「腐女子の心理学」

腐女子の心理学 彼女たちはなぜBL(男性同性愛)を好むのか?

腐女子の心理学 彼女たちはなぜBL(男性同性愛)を好むのか?


本書は社会心理学,パーソナリティ心理学の視点から「腐女子」についてのリサーチを行った結果をまとめた本だ.元々マイノリティとそれに対する差別の心理(正確には「少数派の意識と,多数派の少数派に対する意識」)をリサーチしていた著者が,学生から「腐女子」をテーマに卒論を書きたいと相談されることが多くなり,基礎的な文献がないこともあって自ら行ったり指導してきたリサーチを本にしたという経緯を持つ.だからこの分野の基礎的な文献になることを目指した専門書であり,構成的には多くのリサーチテーマについて,それぞれテーマの解説,調査方法,結果,考察という形で書かれており,かなり硬派な本に仕上がっている.
なお本書では「腐女子」について「BL作品やBL妄想を好む人物」と定義されている.またBL*1は「男女の恋愛ではなく主に美少年同士での恋愛を扱った漫画や小説」,BL妄想は「原典では友人関係,主従関係,敵対関係等にある2人の男性キャラクターを恋愛関係に置きかえて台詞や行動を想像して楽しむこと」と定義されている.


日本では女性向けの深い趣味分野としてBLの存在はかなり大きなものだろう.(本書でも女子大学生の20%程度は「腐女子」であると推定されている,ウィキペディアによるとBLの市場規模は2013年で350億円あるそうだ.)「なぜ女性(そしてほぼ女性のみが)が自分自身の性的指向とは異なるこのような男性同性愛のような物語を好むのか」は進化心理学的には大変興味深い問題だ.私が知っているところで,この問題を論じたものとしてはキャスリン・サーモンとドナルド・サイモンズによる「Warrior Lovers: Erotic Fiction, Evolution and Female Sexuality(邦題:「女だけが楽しむ「ポルノ」の秘密」 竹内久美子訳)」(2001)がある.(BLのような現象はアメリカでも観察され,それは向こうではスラッシュと呼ばれる.典型的にはホームズとワトソン,あるいはカーク船長とスポックというようなキャラクターが利用されているそうだ.日本におけるBL妄想の同人誌とほぼ同じ現象だろう)そこにおけるサーモンたちの議論は以下のようなものだった.

  • ヒトの配偶戦略には性差があり,それに基づいた選好にも性差がある(進化心理学的な性差の説明がかなり丁寧になされている).
  • 男性の(特に短期的な配偶者選択の)選好をよく示すのは,いわゆるポルノグラフィーであり,(しばしば不特定多数の女性たちとの)性行為そのものにフォーカスがある.
  • 男性にとってのポルノに対応するのは,女性にとってのロマンス小説だと考えられる.そこでは性行為ではなく,ヒロインと素晴らしい男性との恋愛がフォーカスされる.
  • スラッシュは2人の恋愛心理に焦点が当てられており,ロマンス小説の要素を持つが,しかし主人公は男性2人だ.なぜ一部の女性にこれが熱狂的に好まれるのだろうか.
  • 一つは純粋の男女の恋愛物語のストーリーラインの組み立てについての難しい問題をスラッシュは解決できるということが考えられる.男女の恋愛物語には,恋愛の後の結婚,妊娠,子育て,さらにその後の老いていくことによるヒロインの魅力の減少と男性の浮気の可能性などのハッピーエンディングを信じ込みにくい状況を必然的に想起させるために,純粋に恋愛物語を楽しみにくいという問題がある.また物語を盛り上げるための2人の恋愛への障害をその後のハッピーエンディングを阻害しないような形で提示するのが難しい.(このためロマンス小説ではちょっとした行き違いによる誤解のような障害が使われることが多いが,ストーリーとしては弱いといわざるを得ない)スラッシュであれば,女性の容姿の衰えと浮気の可能性や子育ての問題は考える必要がないし,異性愛者が同性を愛することに気づいてしまうという状況が乗り越え可能なちょうどいい障害として物語を盛り上げるのに使える.要するにスラッシュはいわばロマンス小説の魅力の一部を凝縮し,不純物を排除したようなものであり,より純粋に恋愛心理だけを楽しめるジャンルとして一部の女性に熱狂的に受けるのだろう.
  • もう一つの要因としてスラッシュ小説はよりヒロインが積極的に行動するストーリーが描きやすい(ロマンス小説であると,文化的な背景からも,魅力的な男性であればどの女性とつきあうかはよりどりみどりで選べる立場にあるという状況からも,ヒロインが受動的に「選ばれる」という構造になってしまいがちになる)ということがある.これはおてんば気味の女性に受けるのかもしれない.

