文法性ではなく曖昧性ということになる.しかし一部の「主語の一致しない分詞構文」は完全に受容できる.according, given, includingなど.それは転じて前置詞になっているともいえる.


融合分詞(動名詞の主語を所有格でない形で示す)

  • 「She approved of Sheila taking the job.」という言い方は間違いでSheila’sでなければならないとよく指摘される.
  • しかし多くの人がこの用法を受け入れるし,実際にはこの方が英語の古い形だ.また’sをつけることが不可能な場合もある.「I was annoyed by the people behind me in line being served first.」は完全に受容可能だ.
  • これは文法の誤りではなくスタイルの選択の問題だ.’sをつける方がより正式なスタイルとして受け入れられやすい.


条件文
ピンカーはここで日本の英語教育では「仮定法過去」「仮定法過去完了」とされるものを解説している.面白いのはピンカーはこれを「subjunctive mood(通常仮定法と訳される)」として扱っていないことだ.ピンカーの整理では,これはmoodの問題ではなく.条件文に「オープン条件」と「リモート条件」があり,その形式の問題だということになる.英語の過去形は,「過去時制」を表す場合と「反事実,極めて低い確率」を表す場合があり,リモート条件では後者の過去形が使われているという説明になっている.
ピンカー文法ではいわゆる「仮定法現在」のみsubjunctive moodとして扱うことになり,これは反事実ではなく,仮定上の物事(願望,要求,期待)を表すということになる.
ネイティブが書く文章でもこのあたりに混乱があるというのはちょっと面白いところだ.(また後でピンカーは「間接話法と時制の一致」についても詳しく解説している,合わせてネイティブでも混乱しやすいところのようだ)