このサーモンたちの本が刊行されて15年,邦訳されてから12年たつが,その後のリサーチの進展はどうなっているのだろうか.本書は,そういう意味でなかなか興味深い本だと思って手に取った一冊ということになる

序章

まず序章では日本のオタクと腐女子の歴史が概説されている.

  • 現代のオタクの直接の母体となったのは1950年代中盤以降現れたSFファンダムだと主張されている.その後70年代後半から宇宙戦艦ヤマト機動戦士ガンダムの劇場版が多くのファンを獲得し,80年代から「オタク」という用語が使われるようになる.
  • 最初期の「オタク」に対する言説には否定的なものが多かった.「オタク」は1989年の宮崎勤による連続幼女殺人事件で大手マスメディアにも否定的なニュアンスとともに使われるようになる.
  • 90年代に入り,オタクは単にアニメだけでなく,ゲーム,パソコン,インターネットに領域を広げる.2000年以降は「萌え」がオタクを語る上でのキーワードとされるようになる.
  • 岡田斗司夫(1996)は「オタク」を高度な感受性,レファレンス能力,情報分析能力を持つある種の知的エリートとして定義しようとした.これはオタクによる自己正当化の試みとして理解できるが,「萌え」がキーワードとなることによりオタクのハードルは低下し,変質化したと考えられる.
  • また2000年以降,オタク層の裾野が広がり,肯定的な言説も増え,「オタク・ノーマライゼーション」が進んだ.
  • 腐女子の直接の母体は1970年代以降の萩尾望都竹宮惠子などを作者とする少女漫画の読み手とするのが定説である.そこではヨーロッパの全寮制男子校などの美少年のみが登場する異世界が舞台となり,少年達の愛憎劇が描かれている.
  • 1978年に女性向けの男性愛テーマ雑誌「COMIC JUN」が創刊され,80年代サブカルチャーのゆりかごとなる.80年代前半の耽美派少女はサブカルチャー全般を視野に入れた美的な意識高い系だった.
  • 80年代後半からアニメ漫画好きのオタク少女達が原典のキャラクターによる少年愛を扱う同人誌の世界に参入する.これにより意識高い系からアニメ漫画好きなオタク少女に主役が交代する.
  • 2000年以降,腐女子自体をテーマにした作品も現れ,「腐女子」という名称も一般化していった.

またオタクと非オタ,腐女子と非腐女子の違いについてはこうまとめられている.

  • オタクと非オタの差は(アニメの視聴,関連グッズの購入,カラオケの曲選択などの)行動パターンの(時間と労力と資金の)量的な差であると言える.しかし腐女子と非腐女子の差はBL作品を好むかどうかという質的なものであるという側面が強い.

日本におけるオタクと腐女子の基礎解説というところだが.腐女子についてはあまり知られていないことも多く参考になる.

第1章 オタクと腐女子の割合,行動傾向

本書ではすべての研究について調査方法,調査対象,手続き,結果がきちんと記述されるという形式をとっている.ほとんどすべての研究がアンケート調査によるものであり,そこでは独立変数(オタク尺度,腐女子尺度など),従属変数(排他的人間関係,同性愛許容度など)の決定の手続きがきちんと説明されている.詳細はなかなか面白い.


オタク尺度と腐女子尺度についてある基準に達しているかどうかでオタク群と非オタ群,腐女子群と非腐女子群に分ける.するとオタクと腐女子の割合は以下の通りとなる.(調査対象は男女大学生1912名,うち男性が552名)なお腐女子群318名中男性は11名のみになっている.(本書の他の章のリサーチはそれぞれ別のものだが,調査対象は基本的に類似しており,やや女性に偏った男女大学生になっている)

  腐女子 腐女子
オタク 腐女子群17% オタク群27%
非オタ 耽美群1% 一般群54%

従属変数との関係を含めると以下の結果を得ている.

  • 基本的にオタクの一部が腐女子になるという包含関係にある.(この例外となる耽美群はサンプル数が少なく,今後の研究では基本的に取り扱われない).
  • 腐女子になったきっかけは,「原典キャラクターへの愛」と「何らかの形でBLにふれてどきどきしたから」というケースが多く,同性愛への興味からそうなったケースは少ない.
  • 腐女子の行動特性としては,排他的人間関係の傾向が強い,同人誌への関心が高い,現実における同性愛への許容度が高い,自分が変態であると考える傾向があるなどが挙げられる.

ここでは趣味が特殊であることで排他的になり,まだ日本では女性が性的な娯楽を楽しむことの社会的許容度が低いので自分を変態と考える傾向が強いのではないかと考察されている.しかしこの解釈には疑問が残る.BLの重要な要素として男性同性愛があり,それ自体の社会的許容度が低いために,それを隠そうとしたり,自分がなぜそれに惹かれるのか説明できずに排他的になったり自分を変態と考えるという解釈も成り立つのではないのだろうか.

第2章 コミュニケーション能力

対人関係におけるシャイネス,自己を意識する傾向,社会的スキルについてオタク,腐女子,一般群間で差があるかを調べる.結果は微妙なものだが,以下のようなことが見いだされている.

  • オタクに触れあい回避や低群れ傾向はなく,自分の世界に閉じこもりやすいという明確な傾向は見いだされなかった.
  • オタクには他者から観察可能な自己の側面を意識する傾向(公的自己意識)が高かった.これによりオタクの否定的イメージを察知して回避しようとする結果,他者への気遣い傾向も高めに出ると解釈できる.
  • 一般的社会スキルについて,オタク,腐女子,一般群間に差は無かった.
  • 腐女子は他者への話しかけスキルが低い.

なおこのオタクの社会的スキルについて,クラブやサークルなど同じオタク同志が集まるような趣味においては社会的スキルを高めるが,それ以外の場合には1人で活動可能なのでスキルが低下し,あわせて無相関になるのでないかと考察されている.(ただし本当に二極化しているかどうかの結果は示されていない)この因果的な解釈はやや疑問だ.むしろオタクの中で社会的スキルが高い人はサークルに仲間を求め,低い人は1人で活動しているという可能性もあるのではないだろうか.
また腐女子の話しかけスキルについてはオタクと違ってノーマライゼーションが進んでいないので,仲間以外には積極的に話しかけようとする動機付けが低下する結果ではないかと考察されている.

第3章 外見

いわゆる「オタク系ファッション」にかかる評価,自分の外見への不満,さらにダイエット要求や体型に関しての不満や自尊感情,オシャレに対する興味関心についてオタク,腐女子,一般群間で差があるかを調べる.

  • オタク系ファッションに対してはすべての群で否定的だが,一般群の方がより否定が強い項目がいくつかある.
  • 自分の外見に対する不満については,オタク,腐女子,一般群間に差は無かった.
  • ダイエットや体型についてもあまり差は無かったが,ダイエット意志のある腐女子自尊感情が低く,現実的なダイエット目標が大きいという結果が得られている.
  • オシャレについてはオタクと一般群との間に差は無かったが,腐女子については明確な差が検出された.腐女子はオシャレ度が低く,公的な場所と私的な場所でオシャレを変える「偽態度」が高い.

腐女子については,同人誌にかける資金負担が大きくオシャレに回しにくい事情,何とか擬態してオシャレに振る舞っている群と,あきらめてしまっている群に分かれている可能性(著者自身はカミングアウトしている女子学生と日常的に接触しており,腐女子と一般学生でオシャレ度に差が無いという感触を得ていたので,腐女子がオシャレ的に残念であるという結果はかなり意外であったようだ)などが考察されている.

第4章 イメージ

腐女子」のイメージについて,オタク,腐女子,一般群間で差があるかを調べる.

  • 一般群,オタク群,腐女子群の順で腐女子に対する「違和感」イメージ(自分との心理的距離を示す)が強いが,「アブノーマル感」(異常か正常か)については差が無かった.
  • 趣味の対象について,アイドル,ポップス,スポーツ,アニメ・漫画・ゲームに分けて分析すると,アニメ・漫画・ゲーム群はより腐女子への違和感を低く持つ.

つまり腐女子は異常性について自覚できていて,だからこそ自らを「腐っている」と自嘲するということになる.これがなぜなのかについてはおそらく自らを「一種の性的少数者」と位置づけているからだろうと考察されている.

第5章 恋愛

恋愛経験,異性不安,恋愛観などについて,オタク,腐女子,一般群間で差があるかを調べる.

  • 現在および過去の交際歴は,全体ではオタクの方がわずかに低い.男女に分けて分析すると男性オタク群のみ男性一般群に比べて交際経験率が低い.また現在の交際歴だけでは有意な差は無い.
  • オタク,腐女子は,一般群よりも異性不安が高く,異性対人行動傾向が低い.腐女子は,オタク,一般群に比べて異性親和指向が低い.腐女子は異性不安が強く,一緒に行動することが苦手で,仲良くなりたいとも思っていない.オタクは仲良くなりたいとは思っている(萌えオタクは恋をしたい)が,異性不安が強く,アプローチが苦手ということになる.
  • 恋愛強迫観念(恋愛をしていないと恥ずかしい,負け組だという意識),恋愛中心価値観においては3群間に差は無かった.ただしその細部の要素を見ると3群でいろいろな差がある.

最後のいろいろな差はなかなか微妙な結果だが,著者は,オタクや腐女子も本音では恋人が欲しいと思っているがそうでない振りをする結果(認知的不協和の影響)ではないかと考察している.

第6章 生活満足度

大学生活の満足度の調査

  • 腐女子はオタクや一般群よりも承認得点(周りから認められている,評価されているという感覚)が低い.

これはノーマライゼーションが進んでいない腐女子イメージ(性的少数者へのステレオタイプ)の結果ではないかと考察されている.

第7章 アタッチメント

現代アタッチメント研究で主流のアタッチメント類型(安定型,とらわれ型,拒絶型,恐れ型)を調べる.

  • なかなか複雑な結果だが,オタク群は愛着対象に対する接近-回避のアンビバレント傾向が強いこと,腐女子群の一部である強い親密性回避群に「自分を拒否する他者」という否定的内的モデルによる不安定なアタッチメント類型を持つ傾向が認められている.

この章はなかなか難解だ.私が現代アタッチメント研究をよく知らないことに起因するのだろう.ただ断片的な解説を読む限り,パーソナリティ形成について環境依存的で強引な解釈傾向が強く,ややこじつけ的な印象を感じざるを得ないとところがある.

第8章 腐女子はBLに何を求めるか

ここからが私の興味の中心だ.面白い解説が前振りにある.

  • 腐女子は現実の男性同性愛者向けの出版物や映像作品は好まない.彼女たちはゲイバーにも非オネエ系男性同性愛者の世界にも近づかない.彼女たちが好むのは非現実的な美少年キャラクターの登場するBLになる.また逆に現実の男性同性愛者はほとんどBLを読まない.そしてBL作家の99%以上,読者の99%以上は女性である.
  • BLは「男性同士の恋愛物語」ではあるが,「男性同性愛者同士の恋愛物語」ではない.基本的にプロットは異性愛者である男性が,その性的指向を超えて1人の男性を愛する物語だ.
  • 「純愛物語」は人気があるが,その綺麗事(ハッピーエンド,おとぎ話のような幼稚性,ご都合主義)を受け入れられない層も存在する.また女性読者は男女の性行為描写について女性側に感情移入するが,それは生々しすぎて惨めな気持ちになるリスクを持つと感じている層も存在する.
  • このような純愛物語を楽しみたいが,男女の純愛ものは楽しめない女性層の受け皿としてBLがあることが考えられる.そして非現実的な美少年同士の恋愛は,「純愛が存在しうるファンタジー世界」であることを示す「記号」なのかもしれない.


このような仮説を受けて,まずオタクと腐女子の純愛物語志向性を強い愛情,永遠の愛,命がけの愛,純愛至上主義の4要因に分けてを調べる.

  • オタクと腐女子は一般群よりも強い愛情,永遠の愛に魅力を感じる傾向が強い.また命がけの愛については腐女子,オタク,一般群の順に魅力を感じる傾向が強い.オタクは一般群に比べて純愛至上主義の傾向が強い.

この結果について著者は,オタクも腐女子も恋愛物語に強い魅力を感じており,腐女子のその中でも命がけの愛,オタクは純愛に強い魅力を感じているとまとめている*2.そしてここからBLは純愛物語の障害として男性同性愛を扱っていると解釈できるとしている.
そうかもしれないが,やや微妙だ.一部の女性がBLの愛好家になるのは命がけの愛をより好むからだろうか.例えば,プロットがあまりに非現実的にならないことと,より配偶者選好心理にとって純粋になることの間にトレードオフがあって,どちらをより好むかに個人差がある結果であるとするなら,この個人差の生じる理由にはいろいろなことが考えられるのではないだろうか.

第9章 猟奇的描写

BLには純愛物語もあるが,強姦・輪姦・拉致・監禁・調教という過激な描写を含む作品もある.これはなぜかを猟奇愛因子,被虐キャラ因子,悲劇因子を用いて調べる.

  • 腐女子,オタク,一般群の順で猟奇愛因子が高い.
  • 腐女子では命がけ愛得点と純愛至上主義得点が高いほど猟奇愛傾向が高くなり,オタクでは命がけ愛得点と強い愛情得点が高いほど猟奇愛傾向が高くなる.一般群では無相関だった.

この結果について著者は,腐女子は加虐性を純愛の発露として理解するのではないかと解釈している.またこのような傾向の背景には,猟奇性をBL作品の「お約束」として一種の記号として内面化していくこと,BL作品に多く触れるうちに逸脱,倒錯,加虐,被虐に慣れていき抵抗感が薄くなること,原典にない物語を強く求める傾向などがあるのではないかと考察している.

第10章 BL妄想

原典では恋愛関係にない男性キャラクター同士を恋愛関係にするようなBL妄想は腐女子のみに見られる特徴なのかを調べる.

  • キャラBL妄想,擬人化BL妄想,現実男性BL妄想すべてにおいて腐女子は有意にその傾向が高い.
  • このうちキャラ妄想は腐女子であればかなり一般的だが.擬人化BL妄想,現実男性BL妄想は腐女子の中でも一部に見られる現象である.

ここでは,この結果について,腐女子は二者の(恋愛以外の)関係性(友情,ライバル,敵対,主従,信頼など)について気づいたときに「腐女子スイッチ」が入って「関係性萌え」が発生するのであり,これにより原典をより楽しむことができ,いわばオタクの「進化型」と考えることができると評している.そして妄想の核心が「関係性」であるなら,それは人間関係である必要はないのだろうと考察している.

第11章 幸福感

オタクと腐女子QOLの調査.

  • オタクも腐女子も,生活満足感,生活健康感,自己肯定感,ゆとり感いずれにおいても一般群と差が無い.
  • 対象作品の鑑賞に関しては,オタク,腐女子ともに受動的満足感が一般群より高く,オタクは生き甲斐感が一般群よりも高い.

著者は,一般的なQOL指標でオタクの幸福は測れないが,趣味の対象に絞って調べると,「趣味は人生を豊かにする」という結果が現れるのだと評している.
またその他重回帰分析の結果から,オタクの場合は趣味の共有,周りからの承認が満足感の要素としては重要になるが,腐女子の場合にはBL趣味が社会的に容認されにくいことが要因となって,BL趣味を友人に認めてもらうことが特に重要になると考察している.

第12〜13章 まとめと腐女子に向けてのメッセージ

これまでの知見が簡単にまとめられた後総合的な考察がなされ,最後に腐女子に向けたメッセージが載せられている.

  • オタクの腐女子の共通点としては,自己の変態性,異常性を認識していることがある.この変態性は,オタクの場合には美少女ロリコン傾向であり,腐女子の場合には男性同士の恋愛を娯楽として楽しむことにある.
  • 別の共通点としては一般人から他者として攻撃を受けやすいことがある.ただしオタクは趣味への没頭の程度が異常なのに対して,腐女子は趣味の対象が質的に異なるという部分が異なっている.
  • またオタクと腐女子は,恋愛物語を強く魅力的に感じること,恋愛強迫観念を持ち恋愛意識が屈折していること,作品の鑑賞に関する受動的幸福感が強いことも共通している.
  • BLは規範的には異性愛的であり,男性愛同性愛が恋愛物語の障害として取り扱われ,同性愛嫌悪的な部分もある.腐女子から見るとゲイを許容しているつもりでも,自分が好むBLでは同性愛嫌悪的な骨格があり,これも腐女子の持つジレンマの一つになっているだろう.
  • 女性読者はBLで描かれている男性同性愛的性行為を実践できないし,BLでは愛があってははじめて性愛が許されるという規範が守られている.これは女性読者が社会の性規範から逸脱しないための安全装置であると考えることができる.
  • またBLにおいては,妊娠・子育ての分業や権力差が生じない.これはフェミニストにとっても説得力のある純愛物語を可能にしていると考えることができる.
  • 古典的な少女漫画の世界では,「少女は男性からの愛を得なければアイデンティティを確立できない」という「少女漫画の呪い」が埋め込まれている.これは漫画雑誌編集者たちから少女漫画家に課された女性ステレオタイプに由来するのだろう.そしてBLはそこからの自由を可能にする.
  • 腐女子のオタクと異なる特徴にBL妄想がある.腐女子は妄想であり自己のいない世界の中でキャラクターを自由に,そして時に猟奇的に弄ぶ.これは腐女子の抱える様々なジレンマの反映なのかもしれない.しかし妄想に浸るだけでは現実との乖離は埋まらずジレンマは解消しない.
  • 腐女子には現実社会とのつながりを持つことを勧める.趣味の友人,そして異性とのつながりだ.異性としてはオタクとつきあうと熱く濃い話ができ,楽しい関係になるのではないか.オタクは腐女子よりも異性と親しくなりたいという欲求が強いので,少し好意的な態度を示せば簡単にオタクと仲良くできるはずだ.そして自分を肯定的に捉え,少女漫画の呪いを解こう.まずは半径5メートルの現実を変えよう.趣味は人生を豊かにするのだ.

全体として様々なアンケートリサーチが紹介されており,今後の腐女子のパーソナリティ研究の基礎たろうとした出版意図は十分実現されているだろう.(おそらく読者の大半が女子学生になると予想されることから挿入されている)最後の腐女子向けメッセージも熱い.私の感想は以下の通りだ.

  • アンケート調査の相関を見ることで様々な知見を得ることができる様子は大変面白い.個人的には周りにカミングアウトした腐女子がいないこともあり,腐女子の実像はなかなか興味深い.資金的な制限でオシャレに投資しきれず,自らを異常と認識し,それに対処し切れていない様子を読むと,著者の最終メッセージの趣旨もよくわかる.
  • ただし進化心理的に考えるといくつか不満もある.
  • まず背景説明,問題意識,リサーチとも日本のみにフォーカスされているのが残念だ.BLが何らかの形でより女性の心理に受けるように強化された純愛物語であると考えるなら,それがどの程度ユニバーサルで,どの程度日本文化特有なのかには非常に興味が持たれる.例えば,アメリカではまずロマンス小説がミステリやSFと並ぶフィクションの大きなジャンルになっていて,その背後にスラッシュがサブカルチャーとして存在するようだが,日本ではロマンスはハーレクインなどの輸入物にほぼ限られ,BLの大きなマーケットがあるという状況だ.なぜそうなっているのだろう.そしてヨーロッパでは事情が異なるのだろうか.視野をグローバルに広げて考察することがないこと,そして欧米のリサーチ状況に全く触れていないことは本書の物足りない部分だ.
  • 最大の不満は性差の取り扱い方にある.第1章,第5章のわずかな部分のほかは,全く男女別の分析がなされていない.そもそもBLはほぼ女性のみに見られる嗜好であり,ここには明らかな性差がある.しかし本書では一般層,オタク層について男女別に取り扱わないのだ.だからオタクと腐女子の差とされているものが単なる性差なのか,腐女子と非腐女子の女性オタクの差なのか判然としない.これは全く理解できない奇異な態度だ.あるいは著者は男女差別的だと糾弾されることを恐れてこういう方針をとったのかもしれない.そうであれば政治的なアジェンダを学術的探求に優先させたとしか評価できない.進化心理学によって配偶者選好について非常に興味深い性差が存在することが明らかになっており,それが恋愛物語への選好・態度に影響しないはずがないという背景を考えると,本書のこのスタンスは基礎リサーチとしての価値を大きく下げているように思われる.
  • なぜBLがほぼ女性のみを対象とするジャンルとして確立し熱烈なファンを持つのかについては,冒頭のサーモンの最初の仮説とほぼ整合的な結果が得られているのだろう.基本的にBLは女性読者が(女性の配偶者選択にかかる選好からみて)恋愛物語のエッセンスを純粋に楽しむために邪魔になる「永遠に幸せになるという嘘くさい綺麗事」「女性側に感情移入してしまいかねない男女の性愛描写」を切り捨てるという形で成立しているのだろう.そしてさらに異性愛者が同性愛的状況に陥るということがプロット上求められる障害として説得的であることもその魅力の要因の一つとなっている.この意味で猟奇的な描写に対する著者の解釈は,より純粋に恋愛物語を楽しむためのお約束的状況描写であるということになり,説得的だ.
  • しかし男性同士の物語になる理由を社会的なコード逸脱からの安全装置であるという著者の解釈には納得できない.既に自分の性癖を「異常」であると認識している腐女子が,社会的コード逸脱からの安全性を求めて(男女の物語を避けて)BLに走っているとは思えない.逆に禁断の愛についての背徳感がBLの魅力の一つになっている可能性の方が高いのではないだろうか.
  • また男女の分業がプロットに入り込まないのでよりフェミニズム的に許容されることもBLの魅力であるという考察も疑問だ.BLが配偶者選択の心理を純化した物語だとするなら,そこにこのような魅力が入り込む余地があるのだろうか.
  • 著者によるBL妄想と「関係性」の考察は示唆的だ.しかしなぜ「関係性」に気づくことが「腐女子スイッチ」を押すのだろうか.これは進化心理的にも興味深いところだ.配偶者選択の心理とどういう関係にあるのだろうか.
  • そもそもどのような女性が腐女子になりやすいのだろうか.本書ではこの疑問はあまり取り扱われていない.ビッグファイブなどのパーソナリティ因子との相関分析を行うとどのような結果になるのかは興味が持たれる.(本書では引きこもりやすいかという仮説の検証としてシャイネスとの分析があるだけになっている)
  • いずれにせよロマンス小説,BL,男性向けポルノ,(特にハレム型)ラノベは配偶者選択にかかる選好の性差を強く反映しているだろう.今後は性差の分析を加味してこのあたりのリサーチが進む事を期待したい.
  • そして私が腐女子にアドバイスするなら,「BLを好むのは『異常』でも何でもなく,まして腐っているわけではない.BLは『正常』な女性の配偶者選択にかかる選好の『エッセンス』を凝縮した物語であり,全世界に同じような物語を好む愛好者がいるのだ」ということを強調するだろう.自嘲的にならず,胸を張って人生を楽しんで欲しい.


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なおスラッシュについてはhttps://en.wikipedia.org/wiki/Slash_fictionに簡単な解説がある.日本語記事もある.https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5_(%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3)

*1:ボーイズラブ:少し前までは「やおい」と呼ばれることが多かったようだが,最近ではBLが最も普通の呼称のようだ.

*2:純愛至上主義について,オタクと腐女子に差があるような書きぶりだが,実際のデータを見ると差があるようには思えず,やや違和感が残る記述になっている